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福岡地方裁判所 昭和44年(ワ)145号 判決 1977年10月05日

《目次》

当事者の表示

主文

事実

第一 当事者の求めた栽判

一、原告ら

二、被告ら

第二 原告らの主張

一、請求原因

1 当事者

2 油症事件の概要

3 カネクロール四〇〇の化学的組成及び一般的性質

4 カネクロールの有毒性とその知見

5 被告カネミのカネミ油製造工程

6 カネクロールの漏出経路

7 被告カネミの責任

8 被告加藤の責任

9 被告鐘化の責任

10 被告ら相互の責任関係

11 損害総論

12 損害各論

13 結論

二、請求原因を理由づける事実、法律上の主張及び被告らの主張に対する認否、反論

第三 被告カネミ及び同加藤の主張

一、請求原因に対する認否及び主張の要点

二、請求原因否認の理由、事実上及び法律上の主張並びに原告ら及び被告鐘化の主張に対する反論

第四 被告鐘化の主張

一、請求原因に対する認否及び主張の要点

二、請求原因否認の理由、事実上及び法律上の主張並びに原告ら及び被告カネミの主張に対する反論

第五 証拠関係

一、原告ら

二、被告カネミ及び同加藤

三、被告鐘化

理由

(はじめに)

一、書証の形式的証拠力について

二、当事者

第一章油症事件の発生

第一 油症事件の概要

一、油症事件の発端

二、油症の社会問題化

三、油症研究班の発足

四、油症研究班による調査研究

五、病因の確定―カネクロール(PCB)説

六、病因となつたカネミ油の製造時期の特定

七、油症研究班の改組―油症治療研究班

八、カネクロール(PCB)混入経路に関する九大鑑定

九、油症刑事事件等

一〇、油症民事事件

一一、ダーク油事件

第二 カネミ油について

一、はじめに

二、カネミ油の製造工程の概要

1 抽出工程と精製工程

2 精製工程の概要

三、脱臭装置の改造、増設経過の概要

1 はじめに

2 装置別改造、増設経過

3 運転サイクルの変遷

四、被告カネミの製品検査方法の概要

1 はじめに

2 各工程における検査項目

3 品質規格

4 検査方法

第三 カネクロール四〇〇について

一、カネクロール四〇〇の化学的組成及び化学的、物理的性質について

1 カネクロールとは

2 塩化ジフエニールとは

3 塩化ジフエニールの特長

4 カネクロール四〇〇の特長等

二、塩化ジフエニールの歴史

1 塩化ジフエニールの合成

2 諸外国での塩化ジフエニールの生産状況

3 我が国での塩化ジフエニールの生産状況

4 塩化ジフエニールの利用状況

5 塩化ジフエニールの盛衰

三、塩化ジフエニールの毒性

1 塩化ジフエニールの急性致死毒性

2 塩化ジフエニールによる職業病

3 油症事件にみられる毒性

4 塩化ジフエニールの毒性の発現形態

第四 油症研究班分析部会の研究経過と結果について

一、はじめに

二、油症原因物質の解明過程

1 ヒ素説及びビタミンD過剰摂取説

2 分析部会の苦悩

3 カネクロール(PCB)説の確立

4 ビン入り油の分析によるPCB混入時期の検索

5 実験、分析によるPCB説の検証

三、結論

第五 油症研究班疫学部会の調査、研究結果について

一、はじめに

二、疫学部会の研究方法と結果

1 記述疫学的研究

2 追跡調査の目的

3 二月五、六日出荷のカン入り油の追跡調査の経過

4 右追跡調査の結果

5 まとめ

三、疫学部会の研究結果の問題点についての検討

1 調査対象に関する問題点

2 追跡調査の内容についての若干の問題点

3 事故油の製造時期の特定

第六 九大鑑定(ピンホール説)について

一、はじめに

二、カネクロール四〇〇の混入経路についての鑑定経過

1 ピンホールの状況

2 六号脱臭缶による脱臭実験

3 空焚き実験

4 三号缶による混入カネクロールの蒸散実験

5 蛇管の金属学的検査等

6 その他

三、六号脱臭缶のピンホールからカネクロールが漏出した可能性

1 はじめに

2 混入量の推定

3 混入量とピンホールの大きさ

4 ピンホールが開口していた可能性

5 ピンホールが短期間に閉塞する可能性

6 結論

四、腐蝕環境の悪化の原因

1 はじめに

2 塩化水素ガスの発生

3 蛇管内の水分の存在

第七 ダーク油事件について

一、はじめに

二、ダーク油事件から得られたデータ

1 事故ダーク油の量

2 ダーク油中のカネクロール混入量

3 ダーク油中のカネクロールの化学的組成

三、事故ダーク油と患者油との関係について

1 はじめに

2 竹下安日児の見解

3 森本工場長の弁明

4 まとめ

第八 カネクロール四〇〇の混入経路についての検討

一、はじめに

二、フランジ説の概要

1 フランジからの漏出の可能性

2 フランジから漏出したカネクロールが内槽へ混入する可能性

3 まとめ

三、六号脱臭缶で漏出したことについて

1 脱臭缶で漏出したことについて

2 六号脱臭缶で漏出したことについて

3 まとめ

四、漏出したカネクロールの総量

1 九大鑑定から見た一バツチあたりの漏出量について

2 稲神証言からみた総漏出量について

3 被告カネミにおけるカネクロール四〇〇の補給量からみた総漏出量について

4 総漏出量からみた一バツチあたりの漏出量について

五、ピンホール説の問題点

1 はじめに

2 事故ダーク油中の塩化ジフエニールのパターンについて

3 事故ダーク油中の塩化ジフエニール量について

4 ピンホールが開口した可能性について

5 ピンホールが短期間に閉塞した可能性について

6 事故食用油の色相について

7 まとめ

六、フランジ説の題題点

1 外筒底に漏出したカネクロールが内槽内に混入する機序について

2 フランジから漏出する可能性について

3 まとめ

七、人為的投入説の問題点

1 人為的投入説の根拠

2 問題点

3 まとめ

八、ピンホール説及びフランジ説に共通する被告カネミの反論について

1 真空テストの結果異常はなかつたとの主張について

2 カネクロールの大量漏出があれば正常運転が不能との主張について

3 製品検査結果に異常がなかつたとの主張について

九、混入経路に関する検討のまとめ

第二章被告カネミの責任

第一 食品製造業者の注意義務

第二 被告カネミの過失

第三 被告カネミの予見可能性不存在の主張について

一、はじめに

二、カネクロールの毒性に関する予見可能性

三、カネクロールの食用油混入の予見可能性

四、まとめ

第四 被告カネミの過失と油症事件との因果関係

第五 結論

第三章被告加藤の責任

第四章被告鐘化の責任

第一 はじめに

第二 カネクロールの製造販売と過失の有無

一、カネクロールの人体に対する危険性

二、カネクロールの新規性

三、考察

第三 食品工業の熱媒体としてのカネクロールの推奨販売と過失の有無

一、カネクロールを食品工業の熱媒体として利用することの危険性

二、食品工業の熱媒体としてのカネクロールの推奨販売の可否

三、被告鐘化の過失の推定

四、カネクロールの毒性に関する被告鐘化の認識及びその可能性

五、カネクロールの毒性に関する被告鐘化の指摘、警告の当否

六、カネクロールの金属腐蝕性に関する被告鐘化の認識及びその可能性

七、カネクロールの金属腐蝕性に関する被告鐘化の指摘、警告の当否

八、まとめ

第四 被告鐘化の過失と油症事件との因果関係

一、条件的因果関係の存否

二、相当因果関係の存否(被告鐘化の反論)について

1 はじめに

2 因果関係の遮断の有無

三、まとめ

第五 結論

第五章被告ら相互の責任関係

第六章損害総論

第一 はじめに

第二 医学上よりみた油症の症状

一、皮膚症状

1 初期の皮膚症状

2 油症患者の臨床所見についての一例

3 皮膚症状に関する臨床医の供述

4 皮膚症状の病理機序の概略

5 初期の油症の重症度分類基準

6 皮膚重症度と性別・年齢層別および摂取油量との関係

7 皮膚重症度(皮膚症状)の経年変化

8 皮膚症状と他の症状との関係

二、眼症状

1 初期の眼症状

2 日常生活への影響

3 眼症状の経年変化

三、耳鼻科症状

1 油症研究班の検査結果

2 難聴とその原因

四、呼吸器症状

1 初期の呼吸器症状

2 呼吸器症状の経年変化

3 慢性気管支炎様症状のひきおこす影響

五、肝臓障害

1 はじめに

2 油症患者の剖検例

3 肝臓障害に関する臨床医の考え方

六、胃腸障害

1 臨床症状

2 病理機序

七、内分泌障害

1 月経異常(女性ホルモンの異常)

2 副腎皮質ホルモンの異常

3 その他

八、全身倦怠

1 油症研究班の報告

2 全身倦怠(病的疲労)の機序に関する考え方

3 日常生活への障害

九、神経症状

1 はじめに(初期の油症患者における神経学的所見)

2 中枢神経障害

3 末梢神経障害

一〇、免疫性の低下

1 はじめに

2 血清免疫グロブリンの変動と免疫性の低下

一一、子供の成長抑制

1 油症研究班の報告

2 アルカリフオスフアターゼの異常

3 歯牙異常

一二、新生児油症(胎児性油症)

1 油症研究班の報告

2 母体のPCB汚染と胎児

3 経胎盤油症児についての特別の問題

一三、油症児の六年後の精神神経学的調査

一四、血中PCBについて

1 油症研究班の報告

2 血中PCBの経年変化

一五、脂質代謝に対する影響(トリグリセリド血症)

1 油症研究班による報告

2 脂質代謝異常のひきおこす影響

3 血清TGの経年変化

一六、血清過酸化脂質について

第三 油症の問題点

一、PCB中毒の病理過程と発症型態

二、治療法について

三、予後について

四、カネクロール四〇〇とPCDF

五、PCB中毒における検査の限界

六、PCB中毒と加齢の相乗作用

七、合併症とPCB中毒

第四 油症被害の一般的特徴

一、合成化学物質による新しい疾患

二、食品公害・商品公害

三、家族発症と家庭生活の破壊

四、人生破壊

五、救済の立ち遅れ

第七章損害各論

第一 はじめに―原告ら個々の損害を考えるにあたつて

一、油症の重症度について

二、個々の症例との因果関係

三、逸失利益等について

四、被告カネミの治療費等の支払について

第二 慰藉料

一、原告窪田元次郎、同窪田絹子、同渡辺理恵子、同井上真理子について

1 原告窪田元次郎

2 原告窪田絹子

3 原告渡辺理恵子

4 原告井上真理子

二、原告佐藤俊一、同佐藤保子、同佐藤英明、同佐藤和哉について

1 原告佐藤俊一

2 原告佐藤保子

3 原告佐藤英明

4 原告佐藤和哉

三、原告水俣安臣、同水俣由紀子、同水俣圭子、同水俣京子について

1 原告水俣安臣

2 原告水俣由紀子

3 原告水俣圭子

4 原告水俣京子

四、原告渋田正男、同渋田テル子、同渋田勝彦、同渋田真理子について

1 原告渋田正男

2 原告渋田テル子

3 原告渋田勝彦

4 原告渋田真理子

五、原告村山博一、同村山千枝子、同村山直也、同村山啓子について

1 原告村山博一

2 原告村山千枝子

3 原告村山直也

4 原告村山啓子

六、原告国武信子、同国武寛、同国武紀子、同国武幸子について

1 亡国武忠

2 原告国武信子

3 原告国武寛

4 原告国武紀子

5 原告国武幸子

七、原告右田昭生、同右田瓊子、同右田博美、同右田久美子について

1 原告右田昭生

2 原告右田瓊子

3 原告右田博美

4 原告右田久美子

八、原告田中浦助、同田中彰子、同田中一哉、同田中美恵子について

1 原告田中浦助

2 原告田中彰子

3 原告田中一哉

4 原告田中美恵子

九、原告川越恭甫、同川越和、同川越克明、同川越光枝について

1 原告川越恭甫

2 原告川越和

3 原告川越克明

4 原告川越光枝

一〇、原告樋口泰滋、同樋口ヒサ、同樋口英俊、同樋口達谷について

1 原告樋口泰滋

2 原告樋口ヒサ

3 原告樋口英俊

4 原告樋口達谷

一一、原告尻無浜美敏、同尻無浜峰子、同尻無浜美子、同尻無浜麻利子について

1 原告尻無浜美敏

2 原告尻無浜峰子

3 原告尻無浜美子

4 原告尻無浜麻利子

第三 弁護士費用

第八章結論

別紙(一) 原告別請求・認容一覧表

(二)の(1) 亡国武忠の逸失利益計算表(主張分)

(二)の(2)    〃 (認定分)

(三) 被告カネミの支払額一覧表

(四) 書証目録

別表(一) 油症診断基準

(二) 油症患者の暫定的治療指針

(三) ビン詰ライスオイルの塩化ビフエニール分析

(四) 油中の有機塩素含量

(五) 脱臭工程作業方法比較表

(六) カン入油追跡調査結果一覧表

別図(一)の(1) 脱臭工程の食油の循環系統図

(一)の(2) 脱臭工程のカネクロール循環系統図

(二) 脱臭装置配置図

(三) 6号脱臭缶構造図

(四) ウインター工程概略図

(五) 塩化ジフエニール等の構造図

(六) 患者油及び事故ダーク油中の塩化ジフエニールの成分グラフ

原告

窪田元次郎

外四三名

右原告ら訴訟代理人弁護士

原口酉男

外二名

被告

カネミ倉庫株式会社

右代表者代表取締役

加藤三之輔

被告

加藤三之輔

右被告ら訴訟代理人弁護士

尾山正義

ほか四名

被告

鐘淵化学工業株式会社

右代表者代表取締役

井上徳治

右被告訴訟代理人弁護士

荻野益三郎

ほか六名

主文

一  被告らは各自、

1  原告窪田元次郎に対し金二五七〇万円、

2  原告窪田絹子に対し金一七一〇万円、

3  原告渡辺理恵子に対し金一三九〇万円、

4  原告井上真理子に対し金一六一〇万円、

5  原告佐藤俊一に対し金八六〇万円、

6  原告佐藤保子に対し金一四四〇万円、

7  原告佐藤英明に対し金一五〇〇万円、

8  原告佐藤和哉に対し金一六一〇万円、

9  原告水俣安臣に対し金一九三〇万円、

10  原告水俣由紀子に対し金二一四〇万円、

11  原告水俣圭子に対し金二一四〇万円、

12  原告水俣京子に対し金二一四〇万円、

13  原告渋田正男に対し金八六〇万円、

14  原告渋田テル子に対し金一二八〇万円、

15  原告渋田勝彦に対し金一二八〇万円、

16  原告渋田真理子に対し金一二八〇万円、

17  原告村山博一に対し金一三九〇万円、

18  原告村山千枝子に対し金一六一〇万円、

19  原告村山直也に対し金一五〇〇万円、

20  原告村山啓子に対し金一六一〇万円、

21  原告国武信子に対し金二五六三万円、

22  原告国武寛に対し金一九八五万円、

23  原告国武紀子に対し金二〇九五万円、

24  原告国武幸子に対し金二〇九五万円、

25  原告右田昭生に対し金一〇七〇万円、

26  原告右田瓊子に対し金一二八〇万円、

27  原告右田博美に対し金一三九〇万円、

28  原告右田久美子に対し金一三九〇万円、

29  原告田中浦助に対し金一一八〇万円、

30  原告田中彰子に対し金一五〇〇万円、

31  原告田中一哉に対し金一三九〇万円、

32  原告田中美恵子に対し金一三九〇万円、

33  原告川越恭甫に対し金一〇七〇万円、

34  原告川越和に対し金一七一〇万円、

35  原告川越克明に対し金一八二〇万円、

36  原告川越光枝に対し金一九三〇万円、

37  原告樋口泰滋に対し金一五五〇万円、

38  原告樋口ヒサに対し金一三九〇万円、

39  原告樋口英俊に対し金一三九〇万円、

40  原告樋口達谷に対し金一三九〇万円、

41  原告尻無浜美敏に対し金八六〇万円、

42  原告尻無浜峰子に対し金一三九〇万円、

43  原告尻無浜美子に対し金一二八〇万円、

44  原告尻無浜麻利子に対し金一二八〇万円、

及び右各金員に対する昭和四四年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はすべて被告らの負担とする。

四  この判決は一項にかぎり、

1  原告窪田元次郎、同国武信子は同項の金員のうち各金二〇〇〇万円、その余の原告らは同項の金員のうち各金一五〇〇万円の範囲内において、いずれも無担保で、

2  同項のその余の金員につき、

(一)  原告窪田元次郎、同水俣安臣、同水俣由紀子、同水俣圭子、同水俣京子、同国武信子、同国武寛、同国武紀子、同国武幸子、同川越光枝は各金三〇〇万円の担保を供することにより、

(二)  原告窪田絹子、同井上真理子、同佐藤和哉、同村山千枝子、同村山啓子、同川越和、同川越克明は各金二〇〇万円の担保を供することにより、

(三)  原告佐藤英明、同村山直也、同田中彰子、同樋口泰滋は各金一〇〇万円の担保を供することにより、

(四)  その余の原告らは各金五〇万円の担保を供することにより、

仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告らは各自、原告窪田元次郎に対し金二七五〇万円、同窪田絹子に対し金一七八二万円、同渡辺理恵子及び同井上真理子に対し各金一八九七万円、同佐藤俊一に対し一五四〇万円、同佐藤保子に対し金一七八二万円、同佐藤英明に対し金一八七〇万円、同佐藤和哉に対し金二二〇〇万円、同水俣安臣に対し金二一二七万円、同水俣由紀子に対し金二三一〇万円、同水俣圭子及び同水俣京子に対し各金二四二〇万円、同渋田正男に対し金一五四〇万円、同渋田テル子に対し金一七八二万円、同渋田勝彦に対し金一七六〇万円、同渋田真理子に対し金一六五〇万円、同村山博一に対し金一五四〇万円、同村山千枝子に対し金一九八〇万円、同村山直也に対し金一八九七万円、同村山啓子に対し金二〇九〇万円、同国部信子に対し金三三六〇万円、同国武寛に対し金二六七〇万円、同国武紀子に対し金三〇八〇万円、同国武幸子に対し金二六七〇万円、同右田昭生に対し金一五四〇万円、同右田瓊子に対し金一七八二万円、同右田博美、同右田久美子及び同田中浦助に対し各金一六五〇万円、同田中彰子に対し金一七六〇万円、同田中一哉及び同田中美恵子に対し各金一八九七万円、同川越恭甫に対し金一六五〇万円、同川越和に対し金一七八二万円、川越克明及び同川越光技に対し各金二〇九〇万円、同樋口泰滋に対し金二七五〇万円、同樋口ヒサに対し金一九八〇万円、同樋口英俊に対し金一七六〇万円、同樋口達谷に対し金一八九七万円、同尻無浜美敏に対し金一五四〇万円、同尻無浜峰子、同尻無浜美子及び同尻無浜麻利子に対し各金一七六〇万円並びに右各金員に対する昭和四四年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告ら

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  原告らの主張

一、請求原因

1  当事者

原告らはいずれも昭和四三年六月頃以降西日本一帯に多発した油症の認定患者である。被告カネミ倉庫株式会社(以下単に被告カネミという。)は肩書地に本社工場を有し、昭和三六年四月以降食用油である精製米糠油を製造販売して来たものであり、被告加藤三之輔(以下単に被告加藤とい。)は昭和二七年一二月以降被告カネミの代表取締役社長の地位にあるものである。被告鐘淵化学工業株式会社(以下単に被告鐘化という。)は、総合化学会社であつて、昭和二九年四月以降塩化ジフエニールを製造し、これにカネクロールという商品名を付して販売して来たものである。

2  油症事件の概要

(一) 昭和四三年六月頃から、福岡県を中心に西日本一帯の二三府県に特異な皮膚症状を主訴とする患者が続発し、その数は千数百名に及んだ。右患者らはいずれも被告カネミが製造販売した米糠油(以下単にカネミ油という。)を使用しており、このカネミ油の摂取が右症状の原因と考えられたので、右症状が油症と呼ばれることとなり、前代未聞の食品公害として重大な社会問題となつた。

(二) その後の調査により、患者使用のカネミ油中から、被告カネミが、カネミ油製造工程のうちの一工程である脱臭工程において、熱媒体として使用していたカネクロール四〇〇が検出され、油症がカネクロールの経口摂取による中毒症であることが判明した。

3  カネクロール四〇〇の化学的組成及び一般的性質

(一) カネクロール四〇〇とは、芳香族炭化水素の誘導体であるジフエニールの塩素化合物、すなわち塩化ジフエニール(または塩化ビフエニール、PCB)のうちの、二ないし七塩化ジフニエールの混合物で、四塩化ジフエニールを主成分とするものに対する商品名である。

(二) カネクロール四〇〇は、沸点摂氏三四〇ないし三七五度(以下単に度だけで表示する。)、融点七ないし一〇度、不燃性、水不溶性、熱安定性、難分解性(対酸、対アルカリ)、脂溶性、粘着性及び侵透性のある常温で無色または淡黄色透明の液状物質である。もつとも熱安定性を有するが、高温に加熱されると脱塩化水素傾向があり、塩化水素ガスを発生するため、これが液状水分に溶けて塩酸が生成されると、金属腐蝕の危険性を生ずる。

4  カネクロールの有毒性とその知見

(一) 塩化ジフエニール等の芳香族炭化水素の塩素化合物は、ほとんど天然には存在せず、前世紀末から今世紀前半にかけて次々と合成された人工有機塩素化合物であり、前記のようなすぐれた特性を有するものであるが、そのすぐれた特性の故に、これらの物質は生体になじみがなく、生体側にこれらの物質に対する適応力を欠くため、生体に対し一般に毒性を示すものである。

(二) 特に、塩化ジフエニールやこれと化学的性質の近以する塩化ナフタリン(PCN)については、極く少量ずつの摂取でも生体に対し慢性ないし蓄積性毒性を示し、皮膚疾患(塩素痤瘡等)及び内臓疾患(肝障害等)といつた重大な障害を及ぼすものであることが、本件油症事件以前に、右物質の製造、使用工場の従業員の健康調査及び動物実験等により明らかにされ、その研究結果が公表されていた。そして、研究者らは、塩化ジフエニールの人体に対する有毒性を重視し、その安易な使用に対し警告を発していた。

(三) 本件油症事件における後記のような重篤な被害は、最低一日平均三ないし五mgのカネクロールを一ないし五か月間にわたり合計0.16ないし0.5g経口摂取したことにより発生したものであり、この結果からみてもカネクロールが極めて有毒な物質であることが明らかである。カネクロールの経口摂取による右の様な人体被害については、前記研究結果から当然に予測しえたものである。

5  被告カネミのカネミ油製造工程

被告カネミは、訴外三和油脂株式会社から昭和三四年一一月米糠搾油の抽出装置を、同三六年四月精製装置をそれぞれ技術導入したものであるが、その米糠油製造工程の概要は次のとおりである。

原料米糠→選別乾燥工程→抽出工程→脱ガム工程→脱酸工程→脱ろう工程→脱色工程→脱臭工程→ウインター工程→製品油

右のうち脱臭工程は脱色工程を経た脱色油の有臭成分を除去し酸価を下げることを目的とする工程で、その方法は、圧力三ないし四mmHgの減圧下において油温を二〇〇ないし二三〇度に加熱し、これに水蒸気を吹き込んで有臭成分を蒸散させる水蒸気蒸留方式である。操作はバツチ方式(仕込、操作、排出をもつて一バツチとする。)で、装置は一回仕込量二ドラム(約三六〇kg)の脱臭缶六基からなり、一バツチあたりの水蒸気蒸留時間は約一時間である。右のように油温を二〇〇ないし二三〇度に昇温させ、かつ蒸留の間一定温度を保持するために、脱臭缶のトレー(内槽)内に蛇管を設置し、この蛇管内に加熱炉で加熱された熱媒体カネクロール四〇〇を循環させて油を間接的に加熱する方式をとつており、カネクロール四〇〇と食用油とが厚さ僅か数mm程度の伝熱管壁を介して相接するという状況であつた。脱臭缶の構造の概略図は別図(三)のとおりである。

6  カネクロールの漏出経路

被告カネミの脱臭装置は、当初脱臭缶が一基であつたが、その後脱臭缶が次々に増設され、漏出事故発生直前の昭和四三年一月末頃までには六基になつていた。漏出事故は、右六基の脱臭缶のうち最後に増設された六号脱臭缶において発生した。右六号脱臭缶は、昭和三七年一〇月に設置され同四二年一〇月まで継続使用された旧二号脱臭缶の外筒の腐蝕部分を修理して同年一二月に設置され、昭和四三年一月末頃から稼働していたものであるところ、その内槽(トレー)内に設置されていたカネクロール循環系のステンレス製蛇管に数個のピンホール(最大のもので七mm×二mm)が発生していたため、右稼働開始の直後から同年二月上旬にかけて、六号脱臭缶で精製された脱臭油中に右ピンホールから熱媒体であるカネクロール四〇〇が漏出混入したものである。右ピンホールは、カネクロールの加熱分解により発生した塩化水素が蛇管内に残存した水分に溶けて塩酸が生成されたため、ステンレスパイプに粒界腐蝕が進行して形成されたものである。

7  被告カネミの責任

(一) 食品中に有害有毒物質が混入している場合には、極めて多数の人々の生命、身体に対し甚大なる被害を及ぼすものであるから、食品製造販売業者は自己の製造販売する食品の安全性の確保につき極めて高度の注意義務を負うことは当然である。すなわち、食品は絶対に安全でなければならず、食品によつて被害が発生した場合には、それだけで食品製造販売業者に過失が推定されるというべきである。被告カネミは食用油の製造販売業者であり被告カネミが製造販売したカネミ油に有毒物質である塩化ジフエニールが混入していたため、これを摂取した原告らはじめ多数の者が油症に羅患したのであるから、原告らの油症被害は被告カネミの過失によるものと推定すべきである。

(二) 仮に、右のように被告カネミの過失を当然には推定できないとしても、被告カネミには次のような過失がある。

(1) 被告カネミとしては、その製造するカネミ油の安全性を確保するために、脱臭装置で使用する熱媒体のカネクロールの毒性の有無、程度及び右カネクロールが被加熱物に混入する危険性の有無について、調査、検討すべき注意義務があり、これを尽しておれば、カネクロールが前記のように人体に対し極めて有毒な化学物質であること、及び脱臭装置のような熱交換器は劣化損傷を免れ難く、とりわけカネクロールを使用する場合はそれから発生する塩化水素が水分に溶けて塩酸が生成される可能性があり、腐蝕環境を悪化させるため、装置の損傷によるカネクロールの被加熱物への漏出の危険性が高いものであることを、カネクロール使用開始以前に、少なくとも本件油症事件以前に認識し得たはずである。そのうえ、カネクロールの被加熱物への混入の有無の検索が、経済的、技術的にみて極めて困難であることを考慮すれば、被告カネミとしてはカネクロールを食用油脱臭装置の熱媒体として使用すべきではなく、また使用を中止すべきであつた。仮に使用を継続するとすれば、被告カネミとしては、カネクロールの混入の有無の検索のため万全の措置を講ずべき注意義務があつた。

(2) しかるに被告カネミは右注意義務を怠り、後記被告鏡化の過失による不十分なカタログの記載を軽信して、カネクロールには毒性がなく、またステンレス製の蛇管が腐蝕損傷してカネクロールが食用油に漏出する可能性はないと速断し、カネクロールの使用を開始、継続し、またカネクロールの混入防止及び混入の有無の検索のための措置を何ら講じなかつた過失により、カネクロールの混入したカネミ油を製造販売して、原告らに油症の被害を蒙らせたものである。

(3) なお、カネクロールの様な有毒物質の漏出する可能性のある脱臭装置は、食品衛生法九条にいう「食品若しくは添加物に接触してこれらに有害な影響を与えることにより人の健康を害う虞がある器具」に該当し、右法条によつて使用を禁止されているものというべきであるから、被告カネミが脱臭装置にカネクロールを使用したこと自体、すでに同条に違反する重大な過失というべきである。

8  被告加藤の責任

(一) 被告カネミの代表取締役社長である被告加藤は、昭和三四年一一月に被告カネミが製油業を開始して以来、特に製油部担当重役の地位に就任し今日に至つているほか、同四〇年一一月までは本社工場長の地位をも兼任していたものである。

(二) ところで被告加藤は、被告カネミが昭和三六年四月に三和油脂株式会社より、脱臭装置を含む油脂製造装置を技術導入するについて、これを実質的に決定した者であり、その際右三和油脂との交渉、技術指導の方法、機械装置、部品の購入、作業についての従業員の指導等も被告加藤自ら行なつたものである。そして、その後の装置の運転に関係し種々の面で決済し、実質的に被告カネミにおける精製装置全般の運転に関与して来たものであるから、被告カネミの前記不法行為につき被告加藤が民法七一五条二項所定の代理監督責任を負うのは当然である。

9  被告鐘化の責任

(一) 被告鐘化は、前記のとおり総合化学会社であり、昭和二九年四月にカネクロールの製造販売に踏み切り、以後その面で我国の市場を独占して来たものである。ところで、カネクロールは当初電気機器用絶縁油として使用する目的で開発されたのであるが、被告鐘化はその後カネクロールの用途を熱媒体、可塑剤等にも拡大して生産販売量を増やし、熱媒体としての用途を食品工業の器具にまで及ぼし、被告カネミにもその用に供しめていたものである。

(二) ところで、カネクロールは前記のように人体にとつて有毒な物質であるうえ、その人体への侵入経路、態様は複雑多様であり、極めて厄介な毒物であるが、特に我国では、被告鐘化が企業化するまではほとんど利用されたことのない新規化学物質であつた。元来化学工業の商品、廃棄物等には危険物質が多く、いかなる機序によつて人体への被害をもたらすか不可予測的であり、加えて新規化学物質の場合はそのもたらす危険性はより一層不可予測的に発現する可能性を有するものであるから、かかる新規化学物質を製造販売する者は、その製造、利用、廃棄の各過程において、人体へいかなる危害をも発生させることのないよう万全の措置をとるべき高度の注意義務があり、更にかかる新規化学物質の用途を新たに開拓するにあたつては、各用途毎に改めて、その生ずべき危険に対応する万全の措置を講ずべき高度の注意義務を負うものといわねばならない。

(三) したがつて、被告鐘化が化学工業を営む会社であること、カネクロールが人体に対し有毒な新規化学物質であること、及び被告鐘化の製造販売したカネクロールによつて原告らが被害を蒙つたものであること、以上の事実だけで被告鐘化の責任を問うに十分であり、その具体的過失及び予見可能性を問題とする余地はないというべきである。

(四) 仮にそうでないとしても、被告鐘化には次のような故意または過失がある。

(1) 被告鐘化は、カネクロールの製造販売開始以前に、遅くとも昭和三八年ころには、カネクロールの人体に対する有害、有毒性及びカネクロールの利用、廃棄の過程において人体に対し危害を及ぼす危険性を知り、または知る得べきであつたから、カネクロールを製造販売すべきではなく、またその製造販売を中止すべきであつたのに、漫然とカネクロールの製造販売を開始し、大量にこれを生産して社会に放出し続け、かかる危険物質が安易に大量利用、大量廃棄される状況を作り出した故意または過失により、かかる状況のもとで発生すべくして発生した本件油症事件を招来せしめたものである。

(2) また被告鐘化はカネクロールの用途を拡大するにあたり、前記被告カネミの関係で述べたところと同じ理由により、食品工業における熱媒体としてその使用を勧めるべきではなかつたにもかかわらず、カネクロールの有害、有毒性及びその利用の危険性に対する配慮を欠き、漫然とカネクロールを食品工業における熱媒体として使用することを勧め販売した(この点が食品衛生法九条に違反するものであることは被告カネミの場合と同様である。)故意または過失により、本件油症事件を発生させたものである。

(3) 仮にカネクロールの製造販売及び食品工業の熱媒体としての使用を勧めることが許されるとしても、その場合、新規化学物質であるカネクロールの毒性や金属腐蝕性等の属性についての知識が、利用者に広く行き渡つていなかつたのであるから、被告鐘化としてはカネクロールの利用における安全を確保するために、必要な右属性についての的確な情報を提供すべきであつたのに、故意に右情報を提供せず、または過失によりこれを怠り、かえつて、カネクロールの毒性は実用上ほとんど問題にならないし、また金属腐蝕性がないので使用材料の選択が自由である等、誤つた情報を提供したため(商品の使用指示上の欠陥)、前記被告カネミの過失を招来し本件油症事件を発生させたものである。

10  被告ら相互の責任関係

被告カネミと、前記のようにその事実の代理監督者たる地位にある被告加藤とは、本件不法行為に基づく損害賠償につき、いわゆる不真正連帯債務を負う関係に立ち、また、被告カネミと被告鐘化が前記各不法行為の間には客観的関連共同性が認められるので、両者は民法七一九条の共同不法行為に該当し、同じく不真正連帯債務を負う関係に立つ。よつて被告三者は連帯して原告らに対する損害賠償義務を負うものというべきである。

11  損害総論

(一) 油症被害の特徴

油症は、塩化ジフエニールの経口摂取による前代未聞の悲惨な疾病であつて、その被害には以下のような特徴がある。

(1) 油症は、皮膚、内臓、神経等の疾患を伴う全身性疾患であつて、その病像は極めて複雑多様である。

(2) 油症は、合成化学物質による新しい疾病であるため、各方面での研究治療にもかかわらず、いまだにその病理機序及び治療方法の解明が十分にされておらず、将来の見通しも明るくない。

(3) 油症発症以来満八年を経過した今日でも、いまだ塩化ジフエニール、とくに五、六塩化等の高塩化ジフニエール及び猛毒物質ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が体内に残留しており、なお症状を進行させている。

(4) 胎児性及び乳児性油症に明らかなように、その症状は親から子へ、子から孫へと世代を越えて継続するという悲惨さを有している。

(5) 油症は家族単位で発生したため、家族全体の精神的、肉体的、経済的破綻を招来した。

(6) 油症は、食品被害、商品被害であるため、被害者側には全く過失はなく、その被害は極めて広範囲に及んでいる。

(7) 以上のような悲惨な被害に対して被告ら加害者や行政及び医療機関のとつた救済対策、その姿勢は極めて不十分なものである。

以上のような油症の諸特徴が、被害者の精神的、肉体的、経済的苦痛を一層増大させている。

(二) 油症の一般的症状

(1) 皮膚、眼、耳及び口腔等の症状

a 皮膚症状――毛孔の黒点、著明化、角性丘疹、痤瘡様皮疹、嚢腫形成、粉瘤あるいは膿瘍形成、掌蹠の限局性角化増生、皮膚の乾燥等

b 眼症状――著しい眼脂増加、眼瞼腫脹、結膜炎、視力低下等

c 色素沈着――爪、歯肉、結膜、負膜、顔面、口唇、四肢、躯幹等

d その他――爪の扁平化、発汗異常、脱毛増加、関節部の腫瘤形成、難聴等

(2) 内臓、神経、循環器系統の症状

a 消化器障害――腹痛、下痢、便秘等

b 呼吸器障害――咳痰、呼吸困難等の慢性気管支炎様症状

c 循環器系障害――動悸、息切れ、目まい等

d 神経系障害――頭痛、頭重、背・腰部の疼痛、手足のしびれ、じんじん感、悪心、嘔吐等

e 内分泌系障害――月経異常、性欲減退

f 精神活動障害――ど忘れ、いらいら、学力低下等

g その他――全身倦怠、疲れ易い、休息効率低下等

(3) 胎児性、新生児性油症及び児童の症状

a 経胎盤、経母乳により胎児、新生児にも油症被害が及んでいる。

b 油症児童については、特に骨、歯の発育不全により、成長が抑制され、また虫歯になり易く、永久歯が生えにくいという状況が生じている。

(4) 前記各症状は、油症患者の体内、特に皮膚、皮下脂胞、血液、腎、肝、肺、副腎、大脳、大網、胎盤、乳線等からPCB、とりわけ高塩化PCBやその代謝産物等毒性の強いものが検出されていること、右毒性物質の影響による過酸化脂質の増加、免疫性の低下、肝機能の亢進、副腎皮質機能の低下、知覚神経伝導速度の低下、アルカリフオスフアターゼの増加等の種々の理学的検査所見が認められること等により、カネクロールによる中毒症状であることが客観的に裏付けられる。

(三) 油症の症状の軽重

油症の症状のうち、前記皮膚症状については軽重差が比較的明らかであるが、皮膚症状と前記内臓等の疾患との間には相関々係がなく、皮膚症状が軽いからといつて内臓等の疾患を含む全身症状が軽いというものではない。そして、内臓等の疾患を伴う全身症状として油症を観察するとき、その症状には、特に重症のものと特に軽症のものを除くと、ほとんどその症状に軽重の区別をつけることができない。

(四) 油症症状の経過とその展望

(1) 油症発症以来すでに八年余が経過した。しかし、皮膚症状のうちの顔面等の外面的部分の症状が軽快しつつある点を除いて、その余の皮膚症状及び内臓等の疾患は依然として継続進展しており、しかもその症状の進展は極めて非直線的である。そして今日までにすでに二二名の油症患者が死亡している。

(2) 右のような症状の経過及び前記のような油症の全身症状としての特異性並びに将来も有効な治療方法が確立される見通しが明るくないこと等を考慮すると、油症の将来の進展具合は予断を許さないものがあり、この点が患者の不安を一層増大させている。

12  損害各論

(一) 各原告及び亡国武忠の

(1) 年令、職業その他身分関係

(2) カネクロール入りカネミ油摂取の経緯、油症発症時期

(3) 症状の内容、程度、経過及び将来(但し亡国武忠についてはさらに死亡に至る経緯、時期、原因)

(4) 油症被害による生活障害の状況、程度、精神的、肉体的苦痛の度合、経済的被害の程度等については、別紙準備書面(二)に記載のとおりである。

(二) 慰藉料

各原告は、右被害について、精神的損害及び財産的損害を合せて、慰藉料として賠償請求するものであり、その額は右被害の程度に応じ、各原告につき別紙(一)の①欄(ただし※を付した分を除く)記載の額が相当である。

(三) 亡国武忠の死亡による損害とその相続

(1) 逸失利益

二五四二万〇五〇〇円

算定根拠、計算式は別紙(二)の(1)記載のとおりである。これを妻である原告国武信子が三分の一(金九九三万三三三三円)、子である原告国武寛、同国武紀子及び同国武幸子が各九分の二(金六六四万四四四四円)宛相続により承継した。

(2) 慰藉料

亡国武忠の死亡による右各原告固有の慰藉料としては、原告国武信子が金二〇〇万円、その余の原告が各金一五〇万円をもつて相当とする。

(3) 葬儀費

原告国武信子は葬儀費として少なくとも金一〇万円を出捐した。

(4) 右損害金の内原告国武信子は一二〇〇万円、その余の右各原告はそれぞれ八〇〇万円(別紙(一)の①欄に※を付した金額)を本訴において請求する。

(四) 弁護士費用

被告らが負担すべき弁護士費用相当の損害金として、各原告の損害額のほぼ一割の金額(別紙(一)の②欄記載の金額)を請求する。

13  結論

よつて、原告らは被告らに対し、不法行為に基く損害賠償として、別紙(一)の③欄記載の金額及びこれに対する本訴状達日の翌日である昭和四四年二月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因を理由づける事実、法律上の主張及び被告らの主張に対する認否、反論は別紙準備書面(一)ないし(四)記載のとおりである。

第三  被告カネミ同加藤の主張

一、請求原因に対する認否及び主張の要点

1  請求原因1記載の事実中、原告らに関する部分は不知、その余は認める。

2  同2の事実について

(一)の事実のうち、原告ら主張の頃、西日本一帯に特異な皮膚症状の患者が続発し、右症状が油症と呼ばれ、重大な社会問題となつた事実は認めるが、その余の事実は知らない。(二)の事実のうち、患者の使用油からカネクロールが検出されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3記載の事実は認める。

4  同4記載の事実も認めるが、被告カネミとしては、後記のとおり、油症事件以前にカネクロールの毒性を予見することができなかつた。

5  同5記載の事実は認める。

6  同6記載の事実中、原告ら主張のピンホールから主張の期間中にカネクロールが漏出したこと及び右ピンホール発生の原因については否認し、その余の事実は認める。

7  同7記載の事実中、被告カネミが食用油の製造販売業者であることは認めるが、その余の事実及び法律上の主張は争う。

単なる食品製造業者にすぎない被告カネミとしては、その製造工程において使用する熱媒体カネクロールの化学的性質、特に毒性について、独自に調査研究することは不可能であり、それを製造販売する被告鐘化の提供する情報にこれを頼るほかない。今日の様に分業化された産業構造の下では、素材を提供する側が、その用途に応じて、必要な情報を十分かつ正確に提供する義務を負うものというべきであり、それを使用する側でその点を独自に調査することまで要求されるものではない。しかるに、被告鐘化はカネクロール四〇〇を食品工業の熱媒体として使用することを勧めながら、その毒性はほとんど問題とならず、人畜無害である、金属腐蝕性もないから、装置の製造、管理等の費用が安価に上るなどと虚偽の情報を提供したため、これを信じた被告カネミを含む米糠油製造業者が熱媒体としてカネクロール四〇〇を採用したものである。したがつて、被告カネミとしてカネクロール四〇〇の有毒性、金属腐蝕性等について予見することは不可能であつたのであり、右の点についての認識を有し得ない被告カネミが、カネクロール四〇〇の漏出防止及び製品検査につき十分な注意を尽さなかつたとしても、その点をもつて過失を問われることはないというべきである。むしろ、本件油症事件の発生は、被告鐘化がカネクロール四〇〇につき前記の様な誤つた情報を提供して、食品工業の熱媒体としての利用を勧めたことに原因するものであり、もつぱら被告鐘化の過失によるものということができる。

8  同8の(一)記載の事実は認めるが、(二)の事実は否認する。被告加藤は、米糠油製造に関する技術的知識は全くなく、装置の運転、保守、管理等についてこれを直接指揮、監督していたものではない。単に代表取締役であるというだけで、代理監督責任を負わねばならぬ筋合はないというべきである。

9  同10記載の主張は争う。

10  同11及び12記載の事実についての認否及び主張は、後記被告鐘化のそれと同一である。

二、請求原因否認の理由、事実上及び法律上の主張並びに原告ら及び被告鐘化の主張に対する反論

1  別紙準備書面(五)、(六)記載のとおり。

2  被告カネミは原告らに対し、治療費・交通費、見舞金及び仮払金等の名目で、別紙(三)被告カネミの支払額明細一覧表記載の金員を支払つた。この事実を一部弁済の抗弁ないし慰藉料算定の事情として、仮定的に主張する。

第四  被告鐘化の主張

一、請求原因に対する認否及び主張の要点

1  請求原因1記載の事実中原告らに関する部分は不知、その余は認める。

2  同2・3記載の事実は認める。

3  同4記載の事実のうち(一)の事実は一般論としては認めるが、その毒性の程度が問題である。(二)の事実については、主に塩化ナフタリンについて、その経皮、経気摂取により人体に塩素痤瘡を生じたこと、動物に対する経口投与等により肝障害を生じたこと、及びその調査研究結果が油症事件以前に公表されていたことは認めるが、その余の点は否認する。右調査研究結果では、塩化ジフエニールは低毒性物質と評価され、使用上適切な注意をすれば、安全に使用しうるものであるとされていた。また、有機塩素化合物の蓄積毒性については、当時医学界にすら問題が提起されていなかつた。

4  同5記載の事実は認める。

5  同6記載の事実のうち、カネクロール四〇〇が主張のピンホールから漏出したこと及びピンホール発生の原因については、いずれもこれを否認し、その余は認める。事故後の調査の際には、右ピンホールには樹脂状物質等が充填して閉塞していたのであり、これが昭和四三年一月末から二月上旬にかけて開口していたとする根拠は十分でないのみならず、本件油症事件とダーク油事件とを統一的に説明するには、六号脱臭缶の外筒と内槽間のカネクロール系パイプに挿入されていたフランジ部分からカネクロール四〇〇が漏出したと考える方が合理性がある。なお、カネクロール系パイプ内には通常液状水分が存在し得ない(存在したとすれば、それは被告カネミの重大な過失である。)ので、カネクロール四〇〇から発生した塩化水素が塩酸となる可能性はない。

6  同9記載の事実のうち(一)の事実は認めるが、その余の事実はすべて否認し、法律上の主張は争う。

塩化ジフエニールは、被告鐘化が我国で生産を開始する以前に、アメリカを中心とする諸外国ですでに四半世紀の使用実績のあつた物質であるし、我国でも戦前から一部で使用されていたものである。したがつて、原告のいうように、カネクロールは新規化学物質ではない。またカネクロールに若干の毒性があるからといつて、それを生産し、また食品工業の熱媒体としての使用に供したことが、直ちに本件油症事件の発生に結びつくものではない(因果関係の不存在)。

更に、被告鐘化はカネクロールの販売に際し、その化学的性質を明らかにし、職業病的観点からその毒性を警告して来たのである。したがつて、これを食品工業の熱媒体として使用していた被告カネミにおいては、これを食用油中に混入させた場合の危険性を十分予見できたはずである。そのほか被告鐘化は、カネクロールを熱媒体として使用する場合の設計・保守・管理についての注意、特にカネクロールからの塩化水素ガスの発生抑止、発生した塩化水素ガスの排出、カネクロール系パイプ中への水分の混入及び残留避止等の注意を尽して来た。それゆえ、本件油症事件の発生は、被告カネミが食用油中へのカネクロールの漏出防止及び製品検査について、食品製造業者として尽すべき種々の注意義務を怠つた重大な過失に起因するものというべきであり、被告鐘化には何らの過失もない。仮に被告鐘化の提供した情報に若干不十分な点があつたとしても、それと被告カネミの右重過失との間には因果関係がない。

7  同10記載の主張は争う。

8  同11及び12記載の事実について

一般的な油症の症状は、皮膚症状を主訴とするものであり、その症状も昭和四五年頃を頂点として、以後体内PCBの漸次的排出により、かなり軽快しつつある。原告らの主張する内臓疾患等の自覚症状はそのほとんどが心因性のものであつて、他覚的検査所見により医学的に十分明らかにされていない。仮に多少の内臓疾患等があつても、これは皮膚症状と相関々係があり、皮膚症状の軽快とともに軽快しつつある。死亡した油症患者の死因がPCB中毒に原因するものかどうかは医学上全く根拠がない。右の様に、油症が皮膚症状を主訴とするものである以上、その軽重により油症の重症度を付し得るはずであり、大方の患者は軽症以下の部類に属する。その他油症の一般的症状についての認否及び主張並びに各原告の症状についての認否及び主張は、別紙準備書面(七)の第九章に記載のとおりである。

二、請求原因否認の理由、事実上及び法律上の主張並びに原告ら及び被告カネミの主張に対する反論は別紙準備書面(七)、(八)記載のとおり。

第五  証拠関係

理由

(はじめに)

一書証の形式的証拠力について

当事者らが提出した別紙(四)書証目録(1)ないし(3)記載の書証のうち、成立に争いのある書証については、同目録「成立認定の証拠」欄記載の各証拠によつてその成立を認めることができる。そこで、以下の理由の説示において書証を引用する場合には、成立についての自白の存在または成立認定の理由を逐一記載することを省き、単に書証番号のみを記載するに止める。

二当事者

請求原因1記載の事実中、原告らがいずれも油症認定患者であることは甲第八六ないし第九八号証によつて認められ、その余の事実は当事者間に争いがない。

第一章  油症事件の発生

第一油症事件の概要

<証拠>を総合すると、次の各事実を認めることができ、これを左右する格別の証拠はない。

一油症事件の発端

昭和四三年六月七日、原告水俣京子(当時三才)が、特異な痤瘡様皮疹の症状を訴えて、九州大学医学部付属病院皮膚科(以下九州大学は九大、九州大学医学部付属病院は九大病院という。)を訪れたのを端緒として、同年八月初旬にはその両親の原告水俣安臣、同由紀子及び姉の同圭子が、更に同月中には他の三家族が同様の痤瘡様皮膚疹及び顔面、足の浮腫と痛みを訴えて、九大病院皮膚科及び内科を訪れ、その患者数は四家族一三名にのぼつた。右皮膚科の樋口謙太郎教授や五島応安講師らは、右痤瘡様皮膚疹が有機塩素化合物製造工場の作業員に発症する有機塩素中毒による症状に酷以していたことから、右症状が有機塩素中毒によるものではないかとの疑いをもつた。しかし、右患者らは有機塩素化合物に直接触れる環境になく、また右四家族はその居住地が福岡県内に散在していて共通の生活環境にないこと、発症が家族単位であつて、しかも家族と食事を共にすることの比較的少ない一家の主人の症状が軽いことなどから、食品に原因があるのではないかと考え、四家族に共通する食品を調査した結果、被告カネミが製造販売した米糠油(カネミライスオイル、以下単にカネミ油ともいう。)に疑いを持つに至つた。

二油症の社会問題化

一方、同年一〇月四日、右患者のうちの一人である亡国武忠が大牟田保健所に使用中のカネミ油を提出し、奇病が発生している旨届出たことから、福岡県衛生部は、事態の調査にのり出すとともに、北九州市に対し、被告カネミの本社工場の調査を指示した。同月一〇日、新聞紙上に、カネミ油に原因すると思われる奇病が発生している旨報道されたことにより、患者の届出が相次ぎ、届出患者は福岡県を中心に西日本一帯に及んでいることが推測された。

事態を重視した県衛生部は、北九州市衛生局を通じて、被告カネミに対し製油部門の営業自粛を求め、次いで同月一五日食品衛生法に基き営業停止の行政処分を行なつた。また同月一四日九大学医学部と県衛生部とが合同で研究会を開いて対策を協議し、国は同月一九日「米糠油中毒事件対策本部」を設置してその対策にのり出した。

三油症研究班の発足

同月一四日に開かれた県衛生部と九大医学部(薬学部を含む。)との合同研究会において、本症をいわゆる「油症」と名付け、九大病院長勝木司馬之助教授を班長、前記樋口教授及び福岡県衛生部長長下野修を副班長とする「油症研究班」を発足させることとなつた。同研究班は、直ちに患者を九大病院に入院させ、関連各科の協力を得て専門的立場から症状の観察、診断及び治療を行なうとともに、油症外来を設けて本症の外来診察を開始すること、「油症」診断基準及び治療方針を定め県内の患者の実情把握と対策を進めること、及び本症とカネミ油との関係究明のため化学的分析と疫学的調査を急ぐこと等を決定した。そして同月一九日、班の構成を拡充強化し、臨床部会、疫学部会、分析部会を設置し、九大医学部、薬学部のみならず農学部、工学部、生産技術研究所等からそれぞれの専門家の参加を得て共同研究を開始した。

四油症研究班による調査研究

まず、臨床部会は、同日、本症の診断基準(別紙(一))を作成してこれを公表し、各地の臨床医に対する油症講習会を行なうとともに、県下四地区に専門医を派遣して患者の実態の把握につとめた。疫学部会は、右臨床部会によつて確認された患者に対する記述疫学的研究、問題と思われる油の追跡調査、問題と思われる油を摂取していない集団の調査及び一般生活要因、使用油指等に関する既往調査を計画し、その各調査研究に着手した。他方分析部会は、患者の使用していたカネミ油(以下患者油という。)の提出を受けて、その化学的分析を行なつた。

五病因の確定―カネクロール(PCB)説

分析部会の研究過程においては、ヒ素説あるいは米糠油の過剰摂取説(ビタミンD過剰摂取説)が一時提唱され、また有機塩素系農薬に対する疑いももたれたが、これらはいずれも否定された。しかして、患者油中に有機塩素化合物と思われる化合物がかなり多量に混入していることは、研究の比較的早い時期から推測されていたところ、同月二九日に至り、右患者油中の有機塩素化合物は、被告カネミの製油工場内の脱臭工程において熱媒体として使用されていたカネクロール四〇〇(四塩化物を主成分とする塩化ジフエニールのいわゆるPCBの混合物)と同一の物質であり、その含有量は二〇〇〇ないし三〇〇〇ppmという食品中の異物混入量としては驚異的な量であることが判明した。そこで、分析部会は、油症がカネクロール四〇〇が多量に混入していたカネミ油の摂取に原因するものであるとの一応の結論を出し、これを同年一一月四日に公表した。

六病因となつたカネミ油の製造時期の特定

疫学部会は、その後、前記計画に基き行なつた調査、研究の結果、次のような結論をまとめた。

1  福岡県下における昭和四四年一月二〇日までの患者数は三二五名(一一二世帯)であり、性差はなく、四〇才未満の者は80.9%を占めた。また家族集積性がみられ、昭和四三年中にほぼ全員が発症し、とくに六ないし八月に発症したものが五五%を占める。患者は北九州地区、田川・添田地区、福岡・粕屋地区に多い。

2  患者三二五名全員がカネミ油を摂取しており、カン入油使用患者一七〇名、ビン入油使用患者一五五名であつた。

3  昭和四三年二月五、六日に被告カネミが出荷したカン入油を追跡調査したところ、二六六名の個人消費者を捕捉することができたが、そのうちの一七〇名が油症に罹患しており(ただし、そのうち四名は県外患者であり、前記三二五名の県内患者には含まれていない。)その罹患率は63.9%であつた。

4  前記県内のカン入油使用患者一七〇名のうち一六六名(97.6%)が二月五、六日に出荷された油を摂取しており、残り四名についてはその出荷日が不明であつた。

5  ビン入油についての追跡調査は不可能であつたが、前記ビン入油使用患者一五五名中一四三名(92.3%)は同月六日ないし一五日の間に出荷されたビン入油を摂取する可能性があつた(右期間のビン入油は、分析部会の分析結果により、カネクロール四〇〇が混入していた可能性が高いと考えられるものである。)

6  そして、カネミ油を使用しているが昭和四三年一月ないし四月の間にカネミ油を購入していない集団からは油症患者は発生しておらず、また患者の既往調査では、カネミ油の摂取以外に油症の原因と考えられるものは見出されなかつた。

7  以上のことから、油症は特定の時期(特に二月上、中旬)のカネミ油の摂取によつて発生したものであると結論しうる。

七油症研究班の改組―油症治療研究班

以上の様な分析部会及び疫学部会の研究結果に基き、油症研究班は、いわゆる「油症」は特定のカネミ油(特に昭和四三年二月上、中旬に製造、出荷された製品の一部)の摂取により発生したものであり、その原因物質は被告カネミが油脂精製工程のうちの一工程である脱臭工程において熱媒体として使用していたカネクロール四〇〇(塩化ジフエニール)であつて、これが右特定のカネミ油に混入していたものであるとの結論を出した。そこで、臨床部会は暫定的治療方針(別表(二))を作成して公表し、一斉検診を行うとともに、本症の臨床症状、その診断、病態生理、病理、治療方法の研究を重ねることになつた。ここにおいて、油症研究班は、昭和四四年四月、「油症治療研究班」に組織がえし(以下両者を特に区別せずに油症研究班と略称する。)、分析部会及び疫学部会のメンバーもその中に編入して前記三部会を解消し、油症の病理及び治療方法等の研究に専念することとなつた。

八カネクロール(PCB)混入経路に関する九大鑑定

他方、北九州市衛生局は、九大農、工学部の専門家の応援を得て、二回にわたり被告カネミの本社工場の脱臭装置を立入検査した結果、六号脱臭缶内槽内に設置されたカネクロール蛇管(高温に加熱された熱媒体のカネクロールの流れる螺旋状のパイプ、以下単に蛇管ともいう。)に数個のピンホールを発見し、ここからカネクロール四〇〇が精製中の食用油中に混入したものと判断し、昭和四三年一一月二九日、同局長名で被告カネミを同市小倉警察署に告発した。これを受けた同署及び福岡地方検察庁(以下福岡地検という。)小倉支部は、本件油症事件につき業務上過失致傷の容疑で捜査を行ない、その過程においてカネクロール四〇〇の混入経路及び原因を明らかにするため、九大工学部化学機械工学科教授篠原久、同助教授宗像健、同学部鉄鋼冶金学科教授木下禾大、同助教授徳永洋一、同農学部食糧化学工学科助教授三分一政男、同薬学部部長教授塚元久雄、同学部衛生裁判化学教室教授吉村英敏らに対し鑑定を嘱託した。そして右鑑定人らは数次にわたる調査、実験、研究を経て、概略次のような結論を出した(以下これを九大鑑定という。)。

1  患者油中のカネクロール四〇〇のガスクロマトグラムは明らかに低沸点成分が蒸散されており、脱臭操作を受けたものである。したがつて、混入場所は、脱臭工程かまたはそれ以前の工程であり、それより後の工程である可能性は少ない。

2  昭和四三年一月三一日から試運転を始めた六号脱臭缶(旧二号缶)のカネクロール蛇管の内巻最上段半周に数個の貫通孔(最大のもので貫通面積二×七mmもあるので、呼称としてはふさわしくないが、この事件では一般にピンホールと云われて来たので、以下ピンホールともいう。)が存在し、これを主として内側(カネクロール側)から進行した粒界腐蝕によるものであり、その成因はカネクロール四〇〇から発生した塩化水素ガス及び運転休止時に蛇管内を滴下した水分にあると推測できる。

3  右ピンホールは、右試運転開始時に一部開口していた可能性が少なくなく、またその後短時日に樹脂状物質等により閉塞した可能性もあると考えられ、右ピンホールが一部でも開口しておれば、患者油中のカネクロール四〇〇の量は、それから漏出しうるカネクロール四〇〇の量により説明がつく程度の量である。

4  したがつて、患者油中のカネクロール四〇〇は、昭和四三年一月三一日から二月初めにかけて、六号脱臭缶のカネクロールパイプのピンホールから漏出して混入した可能性が極めて高い。

5  被告カネミは、独自に脱臭装置の設計を変更し カネクロール加熱炉一基、カネクロール循環ポンプ一基で脱臭缶三基を四年間にわたつて運転し、右加熱炉のパイプを一インチから一インチ半に変更し、かつ炉内の寸法、とくに焚口から橋壁までの距離を短縮したこと等が相俟つて、カナクロールをその分解温度を越えて加熱した疑いが濃く、この点が六号缶のカネクロールパイプの腐蝕促進に寄与したことも考えられる。

6  また脱臭缶の定期検査及び清掃が行なわれておれば早期に右ピンホールを発見しえたであろうし、カネクロール量の減量を測定しておれば早期に漏出に気付きえたであろうと考えられる。

九油症刑事事件等

以上のような鑑定結果に基き、福岡地検小倉支部は、昭和四五年三月二四日、被告カネミの社長の被告加藤及び本社工場長の森本義人を業務上過失致傷で起訴した。なお、厚生省の調査によると、同月現在における油症患者は、総数一〇一五名、うち死亡者九名、各県別では長崎県四二八名、福岡県四〇〇名が最も多く、ついで広島県五九名、高知県三八名、山口県一七名などが比較的多く、その他西日本一帯の各県に少数ずつ散在していることが明らかとなつた。

一〇油症民事事件

本訴原告らは、いずれも油症患者であり、昭和四四年二月一日本訴を提起したものであるが、他の多くの患者らは、これより約一年後に数次にわたり、当地裁小倉支部に同様損害賠償を求めて民事訴訟を提起し、両訴訟は併行して今日まで審理が続けられて来たものである。

一一ダーク油事件

なお、油症事件発生直前の昭和四三年二月二〇日頃から三月上旬にかけて、鹿児島県下でブロイラー(食肉用大量生産の若鶏)のへい死事故が続発し、その後被害は九州、中国、四国の各県に及んでいることが明らかとなり、被害を受けたブロイラーは約九二万羽(内約四〇万羽がへい死)、採卵鶏の産卵率低下約八三万羽にものぼつたと報告されている。この鶏のへい死事故は林兼産業株式会社及び日本農産工業株式会社(当時東急えびす産業株式会社)の生産した配合飼料に原因するものであつたところ、右両社はいずれも配合飼料の原料であるダーク油(これは後述するとおり食用油たるライスオイルの製造工程中に副生されるものである。)を被告カネミから仕入れて使用していたものであり、油症事件が明るみに出る以前に、このダーク油に何らかの毒物が含まれていたことはほぼ明らかになつていたが、その毒物が何であるかは明らかでなかつた。その後、油症事件の発生及びその原因物質が明らかとなり、右鶏のへい死事故(以下ダーク油事件という。)の原因を探究していた農林省家畜衛生試験所、右両社の研究陣及び日本米糠油協会技術委員長竹下安日児らの分析により、ダーク油事件の原因物質もカネクロール四〇〇であることが明らかにされ、また油症事件とダーク油事件との間には密接な関係がある(これも後に詳述する。)とされるに至つた。

第二カネミ油について

一はじめに

カネミ油(カネミライスオイル)とは、被告カネミが製造販売している精製米糠油(サラダ油、白絞油等)に対する商品名であつて、その名の示すとおり米糠から抽出、精製された食用油であることは弁論の全趣旨より明らかである。そこで、本項では、カネミ油の製造工程及び本件で特に問題となる脱臭装置の改造、増設経過、製品検査方法について、その概要を触れておくこととする。

二カネミ油の製造工程の概要

<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  抽出工程と製造工程

被告カネミの製油工程は大別して抽出工程と精製工程とに分けられる。抽出工程は昭和三四年一一月頃から、精製工程は同三六年四月頃から、いずれも訴外三和油脂株式会社(以下三和油脂という。)から技術導入を受けて操業を開始したものである。抽出工程は本社工場の他、広島、大村、松山、多度津の各工場にもあるが、精製工程は本社工場にしかなく、右各工場で製造された抽出油は本社工場で精製される。抽出工程とは、原料の生の米糠から夾雑物を選別除去して乾燥させた後(以上を前処理工程ともいう。)、溶剤ノルマルヘキサンで米糠中に含まれる米糠原油を抽出し、溶剤を分別する(これを後処理工程ともいう。)までの工程をいう。

2  精製工程の概要

精製工程は、(一)脱ガム工程、(二)脱酸工程、(三)湯洗工程、(四)粗脱臘工程、(五)脱色工程、(六)脱臭工程、(七)ウインター工程及び(八)製品工程から成る。各工程の概要は次のとおりである。

(一) 脱ガム工程

この工程は、原油中に含まれているガム質(樹脂質、蛋白質、蝋分質)を分離する工程であり、抽出工程(工場)から送られて来る原油に脱ガム剤としてメタポリリン酸ソーダを添加攪拌し、これを六〇ないし六五度に加熱した後、遠心分離機にかけてガム質を分離する。ガム質を分離された油を脱ガム油という。

(二) 脱酸工程

この工程は脱ガム油中の遊離脂肪酸を除去するのが主たる目的である。脱ガム油に苛性ソーダを加えて脱酸タンクで混合し、苛性ソーダと脱ガム油中の遊離脂肪酸とを反応させてフーツ(石鹸)を生成させ、これを五〇度前後に加熱した遠心分離機にかけると、フーツが分離される。フーツを分離された油は脱酸油と呼ばれる。

分離されたフーツは硫酸で分解され、粗脂肪酸すなわちダーク油となり、ドラムに結められまたはタンクローリーで出荷される。

(三) 湯洗工程

この工程は、脱酸油中に残つているフーツ分及び未反応の苛性ソーダを水で洗い流すことを目的とする。脱酸油に洗滌水を加え、八〇ないし九〇度に加熱して遠心分離機にかける操作を二度行なう。

この操作を経た油を湯洗油と呼ぶ。

(四)粗脱蝋工程

この工程は湯洗油中の蝋分を除去するのを目的とする。四〇ないし五〇度の湯洗油を冷却タンク(または結晶タンクと呼ぶ。)に入れて約三日かけてゆつくり一五ないし二〇度に冷やし、湯洗油中の蝋分を析出させ、これを布袋で濾過する。濾過された油を粗脱蝋油という。

(五) 脱色工程

この工程は、粗脱蝋油の色相を低くするのが目的である。粗脱蝋油に活生白土を二ないし三%を混入して五〇度に加熱し、減圧された脱色缶内で九〇度に加熱した後、圧搾濾過器(フイルタープレス)を通して色素を吸着した添加活性白土を除去する。この工程を経た油を脱色油と呼び、五tの脱色油受タンクに溜められる。

(六) 脱臭工程

(1) はじめに

この工程は、脱色油中の有臭成分を除去するのが主目的であるが、同時に微量残留している遊離脂肪酸や色素等も除去される。その方法は三ないし四mmHgの減圧下において脱色油を二三〇度に加熱し、生蒸気を吹き込む水蒸気蒸留方式である。右加熱方法は熱媒体にカネクロール四〇〇を用いる間接加熱方式であり、カネクロール四〇〇が使用されているのはこの工程だけである。

(2) 脱臭装置の概要

昭和四三年一月末当時の脱臭装置の概略は別図(一)の(1)及び(2)表示のとおりであり、その実際の配置は別図(二)表示のとおりである。特に脱臭缶の概略図(六号缶の例)は別図(三)表示のとおりである。六基の脱臭缶は、一、二、五号脱臭缶と三、四、六号脱臭缶の二組に分かれており、各組に予熱缶、冷却缶、加熱炉が各一基ずつあてられており、計量タンク、カネクロール循環ポンプ、循環タンク及び真空装置は各組共通である。予熱缶、脱臭及び冷却缶はともに真空系統であり、各缶(但し脱臭缶は内槽だけ)及び各缶内の加熱(冷)媒体系パイプ並びに各缶を結ぶパイプ等高温の油が接する部分は油の着色を避けるためステンレスでできており、その他のパイプ、缶等の材質は軟鋼である。

(3) 脱臭操作の概要

操作はバツチ方式(連続式の対語で、仕入、操作、排出をもつて一バツチとする。)で、脱臭缶一基の一バツチあたりの脱臭能力は二ドラム(約三六三kg)である。脱色油受タンクから送られた脱色油は計量タンクに入り、二ドラム分計量され、予熱缶へ吸い上げられるのである、その途中で脱臭効果を良くするためメタポリリン酸ソーダを添加する。予熱缶において、脱色油は約三〇分でスーパーヒートスチーム(過熱水蒸気)により一六〇ないし一七〇度に間接加熱される。予熱された脱色油は三ないし四mmHgに減圧された脱臭缶の内槽に落され、ここで二五〇ないし二六〇度に加熱されたカネクロール四〇〇を内槽内に設置された蛇管に循環させることにより二三〇度まで間接加熱される。脱色油が二〇〇度になるまでは昇温を速めるため、生蒸気パイプから弱いスーパーヒートスチームを噴射して油を攪拌するが、二〇〇度に達すると約一時間余り強いスーパーヒートスチームを噴射して油を激しく攪拌して、油中の有臭成分等を蒸散させる。蒸散した有臭成分は真空装置へ引かれる。真空装置へ引かれた溜出物にも油脂成分が含まれている。これらは、真空装置のミストセパレーターに貯留する分(被告鐘化の用語にしたがいセパレーター油と仮に呼ぶ。)及びホツトウエルに浮ぶあわ油(被告カネミではこれをスカム油と呼んでいるが、ここではあわ油と呼ぶ。)とに分れる。なお内槽から飛び出して外筒底に溜つた油を飛沫油(シエルドレン)という。

脱臭された内槽の油は脱臭油と呼ばれ、冷却缶に落されて冷却水により約五〇度まで冷される。冷却された脱臭油は0.5tの脱臭油受タンク(攪拌タンクとも呼ぶ。)に一旦入れられ、ついで五tまたは一〇tの脱臭油受タンクに溜められる。

以上の様な脱臭操作が原則として月曜日の朝八時から日曜日の朝八時まで昼夜連続して行なわれ、作業員は原則として二交替制(八時から二〇時までと二〇時から翌日八時まで)、二人一組で勤務していた。

(七) ウインター工程

この工程は精製の最終工程である。脱臭油はそのままでも食用油として使用でき、被告カネミはかつてこれを天ぷら油として出荷していたこともあつたが、これにはまだ飽和脂肪酸から成る油(フライ)が入つていて温度が下がると白く濁ってくるので、このフライ分を除去し、油の曇点を下げるのがこの工程の主目的である。まず脱臭油受タンクから送られた脱臭油は、朝九時と夕方六時の二度に分けて、冷却室にある四八基の冷却タンク(または結晶タンクという。一基いずれも一t入り)に張り込まれ、七二時間かけてゆっくり五度以下に冷却されるとフライ油が結晶となつて析出してくる。これをほぼ三日間布袋で自然に濾過し、濾過された油は順次仕上用タンク(一t一基)に上げられ、さら圧搾濾過器(フイルタープレス)で濾過してフライ分を除去する。ついでシリコン(泡立ち防止剤)及びアンチコール(曇り防止剤)を添加し、加熱、攪拌した後、精製度によりサラダ油及び白絞油に区分してサラダ油及び白絞油製品油受タンクに溜められる。布袋で濾過する最初の三〇分間及び最終日に濾過される油にはフライ分が幾分多く含まれているので、この分は分別され、シリコンを添加して加熱混合され、天プラ油となり天プラ油製品油受タンクに入れられる。布袋に残つたフライは溶解タンクで溶解した後、脱臭油と混合し(フライ六、脱臭油四の割合)、フイルタープレスで濾過するとフライ油となり、フライ油製品タンクに入れられる。この工程の概略図は別図(四)表示のとおりである。

(八) 製品工程

サラダ、白絞、天ぷら及びフライの各製品タンクからビン(1.8l、1.65kg入り及び0.9l、0.825kg入り)、カン(一八l、16.5kg入り及び九l、8.25kg入り)及びドラム(二〇〇l、181.5kg入り)に詰め、製品として完成させる工程である。サラダ油はビン、カンまたはドラムに、その他はカンまたはドラムにそれぞれ詰められ、製品管理係に送られる。その際ビンまたはカン詰油には青(個人消費向け)、白(業務用、ビン入り油にはない。)、協(農協向け)の各レベルが貼られ、そのラベルには、ビンの場合は西暦年数の下一桁の数と月、日及び各月の初めからの連続番号(いわゆるロツト番号)が、カンの場合は右のうち年と日を除いた番号が打たれる。カン入り油の場合はその番号と毎日の出来高数を照らし合わせるとカン詰された日が分かる建前になつている。

三脱臭装置の改造、増設経過の概要

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  はじめに

当初三和油脂から導入した脱臭装置は脱臭缶一基であり、その後三和油脂の指導により脱臭缶二基に増設し、更にその後被告カネミの独自の計画、設計により次々と脱臭缶を増設し、かつ関連装置を改良、増設して昭和四三年一月末には脱臭缶六缶とするに至つた。この経過を各装置別に見ると次のとおりである。

2  装置別改造、増設経過

(一) 脱臭缶

一号缶は昭和三六年四月、二号缶は同三七年一〇月に運転を始めたものであるが、これらはいずれも三和油脂の指導により三紅製作所が製作したものである。三号缶は被告カネミが三和油脂を通さず直接西村工業所に発注して同三八年一一月頃製作させ、同三九年一月から運転を開始した。

右製作にあたり、被告カネミの注文により一部設計を変更した。

右設計変更の重要な点は、一、二号缶では内槽、外筒間のカネクロールパイプが直結されていたのに対し、内槽の取出しの便宜のため、その間にフランジを取付けて接合したことである。その後に増設した四号、新二号、五号の各缶も西村工業所に製作させたものであり、三号缶と同様フランジを取付けた他さらに若干の設計変更を行なつた。四号缶は同四二年九月四日頃、新二号缶は同年一二月二六日頃、五号缶は同四三年一月一五日頃から運転を開始した。その間に同四二年九月頃から旧二号缶の外筒が腐蝕して気密漏れを起す故障が続いたため、同年一一月二七日その運転を休止し、西村工業所へ外筒の修理に出し、代りに新二号缶を設置したものである。旧二号缶は同年一二月二日から西村工業所で修理され、その際、四号缶と同様カネクロールパイプにフランジを取付ける等の改造がなされ同月一四日には被告カネミに納品され、翌四三年一月二〇日頃までに設置工事を終え、同月三一日から六号缶として試運転が開始されたものである。(この六号缶の蛇管にピンホール数個が存在し、カネクロール四〇〇が漏出したことが本件油症の原因と解されることは後に詳述する。)

(二) 予熱缶及び冷却缶

当初予熱缶及び冷却缶とも各一基で、いずれも三和油脂の設計により三紅製作所が製作したものであつたが、昭和四〇年七月頃冷却缶の内部にある冷却水を通すステンレスパイプが腐蝕したため、西村工業所に新しい冷却缶を作らせた。このころはすでに脱臭缶三缶運転を行なつていたので、冷却能力を上げるため、缶の外周にも冷却水を通せるように改造するとともに、将来の脱臭缶の増設を見込んで冷却缶を二基発注し、旧冷却缶を予熱缶に改造させた。二基目の予熱缶及び冷却缶が実際に使用されたのは、脱臭缶四缶運転が始まつて以後である。

(三) カネクロール加熱炉

当初の加熱炉(以下一号炉という。)は三和油脂が脱臭缶二基用として設計し、被告カネミが外注して作つたものであるが、昭和三八年一月頃炉内のカネクロールパイプの焼付事故(パイプ内のカネクロールの流速が何らかの原因で遅くなつたため、カネクロールが過熱分解し、析出した炭素等によりパイプが閉塞した事故)が起つた際、パイプを一吋から1.2吋に変更し、更に同三九年七、八月頃再び焼付事故が起つた際、炉内のカネクロールバイプと配管用メインパイプを1.5吋に変更し、予熱缶及び脱臭缶へ送る水蒸気をスーパーヒートスチームにするため、水蒸気パイプを炉内のカネクロールパイプの上に通した。その結果炉内が狭くなるので、対流部の後壁を約二〇cm後へ、橋壁を約二〇cm前へそれぞれずらせる等の改造を行なつた。なお、一回目の焼付事故の後予備用に二号加熱炉を建設したが、これは当初から再改造後の一号炉と同型式であつた。二回目の焼付事故以後同四一年六月頃二号炉が爆発事故を起すまでは専ら二号炉を使用しており、二基同時運転が始まつたのは五号脱臭缶の運転開始後である。従つて一時期は一炉で四缶が運転されたこともあつた。右のような加熱炉の改造も被告カネミの考案によるものであり、カネクロールパイプの管径を大きくした理由は、焼付事故の防止を図るとともに、一炉三缶運転に伴い伝熱量も増加させるためであり、また水蒸気をスーパースチーム化した理由は、三缶運転に伴う予熱時間の短縮に対応して予熱能力を上げるとともに、脱臭缶への蒸気吹込み量増加による真空装置の負荷を軽減するためであつた。

(四) カネクロール循環ポンプ

当初は三和油脂の設計により大東製ギアポンプ(一馬力、脱臭缶二缶運転用)であつたが、昭和三八年ころ(三缶運転開始前)に六王製渦巻ポンプ(五馬力)に取替え、同四一年一〇月頃予備用に横田ポンプ(五馬力)を設置し、六王製ポンプの故障の際に使用した。六王製ポンプはグランド部分からカネクロールが漏り、再三修理したが、同四三年三月修理不能となり廃棄された。いずれにしても、四号脱臭缶設置以後脱臭缶の増設に伴いポンプの能力は強化されておらず、同一能力のポンプでまかなわれて来た。

(五) カネクロール循環タンク及び地下タンク

当初の設計では循環タンクが約二〇〇l、地下タンクが約三〇〇lのものであつたが、三号脱臭缶増設の際、循環タンクを約四六〇l入り(直径七七cm、深さ九九cm)、地下タンクを約八五五l入り(直径一一〇cm、深さ九〇cm)のものに取替えた。その後循環タンクのエア抜きパイプの付け根が腐蝕した際に循環タンクを一部修繕し、また屋内に先端が開放されていた右エア抜きパイプを屋外まで延長する等の改造を施したこともあるが、各タンクの容量自体に変更はない。

(六) 真空装置

当初の真空装置は脱臭缶一基用のもので、ブースター一基、エゼクター二基、バリコン三基から成るものであつたが、二号缶増設の際、二缶用の真空装置に取替えた。これはブースター二基、エゼクター三基、バリコン三基から成るものであつた。以上の真空装置はいずれも三和油脂を通じて大東製作所に作らせたものであり、脱臭缶二缶で二〇kg/hの吹込み水蒸気を三mmHgの減圧下で吸引する能力を十分備えたものであつた。その後脱臭缶を増設するに当たり、旧一缶用真空装置のエゼクター一基、バリコン二基を右二缶用真空装置に結合して真空装置の能力を上げ、以後右装置で六号脱臭缶増設まで真空装置の強化はなされていない。

3  運転サイクルの変遷

以上のような経過で、昭和四三年一月末以降前記のような脱臭缶三基二組の脱臭装置となつたものであるが、これに伴い運転サイクルも変遷した。

三和油脂の基本設計では脱臭缶二基を一組とする装置であるが、被告カネミでは三号脱臭缶増設以後脱臭缶三基を一組とする運転が行われて来た。両者の理想的な運転サイクルは別表(五)表示のとおりである。なお、一時は加熱炉一基で脱臭缶四基が運転されたこともあつたこと前記のとおりである。

四被告カネミの製品検査方法の概要

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  はじめに

被告カネミにおいては、品質管理課品質管理係(試験室とも呼ばれていた。)が、各工程における製品の検査を行なつていた。昭和四三年二月頃の同係員は係長の二摩初と係員二名(大園及び前田)であつた。検査項目は農林規格(JAS)所定項目について行なわれていたが、そのうち比重及び屈折率については、被告カネミでは米糠油しか製造していなかつたため、他の植物油との区別のために必要であるにすぎない右の検査は日常的には行なわれていなかつた。また異物、毒物の混入検査(これは農林規格所定の検査項目ではない。)についても格別の検査は行なわれていなかつた。

2  各工程における検査項目

(一) 脱色工程までの各工程での検査の主なものは酸価であり、粗脱臘及び脱色工程では同時に発煙点及び色相についても検査されていた。

(二) 脱臭工程は、曇点を除く油の品質がほとんど最終的に定まる工程であるため、この工程では酸価、発煙点、色相及び風味の各検査が前の各工程に較べより綿密に行なわれていた。検査資料は、冷却タンクから攪拌タンクへ入る途中のパイプから各缶の各バツチ毎に採取される。採取された資料油のうち、当日の昼勤者が最初に行なつた各缶の第一バツチ目の分については、その日の脱臭装置の作動具合を見るために即座に検査される。これを抜取検査と呼んでいる。抜取検査結果が判明するまでその脱臭油は攪拌タンクに留め置かれ、検査結果が出てそれが社内規格に合致しておればウインター工程の脱臭油受タンクへ、再脱臭を要する場合は脱色油予備タンクへ送られる。抜取検査により各脱臭缶が順調に作動していることが分かれば、以後採取される各バツチ毎の資料油は各缶別に混合され、平均資料とされ、昼勤者分及び夜勤者分(これは前半、後半に二分されることもあつた。)別に検査に回される。これをサンプル検査(または平均資料検査)と呼んでいた。

(三) ウインター工程では、曇点についての最終的品質が格付けされるので、前記脱臭工程での検査項目に加えて曇点についての検査も行なわれる。検査資料は、布袋から濾過されて受舟に落ちた油につき各舟毎に採取されることもあるが、通常はフイルタープレスを通過した油について一tにつき一回採取される検査に回される。この工程での検査は、製品をサラダ油及び白絞油に区分することを主目的とするものである。

(四) 製品工程では、各製品油受タンク毎にウインター工程と同様の検査が行なわれるほか、特にサラダ油については沃素価及びケン化価についての検査も行なわれる。また更に耐熱試験が行なわれることもある。

項目

酸価

発煙点(度)

曇点(度)

色相(赤/黄)

品種

サラダ油

〇・〇六以下

二三〇以上

マイナス七以下

二・八/二八以下

白絞油

〇・一以下

同上

マイナス六以下

三・五/三五以下

天ぷら油、フライ油

同上

同上

マイナス六以上

同上

3  品質規格

被告カネミの精製工程は、原則的にはサラダ油を精製することを目的としているのであるが、最終製品については各品種別に品質についての社内規格を設け、その規格に応じて製品を振り分けていた。その社内規格は次のとおりであつた。

前記のように、右規格のうち酸価、発煙点及び色相は脱臭工程でほとんど決定されてしまうものであるので、脱臭工程における検査の基準は、右最終製品の規格から自動的に定まり、酸価0.1以下、発煙点二三〇以上、色相3.5/35以下とされていた。

4  検査方法

なお、酸価とは油脂中の遊離脂肪酸の含有量であり、油一g中の遊離脂肪酸を中和するに必要な水酸化カリウムmg数で表わす。指示薬としてはかつてはフエノールフタレインを用いるのが通常であつたが、この指示薬は精度が粗いので、森本工場長の提言により被告カネミではその後指示薬としてブローム・チモール・ブルー或いはアルカリブルー六Bを併用することとなり、その方法は後日油脂工業会の公認するところとなつた。発煙点とは油を加熱した場合に連続して発煙しはじめる温度であり、また曇点とは油を冷却した場合に白く曇りはじめるときの温度である。色相とはロビボント比色計を用いて計るものであり、赤及び黄の色の濃さで表示する。数値が少ないほど色が薄い。風味とは実際に油を口に含んでみて感じる味の感覚であり、人間の勘にたよるため、数値で表示できない。色相及び風味試験の際には、同時に肉眼による異物混入検査もなされていた。

第三カネクロール四〇〇について

一カネクロール四〇〇の化学的組成及び化学的、物理的性質について

請求原因3記載の事実は当事者間に争いがない。そして<証拠>に、右争いのない事実並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  カネクロールとは

カネクロールとは、被告鐘化が製造した塩化ジフエニール等の商品に対する商品名であり、その種類には、カネクロール二〇〇、三〇〇、四〇〇、五〇〇、六〇〇(以上は塩化ジフエニールを成分とするもの)、一〇〇〇、一一〇〇(以上は塩化ジフエニールとトリクロールベンゼンとの混合物)、C(これは塩化トリフエニールを成分とするもの)がある。

2  塩化ジフエニールとは

塩化ジフエニール(または塩化ビフエニール)とは、芳香族炭化水素の誘導体であるジフエニール(ベンゼン環が二個結合したもので、その構造式は別図(五)の図C表示のとおり)の塩素化合物であり、ジフエニール中の水素が塩素と置換されたものである(その化学式はC12H10-nClnとなる。)。右塩素の置換数により一塩化ジラエニールから一〇塩化ジフエニールまでのものがある(一、四、一〇塩化ジフエニールの構造式の例は別図(五)の図C、D表示のとおり)。また塩素置換数が同じでも置換位置により化学的性質の異なつた化合物(異性体)となるため、理論上は合計二〇九種類ほどの塩化ジフエニールが存在するといわれており、これらを総称してPCB(ポリ塩化ビフエニール、ポリクロリネイテツドビフエニール)と呼ぶ。

ちなみに、芳香族炭化水素の誘導体の塩化物の例を上げると、塩化ナフレタン(PCN)、塩化トリフエニール(PCT)、塩化フエノール(PCP)などがある。その構造式の一例を示すと別図(五)の図B、F、Gの表示のとおりである。

塩化ジフエニールはジフエニールに塩素を吸き込んで合成されるのであるが、工業的に製造されるものには単一種類の塩化ジフエニールから成るものはなく、幾種類かの塩化ジフエニールの混合物であつて、その主成分となつている塩化ジフエニールの塩素化度により商品としてのグレードが付されている。

3  塩化ジフエニールの特長

塩化ジフエニール一般の化学的物理的性質として、次のような特長が知られている。

(一) 純粋な単独化合物としての塩化ジフエニールは、常温において白色針状結晶の固体であり、塩素置換数が少ないほど融点、沸点が低く、多いほどそれが高いのであるが、置換数が同じでも異性体毎に融点、沸点を異にするのみならず、その化学的性質にも差異がある。

(二) 化学的に安定で、熱によつて分解しにくく、三塩化以上のものは事実上不燃性であつて、完全な分解には一〇〇〇ないし一四〇〇度の加熱を要する。

(三) 熱に強いだけでなく、酸化されにくく、酸やアルカリにも安定しており、また生物からも分解されにくい

(四) 水には溶けにくいが、油やアルコール等の有機溶媒にはよく溶け、プラスチツクとも自由に混り合う。

(五) 塩素化度の高いものは蒸発しにくく、うすい膜に拡げて使える。

(六) 水よりも重く、水中で油として使える。

(七) 電気絶縁性が高く、その他の電気的特性にも優れている。

4  カネクロール四〇〇の特長等

カネクロール四〇〇とは、四塩化ジフエニールを主成分とするものであり、製造元の被告鐘化が熱媒体としての利用を、その用途の一つとして推奨している商品である。その化学的組成、物性、特長は次のとおりである。

(一) 化学的組成

二ないし七塩化ジフエニールの混合物であり、主成分をなしている四塩化ジフエニールは全体の約半分を占める。塩素含有量は約四八%であり、製品中の遊離塩素は無機塩化物で0.2ppm以下と極く微量である。また油症研究班分析部会がカネクロール四〇〇の骨格について検討するため、その原料である八幡化学製造のジフエニールを分析したところ、0.02%の微量のナフタレンが含まれており、したがつてカネクロール四〇〇中に塩化ナフレタンの存在を全く否定することは出来ないが、実際上は無視しうる程度のものであつた。

(二) 物性

(1) 外観は無色ないし微黄色の透明粘性油(液状物質)であり、流動点はマイナス五ないし八度、蒸留範囲(沸点)は三四〇ないし三七五度(七六〇mmHg)である。

(2) 比重は三〇度で1.45、三〇〇度で1.18と水より重く、粘度は三〇度で138.2、五〇度で25.9、二〇〇度で1.0、三〇〇度で0.42と低温の場合は粘度が高い。蒸気圧は三〇度で0.0003、一〇〇度で0.16、三〇〇度で三五〇(いずれもmmHg)と低く、九八度下五時間の蒸発量は0.3%以下である。

(3) 不燃性であり、またそれ自体の性質として高温になつても金属を腐蝕することはない。ただ沸点近くになると微量ではあるが分解して塩化水素を発生する(三三〇度下三〇時間で一gのカネクロール四〇〇から0.248mg発生する。)。

(三) 特長

カネクロール四〇〇を熱媒体として利用するうえでの特長、利点としては次の点がある。まず不燃性であるため、従来の可燃性熱媒体に比較し、火災、爆発の危険性がなく安全であることがあげられる。つぎに、沸点が高くしかも蒸気圧が非常に低いため、三二〇度(境膜温度は三四〇度)の高温まで常圧液相循環で使用できるという性能の高さ及び使用の簡便さが上げられる。更に耐熱性、耐酸化性が極めて優れているため消耗が少なく、また金属に対する腐蝕性がないため使用材料の選定が自由であり、経済的であることがあげられている。

二塩化ジフエニールの歴史

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  塩化ジフエニールの合成

塩化ジフエニールは天然には存在しない物質であり、一八八一年にドイツのシユミツトとシユルトによつてはじめて合成されたものである。

2  諸外国での塩化ジフエニールの生産状況

塩化ジラエニールは一九二九年(昭和四年)にアメリカのスワン社によつて商業ベースで生産されるようになり、その後同社がモンサント社に吸収され、以後アメリカにおいては同社一社だけが生産するところとなつた。同社はアロクロールの商品名で販売し、熱媒体用のものについては特にサーミノールまたはハイドロサーム五〇〇の名で販売を行なつていた。ヨーロツパにおいてはアメリカより約一〇年遅れ一九三〇年代後半から生産が開始されるようになつた。

3  我国での塩化ジフエニールの生産状況

我国では、すでに第二次大戦前から東芝によつて製造されていたが、終戦後はアメリカ等から輸入されトランス油、コンデンサー油等として使用されていた。その後国産化の要望が高まり、電気機器メーカーの要請もあつて、被告鐘化が昭和二七年に塩化ジフエニールの国産化のための研究に着手し、同二九年に製造技術を確立し生産を開始するに至つた。そして同三二年六月には塩化ジフエニールについての日本工業規格が制定された。油症事件発生までの我国における塩化ジフエニールの製造は被告鐘化一社だけであり、同四四年七月三菱モンサント社が製造を開始するまでは被告鐘化がこの面での国内市場をほぼ独占していた。

4  塩化ジフエニールの利用状況

一九二九年から一九七〇年までの塩化ジフエニールの生産量は、全世界で約一〇〇万t、アメリカがその半分の五〇万tであつたといわれ、アメリカではその四〇%が開放系の可塑剤、油圧作動油、潤滑油、添加剤、ノーカーボン紙等に、残り六〇%が閉鎖系のトランス油、コンデンサー油熱媒体等に使用されたといわれる。我国での昭和二九年から同四七年までの生産量は約五万八〇〇〇tで、その六〇%強が電気用に、一五%弱が熱媒体用に、二五%が開放系に使用された。

5  塩化ジフエニールの盛衰

塩化ジフエニールの生産量、使用量は世界的にも国内においても年々増加し、特に国内的には一九六〇年代におけるいわゆる産業の高度成長に伴ない飛躍的に増加したのであるが、一九五五年頃から一九六〇年代にかけてDDTやBHCなどの有機塩素系農薬による環境汚染が世界的に問題化する中で、塩化ジフエニールによる環境汚染も重視されるに至つた。我国でも油症事件を契機として塩化ジフエニールによる、環境、食物汚染は重大な社会問題となつた。この様な状況の中でアメリカのモンサント社は一九七〇年(昭和四五年)九月PCBの販売自主規制に踏み切り、OECD(世界経済開発機構)は、食品、医薬品、飼料及び獣医用品加工施設でPCBを熱媒体として使用することを禁止する「PCB規制と環境保全に関する理事会決定」を採択した。我国でも、通産、厚生、農林各省の行政指導によるPCBの利用規制が相次ぐ中で、日本油脂協会は、昭和四四年四月PCBを熱媒体として使用する場合、食品への漏出、残留の危険は避けられないとして、その利用を廃止することを決定した。そして同四七年三月には三菱モンサント社が、同年六月一四日には被告鐘化がいずれもPCBの生産を中止するに至り、我国でのPCBの製造は終つた。その後同四八年九月一八日化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律が制定され、PCBは政令により同法二条二項一号所定の「特定化学物質」の第一号に指定され、その利用が厳しい制限下に置かれるに至つた。

三塩化ジフエニールの毒性

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  塩化ジフエニールの急性致死毒性

油症研究班がマウスに塩化ジフエニール(おそらくカネクロール四〇〇であろう。)を経口投与して行なつた急性毒性実験によると、急性のLD50(実験動物の半数を死亡させる量)は二g/kgであつた。また米国ハーバード医学校のドリンカーがラツトに塩化ジフエニール(塩素含有量六五%)を隔日に0.05g宛経口投与して行なつた実験結果から推算すると、被告鐘化の主張するとおり、LD50は六ないし一七g/kg(これは急性というよりも亜急性致死量を示すものといえようか。)となる。ところで、毒物及び劇物及び劇物取締法にいう毒物、劇物とは、一定の基準が定められているわけではないが、経口投与によるLD50が二〇mg/kg以下のものが毒物、三〇〇mg/kg以下のものが劇物とされているようであり、また青酸ナトリウムのLD50が四mg/kg、DDTのLD50が0.4ないし0.5g/kg、エチルアルコールのLD50が0.95g/kg、灯油のLD50が二八g/kgといわれていることに鑑みると、塩化ジフエニールの急性致死毒性は非常に低いものである。

2  塩化ジフエニールによる職業病

しかしながら、塩化ジフエニールが人体に及ぼす健康障害は、これを取扱う工場の作業員に発症する職業病として古くから問題とされていた。すなわち、第二次大戦前から、塩化ジフエニールが塩化ナフタレンと同様電気的用途に広く使用されるに従い、これを使用する電気機器工場等の従業員がこれを継続的に経皮または軽気摂取することにより、塩素痤瘡(クロールアクネ)と呼ばれる厄介な皮膚障害や肝障害が発症した事例が数々報告されていた。

3  油症事件にみられる毒性

本件油症事件は塩化ジフエニールの経口摂取による前例のない人体被害であり、その被害の内容、程度は後記損害総論・各論において述べるとおりである。ところで、油症患者のカネクロール四〇〇の摂取量は、一人当り平均で二g、最低で0.5gといわれており、これを数か月にわたり少しずつ摂取したことにより発生したものである。ちなみに原告佐藤方では、一家四人がカネクロール入りカネミ油一升三合(約2.4l、2.13kg)を七か月にわたつて食用油に使用したものであり、カン入カネミ油中のカネクロール混入量は二〇〇〇ないし三〇〇〇ppmとされているので、右一升三合を四人で全部経口摂取したとみても、一人当りのカネクロール摂取量は平均1.06ないし1.59g、一日平均五ないし八mgである。

4  塩化ジフエニールの毒性の発現形態

このように、塩化ジフエニールの経口摂取による障害は、微量を長期間継続して摂取することにより生じているのであるが、これは塩化ジフエニールが生体に残留蓄積する性質を有するためである。すなわち塩化ジフエニールが生体に残留蓄積する性質を有するためである。すなわち塩化ジフエニールは、前記のように高度の安定性、離分解性の他に水不溶性、脂溶性等の優れた特性を有しているのであるが、その優れた特性の故に、生体に摂取されても、分解、排泄されにくくしかも体内の脂肪組織に溶け込んで蓄積し、その毒性を保持増大するものである。もつとも塩化ジフエニールは生体により全く分解、排泄されないものではないし、また前記のように急性毒性が低いものであるから、本件のような被害を生ずるのは、その分解、排泄される以上の量が次々に摂取され、これが一定量以上蓄積されることにより障害を生じさせるものと考えられているのであるが、高塩化物ほどその特性が優れている反面、分解、排泄がされにくく、油症患者の場合も本件カネミ油に含まれていた塩化ジフエニールの四塩化物以下のものの排出は進んでいるが、一緒に含まれていた五、六塩化物の残留性が高いとされている。

第四油症研究班分析部会の研究経過と結果について

一はじめに

前記のとおり、分析部会は昭和四三年一〇月一九日に正式に設置され、油症の原因物質探究のため患者油の分析を行ない、最終的には患者油中から二〇〇〇ないし三〇〇〇ppmのカネクロール四〇〇を検出し、これが油症の原因物質であるとの結論を出したものであるが、その研究経過と結果について、ここで今少し検討しておくこととする。

二油症原因物質の解明過程

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  ヒ素説及びビタミンD過剰摂取説

患者油についての化学的分析は、油症研究班が発足した同年一〇月一四日以前から二、三の専門家がこれに着手しており、同日開かれた県衛生部と九大医学部との合同対策会議において、後に分析部会の班員となつた久留米大学の山口教授から、原告国武一家の使用残留油中にヒ素を検出した旨の報告がなされ、本症がヒ素中毒の臨床症状と以ている点もあつたことからヒ素説は一時かなり有力に主張された。しかしその後患者油六検体、対照油四検体につき追試が行なわれたが、患者油と対照油との間にヒ素含有量に関して有意の差が認められず、いずれも亜ヒ酸として一ppm以下の含有量しかないことが明らかとなり、同月一六日頃にはヒ素説は否定されるに至つた。これより早く、最初に油症患者を診察した九大皮膚科の医師たちは、その特異な皮膚症状から有機塩素による中毒を強く疑い、患者から使用中の食用油を提出させて分析したが、たまたま提出された油が後述する問題の時期に製造されたものでなかつたためか、有機塩素の含有が認められなかつた。このように原因の究明に苦慮しているうち、同科の五島応安講師から米糠油(特にその中に含まれるビタミンD)の過剰摂取が原因ではないかとの説も出されたことがあつたが、この説にも格別有力が根拠があつたわけではなかつた。

2  分析部の苦悩

分析部会は、ヒ素説が否定された後、患者油(特にカン入油)について、他の重金属類(鉛、銅、ニツケル、亜鉛、コバルト及び水銀等)や有機塩素系農薬(特に除草剤PCP)及び食品添加物(特に抗酸化剤)の分析を行なつたが、対照油との比較において特に異常な結果は得られなかつた。また患者油の一般的性状についても検査がなされたが、特に本症の原因と思われるような異常は見出されなかつた。他方研究の比較的早い時期から、患者油中には、特に有機塩素化合物に敏感に反応を示すエレクトロンキヤプチヤーデイテクター(ECD)付ガスクロマトグラフイーに、高度に感受性を持つ多数の化合物から成る混合物がかなり多量に混入していることが確認されており、有機塩素化合物の患者油中への多量混入の疑いが示唆されていた。しかし右化合物の示すガスクロマトグラムは極めて特異なパターンであり、分析部会の専門家らにも未知のものであつたため、右化合物が何であるかの判定に苦慮していた。

3  カネクロール(PCB)説の確立

ところが、同月二九日、班員の一人である九大農学部稲神馨教授らが県衛生部及び北九州衛生局が行なつた被告カネミ本社工場の現地調査に同行し、右工場の脱臭工程において使用されていた熱媒体カネクロール四〇〇(使用中のものと未使用のもの)を持ち帰り、そのガスクロマトグラムを取つたところ、これが前記患者油中の物質のガスクロマトグラムによく一致し、また赤外吸収スペクトルも患者油抽出物とカネクロール四〇〇とが完全ではないが大よその一致を示したことから、患者油中に多量に存在する有機塩素化合物と思われる物質は、カネクロール四〇〇であることが判明し、また右カネクロール四〇〇とは、有機塩素化合物である塩化ジフエニール(PCB)の混合物であることも明らかとなつた。そして、衛生試験法所定の有機塩素剤の一般定量試験法(金属ナトリウム法により塩素を無機化し、ホルハルト法により塩素イオンを滴定する方法)により患者油六検体につき有機塩素含有量を測定したところ、少ないもので一〇二〇ppm、多いもので一五〇〇ppm含まれていることが判明し(別表(四))、他方カネクロール四〇〇中の塩素含有量が約四八%であることも明らかになつたので、結局、前記患者油中にカネクロール四〇〇が約二〇〇〇ないし三〇〇〇ppm混入していることが明らかになつた。この時点で分析部会は、油症がカネミ油中に混入していた多量のカネクロール四〇〇の摂取に原因するとの一応の結論を出し、これを同年一一月四日に公表したこと前記のとおりである。

4  ビン入り油の分析によるPCB混入時期の検索

更にその後、ビン入りカネミ油について、昭和四二年一〇月から同四三年一〇月までの製造日の付された製品一〇七本を入手し、これを分析したところ、別表(三)表示のような検査結果が得られた。同表の分析法Aは検出限度一〇ppm、同Bのそれは五ppmである。右分析結果によると二月上、中旬の製品にしばしば塩化ジフエニールの混入が認められ、続いて三月中旬頃のものにもその混入が散見された、混入量は二月七日付のものが一番多く、同月一一日以降のものは検出限界に近い微量を含んでいるにすぎなかつた。また二月一四日頃製造のカン入油からも微量の塩化ジフエニールが検出されたが、それ以後のものからは検出されなかつた。

5  実験、分析によるPCB説の検証

そして、患者の脂肪組織、皮脂、胎盤及び胎児の皮下脂肪について化学的分析を行なつたところ、これからカネクロール四〇〇とよく一致するガスクロマトグラムが得られ、また動物実験によつても塩化ジフエニール成分が生体各組織に貯溜し、また胎児へ移行することが確認された。

三結論

以上のとおり認められ、これを左右する格別の証拠はない。右事実からすると、油症は塩化ジフエニールの混合物であるカネクロール四〇〇の混入したカネミ油の摂取により発症した中毒症であることはまず疑いのない事実であるといえる。

第五油症研究班疫学部会の調査、研究結果について

一はじめに

疫学部会の研究結果の結論的部分については前記(第一の六の1ないし7)したとおりであるが、ここではまず右調査、研究の経過及び内容について今少し詳しく認定したうえで、その問題点について検討しておくこととする。

二疫学部会の研究方法と結果

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  記述疫学的研究

前記第一の六の1、2及び6は、記述疫学的研究の結論を示すものであるが、これは、昭和四四年一月二〇日までに福岡県衛生部の要請に応じてこれに届出た患者六六一一名のうちから、臨床部会の専門医が前記診断基準に基き、九大病院における診察あるいは何回かの出張検診によつて油症であると確認した県内患者三二五名(一一二世帯)とこれに近接する油症の出ていない世帯(対照群)を対象として、一般健康状態、生活要因、使用油脂、特にカネミ油の使用の有無、種類、期間等につき詳細な調査票を要し、これに基き面接法により調査した結果の集計から導びかれたものである。

2  追跡調査の目的

第一の六の3ないし5は、問題と思われるカネミ油の追跡調査の結論を示すものである。本調査、研究実施の頃には、前記分析部会の研究により、油症がカネクロール四〇〇の混入したカネミ油の摂取に原因することがほぼ明らかにされていたため、疫学部会の研究の主目的は油症の原因を疫学的に明らかにすることよりも、むしろ油症の原因となつたカネミ油の種類、製造時期等を特定することにあつたのであり、この問題と思われる油の追跡調査に力点が置かれていたものである。

3  二月五、六日出荷のカン入り油の追跡調査の経過

右追跡調査にあたり、特に昭和四三年二月五、六日に出荷されたカン入り油に重点を置いて調査を始めた経緯は次のとおりである。すなわち、調査の初期に、福岡保健所及び福岡南保健所が調査したところにより、まず福岡市西区別府北町の九州電力株式会社の社宅(以下単に九電社宅という。)で集団発生した患者のグループ(原告国武、同水俣、同村山、同右田、同渋田、同佐藤及び訴外石松らの世帯)が、昭和四三年二月八日カン入カネミ油二缶を、また同市南区大字三宅の団地で集団発生した患者グループ(原告田中、同川越、同樋口、同尻無浜及び訴外波多江らの世帯)は、同年四月二日頃同じカン入カネミ油一缶を、いずれも福岡油脂販売株式会社(以下単に福岡油販という。)から共同購入し、これを分配して使用しており、その全世帯から油症患者が出たことが分かり、右グループが共同購入した三缶のカン入り油の流通経路をたどつてゆくと、右福岡油販はこれを菱盛株式会社から仕入れたものであり、同社は同年二月六日に被告カネミから右三缶を含め二〇缶を仕入れたことが分かつた。また北九州衛生局の調査により、同市の訴外宇治野数行の家族は、同年三月一日頃被告カネミの従業員からカン入カネミ油を購入してこれを使用し、五人の家族全員が重症の油症に罹患したものであるが、残つていた空き缶のロツト番号(白ラベルの〇二〇三三〇)から、同年二月の三三〇番の白ラベルカン入油であることが分かり、また被告カネミの提出した月別出来高明細書により、右三三〇番の白ラベルは同月五日製造のもの(すなわち最終工程である製品工程でカンに結められたもの、以下製造という場合はこの時点をとらえているものとする。)であることが分かつた。以上のことから同月五日製造のもの及び六日出荷のものに対する疑いが濃くなつたのであるが、製造日と出荷日の関係については被告カネミの帳簿上明確でなかつたので、その頃被告カネミにはカン入油の在庫が少なかつた点から、とりあえず製造日と出荷日とはほぼ一致するものとの推定に立ち、同月五、六日出荷のカン入油を追跡調査することになつたものである。

4  右追跡調査の結果

その追跡調査の結果は次のとおりであつた。すなわち、被告カネミから提供を受けた出荷伝票写しにより右両日のカン入油の出荷先を末端に向つて調査したところ、伝票上の出荷缶数二六六のうち実験に右両日に出荷されたものは六五缶(大阪支店への二〇〇缶は伝票だけ、また一缶は取引の相手方が入手を否定した。)、さらにそのうち業務用等に使用され、あるいは小分けにして計り売りされたため個人の摂取状況まで調査できなかつたものが半ば以上を占め、最終的に個人の消費者まで追跡できたものは二〇缶であつた。そして右二〇缶はすべて県内で使用されたものであり、その使用総人員は二五二名で、そのうち油症患者は一五七名であつた。前記結論の3では、三月一日頃に被告カネみの従業員から宇治野らに売られた二月五日製造のカン入油一缶の関係についても、これを二月五、六日出荷分に含めているので、これを合わせると追跡できた缶数は二一缶、使用総人員は二六六名(右宇治野の家族五名とそれからさらに譲受けた二世帯九名の計一四名を加えたもの)、内油症患者は63.9%にあたる一七〇名(ただし、この中には県外へ移住した患者四名が含まれていること前記のとおり)となる。右追跡結果の一覧表は別表(六)記載のとおりである。右のように、二月五、六日に出荷された(または製造された)二〇缶の使用者から63.9%という高率で油症患者がでているのであるが、そのうち二缶を一缶宛使用した二つのグループ一二世帯、計五七名(別表(六)のその(1)の石田久雄、川西清の系統)からは一人も患者が出ていないことも判明した。この特異な非発症世帯群について、疫学部会では、この五七名を除いた発症率が81.3%という高率になることから、カネクロール四〇〇の混入した油を使用したにもかかわらず何らかの原因で発症しなかつたと見るよりも、右二缶には何らかの理由でカネクロール四〇〇が混入していなかつたものと判断した。また逆に、県内患者のうちカン入油を使用した一七〇名について、その使用した油の出荷日を調査したところ、二世帯四名についてはその出荷日を明らかにし得なかつたが、残りの一六六名(97.6%)はすべて二月五、六日出荷または製造のカン入油を使用していることが分かつた(結論の4)。

右追跡し得た二〇缶のうち、宇治野らの使用したカンの他に、田川米販から売られた六缶の空き缶を発見したのであるが、そのロツト番号は青ラベルの〇一〇七四三、〇一〇七四〇、〇一〇七?五、〇一〇七三六、〇一〇七七四、〇二〇〇?であつた。そして、疫学部会は、調査の結果、右六缶はいずれも二月五日製造のものと断定した。

5  まとめ

第一の六の結論の5については、特にここで付加して説明すべき点はない。以上の追跡調査結果により、疫学部会は、油症は二月上、中旬製造、出荷のカネミ油の摂取により発症した、との結論を導いたものである。

右のとおり認められる。

三疫学部会の研究結果の問題点についての検討

そこで、次に、右疫学部会の研究結果の問題点について若干検討しておくこととする。

1  調査対照に関する問題点

まず、前記記述疫学的研究についてであるが、この調査対象となつた三二五名の県内患者は、いずれも臨床部会の専門医により、前記診断基準に基き油症と診断された者らであること前記のとおりである。ところで前掲証拠によると、右診断基準には、発症参考状況の一つとして、「米糠油を摂取していること。」との項目を上げているため、この点が診断に影響を及ぼしている可能性が否定できず、したがつて、この記述疫学的調査は、はじめからカネミ油によつて色づけされた油症患者を対象とせざるを得ないものであつたことが認められる。このような調査対象の設定は、油症の原因を疫学的に追求するうえで重大な問題といわざるを得ないのであるが、油症の原因がカネクロール四〇〇の混入したカネミ油の摂取によるものであることは、すでに分析部会の研究に明らかにされており、疫学部会の主目的は、右分析部会の結論を前提として、油症の原因となつたカネミ油の種類、製造時期等を特定することにあつたこと前記認定のとおりであるから、右のように色づけられた対象を前提としても、その点の結論には直接的な影響を及ぼしていないと考えることができる。

2  追跡調査の内容についての若干の問題点

次に、問題と思われる油の追跡調査についてであるが、前記九電社宅の原告国武らのグループがカネミ油を共同購入していたとの調査結果については、これに抵触する証拠として、証人富士岡和彦及び同前原浩毅の各証言が存在するけれども、右各証言は原告本人国武信子の供述に照らして採用できない。また二月五、六日のカネミ油の出荷先に関する前記疫学部会の調査結果については、丙第五九号証にこれと一部抵触するものがあるが、同号証の出荷先についての記載は丙第六九号証によるとその正確性に疑問があり、未だ前記調査結果を左右するに足りない。

3  事故油の製造時期の特定

次に、疫学部会は、追跡調査の結論について、特定の時期に出荷のカネミ油によつて油症が発症したとしているが、その特定の時期のカネミ油とは二月上、中旬にカンまたはビンによつて出荷されたものを指しており、その製造日との関係は必ずしも明らかにしていない。疫学部会では出荷日とほぼ一致するとの推定に立つて調査をしているのではないかと考えられるが、後でカネクロールの混入経路を考えるうえでは混入した時期が問題となるので、ここでカネクロールの混入したカネミ油の出荷日と製造日の関係を検討し、製造日を特定しておくこととする。

(一) 二月五、六日に出荷されたカン入油の製造日は右出荷日と同じ日かまたはそれより前であつて、後であることはあり得ない。そして製造日を知る手掛りとなるのは、前記宇治野らに渡つた一缶及び二月五日に出荷され田川米販を経て油症患者に渡つた六缶のロツト番号であるが、疫学部会は調査の結果、右七缶はいずれも二月五日製造のものと断定している。しかしながら、右田川米販から売られた六缶のうちロツト番号が〇一で始まるもの五缶は、前記(第二の二の2の(ハ))したところによると一月製造のものであるはずである。したがつて、これを二月五日製造のものとした疫学部会の前記判断については更に検討を要する。

(二) <証拠>によると、次の事実が認められる。

ウインター工程及び製品工程の責任者(精製課第二係係長)であつた右角谷証人は、ウインター日誌(丙第五九号証)の他にウインター作業日誌(丙第六〇号証)を記帳しており、各製品の種別、ラベル別の毎日の出来高及び累計を後者の日誌に記帳していた。右ウインター作業日誌の一月分には当初白絞カン入油(16.5kg入り)の青ラベルの出来高は合計六九〇と記入されていた。それで、油症事件発生後小倉保健所から一月分の青ラベルの出来高を報告するよう求められた際、同証人は六九〇であると報告した。ところが、同保健所から一月の七四〇番台の缶が出ているのはどうした訳かと質され、一月の青ラベルのロツト番号全部を書出して報告せよと求められた。そこで、同証人は、右七四〇番台のものがないと都合が悪いと考え、ウインター作業日誌の一月二三日の青ラベルの出来高を三〇、同月二四日のそれを一二〇と直し、総計八三〇缶の出来高があつたように書換え、これに基いて月別出来高明細表(丙第七七号証)を作成して同保健所に提出し、前回の報告は誤りであつたと訂正した。しかしその後再びこれを訂正し、当初のとおり一月の青ラベルの出来高は六九〇であると報告し直した。他方前記のウインター作業日誌によると二月分の青ラベルは同月五日にはじめて製造されており、その数は二〇缶であつた。

右のとおり認められ、これらの事実からすると、疫学部会は、一月の青ラベルは六九〇缶しか出来ておらず、それを越える番号のものは二月に製造されたものと判断し、しかも二月五日の出荷以前に青ラベルが製造されたのは同日だけであることから、前記青ラベルの〇一〇七〇〇番台のもの五缶及び〇二〇〇〇?一缶計六缶はいずれも二月五日に製造されたものと判断したことが推測される。

(三) ところが、前掲証拠によると、証人角谷は当地裁小倉支部での被告加藤外一名に対する刑事事件の公判廷及び当庁での証言において、〇一〇七〇〇番台のものは実際にも一月中に製造されたものであること、その理由は、一月分のウインター作業日誌に当初青ラベルが六九〇番までしか記載してなかつたのは、製品管理係からの返品分の補充として同係に送つた約一五〇缶分について、これを出来高に計上しなかつたためにすぎない、と述べるに至つたのであるが、しかしこの点についての供述は、供述内容の変遷自体からみても、また返品分の補充として製品管理係に新品を送らねばならない理由の不合理さ及び仮に返品分を補充したとしてもその分の新製品を出来高から除いた理由の不合理さから見て、にわかに措信し難いといわねばならない。

(四) 一月分のロツト番号の付された製品が二月に出来る可能性は次のように考えられる。すなわち、前掲証拠によると、製品工程でのロソト番号の打ち方は、すでに製造された缶数を計算し、それに見合つた番号をラベルに打つて貼付けるというのではなく、あらかじめ製造予定缶数を見積り、事前にラベルに番号を打ち、これをカンに貼つてから油を結めていくという方法であつたこと、そのため、見積りの誤りによつて作成したラベル分だけ製品ができず、ラベルを翌日以降に持ち越すこともあつたことが認められる。そして同証人は否定するけれども、カン入油のロツト番号は、ビンのそれと異なり、月と連続番号しか表示していないため、数日分の製造予定缶数分をあらかじめ打つておくこともあつたのではないかとの疑いは前掲証拠に照らし払拭しきれない。これらの点から考えると、青ラベルの〇一〇七〇〇番台の缶は、一月中に油を詰める予定でロツト番号が打たれたが、予定の変更または見積り誤差により二月に持越され、同月五日に製造された可能性は十分と思われる。ただ、前記のとおり二月五日には青ラベルは二〇缶しか製造されていないのに、同日出荷の前記五缶は七三〇番台から七七〇番台にまでわたつている点が問題であるが、前掲証拠によると、カンに油を詰める作業は必ずしもロツト番号順に従つて順序よく行なわれていたものでもないことが窺えるので、この点の疑問は右五缶が二月五日製造の青ラベル二〇缶中に含まれていた可能性を否定し去るものでもない。結局、右〇一七〇〇番台の五缶は二月五日に製造された可能性も十分考えられ、一月中の製造と断定することはできないといわねばならない。

(五) 次に残る青ラベルの〇二〇〇〇?の空缶についてであるが、これが二月五日に出荷されたものであること、及び二月中に青ラベル缶が製造された最初の日は同日であることに照らし、二月五日に製造されたものであることはまず間違いないといえる。そしてこの一缶と前記〇一〇七〇〇番台の五缶はいずれも二月五日に田川米販へ出荷され、しかも共通してカネクロール四〇〇が混入していた点を考えると、右六缶はいずれも同じ日、すなわち二月五日に製造された可能性が高いということができよう。

(六) ついでに、宇治野らの使用した白ラベル〇二〇三三〇及び分析部会が入手して分析したビン入油の製造日についても検討しておく。丙第六〇、第七七号証記載の白ラベルの出来高については、これを訂正した形跡は認められず、右記載からすると白ラベルの〇二〇三三〇は二月五日に製造されたものと読める。また右証拠によると一月末から二月初めにかけて白ラベルは青ラベルに較べほとんど連日かなりの数製造されていることが認められるので、ラベルの翌日または翌月への持越しがあつたとしても、そのずれはさほど大きくはないと考えられ、右白ラベルの〇二〇三三〇が二月五日かもしくはその後の近接した日のうちに製造されたものであることはまず間違いないといえる。またビン入油については前記のように、月だけでなく日を表わす番号も打たれるので、ラベルはその日毎に作成されていたと考えられ、したがつてラベルの翌日持越があつたとしても、ロツト番号の表示と実際の製造日との間に三日以上にもわたる誤差が出る可能性は少ないであろうと考えられる。

(七) 以上の点から考察するに、

(1) 二月五、六日に実際に出荷されたカン入油六五缶のうちカネクロールの混入していたことが明らかなものは一七缶で、そのうち一缶は二月五日に製造されたことがほぼ間違いなく、五缶は同日製造された可能性が極めて高いこと、カネクロールが混入していなかつたことが明らかなものは二缶でその他の四六缶についてはいずれも確定できなかつたこと

(2) 宇治野らの使用したカネクロール入り白ラベルカンは二月五日か遅くともその後の近接した日に製造されたものであること

(3) ビン入油については二月七日か遅くとも八日頃に製造されたものに最も多くカネクロールが混入しており(ただし、丙第六〇号証によると二月五日にはビン入油が製造されておらず、甲第五号証によると同月六日の分については資料が得られなかつた。)二日二日以前のものからはカネクロールが検出されず、同月一一日以後の一部のものからは微量のカネクロールが検出されたにすぎないこと

右三点を総合すると、少なくとも二月五日以降七、八日頃までに製造されたカネミ油に特に比較的多量のカネクロール四〇〇が混入しており、その後の製品にもいくらかカネクロール四〇〇が混入していたことはまず間違いない事実であると考えられる。

第六九大鑑定(ピンホール説)について

一はじめに

九大鑑定の結論的な部分については前記した。ここでは九大鑑定の内容についてやや詳細に触れておくこととする。

二カネクロール四〇〇の混入経路についての鑑定経過

<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  ピンホールの状況

鑑定作業着手前の昭和四三年一一月一六日、北九州市衛生局の立入検査の際、一ないし六号脱臭缶全部についてカネクロール蛇管に五kg/cm2の空気圧をかけて蛇管の究気漏れ試験を行なつた結果、六号缶の蛇管からの空気漏れを発見し、ピンホールの存在することが確認されていたのであるが、本鑑定においても同年一二月二六日改めて各缶について内槽及び蛇管内の洗滌を行なつた後、五kg/cm2の空気圧をかけて空気漏れ試験を行なつたところ、一一月一六日には発見されなかつた一、二、五号缶からも空気漏れが発見された他、六号缶の空気漏れ状況は前回のそれと相当異なつていた。その結果は次のとおりである。

空気漏れ量( )内は一一月一六日の結果

六号

一〇〇三cc/三分五五秒、二〇〇cc/八分一一秒(一四cc/一〇分、中孔)

微量(a孔の1/3程度、小孔)

二〇cc/六分三八秒(一一四cc/五分、大孔)

五号

一五cc/五分五秒

二号

一六秒おきに二~三mm径くらいの気泡が出る程度

一号

四六cc/二分

2  六号脱臭缶による脱臭実験

昭和四四年一月一三、一四日の二日間にわたり、六号脱臭缶を被告カネミの通常の脱臭操作方法に従い実際に作動させて脱臭作業を行ない、カネクロール四〇〇の漏れ具合を実験した。六号脱臭缶について右実験を行なつた理由は、本鑑定着手前から六号缶の運転開始時期と事故油の製造時期に関連性があることが推測されていたところ、右実験時点までに、六号缶が昭和四三年一月三一日から試運転され、その脱臭油がウインター工程を経て二月五日の製品となる可能性がきわめて大であることがほぼ明らかになつていたため、六号缶で漏出した疑いが強く考えられたからである。しかし、右実験の結果得られた脱臭油を分析したところ、前記空気漏れ試験結果から予測されていたことではあるが、脱臭油中のカネクロール混入量はわずか一〇ppmにすぎず、患者油中の混入量(二〇〇〇ないし三〇〇〇ppm)にはるかに及ばなかつた。しかし右分析結果から、脱臭油中のカネクロール四〇〇はその本来の成分組成と異なり、低沸点成分が少ないことがわかり、これが患者油中のカネクロール四〇〇の成分組成とよく一致することから、患者油中のカネクロール四〇〇は脱臭操作を経たものであることが強く示唆された。

右実験結果からすると、昭和四三年二月当初におけるピンホールの状況が現状どおりであれば、通常運転により脱臭油中に二〇〇〇ppmを越えるカネクロールが混入することはあり得ず、また前記二度の空気漏れ試験の結果からピンホールの状態が不安定であることがわかつていたので、六号缶の蛇管のピンホールからカネクロールが漏れたとすれば、ピンホールはもつと大きなものであつて、それが現在何らかの事情でかなり塞がつているのではないかと考えられた。

3  空焚き実験

そこで六号缶の蛇管を切取つて金属学的検査を行なうことになつたのであるが、その前に空焚き実験を行なうこととなり、同四四年三月一九、二〇日の両日これを実施した。この実験結果では、ピンホールから蒸発した白煙状のカネクロールの漏出が確認されたこと以外に特に重要なものはない。

4  三号缶による混入カネクロールの蒸散実験

六号脱臭缶の蛇管は同年四月一一日に切取られたが、この検査結果については後述する。その後同月二二日、究気漏れのなかつた三号缶を利用し、二ドラム(三六三kg)の脱色油に一〇kgの新しいカネクロール四〇〇を混入して(有機塩素量一万二三〇〇ppm)脱臭及び再脱臭実験を行ない、混入したカネクロールが真空蒸留によりどの程度減少するかを確めたところ、一回目の脱臭により得られた脱臭油中の有機塩素量は一〇三〇ppmとなり、もとの1/12に減少し、再脱臭により更にその約1/3に減少したことが分かつた。またその際得られた脱臭油中のカネクロールはやはり低沸点成分が著しく少なく逆に飛沫油中のカネクロールは本来のカネクロール四〇〇のパターンにかなり一致するが、幾分低沸点成分が多いパターンを示し、あわ油中のカネクロールは低沸点成分の方が多く、高沸点成分が著しく少ないパターンを示し、脱臭油中のカネクロールのパターンに対応していることが分かつた。

5  蛇管の金属学的検査等

六号缶の蛇管は前記のとおり昭和四四年四月一一日に切取られたのであるが、この他空気漏れのあつた一、二及び五号缶の蛇管も同年五月二日及び同年一二月二、三の両日に、また対照例として三号缶の蛇管も右両日にそれぞれ切取られ検査が行なわれた。その分析及び検査の結果次のことが分つた。

(一) 蛇管はいずれもステンレス鋼板をまるめてTIG溶接により製造されたパイプを数本継ぎ足しこれを湾曲させて造られたものであつて、ステンレスの肉厚、材質等は各缶毎にはほぼ均一で、各缶別では次のとおりであつた。なお六号缶の蛇管は一号缶のそれより耐蝕性に効く合金元素の含有量が高い素材からできていた。

肉厚(mm)

炭素含有量(%)

該当JIS規格

一号

〇・〇七~〇・〇八

SUS 三二

二号

〇・〇五~〇・〇七

同  三二

三号

〇・〇一~〇・〇二

同  三三

五号

〇・〇五~〇・〇六

同  三二

六号

〇・〇七~〇・〇八

同  三二

ところで、炭素含有量の少ないSUS三三の場合は、溶接後固溶化熱処理を施さなくても粒界腐蝕はきわめて起りにくいのであるが、SUS三二に属するものは固溶化熱処理を施さないと、溶接による熱影響部分がステンレスとしての特性を失ない粒界腐蝕に対し弱くなる(溶接脆弱)ものであるところ、一号缶の蛇管については一応固溶化熱処理が施された形跡があるが、二、五及び六号缶の蛇管は全く固溶化熱処理が施されていないかまたはきわめて不十分な固溶化熱処理しかなされていないものであることが分かつた。

(二) 二六号缶の蛇管の外観検査、非破壊検査及び顕微鏡検査の結果、蛇管のほぼ全体にわたり、内側に貫通に至らない粒界腐蝕孔が多数認められ、特に内巻最上段に圧倒的に多く存在した。明確な貫通孔は前記空気漏れ孔を含め六個発見され、これらはいずれも内巻最上段の半周(カネクロール入口側から遠い方の半周)に集中していた。その内五個の貫通孔はTIG溶接線から約五mmはなれた熱影響部に一直線に並んで存在し、他の一個は蛇管の支え金具の溶接部の熱影響部分に存在した。貫通孔の形状は、TIG溶接線に平行に細長く伸びる傾向にあり、内側より外側の開口面積が広かつた。貫通孔の大きさは、最大のもので貫通断面二×七mm及び(これは前記空気漏れ試験で発見されたC孔である。)、次いで1.4×6.8mmのものが一個、1.2及び0.8mm径の二個が連結したものが一個、一mm径のものが二個、その他一個であつた。

(三) 右貫通孔には樹脂状物質が固着しており、爪楊枝により容易に除去されたが、その充填物の成分を分析したところ、塩化ジフエニール、米糠油の主要構成脂肪酸及び鉄分などの存在が確認された。

(四) 六号缶より古くから稼働していた一号缶の蛇管の内側にも貫通に至らない腐蝕孔が多数認められ、同様に粒界腐蝕の進行していることが分つたが、その程度は六号缶のそれと較べて非常にわずかであつた。そして、前記空気漏れのあつた部分(外巻最上段)に一個だけ貫通孔があつたが、その位置は六号缶の場合と異なり、TIG溶接線と無関係であり、またその周辺に特に顕著な腐蝕孔も認められなかつたので、右貫通孔はパイプ製造時に存在していた表面傷から進行した腐蝕孔と考えられた。

(五) 二及び五号缶の蛇管については、X線により前記空気漏れのあつた箇所を検査したが欠陥は全く認められず、また外観検査により蛇管の他の部分も調べたがほとんどの腐蝕痕は認められなかつた。三号缶の蛇管についてもこれと同じであつた。

(六) 一及び六号管の蛇管の内側に多数存在した貫通に至らない粒界腐蝕孔が管壁の斜方向に迷路ののように細く深く進んでいること、貫通孔の場合外側からの腐蝕が広く浅いのに対し、内側からの腐蝕が狭く深いことなどからみて、粒界腐蝕はまず内側から進行し、貫通後表面からの腐蝕が加わり急激に孔を拡大したと考えられる。

(七) 各缶の蛇管のうち一及び六号缶のそれの腐蝕が特に顕著なのは、稼働期間が他のものより長く、かつ炭素含有量が同じSUS三二のうちでも比較的高い(0.07〜0.08%)ことが一つの原因と考えられ、また一号缶より稼働期間の短い六号缶の蛇管の方が腐蝕が特に激しいのは、固溶化熱処理が極めて不十分なことが一つの大きな原因をなしていると考えられる。

(八) また固溶化熱処理が不十分であるとはいえ耐蝕性の高いステンレス管にこれほどの激しい腐蝕が進行している点及び蛇管の内側は外側より水分に接する機会が少ないはずであるのに、まず内側から激しい腐蝕が進行している点などを考慮すると、その原因は、カネクロールから発生した塩化水素ガスが水分と共存して生成された塩酸の作用による湿蝕と考えられた(もつとも高温の水蒸気を含んだ塩化水素ガスによる乾蝕の可能性が否定されるものでもない。)。

(九) 六号缶の蛇管は内巻最上段、一号缶のそれは外巻最上段と、いずれも最上段のパイプに共通して粒界腐蝕が激しく認められており、各パイプのTIG溶接線の向きは関係がない。カネクロール中に存在した塩化水素ガスと微量の水蒸気とが運転停止時に蛇管の最上段に集まり、水蒸気が液化して塩酸を形成し易い状況をつくるものと考えられ、この点が蛇管の最上段に特に激しい腐蝕を起した理由の一つと考えられる。

6  その他

六号脱臭缶の内槽には、前記蛇管のピンホール以外にカネクロールの漏出原因となるような欠陥は見当らず、また内槽と外筒間にあるカネクロール出入パイプのフランジ部分にも特に異常な点はみられなかつた。

三六号脱臭缶のピンホールからカネクロールが漏出した可能性

1  はじめに

前掲証拠によると、鑑定人らは、六号脱臭缶の運転開始時期と事故油の製造時期との間に密接な関連があること、六号缶の蛇管には前記のように多数のピンホールが存在し、他に混入の原因と考えられる欠陥が発見されなかつたこと等から、六号脱臭缶のピンホールを通じカネクロールが事故油中に漏出、混入した可能性を強く疑い、右ピンホールから、脱臭後製品化された事故油中のカネクロールの量がなお二〇〇〇ppmを越えるほどの多量のカネクロールが漏出する可能性、六号缶運転開始時にピンホールが開口していた可能性及び運転開始後短期間にこれが閉塞する可能性について更に言及し、次のように述べている。

2  混入量の推定

(一) 捜査記録に基づき検討すると、六号缶が運転開始された昭和四三年一月三一日には、抜取検査が二回記録されており、六号缶では少なくとも二バツチ(四ドラム)脱臭されたと見られるが、

(1) 右四ドラムの脱臭油が一〇tの脱臭油受タンクにおいて同日製造された全脱臭油五〇ドラムに混入希釈されたとすると、この五〇ドラムの脱臭油が有機塩素量ど一〇〇〇ppmとなるためには、右六号缶の脱臭油の有機塩素量は一万二五〇〇ppm、一バツチあたりのカネクロール四〇〇の量にして9.7(一バツチ三六〇kg、カネクロール四〇〇の有機塩素量48.6%として計算)となり、一回の脱臭によりカネクロール四〇〇は1/12に減少して右の量になつたものであるから、一バツチあたりの漏出量は一一七kg、二バツチ分で二三四kgであつたことになる。

(2) もし、六号缶で製造された四ドラムが一〇tタンクで希釈されず、直接ウインター工程へ送られたとした場合には、一バツチ(三六〇kg)の脱臭油の有機塩素量は一〇〇〇ppmで、カネクロール四〇〇の量にして0.743kgとなり、もともとの漏出量はその一二倍の8.92kgとなる。

(3) 右(1)及び(2)の場合の条件の想定はいずれも現実性に乏しいので、実際にはその中間値に考えられる。

(二) また捜査記録によると、二月前半に一五〇kgのカネクロールが異常に補給されており、この時期に六号缶が運転された回数は不明だが、前項(2)の条件(一バツチあたりの漏出量8.92kg)で見積ると一五〇kgは一七バツチ分、これ以上の漏出量とするとバツチ数は一七以下となり、数日ないし十数日間に一五〇kgのカネクロールが漏出したとするのは量的に不自然ではない。

3  混入量とピンホールの大きさ

二三〇度のカネクロール四〇〇が、加熱時間二〇分、脱臭時間六〇分計八〇分の間に、蛇管内の差圧約1.3kg/cm2(内槽内三ないし四mmHgであるからほぼ一気圧(1.033kg/cm2の負圧及び蛇管内のカネクロールの圧力0.34kg/cm2の合計)の下で、(一)一一七kg、(二)8.92kgのカネクロールが漏出するに必要なピンホールの大きさは、厚さ二mmの管壁に直角の円形孔が一個あるとして、(一)の場合直径約1.7mm、(二)の場合約0.47mmであれば足り、またピンホールの充填物が多孔質の状態になつていると考えた場合、0.1mmの小孔の集まりと模型化すると、(一)の場合三四〇個、(二)の場合二六個の小孔の集まりがあれば足ることになる。

4  ピンホールが開口していた可能性

六号脱臭缶運転開始時にピンホールが開口していたかどうかを断定することは困難であるが、ピンホールの充填物は爪楊枝で容易に除去される程度のやわらかい樹脂状態であるから、旧二号缶に改造する際の運搬及び工事の衝撃で充填物がこぼれ落ちるとか亀裂が入る可能性があり、また空気圧試験で充填物が吹き飛ばされる可能性もある。また改造工事の際には蛇管出入パイプのガス切断及び溶接を行なつているので、このとき内槽内付着物が燃え、同時にピンホール中の充填物が燃えて炭化し多孔質化した可能性等があり、前記カネクロールの漏出量の説明がつく程度の孔が開口していた可能性はある。

5  ピンホールが短期間に閉塞する可能性

この点についても断定はできないがその可能性は考えられる。すなわち、実験の結果、一ないし二mm程度の孔は三〇〇度程のあまり流動しない掛に被われれば比較的短時間に閉塞することがわつており、六号缶は二月上旬は夜間に運転が休止されており、休止時における缶の余熱で蛇管が二五〇〜二七〇度に保たれる時間があれば、その蓄積によつて数日のうちに塞がる可能性が考えられる。特にピンホールの内壁には著しい凹凸があつて油がその中に保持され易く、またカネクロール中には鉄さびその他の粉塵などが混入したまま循環しており、配管工事後の溶接屑などが同時に混入して循環し、これらがピンホールに入り込んで閉塞を促進する可能性もある。特にピンホールの開口具合が、充填物の亀裂や多孔質化によつている場合は、短期間に閉塞する可能性は一層高い。

6  結論

以上の点から、鑑定人らは、事故油中のカネクロール四〇〇は、脱臭工程中に六号脱臭中の蛇管のピンホールから漏出して油に混入した可能性がきわめて高いとの結論を出した。

四腐蝕環境の悪化の原因

1  はじめに

前記のとおり、九大鑑定では、ピンホールは、蛇管内に発生した塩化水素ガスと蛇管内に存在した水分により塩酸が生成され、その湿蝕により形成されたとしているのであるが、前掲証拠によると、このような劣悪な腐蝕環境が形成された原因について、鑑定人らは更に次の点を指摘している。

2  塩化水素ガスの発生

すなわち、六号脱臭缶の蛇管のピンホールは短期間に形成されたものではなく、旧二号缶時代の昭和三七年一〇月から同四二年一〇月頃までの五年間に徐々に形成されたものと考えられ、その期間を通じて塩化水素ガス発生の原因となつた理由として、被告カネミでは三和油脂の基本設計を独自に変更し、四年にわたつて加熱炉及び環境ポンプ各一基で脱臭缶三基運転を行ない、また加熱炉のパイプの管径を1.0インチから1.5インチに変更し、更にバーナーの燃焼室を狭くするなどの改造を実施しているが、これらの設計変更、改造については十分な工学上の配慮、設計計算が行なわれておらず、また装置の運転においてもカネクロール四〇〇の管壁温度が分解温度(三四〇度)を越えないよう十分注意されていなかつた疑いが強く、そのため、カネクロールの管壁温度が分解温度を越えて運転された可能性が高いと指摘している。

3  蛇管内の水分の存在

次に蛇管内の水分の存在については、カネクロール四〇〇を貯蔵する地下タンクの構造上、床を水洗するときなどに水分が入る可能性が大きく、また空気中の水分がカネクロールに吸収されることも考えられ、これらの水分は運転中は水蒸気となり循環タンクの空気抜き管から抜け出るが、一部は運転停止時に蛇管内に残り、露点以下になつたとき液状水分となる可能性があると指摘している。

第七ダーク油事件について

一はじめに

ダーク油事件の概要は前記したとおりであるが、ここでは今後の判断に必要と考えられるダーク油事件から得られたデータ、及び事故ダーク油と患者油との関係について検討しておくこととする。

二ダーク油事件から得られたデータ

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  事故ダーク油の量

日本農産工業株式会社(九州工場)は、被告カネミから昭和四三年二月七日に五〇〇〇kg、同月一四日に四五二〇kgのダーク油を購入し、また林兼産業株式会社も同日約五〇〇〇kgのダーク油を購入し、いずれもこれを配合飼料の原料として使用し、その配合飼料の食餌によつてダーク油事件を起したものであり、したがつて、被告カネミが同月七日及び一四日に出荷した約一万四五二〇kgのダーク油中にカネクロール四〇〇が混入していたものである。

2  ダーク油中のカネクロール混入量

同年三月八日、右日本農産工業株式会社九州工場のタンク内にあつたダーク油を分析したところ、カネクロール四〇〇の濃度は一三八五ppmであり、二月七日及び一四日に購入のそれぞれのダーク油中のカネクロール四〇〇の濃度を同一とし、タンク内で均一に混合されたものとの前提で、二月七日から三月八日までの同社のダーク油の受払量から逆算すると、被告カネミが二月七日及び一四日に同社へ出荷したダーク油中のカネクロール四〇〇の濃度は一万一五四六ppmとなる。この数値が林兼産業株式会社の購入したダーク油においても同一とすると、両社へ右両日出荷した約一万四五二〇kgのダーク油中のカネクロール四〇〇の総量は約一六八kgとなる。

3  ダーク油中のカネクロールの化学的組成

ダーク油中のカネタロール四〇〇の化学的組成は、本来のカネクロール四〇〇のそれよりもやや低沸点成分(三、四塩化物)が少なく、むしろ高沸点成分(五塩化物)が多くなつたパターンを示していたが、全体的なバランスでは依然四塩化物ジフエニールを主成分とする本来のカネクロール四〇〇の成分とほとんど変わつていなかつた。他方患者油中に混入していたカネクロール四〇〇の場合、三塩化物が顕著に少なく、また四塩化物も五塩化物より少なく、ほとんど五塩化物を主成分とするものに変質していた。両者の成分比をグラフで表示すると別図(六)のとおりである。

三事故ダーク油と患者油との関係について

1  はじめに

前記(第二の二)した被告カネミの製油工程によると、ダーク油は脱酸工程で出来たフーツ分から製造されるものであり、ブーツ分を除かれた脱酸油が食用油として完成するまでには、さらにその後数工程を経て少なくとも一週間ほど後になる(粗脱蝋及びウインターの各工程で少なくとも三日ずつかかる)。そのため、丙第二七号証によると、カネクロール四〇〇の混入した食用油が二月五日以後に製造され、事故ダーク油が同月七日以後に製造されている理由により、油症事件が明るみに出た頃(まだダーク油中の毒物がカネクロール四〇〇であることが判明していなかつた。)には、被告カネミは油症事件とダーク油事件は関連がないと主張し、また一般にもそのように理解されていた。

2  竹下安日児の見解

しかしながら、その後ダーク油中からカネクロールが検出されたことは前記のとおりであり、この点から前記竹下証人は丙第二七、第九九号証及びその証言において、脱臭工程過程中に生成される飛沫油やあわ油をダーク油に混ぜることは、製油業界でよく行なうことであり、被告カネミにおいても同様に行なわれていたにちがいない、そして、食油中のカネクロールが脱臭缶で脱臭中に混入し、その際に出来た飛沫油やあわ油にもカネクロールが混入し、これがダーク油に混ぜられたと考える以外に、前記事故食用油と事故ダーク油の製造日の関係を説明することはできない、と指摘する。

3  森本工場長の弁明

これに対し被告カネミ工場長森本義人はその証言で、あわ油は海に流し、飛沫油は原油に戻し、いずれもダーク油に混ぜていないと反論するが、現在は被告カネミを退職した元脱臭係員平林雅秋は丙第九〇号証において、飛沫油及びあわ油をダーク油に混ぜていたことを認めており、また何よりもダーク油中からカネクロール四〇〇が検出された事実が竹下証人の右指摘に合理性を付与する根拠となるといえるから、右森本証人の反論は全く措信し得ない。

4  まとめ

したがつて、ダーク油にカネクロトール四〇〇が混入した理由は、脱酸工程で副生されたダーク油に混合された飛沫油やあわ油にカネクロール四〇〇が混入していたためであり、飛沫油やあわ油にカネクロール四〇〇が混入した原因と脱臭油にカネクロール四〇〇が混入した原因は同一である可能性が極めて高いといえる。この原因につき前記竹下証人は脱臭缶内のフランジからカネクロール四〇〇が漏出して混入したものとするが、この点についての検討は次項に譲ることとする。

第八カネクロール四〇〇の混入経路についての検討

一はじめに

原告らは、前記九大鑑定を根拠として、六号脱臭缶の蛇管のピンホールからカネクロール四〇〇が油中に漏出して混入したと主張し(いわゆるピンホール説)、被告鐘化は右ピンホール説よりも六号脱臭缶の外筒と内槽間にあるカネクロール循環パイプのフランジから漏出した可能性の方が高いと主張する(いわゆるフランジ説)。双方の主張は根本的に対立するが、少なくとも装置の欠陥により六号脱臭缶で漏出したとする点では一致する。右二つの装置の欠陥による混入とみる説に対し、被告カネミの従業員が故意もしくは過失によりカネクロール四〇〇を食用油中に混入したとする説(いわゆる人為的投入説)があり、これは被告鐘化が一時有力に主張した説であるが、最終的には被告鐘化も混入したカネクロール量があまりにも多い点から、この説を放棄した。本件で唱えられたカネクロールの混入経路についての見解は以上の三説であるが、前二者の装置の欠陥説が最も強く主張され、かつまた最も厳しく対立する。そこで、まず、フランジ説の概要に触れ、ついで、両説が六号脱臭缶で混入したとしている根拠及び漏出したカネクロール四〇〇の総量について検討した後、装置の欠陥を原因とする右二説のいずれがより合理的で可能性が高いかを検討し、更に人為的投入説の問題点に言及することとする。

二フランジ説の概要

<証拠>によると、フランジ説を力説しピンホール説に疑問があると主張するのは、日本米糠油工業界の技術委員長であり、また国士館大学化学研究室教授である竹下証人であり、同証人の見解は次のとおりであることが認められる。

1  フランジからの漏出の可能性

真空系内に、しかも外部から見えない部分にフランジ配管を行なうことは工学上好ましいことではなく、三和油脂が設計、製作した初期の六号(旧二号)脱臭缶は外筒と内槽をつなぐカネクロール出入パイプを溶接で直結していたのに、被告カネミではこの間のパイプを切断し、そこをフランジで接合した。このフランジは水蒸気吹込み等の機械的振動によりボルトがゆるみやすく、また大きな温度変化によりフランジの接合面の歪みが生じやすく漏洩が起こる可能性が高い。特に運転開始時にはボルトのゆるみが生じやすく、その後増し締めを要することがよくある。六号缶のフランジからも運転開始直後に右原因によりカネクロールが漏出した可能性がある。その漏出が短期間に止んだ理由は、高温のカネクロールによりパツキングが膨潤し、フランジの間隙を閉塞したものと考えられる。被告カネミの使用していたパツキングは耐熱、耐油性のものでなかつたから、その可能性が高い。

2  フランジから漏出したカネクロールが内槽へ混入する可能性

フランジから外筒底へ漏れ出たカネクロールは、三mmHgの真空下においてはその自己熱により半分は蒸散し、その蒸気の一部が内槽内外の真空度の差により内槽内へ引かれて内槽内の油に溶けこむ。また外筒底部の飛沫油中の水分が発泡して泡立ち現象が生じ、これにより内槽上部までカネクロールが持ち上げられ、内槽内の油中に混入する。真空系内で水分の存在により泡立ち現象が起きることはよくあることである。

3  まとめ

右がフラジ説の概要である。もつとも右はフランジ説の結論部分であつて、他方ピンホール説を採りえないことについてその理由とするところは、ピンホール説では、漏出が短期間に止んだ理由が説明できないこと、ダーク油中のカネクロールのパターンが説明できないこと及び事故食油の色相が正常な製品とそれほどの差のないことが説明できないこと等であるが、この点については後述する。

三六号脱臭缶で漏出したことについて

1  脱臭缶で漏出したことについて

ピンホール説もフランジ説も六号脱臭缶で漏出したとする点で共通している。すでに述べたように、被告カネミの製油工程中、カネクロール四〇〇が使用されているのは脱臭工程だけであり、また患者油中のカネクロール四〇〇は脱臭操作を経たものであつた。そして脱臭装置の構造上から考えると、装置の欠陥により混入する可能性のある箇所は脱臭缶以外にはない。

2  六号脱臭缶で漏出したことについて

次に、カネクロール四〇〇の混入したカネミ油が製品工程で出来上がつたのは昭和四三年二月五日以後であり、六号脱臭缶が運転を開始したのは同年一月三一日からであつたことは前記したとおりである。そして甲第一四号証の一、丙第四三、第八五号証によると、六号缶では同日から脱臭油が製造されていることが認められる。そして更に、昼間脱臭された脱臭油がその日の夕方に、夜間に脱臭された脱臭油が翌日朝に、それぞれウインター工程の冷却タンクに張り込まれ、通常三日間冷却された後一、二日の間に濾過されて製品となることも前記したとおりであるから、一月三一日以後六号脱臭缶で脱臭された脱臭油は、遅くとも脱臭され日の翌日から四、五日後の二月五日以後(丙第五九号証によると、二月四日は日曜日であつて、ウインター工程及び製品工程は作業していないことが認められるから同日の製品はない。)に製品となることが明らかである。したがつて、六号脱臭缶の運転開始と事故食用油の製造とは時期的に密接な関連性を有することが明白である。

ところで、脱臭缶のカネクロール蛇管にピンホールが発見されたのは六号缶と一号缶であるが、ピンホールの数及び大きさは六号缶の方が圧倒的に多くかつ大きいこと、そして、一号缶は昭和三六年一一月以後継続して運転されて来たものであるが、六号缶は、同四二年一二月はじめに修理に出した旧二号缶を翌四三年一月中に設置し、同月三一日から運転を始めたものである。したがつて、ピンホールからカネクロールが漏出したと見る場合には、六号缶以外の脱臭缶で混入したと考える余地はほとんどない。一方、脱臭缶内のカネクロールパイプにフランジが取付けられているのは、三ないし六号及び新二号缶であるところ、右のうち六号缶以外の脱臭缶で最も遅く運転開始したのは五号缶で、それが同月一五日頃であつたことは前記した。フランジ説からの漏出を考える理由はフランジのゆるみという点に置かれるところ、フランジは装置の運転開始時に最もゆるみやすいというのであるから、事故油の製造日に最も近接した日に運転を始めた六号缶のフランジが最も強く疑われる。

3  まとめ

以上のことから、ピンホール説もフランジ説も、共に六号缶で混入したと見ているのであり、この点には十分合理性があるといえる。

四漏出したカネクロールの総量

1  九大鑑定から見た一バツチあたりの漏出量について

前記九大鑑定では、患者油中の有機塩素量が一〇〇〇ppm(カネクロール四〇〇の量で二〇〇〇ppm)となるための一バツチあたりの混入量を推算し、最大一一七kg、最低8.92kgとし、これらはいずれも両極端で現実性がうすいとして、その中間値であろうとしている。ところが丙第六三ないし第六九号証及び証人角谷正義の証言によると、0.4tの脱臭油受攪拌タンクに入つた脱臭油を一〇tの脱臭油受タンクを通さずに直接ウインター工程へ送ることはなく、常にいつたん一〇tタンクで他の脱臭缶の脱臭油及び別バツチの脱臭油と混合してからウインター工程へ送つていたことが認められるから、右九大鑑定が算出している一バツチあたりの最低漏出量8.92kgという値(これは前記のとおり一バツチ分が直接ウインター工程に送られることを前提としている。)はあり得ないことになる。しかし他方、前掲証拠によると脱臭油受一〇tタンクに溜つた脱臭油は朝、夕二度に分けてウインター工程へ送られるというのであるから、一月三一日の六号缶の二バツチ分(ドラム)は、同日の全脱臭油五〇ドラムの半分(昼、夜の脱臭油量は区分できないので半々と考えた場合)の二五ドラムで希釈されたと見ることも可能であろう。そうすると一バツチあたりのカネクロール量は前記最大量の半分の約五九kgでよいことになる。一月三一日における六号缶の脱臭バツチ数が二バツチ以上であると一バツチ当りの漏出量はさらに少なくてよいことになる。ところがまた前掲証拠によると、ウインター工程の濾過装置及び攪拌混合タンクあるいは製品油受タンクでは更に別の日の脱臭油と混合することもあるというのであるから、製品油中に有機塩素量で一〇〇〇ppmとなるためには、更に脱臭油中の漏出量を多くみなければならない可能性もある。しかし翻つて考えてみるに、カネクロールの比重は油より明らかに重いのであるから、脱臭油受タンクやウインター工程及び製品タンクで希釈されても、混入量が常に均一であるとは考えられず、下層に濃く、上層に薄くなっていることも十分考えられることである。したがつて、患者油中のカネクロール量から直ちに脱臭油受一〇tタンク(あるいは製品油受タンク)のカネクロール量を均一濃度とみて推算することにも問題がある。結局、一バツチあたりの漏出量を患者油中のカネクロール量から推算することは極めて誤差が大きいといわざるを得ない。

2  稲神証言からみた総漏出量について

<証拠>によると、事故食用油中のカネクロール四〇〇量の推移とその期間中のカネミ油の全生産量からの推算で、食用油中のカネクロール四〇〇の量は約二〇ないし三〇kgであるとしている。しかし右推算は、ある日の一日の生産分については均一濃度と考えての推算であると思われるが(この点にも疑問がないではないが)、その点誤差も考えて大きな幅をもたせているのであろうから、右値は概ね信用できよう。そして脱臭による蒸散残留率は1/12であるから漏出総量は二四〇ないし三六〇kgとなる。蒸散残留率を低くみて1/10とすると二〇〇ないし三〇〇kgである。

3  被告カネミにおけるカネクロール四〇〇の補給量からみた総漏出量について

この点については、被告鐘化の別紙準備書面(七)の第五章第四の三に挙示する証拠及びこれに基づく判断が正当として是認できる。これによると、漏出可能量は二五〇ないし三五〇kgとなる。

4  総漏出量からみた一バツチあたりの漏出量について

右2、3項に述べたところからすると、漏出したカネクロールの総量はおそらく二〇〇ないし三〇〇kgくらいはあつたものと思われる。そして前記第五の三の3で判断したように、製品油中にカネクロールが相当量混入していた期間は二月五日から少なくとも七、八日までの間に完成した分であると考えられ、その後の混入量は極めて少ないこと、また第八の三で述べたように脱臭油が製品となるのは四、五日後であるから、六号脱臭缶の運転が開始された一月三一日から二月三日までの六号缶での脱臭油に前記総漏出量二〇〇ないし三〇〇kgのほとんどが漏出したものと思われる。ところで右期間中に六号缶が何バツチ運転されたのか明らかではないが、丙第三四号証によると二月上旬は六号缶は昼間だけ、しかも断続的に運転したということが認められ、丙第四四ないし第四六号証の試験日報には一月三一日から二月三日までの四日間に六号缶の抜取であると表示されたもの及び無番号ではあるが六号缶のものであることがほぼ間違いないとされるものの抜取検査結果が合計一三バツチ分(内訳、一月三一日二バツチ、二月一日五バツチ、二月二日二バツチ、二月三日四バツチ、二月四日なし)記載されている。そして前記第二の四の2の(二)で述べたように、抜取検査は昼勤者が最初一バツチ目の分について品質が社内規格に合致するかどうかを見るために行なうのが通常だが、右丙第四五、第四六号証では、一月三一日から二月三日までは、六号缶について酸価が社内規格の0.1以下であるのに何回分も記載されており、この間には六号缶について何か問題があつたためか、特に慎重に各バツチ毎に抜取検査が行なわれていることが明らかである。したがつて、右試験日報に記載されている六号缶の抜取検査のバツチ数は右期間中の六号缶の運転回数をほぼ正確に示しているものと思われる。仮にそうでなくとも、右期間中の六号缶の運転回数は一三バツチを下廻ることはなく、その間に二〇〇ないし三〇〇kgのカネクロールが漏出したとすると、一バツチあたり平均一五ないし二三kgの漏出ということになる。この値は、前記九大鑑定の一バツチあたりの漏出量の下限に近い値となり、この漏出量では、たとえば一月三一日の六号缶の二バツチ分が五〇ドラム(あるいはその半分の二五ドララ)で均一に希釈されると、製品油の混入量が二〇〇〇ppmにはならない計算であるが、前記のように、均一に希釈されることがなく、脱臭油受一〇tタンクあるいは製品油受タンクで上層に薄く下層に濃くなつたとみれば、説明のつかない混入量ではないであろう。

五ピンホール説の問題点

1  はじめに

ピンホールからカネクロール漏出は、前記九大鑑定が極めて可能性の高い原因であるとし、原告らが強く主張している説である。この九大鑑定は、本件油症事件を業務上過失致傷の疑いで捜査した小倉警察署及び福岡地検小倉支部の嘱託により、九大の化学機械工学、食糧化学工学、鉄鋼冶金工学及び薬学(化学分析)の専門家らにより行なわれたものであることは前記のとおりである。そして、この鑑定は、直接被告カネミの脱臭装置に臨み、多大の時間と労力を費やしてなされたものであり、この鑑定ほど組織的にかつ大規模に本件油症事件の原因究明に取組んだ研究は他にない。そして更に、鑑定結果においても、六号脱臭缶の蛇管に前記のような多数のかつ大きな貫通孔が存在したことは厳然たる事実であり、この貫通孔は鑑定時樹脂状物質でほとんど閉塞していたとはいえ、若干の空気が漏れる間隙を残しており、しかもその空気漏れの状態は不安定であつたこと、昭和四三年一月末から二月初にかけて数個のピンホールの開口面積を合せて少なくとも直径1.7mm程度(これは一バツチで一一七kgも漏れる場合であり、一五ないし二三kgの場合は、これよりはるかに小さい孔でよいことになる。)開口しておれば、本件油症事件を惹起しうるに足るカネクロールが油中に漏出しうること等の内容を有しており、右の点についてはピンホール説に反対する立場からも何ら有力な反論は加えられておらず、この点だけを見てもピンホール説は最も有力かつ説得力ある見解であると見なければならない。このように九大鑑定はその過程及び内容において最も信頼すべき意見であるといえるが、これに対しては、フランジ説を唱える被告鐘化からは勿論、何ら他の混入経路を主張しない被告カネミからも種々の疑問が提起されているので、以下この疑問点について順次検討を進めることとする。なお被告カネミから出されている疑問点のうちには、同時にフランジ説に対する疑問点となるものもあるので、それらの点はフランジ説を検討した後に取上げることとする。

2  事故ダーク油中の塩化ジフエニールのパターンについて

被告鐘化は九大鑑定の最大の疑問点として、同鑑定がダーク油事件との関係を究明していない点を指摘し、まず第一に、ピンホール説では、ダーク油中の塩化ジフエニールのガスクロマトグラムのパターンを説明できないと主張する(別紙準備書面(七)の第五章第四の一の(一))。

しかしながら、被告鐘化がピンホールからの漏出の場合とほぼ同じ条件である例として引用する前記九大鑑定での予めカネクロール四〇〇を脱色油に混入して行なつた脱臭実験(第六の二の4)では、あわ油中のカネクロールは低沸点成分が多く、逆に高沸点成分が著しく少なかつたことは被告鐘化の指摘するとおりであるが、飛沫油中のカネクロール四〇〇は、低沸点成分がやや多かつたとはいえ、全体的には本来のカネクロール四〇〇のパターンに近い成分であつたのである。そしてセパレーター油についてはデータがなく、被告鐘化はこれもあわ油と同じ成分であろうというが、別のところではセパレーター油中には本来の蒸散成分は少なく微粒飛沫油もセパレーター油にかなり多く貯留したであろうとも述べており、セパレーター油の成分に関しては疑問が多い。特に被告鐘化の推測ではあわ油中のカネクロールは極く微量であり、セパレーター油中のカネクロール量が飛沫油中のものより多いとみているのであるから、セパレーター油の成分をどうみるかは重大であり、これがあわ油と同成分だとするには慎重でなければなるまい。

他方フランジ説の場合、被告鐘化の主張では、フランジから外筒底へ漏れ出たカネクロールは、脱臭缶内がほとんど真空状態であるため自己熱で半分近くが蒸散し、特に低塩化物の方が蒸散し易いため、低沸点成分の少ないものになるというのであり、前記竹下安日児証人の証言はこれに沿うものである。しかしながらピンホールから内槽内に漏出し、油といつしよに飛び出し外筒底に溜つたカネクロール四〇〇の場合にも右の理屈があてはまるはずだと思われるが、九大鑑定の結果ではむしろ逆に低沸点成分がやや多くなつていたのである。要するにフランジから漏出して外筒底に溜つたカネクロールの成分についても実験データはないのであり、単なる理論上の推論にすぎない。したがつて、フランジ説によりダーク油中のカネクロールのパターンが完全に説明できるというわけでもない。いずれにしても、ダーク油中のカネクロールのパターンからピンホール説を全く否定することはできないと思われる。

3  事故ダーク油中の塩化ジフエニール量について

被告鐘化は、前記九大鑑定における脱臭実験により得られたデータと森本工場長の供述を基にして、ピンホール漏出の場合に、脱臭完成油、飛沫油、セパレーター油、あわ油及びロスト分に含まれるカネクロール量の割合を推算し、全漏出カネクロール量を二五〇kgと想定してこれを右割合で按分し、ダーク油中に入る可能性のある飛沫油、あわ油及びセパレーター油中のカネクロール量を81.5kgと計算した。そして、これが前記ダーク油中のカネクロール量(最低でも一〇kg)に達しないから、ピンホール漏出ではダーク油中のカネクロール量が説明できないとし、他方、フランジ漏出であれば、右の外に外筒底に溜つた相当量のカネクロールが飛沫油とともにダーク油中に混入されるから、ダーク油中のカネクロール量の説明が容易であるという(前掲準備書面第五章第四の一の(二)及び二の(三))。しかしながら内槽内に漏出したカネクロールの行方の割合のうち、セパレーター油及びあわ油とロスト分については、算出の根拠を森本工場長の大雑把なセパレーター油及びあわ油の産出量に置いており、その計算誤差はかなり大きいと見なければならない。また漏出カネクロールの総量を二五〇kgとしている点についても、稲神証人はその証言で食用油中の残留カネクロール総量を大体二〇ないし三〇kgと述べており、その蒸散残留率は前記のとおり約1/12であるから、漏出カネクロール総量は二四〇ないし三六〇kgの幅をもつていること前記のとおりである。これらの点を考慮すると、ピンホール漏出の場合でもダーク油中のカネクロール量が優に一〇〇kgを越えることは考えられないことではない。なるほど、フランジ漏出の方がダーク油中のカネクロール量を多く見積ることができる点は被告鐘化の主張のとおりかも知れないが、しかしこの点の議論はあまりにも多くの推定を重ねているので、フランジ説にとつてもさほど有力な根拠となり得るものではない。

4  ピンホールが開口した可能性について

被告鐘化は、九大鑑定が、旧二号缶の運搬、修理工事による衝撃等によりピンホールが開口した可能性があるとしている(第六の三の4)のに対し、六号缶が運転を停止した昭和四三年一〇月以後、鑑定のために蛇管切取が行なわれるまでの間、度重なる鑑定作業の際に蛇管に加えられた衝撃の方がむしろ厳しかつたのにピンホールは開口しなかつたのだから、旧二号缶の運搬、修理工事によつてピンホールが開口しなかつた可能性の方が高いと主張する(前掲被告鐘化の準備書面(七)の第五章第二の二)。しかしながら、旧二号缶の運搬、修理工事の際の衝撃等が鑑定作業時のときの衝撃よりも弱かつたと断定できる証拠はないし、この問題はあくまでも可能性の問題であり、前記のような充填物の性質ことにその不安定さ、並びに一バツチでカネクロールが一一七kgも漏出する場合を想定してもそれに必要な開口面はせいぜい直径1.7mm程度のもので足り、これが一五ないし二三kg(前記第八の四の4)の場合ははるかに小さくてよく、しかも、数個のピンホールを合わせてそれだけの開口面があればよいこと等を考えると、運転開始時にピンホールが右の程度開口していた可能性は十分考えられるというべきである。

5  ピンホールが短期間に閉塞した可能性について

被告鐘化は、前記第六の三の5の九大鑑定のピンホール閉塞実験は、パイプに直接炎をあてたり、また圧力差を考慮に入れておらず、実際の条件と大いに異なり参考とならないと主張し(前掲準備書面第五章第二の二)、また前記竹下証人は、その証言や丙第二九号証において、右の点を指摘するほか、脱色工程を経た油は不純物も少なく、通常の脱臭温度程度では固化しないし、脱臭缶内槽内の水蒸気吹出パイプが数日くらいの短期間では閉塞しない点から推しても、ピンホールが短期間に閉塞する可能性がないという。しかしながら、前記九大鑑定では、カネクロール中の夾雑物の存在、貫通孔内壁の激しい凹凸状況、運転休止時における圧力差のない状態等を考慮しているのであり、また開口した貫通面積は数個のピンホールを合わせて最も大きく見ても直径1.7mmもあれば十分としており、各ピンホールの開口面積は微々たるもので足る点を考えると、これが短期間に閉塞した可能性も否定することはできないといえよう。

6  事故食用油の色相について

また竹下証人は、その証書及び丙第二九号証の論文等において、患者油の色相が正常なカネミ油のそれと大差がない点で、ピンホール説は疑問だと指摘する。即ちピンホールから内槽に混入した場合カネクロールは11/12が蒸散されるが使用中のカネクロールの赤味がかつた色素は蒸散されずに一二倍に濃縮されるから、脱色油の色相検査で当然チエツクされるはずだが、それが見過ごされたのは脱臭油の色相がさほど濃くなかつたためであると考えられる(これに対しフランジ漏出の場合の色素の濃縮率はこれよりはるかに低い、ということであろう。)、というのであるが、脱臭缶では有臭成分のみならず有色成分も除去されること前記のとおりであり、また丙第一一三号証に照らしても明らかだから、カネクロールが蒸散されて色素が濃縮するという点は十分理解できない。この点の指摘もピンホール説を否定し去る根拠とはならない。

7  まとめ

フランジ説からピンホール説に向けられた問題点はほぼ以上に尽き、他に重要な点はない。右に検討したところでは、確かにダーク油中のカネクロールの量及びカネクロールの漏出が短期間に止んだ理由などについては、ピンホール説よりもフランジ説の方が説明がし易いという点はあるかも知れないが、それによつてピンホール説が維持し得ないといえるわけでもないことが明らかである。

六フランジ説の問題点

1  外筒底に漏出したカネクロールが内槽内に混入する機序について

フランジ説の問題点は、外筒底に漏出したカネクロールがなぜ内槽内の脱臭油中に混入するのかという点にあり、これが最大の問題点である。被告鐘化の主張によると、(一)真空高温下において蒸発したカネクロールの一部が脱臭油中へ溶解する。(二)カネクロール蒸気が比較的低温の陣笠やバツフルに触れて凝縮し、油中に滴下する。(三)外筒底のシエルドレン(飛沫油)中の微量の水分が発泡し、泡立ち現象を起し、外筒底のカネクロールを押し上げ、内槽にカネクロールが入り込む、という三つの場合が考えられるとしている。竹下証人は右の(二)については明確に肯定しないが、(一)、(三)はこれを強く支持し、特に(三)による混入が最も量が多く重視される、とする。米糠油の製造技術に関し知識、経験の豊富な同証人が、脱臭装置について経験したことはないが他の類以の装置についての経験からの推測により、脱臭缶内で飛沫油の水分により泡立ちの起こることはありうることだと証言しているのであるから、このような現象が起こりうるのであろう。しかし丙第一〇〇号証によると、同証人は右泡立ちの立上る時間は極く短かい時間であると述べており、また前記脱臭缶の構造を見るとき、外筒底から内槽上端までは約一八七cmもあるのであるから、外筒底へ漏出したカネクロールのうち果してどの程度の量が内槽内へ混入するというのであろうか。前記竹下証人はこの点について明らかにしない。

また脱臭油中に混入したカネクロール総量は最低値をとつても二〇〇kgであること前記のとおりである。フランジ説の場合、漏出カネクロールの半分はすでに外筒内で自己熱により蒸散するというから一〇〇kgが内槽へ入らねばならず、そのためには外筒底に漏出したカネクロールは極めて莫大な量でなければならないと思われる。また約四日ほどの間に右一〇〇kgのほとんどが内槽へ入らねばならない。したがつて、泡立ち現象が極めて頻繁に起こらねばこれだけの量が混入することはあり得ないと思われるが、それほど頻繁に泡立ち現象が起こり得るものかどうか、前記竹下証言に照らしても極めて疑問が多い。右の点がフランジ説の最大の疑問点であり、ピンホール説を覆えせない最大の弱点であるといえる。

2  フランジから漏出する可能性について

更に翻つて考えるに、フランジ説の場合に、フランジのゆるみあるいは歪みによりフランジの接合面に間隙が生じたことを第一の前提としなければならないが、この点は単にフランジ接合の場合にはそのような可能性があるという一般論以外に具体的根拠はなく(九大鑑定によれば、フランジ部分に欠陥と思われるような異常は発見されなかつたとされていることは前記した。)、これに較べれば、厳然と存在する蛇管のピンホールが開口し、そこからカネクロールが漏出した可能性の方がより現実的であるといえよう。

3  まとめ

このようにフランジ説は、そもそもフランジから漏出したかどうかという問題と、フランジから漏出したカネクロールが本件油症事件を説明し得るほど内槽内の食用油に混入し得るか、という二つの大きな疑問をかかえており、この点の疑問はピンホールが開口し短期間に閉塞したとすることに対する疑問よりはるかに大きいといわざるを得ず、ピンホール説を否定する決定的な論拠でないことは勿論、ピンホール説より優位に立ち得るものでもないことが明らかである。

七人為的投入説の問題点

1  人為的投入説の根拠

人為的投入説は、丙第二八、第二九、第一六三号証によると、三和油脂の社長であり、元日本米槽油工業会の会長であつた板倉信雄の提唱する説であり、前記フランジ説の提唱者である竹下証人もこれを支持していることが認められる。同人らの主張するところは、右証拠によると、使用中のカネクロールは多少着色しており、冬期の蒸気圧の低いときには臭も少ないので、これが五ガロン缶(一斗缶)などに入れられて放置されていると油脂と誤認され、脱臭工程前のたとえば脱色工程で油脂中に混入されることは十分ありうるというのであり、また右坂倉信雄は、誤つて投入された量は一斗缶半分くらいだろうと述べており、さらに右竹下証人はカネクロールが油中に混入したのが極めて短期間であることが人為的投入説を裏付ける有力な根拠だとしていることが認められる。たしかに、人為的投入説の場合でも、カネクロールが脱臭工程前に、特に脱色工程で投入されたとすると、前記患者油中のカネクロールのガスクロパターンやダーク油事件との関係を説明し得ることは、装置の欠陥による混入説と同じである。

2  問題点

しかしながら、被告鐘化が主張するように、漏出したカネクロール量は二〇〇ないし三〇〇kgという膨大な量であり、右板倉信雄がいうように一斗缶半分くらいのものではないのであるから、この点から見て、まず人為的投入説の可能性はそう高くないといわざるを得ない。

また、竹下証人は、カネクロールの混入した期間が極めて短いともいうが、前記第四の二の4で述べたように、ビン入りカネミ油の場合、二月上、中旬にわたつてしばしば塩化ジフエニールの混入が認められたのみならず、三月中旬頃の製品からも微量ではあるが塩化ジフエニールが検出されており、そのように長期間カネクロールが投入され続けたとはにわかに信じがたく、この点はむしろ人為的投入説よりも装置の欠陥説を強く理由づけるものでもあるということができる。

3  まとめ

右二点だけを見ても、人為的投入説は装置の欠陥説を覆えし得るほどの説得力を有するものとは到底解しがたい。

八ピンホール説及びフランジ説に共通する被告カネミの反論について

1  真空テストの結果異常はなかつたとの主張について

被告カネミは、昭和四三年一月三一日に六号脱臭缶は運転する前に真空テストをしたところ、真空の引きが悪く空気漏れしていることが分かり、蒸気を吹き込んだところ、脱臭缶下部の飛沫油取出バルブの付け根の溶接部分に亀裂があることを発見し、これを修理した後再び真空を効かせ、脱臭缶上部にストツプバルブを閉めて真空度の戻り具合を調べたが異常はなかつた、と主張する。そしてその主張に沿う証拠として丙第三一、第三四、第八一、第九二号証、証人川野英一の証言等が存在する。右証拠によると、飛沫油取出バルブの付け根に亀裂があつてこれを修理した点はおそらく間違いないであろうが、その後十分な真空保持テストをしたかどうかについては、右証言ないし供述記載の全趣旨に照らして極めて疑問が多く、その点を十分肯認するに足りない。

2  カネクロールの大量漏出があれば正常運転は不能との主張について

また被告カネミは、ピンホール説にしても、フランジ説にしても、大量のカネクロールが漏出するほどの間隙があれば、真空を三mmHgに保持することはできず、正常な脱臭油は出来ないともいう。しかし甲第一四号証の三によると、被告カネミの脱臭装置の真空装置は、少なくとも一時間あたり三〇kgの吹き込み水蒸気を三mmHgの減圧下において吸引することができるのであり、漏出するカネクロールが高温のため、蒸気圧が高く蒸散率が高いとしても、運転条件によつては、第八の四の4で検討した一バツチあたり一五ないし二三kg程度のカネクロールの漏出には耐え得る可能性が考えられないではない。

3  製品検査結果に異常がなかつたとの主張について

更に被告カネミは、六号缶の運転開始時における脱臭油の検査結果には特別異常はなかつた旨主張し、丙第一〇七号証において、脱臭係の責任者である樋口広次は二月はじめに六号缶で異常があつたことは聞いていない旨述べており、また丙第四四ないし第四六号証の試験日報に記載されている六号缶(または六号缶のものにほぼ間違いないもの)の抜取検査結果からすると、酸価や色相、発煙に特別異常な数値は記載されていない。しかしながら右試験日報には六号缶の抜取検査結果が頻繁に記載されており、また丙第三四、第九二号証において、脱臭係員川野英一は二月上、中旬に六号缶の脱臭油の酸価が悪く再脱臭した記憶がある、またその頃、六号缶の生蒸気の具合が悪く、あるいは油温の上がりが悪く断続運転したなどと述べており、その当時六号缶の運転結果が必ずしも良好なものではなかつたことが窺える。更に丙第四五、第四六、第八六、第八八号証、証人二摩初の証言などによると、試験室の責任者である同証人は、事件後北九州市衛生局から試験日報の提出を求められた際、記載の一部(抜取試験の缶番号)を改ざんし、また重要な二月一日の試験日報をコピーする際にこれ(原本)を破損し、コピーだけを残していること、また試験日報の記載はすべて検査結果を記載しているわけではなく、極めて粗雑なものであること等を認めている。これらの点から見ても六号缶の運転開始時における脱臭油に全く問題がなかつたといえるかどうか極めて疑わしい。

九混入経路に関する検討のまとめ

以上に述べて来たところからすると、食用油(及びダーク油)中に熱媒体であるカネクロール四〇〇が混入した経路については、可能性としてはピンホール説、フランジ説、人為的投入説の三説が唱えられており、各説ともそれぞれ疑問点を有しているが、その中ではピンホール説が他の二説よりも説明困難な疑問点がはるかに少なく、しかも、フランジ説および人為的投入説がいわば論理的可能性として主張されているにすぎず、それを裏付ける事実を認めるに足りる証拠が皆無なのに比し、ピンホール説は厳然たるピンホールの存在に根拠づけられていることをあわせ考慮すると、ピンホール説は他の二説に比較し最も可能性の高い考え方であると断ぜざるをえず、当裁判所もピンホール説を至当と判断するものである。

第二章 被告カネミの責任

第一食品製造業者の注意義務

一人間の生命、健康を維持、増進し、種族の保持、繁栄をはかるため必要不可欠の食物は、まず第一に人間の生命、健康にとつて絶対に安全なものでなければならない。したがつて、食物を商品として製造販売する者は、その安全性を確保すべき責務を負つている。しかも商品として製造販売される食品が、その安定性を欠いている場合には、広く多数の人々に被害を及ぼすものであるから、その結果の重大性から見て、右債務は極めて高度なものが要求されることはいうまでもない。

二更に、今日の商品経済社会においては、食品が多くの複雑な機械設備を用いて工業的に生産され、また良かれ悪しかれ均一な品質のものが大量に生産されるのみならず、その製造工程においては多くの化学合成物質が添加物として、あるいは副資材として使用されているが、これらの物質の混入等による食品の安全性の欠陥については、一般消費者がその外観、風味等により自ら判別できる範囲は極めて限定されており、諸種の検査等により安全性を検証することはその知力、財力からして全く不可能である。したがつて、今日の社会において食品の安全性に欠陥がある場合には、極めて重大な結果を招来し、深刻な社会問題に発展する危険性が高いものであるから、食品を商品として工業的に大量生産する者は、その安全性を確保するために、一層高度なかつ厳格な注意義務を負うものというべきである。

三以上の食品業者の注意義務は法律以前のものであるというべきであり、今日これを疑う者は誰もおるまい。しかし、一応参考までに行政取締法規について一瞥しておこう。

食品の安全性を確保するための行政的な取締法規は古くから存在するが、昭和二二年から施行されている現行の食品衛生法は、食品及び添加物について、有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着しているもの(同法四条二号)、病原微生物により汚染され、又はその疑いがあり、人の健康を害うおそれがあるもの(同条三号)及び不潔、異物の混入又は添加その他の事由により、人の健康を害うおそれがあるもの(同条四号)を販売したり、又は販売の用に供するため製造、加工することを禁止し、また食品添加物として使用する化学的合成品については、人の健康を害うおそれのない場合として厚生大臣が定める場合を除いて、これを製造、販売すること、又はこれを含む食品を製造、販売することを禁止し、これらの違反に対しては、行政上の処分のみならず刑事罰を科す旨を定めている(同法三〇条)。このように、食品衛生法が結果にかかわりなく、人の健康を害うおそれのある食品を製造、販売すること自体を取締り、しかも刑罰をもつて臨んでいる趣旨は食品の安全性に対する社会的要請を反映しているものというべきである。

四以上に述べた点から、食品製造業者の民事責任については、次のような判断基準が定立されるべきである。すなわち、食品の出荷以前に生じまたは存在した原因によつて、食品に人の生命、健康を害する瑕疵(欠陥)が生じ、その瑕疵(欠陥)ある食品を摂取したことによつて人の生命、身体に被害が及んだ場合には、それだけで瑕疵(欠陥)ある食品を製造、販売した者の過失が事実上強く推定され、そのような瑕疵(欠陥)の発生または存在が食品製造業者に要求される高度なかつ厳格な注意義務を尽しても、全く予見し得なかつたことが主張、立証されない限り、右推定は覆えらないものというべきである。したがつて、右瑕疵(欠陥)の発生または存在が全く予見し得ないものと認められない以上は、瑕疵(欠陥)の発生の防止措置や発見方法が存在しないことなどを主張しても、右推定は左右されないというべきである。

第二被告カネミの過失

一本件油症事件は、被告カネミが昭和四三年二月上、中旬に製造販売した食用油であるカネミ油に、人体に有毒な化学物質であるカネクロール四〇〇(塩化ジフエニールの混合物)が混入していたため発生したものであること、及び右カネクロール四〇〇が被告カネミの製油工程中においてカネミ油中に混入したものであること、以上の点は前章で検討したところにより、疑いを挾む余地のない明白な事実である。

二そして、被告カネミが食用油の製造販売を業とする会社であることは当事者間に争いがなく、また前記油症患者の発生数及び分布並びに被告カネミの製油工程の概要から推測するだけでも、被告カネミが多くの機械装置や設備を使用して工業的に大量のカネミ油を製造し、これを広範囲に販売していたことが明らかである。

三したがつて、被告カネミが人体にとつて有毒な物質であるカネクロール四〇〇の混入したカネミ油を製造販売した点に、まず過失の存在を事実上推定すべきものである。

第三被告カネミの予見可能性不存在の主張について

一はじめに

被告カネミが前記過失の推定を覆えすためには、まず、同被告において当時カネクロール四〇〇が人体に有毒な物質であることを予見できなかつたこと、もしくは右カネクロール四〇〇が食用油であるカネミ油中に混入するという事態が全く予見し得なかつたことのいずれかが、主張、立証されなければならず、これに成功しなければ、他のいかなる事実を主張、立証しても意味がない。けだし、カネクロール四〇〇が有毒物質であることを知り、それが食用油中に混入する可能性を予見しうる余地がある以上、食品製造業者である被告カネミとしては、考えられるあらゆる手段を用いて、その混入の防止及び混入の有無の検査のための措置を講ずべき義務があり、そのような措置を講ずることが技術的にあるいは経済的に困難である場合には、もはや食用油の製造工程にカネクロール四〇〇といつたものを持ち込む込むことが許さるべきではないからである。

二カネクロールの毒性に関する予見可能性

被告カネミは、先ず第一に、本件油症事件発生以前においては、カネクロール四〇〇の有毒性を予見し得なかつた旨主張するので、この点について検討する。

1  被告カネミはその前提として、近代化学における専門分野は、極めて多岐にわたつて細分化されているため、特定化学物質の性質は、特定分野を専攻し、その特定物質につき研究を行つている研究者又は製造者以外は、的確に把握することが極めて困難であるうえに、製造物の原材料の内容及び製造方法は、企業秘密として外部に公開しないのが実情であるから、ある化学工業薬品を使用する需要者は高度の技術専門家である製造業者の知見に全面的な信頼を置くのが当然であると主張する。被告カネミのこの主張は一般論としてはおそらく何人も異論のないところであろう。

そしてまた同被告は化学工業薬品の製造業者が独自の研究開発に基づく製品を製造販売する場合はその製造業者は可能な限りあらゆる技術を駆使して、その化学工業薬品の化学的性質並びに作用等を充分に調査研究し、その内容及び公正なデータに基づいて予測される潜在的危険性を含めて、製造販売される化学工業薬品の性質、取扱い方法に関する全ての情報を、直接需要家に公開し、更に特に注意すべき事項については厳重に警告すべき義務を有するものというべきである。これを本件に則して言えば、被告鐘化は、カネクロールの毒性並びに金属腐蝕性に関する充分な調査研究をなし、その知り得た情報を全面的に公開し、需要家に対して、その毒性に関する注意ないし警告をする義務があるのであり、これが化学工業における安全工学上の鉄則である、とも主張する。この見解についても当裁判所はほぼ全面的に賛成するものであり、この点については後に被告鐘化の責任を判断するところでも触れる。

2  右主張を前提として、被告カネミは更に、被告鐘化はカネクロールを販売するに際し、右安全工学上の鉄則に違背しまたはこれを怠つたものであり、本件油症事件の発生は、全て被告鐘化の責任に帰せられると主張し、具体的には、先ず、被告鐘化の発行したカネクロールのカタログにはカネクロールの有毒性を隠蔽し、その安全性を保証する趣旨の記載しかなく、需要者である製油業者は、右カタログの記載に全幅の信頼を置いており、これを使用するについて毒性の内容に疑いをもつたものは皆無であつたと主張する。しかしながら、<証拠>によると、被告カネミの当時の工場長であり、訴外三和油脂からの精製装置導入についてその技術上の問題に関する事実上の最高責任者であつた同証人は、カネクロール四〇〇を熱媒体とする三和油脂方式の脱臭装置の導入にあたり、甲第二、第三号証のカネクロール四〇〇のカタログを入手してこれを読んでいたものであるところ、右カタログにはいずれもカネクロール四〇〇の化学的組成について、芳香族炭化水素の誘導体である、ジフエニールの塩素化合物で四八%の塩素を含有する。芳香族の塩化物である等、芳香族炭化水素の塩素化合物であることが明示されているほか、毒性に関係する記載として、取扱の安全という項目の下に次のような記載がなされていることが認められる。

(一) 甲第二号証のカタログ

カネクロールは芳香族ジフエニールの塩素化物でありますので、若干の毒性を持つていますが、実用上ほとんど問題になりません。しかし、下記の点に注意していただく必要があります。

(1) 皮膚に付着した時は石鹸にて洗えば完全におちます。

(2) 熱いカネクロールに触れ、火傷したときは普通の火傷の手当で結構です。

(3) カネクロールの大量の蒸気に長時間曝され、吸気することは有害です。

カネクロールの熱媒体装置は普通密閉型で、従業員がカネクロールの蒸気に触れる機会はほとんどなく、全く安全であります。もし匂がする時は、装置の欠陥を早急に補修することが必要であります。

(二) 甲第三号証のカタログ

カネクロールは不活性、非反応性の液体でありますが、芳香族の塩化物である為、若干の毒性はありますが、実用上殆ど問題にならず、この点他の有機熱媒体と大凡以て居ります。併しながら皮膚に液が附着した場合には石鹸洗剤等で洗えば宜しいが、若し附着した液がとれ難い場合には鉱油、植物油の如き油で先ず洗い、その後石鹸洗剤等にて洗えば完全におちます。

若し熱いカネクロール液で火傷した場合には普通の油に依る火傷の手当で充分であり、火傷部に附着したカネクロールはそのままでも宜しいが、取除く必要があれば石鹸洗剤等と水又は植物油で繰返し洗滌すれば結構です。

装置の欠陥に依りカネクロールの大量の蒸気に長時間曝されることは有害でありますから速やかに処置する必要があります。最大安全許容量は二mg/m3でありますが、実際にはこの程度になると匂が強くて作業は出来ません。併しカネクロールの熱媒装置は密閉型の装置でありますし、仮にエキスパンジヨンタンクより蒸発するとしても低温の為蒸気は極めて少ないので問題はなく、作業員がカネクロールの蒸気に接触する機会は殆どなく、匂がする様であれば、装置上の欠陥がある訳でありますから、速やかに修理改造する必要があります。

以上のようなカタログ中のカネクロールの毒性に関する記載は、職業病的観点からの毒性の表示であつて、その意味では若干の毒性はあるが実用上は殆ど問題にならないとして、むしろその安全性を強調している趣旨であることは明らかである。しかし、カネクロールが食品中に混入するなどにより経口摂取された場合の毒性については、直接何ら触れていないけれども、「若干の毒性を有する」「大量の蒸気に長時間曝されると有毒である」といつた記載は、後述するように、その表現が抽象的で、毒性の具体的内容、程度が明確でなく、前後の文章から多義的解釈を許す余地はあるにしても、食品製造業者としての慎重さと注意深さをもつて臨めば、これが人体に摂取された場合に何らかの毒作用を示すことを考えさせる手掛りとなることは明らかである。また、カネクロールが化学合成薬品であることも明示されており、これが熱媒体であつて食品添加剤でないことは明らかであり、食品製造業者としては、食品衛生法の趣旨からいつて、化学合成薬品を食品に添加するには法律の厳しい制限があることを十分知つていたはずであるから、カネクロールが食品中に混入すれば何らかの障害が生じることも当然予見し得なければならならなかつたのである。

3  また被告カネミは、被告鐘化がカネクロールを三和油脂に売込むに際して、カネクロールの不燃性を強調しただけでなく、その有害性についても、被告鐘化において動物実験の結果何ら支障はなかつたとの全く詐欺的な説明をし、この説明を信じた三和油脂は、カネクロールの安全性について、確信を得てカネクロールを脱臭用の熱媒体として採用するに至つたものである。もし、当初被告鐘化が知つていたカネクロールの有害性について、三和油脂に少しでも説明をし、その取扱いについて注意を与えておれば三和油脂は、カネクロールを脱臭用の熱媒体として採用しなかつたことは明らかである。そして三和油脂が脱臭用の熱媒体としてカネクロールを採用しなかつたとすれば、三和油脂から抽出、精製の装置と技術を導入した被告カネミが脱臭用熱媒体としてカネクロールを使用する筈はないし、したがつて本件のようにカネクロールによる事故も発生しなかつたのである、とも主張する。しかし、被告鐘化から右主張のような説明を受けたという三和油脂の技術部長岩田文男は、乙第二九号証において、カネクロールが肝臓に悪いとの趣旨のことも聞いたと述べているのであるから、同じ食品製造業者である三和油脂が、それにもかかわらずカネクロールは人体に全く安全であると信じたとすれば、軽率のそしりを免れないし、仮に三和油脂の岩田文男がそのように信じていたとしても、被告カネミの森本工場長は、前記カタログを読んでいたのであるから、その記載からカネクロールの毒性に疑問を抱くべきであつたのである。以上のとおりであつて、被告鐘化の発行したカネクロールのカタログの記載や口頭説明の内容がカネクロールの毒性の内容(人体に対する安全性)につき誰にも疑いを抱かせないような一義的な趣旨のものでないことは明らかであり、この点に関する被告カネミの主張は到底肯認できない。

4  次に被告カネミは、かりに需要家において、カタログ記載の毒性の内容につき疑問を持ち、被告鐘化に対して照会ないし確認をしても、油症患者発生当時の同被告の態度からみて、同社が自社製品の危険性を進んで暴露するが如き良心的な説明をすることはとうてい期待出来ることではない上に、個々の需要家が自ら進んで毒性を研究し明らかにする義務はなく、その能力もない、と主張する。しかしながら食品製造業者は前記のとおり、その製造する食品の安全性を確保するために極めて高度でかつ厳格な注意義務を負つているのであるから、その製造工程で使用する合成化学薬品の毒性の有無、程度を十分認識し、その毒性の程度に応じた慎重な取扱が要求されるというべきであるところ、右合成化学薬品を製造販売する者の提供する情報が、具体的で明確な場合にはそれを信頼することが許される場合がありうるとしても、前記カネクロールのカタログのように、その毒性についての記載内容及び程度が極めて抽象的で漠然としている場合には、かりに被告鐘化がその点についての詳細な情報の提供を拒否し、また被告カネミに調査、研究能力がないからといつて、そのことによつて、直ちに食品製造業者である被告カネミにカネクロールの毒性についての調査、研究の義務を免れしめるものではないというべきである。すなわち、被告鐘化の毒性に関する情報提供義務と被告カネミの毒性についての調査研究義務は対一般消費者との関係で併存するものであつて、一方の存在によつて他方が解除されるという筋合のものではないからである。このことは、最終過程としての製品である食用油が一般消費者の必要不可欠の食品であることに思いを致せば容易に理解できよう。被告カネミの論法でいくと、被告鐘化が詳細な情報の提供を拒否し、その義務が尽されていないことが分つていても、被告カネミに調査研究能力がなければ、一般消費者に対する関係でその調査、研究をなすことなく漫然とカネクロールを使用してもよいという結果を是認することになりかねないし、明らかに不当である。このようにみてくると、被告カネミの主張が被告鐘化の責任を指摘している限りで正鵠を得ている面は否定しえないが、このことをもつて対一般消費者との関係で被告カネミの責任を免れようとするのは、論理のすりかえといわなければならない。これを換言すれば、被告カネミはしばしばカネクロールの有毒性について十分な情報を得られなかつたというけれども、化学合成薬品が食品に混入するとき人体への重篤な有害を予測するのが通常であり、却つてその安全性をこそ問題にされねばならないから、毒性についての情報というよりその安全性についての情報が十分に得られないときは、むしろこれが有害、有毒との前提に立つて、その食品への混入を防止し、かつその点検を行なう措置をとることこそ、食品製造業者に課せられた基本的な責務というべきではないか。

5  なお丙第七九、第八三、第一二五号証における森本工場長の供述や弁論の全趣旨に照らすと、被告カネミの主張の真意は、カネクロールが若干の毒性を有し、食用油に混入してはいけないことは知つていたが、その毒性の程度は、A重油程度と考えていたのであり、本件油症事件にみられるような重大な生命身体に対する被害を及ぼすことまでは予見し得なかつた、というところにあると思われる。しかし、前記カタログの記載や岩田文男の受けた説明程度で、カネクロールの毒性を右の程度に考え、それ以上の調査研究をしなかつたとすれば、丙第八三号証で森本工場長が自認するように、食品製造業者の工場長としては、誠に不勉強であることはなはだしいといわねばなるまい。前記のカタログの毒性に関する記載の抽象的、多義的な文言からその毒性の内容、程度について疑問を持ち、更に調査研究すべきであつたのであり、この義務を尽しておれば、後述するようにカネクロールの毒性が前記のような看過し得ない重要なものであることを知り得た可能性は十分あつたものである。しかるに被告カネミは、前記被告鐘化の発行したカネクロールのカタログの記載により、あるいは訴外三和油脂の岩田文男が被告鐘化の社員から動物実験をした結果全然支障がなかつたと聞いたことを更に伝え聞いて、カネクロールが安全なものであると信じた旨主張する以外に取り立ててその毒性について調査、研究を尽した事実も主張しておらず、右の程度の資料でカネクロールを安全と信じて熱媒体として使用したことは、食品製造業者として軽率のそしりを免れない。その他に被告カネミは、油症事件当時における他の製油業者や学者、研究者らの塩化ジフエニールの毒性に関する認識の実態が、被告カネミの水準とさほど変わらない点をるる主張するけれども、その点の主張は被告鐘化の情報提供義務を裏付ける事由とはなつても、対一般消費者との関係では被告カネミの調査研究義務の存否と何ら関係のない事実であることも前同様である。

6  以上の点からカネクロール四〇〇の有毒性を的確に予見し得なかつたとする被告カネミの主張は是認できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

三カネクロールの食用油混入の予見可能性

被告カネミは第二に、カネクロールが食用油中に混入することが予見し得なかつた旨主張するので、この点について検討する。

1  被告カネミは、前項1記載の主張を前提として、被告鐘化がプラントメーカーやユーザーに対し、カネクロールの金属腐蝕性を隠蔽し、カネクロールを熱媒体として使用しても配管を全く腐蝕しないと宣伝し、被告カネミはこれを信じて装置を運転していたのだから、カネクロールの蛇管が腐蝕してカネクロールが食用油中に混入することは全く予見し得なかつた旨主張する。

前記のように、カネクロール四〇〇は、それ自体の作用としては金属をほとんど腐蝕しない優良な物性を有しているが、一面高温に加熱されると微量ではあるが塩化水素ガスを発生する傾向を有し、それが液状の水分に溶けて塩酸が生成されると、極めて重大な腐蝕環境を形成する可能性を持つものであるから、これを熱媒体として使用する場合は発生する塩化水素ガスの排出及び水分の配管内への侵入防止に十分配慮しなければならないものである。ところで、前記森本工場長が油症事件発生前に入手していたという甲第二、第三号証のカネクロールのカタログには、カネクロールの金属腐蝕性に関して次の様に記載されている。

(一) 甲第二号証のカタログ

高温においても金属に対する腐蝕はなく、使用材料の選定は極めて自由であります。

カネクロールは芳香族炭化水素の誘導体であるため非常に安定で、……(中略)……ただ、沸点近くで長く加熱しますとごく微量ですが脱塩酸する傾向があります。

カネクロールは塩素化物であるため、塩素により腐蝕されるのではないかとの質問をお受けしますが、カネクロール中の遊離塩素は0.2ppm以下で、この心配は全くありません。局部加熱により、液が強制分解されたときは、塩素を分離せず塩化水素ガスを生じますが、カネクロールの循環系内は高温で無水状態でありますので、塩化水素ガスは乾燥状態のまま排気口から外部に流れ出て、装置が腐蝕される心配はありません。

(二) 甲第三号証のカタログ

しかし若し局部加熱等の事故で、この様な脱塩酸が行われ、塩化水素ガスが発生しましても、装置内に水分の存在が考えられないため塩化水素ガスは乾燥状態にあり装置を全然腐蝕することなく排気口より外部へ流れ出る訳であります。この場合普通はエキスパンジヨンタンクに誘導され初めて外気と触れることになります。ここで外気中の水分に接触した塩化水素ガスは腐蝕の原因となりますから、エキスパンジヨンタンクはモイスチユアートラツプを附する等湿気が入らないようにすると安全であります。そのため、エキスパンジヨンタンク以外の熱媒体を完全にカネクロールで満す必要があることはいうまでもありません。

多年の研究結果により使用される材質がいかなる金属でも、バルブ、パイプ、タンク、ジヤツケト等を腐蝕しませんから材質選定は極めて自由であり旧設備の転用も可能であります。

(他に、カネクロール四〇〇の二八〇度から三三〇度の間の温度における三〇時間から一五〇時間の間の塩化水素ガスの発生量を示すデータ表が付されている。)

2  右カタログの記載部分をカタログの中に位置づけて読むとき、被告鐘化が、カネクロール四〇〇を熱媒体として使用する場合にも、金属に対する腐蝕性を全く心配する必要がない点を特に力説していることは明らかである。しかし、右記載中には、文章全体に占める比重は軽いにしても、カネクロールから発生する塩化水素が外気の水分に触れると装置を腐蝕する原因となることに言及しており、被告鐘化の指定する使用温度内でもカネクロールから塩化水素ガスが発生することが実験データにより表示されているのであり、また十分とはいえないにしてもそれを防止するための措置も記載されているのであるから、食品製造業者として要求される慎重さと注意深さをもつて読めば、カネクロールから発生する塩化水素ガスの排除及び水分の配管内への侵入の防止を完全に行なわないと蛇管が腐蝕開孔される危険性のあることを全く予見し得ないものではないというべきである。たしかに被告カネミにおいては、脱臭缶のカネクロールパイプに耐蝕性のすぐれたステンレス材を使用していたこと前記のとおりであるが、ステンレスといえども塩酸による腐蝕には耐えられないものであり、そのことを知り得なかつた事実を認めるに足る証拠はない。被告カネミがこれを知らなかつたとすれば、食品製造業者としての不勉強と無責任こそが責められるべきであつて、自らの無責任を一般消費者に対する関係で主張することは筋違いもはなはだしい。

3  更に、装置工業における装置の保守、管理という問題は、何も金属材の防蝕ということだけが課題ではないこと、また右の問題はカネクロールを使用する熱媒装置にとりわけ特有の問題ではなく、それだけで一個の独立した学問的、実践的研究課題であることは、甲第二〇七、第二〇八号証、証人中島清一の証言等に照らして明らかであり、したがつて、また証人木島茂の証言に照らせば、食品の絶対的安全性を確保しなければならない食品製造業者としては、単に熱媒体メーカーの提供するカタログだけに依拠して装置の保全を図れば済むといえるものでないことは明らかである。

4  以上の点からすれば、被告鐘化がカネクロールの金属腐蝕性を隠蔽したがために、蛇管が腐蝕してカネクロールが食用油中に混入することは全く予見し得なかつたとする被告カネミの主張は到底肯認し難い。前記した脱臭缶の構造を見れば、有毒物質であつて絶対に食用油に混入してはならないカネクロール四〇〇が、真空系内において、わずか二ないし三mmの金属管壁により食用油と隔てられているにすぎないのであるから、装置の故障が絶対あり得ないと断定できない限り、食品製造業者としては、カネクロールの食用油への混入の危険性に十分配慮すべきであつたというべきである。しかし、証人中島清一の証言に照らせば右のような断定が出来ないことは明らかであり、これは装置工業における装置の保守、管理を考えるうえでは常識であるから、被告カネミにおいてカネクロールが食用油中へ混入する危険性を全く予見し得なかつたとは到底認められず、他にこの点を認めるに足る証拠はない。

四まとめ

結局、被告カネミにおいて、カネクロールの人体に対する有毒性及びカネクロールの食用油への混入の可能性を全く予見し得なかつたとは認められず、したがつて、食用油中にカネクロールが混入することによつて生ずる食品の瑕疵(欠陥)の発生を全く予見し得なかつたとはいえず、前記のように推定される被告カネミの過失は覆えらないものというほかない。

第四被告カネミの過失と油症事件との因果関係

すでに検討して来たところから、前記被告カネミの過失により、有毒物質であるカネクロール四〇〇の混入したカネミ油が製造、販売されたため、これを食用油として摂取した原告らはじめ多数の者に油症被害が及んだものであることは明白であり、したがつて被告カネミの右過失と油症事件との間には相当因果関係がある。(なお、これまでに検討して来たところは、被告カネミ自身が直接過失責任を負うとの構成をとつて来たのであるが、形式的に分析すれば、被告カネミの被用者の行為に過失責任があり、被告カネミは使用者として民法七一五条一項の責任を負うと構成するのも一方法であろう。しかしながら、有機的統一組織体としての企業において、複数かつ不特定の被用者の企業活動の一環としての行為に過失がある場合には、むしろ個々の被用者の具体的行為を問題とすることなく、使用者たる企業自身に過失があるとして直接民法七〇九条による責任があると解するのが直截、簡明であり、相当である。本件の場合被告カネミの責任も右のように考えて差支えなく、後述する被告鐘化の責任も同様である。ただし、このように考える場合でも、実態として有機的組織的な被用者の集団の過失が存在するのであるから、民法七一五条二項の趣旨により、その代理監督者の責任を問い得ることはもとより当然である。)

第五結論

よつて、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、被告カネミは本件油症事件の被害者である原告らに対し、後記損害を賠償する責任を負うものである。

第三章 被告加藤の責任

一被告加藤が本件油症事件当時において被告カネミの代表取締役社長であつたことは当事者間に争いがない。原告らは右被告加藤が本件油症事件につき民法七一五条二項の代理監督責任を負う旨主張するので、この点につき検討する。

二被告加藤は、単に代表取締役であるというだけでは代理監督責任を負うものではなく、被用者に対し具体的な指揮監督権限を及ぼし得る地位になければこれに該らない旨主張する。抽象的立論としてはまさにそのとおりであるから、以下この観点から被告加藤の責任の有無を検討する。

前章で判断した被告カネミの過失とは、被告カネミの特定の従業員の具体的な行為の過失が問題となつたのではなく、森本工場長をはじめとする製油部門の有機的に結合した人的組織全体(特に脱臭及び製品検査等の係とこれを監督する工場の首脳陣)の行為を対象とし、これに過失があり、したがつて当然に法的人格のある株式会社被告カネミに民法七〇九条の責任があるとしているものであり、有毒物質の混入した食品を製造販売したこと自体に過失があるとしているのである。すなわち、本件における被用者の過失とは、有機的な人的組織全体の食品の安全性それ自体に対する態度という業務上要求される根本的問題を対象としているのである。

三しかも<証拠>によれば以下の諸事実が認められ、これに反する証拠はない。すなわち、

被告加藤は、昭和二七年一二月被告カネミの前身である訴外九州精米株式会社(かつては米糠の搾油業をやつていたことがある。)の代表取締役をしていた実父の訴外加藤平太郎が経営失敗の責任をとる形で代表取締役を退任し、会長職についた後、同社の代表取締役社長の地位を受けついだ。同社はその後別会社との合併等を経て、昭和三三年五月に正式に現在の名称たるカネミ倉庫株式会社に社名を変更したが、依然として被告加藤はその代表取締役社長、加藤平太郎が会長(取締役の地位に就いたまま。但し、同人は本件油症事件発生後の昭和四三年一一月死去した。)の職にあつた。被告カネミは昭和三四年一一月米糠搾油業を開始したが、昭和三六年四月からは技術導入した三和油脂の精製装置を運転させて、はるかに品質の高い米糠油製油業を開始し、脱臭工程で熱媒体としてカネクロールを使用することとなつた。この間、被告加藤は、製油部門を担当する取締役となつていたが、それにとどまらず自ら製油部門における現場の最高責任者たる工場長の地位を兼任していた。そして、右三和油脂からの技術導入と、それに伴う熱媒体としテカネクロールを使用することを被告カネミが決定するにあたつては、被告加藤は代表取締役社長兼工場長として、被告カネミ側の名実共に最高の責任者として、決定的役割を果たしたものである。その後、昭和四〇年一一月工場長の地位は森本義人に譲つたものの、直属の上司として同人を介し、なお工場の操業、製油装置の設置・管理、製品の品質検査・管理、製品価格の決定等すべてを統括してきた。被告カネミの製油部門は他の倉庫部門に比し、次第に隆盛発展の道をたどりはじめたが、昭和四三年二月当時の被告カネミの規模は、資本金五〇〇〇万円、株式数一〇〇万株、その六割を加藤一族(被告加藤及び加藤平太郎を含む。)で有する、いわゆる同族会社と目すべきものであり、従業員総数は四〇〇名位のところ、米糠油精製は被告カネミの肩書住所地にある工場でのみ行ない、製油部門関係専従の従業員は八〇名位であつた。

四このようにみてくると、本件油症事件において、欠陥ある食用油が製造販売された昭和四三年二月当時、被告加藤は製油部門の森本工場長をはじめとする約八〇名の有機的な人的組織全体を直接指揮監督してきた者、或いはすべきであつた者と見得るのであり、同被告は民法七一五条二項の責任を免れることはできない。被告加藤は、物理・化学が極めて苦手で検機類の操作について知識もなく、製油作業についてこれを指揮監督するような能力はなかつた旨主張するが、そのような知識・能力の有無についての事実はともかく、仮にそれが欠けていたとしても、これを補助する者或いは他の有職者(例えば、工場長の森本義人又は三和油脂の岩田文男等)らの助言があれば十分補い得ることであつて―――しかもこの点は一般消費者の側からすれば当然至極のこととして要求し得ることである―――、現にそのように行なわれてきたことも前示証拠から窺われるのであるから、被告加藤の右主張は責任を加重する論理とはなつても、同被告の代理監督としての責任を否定する理由になるものではない。

第四章 被告鐘化の責任

第一はじめに

すでに述べたように、油症事件は被告カネミの製造販売したカネミ油に被告カネミがその製造工程のうちの一工程である脱臭工程において熱媒体として使用していたカネクロール四〇〇が混入していたために発生したものであり、本件訴訟の一被告とされている被告鐘化は右カネクロール四〇〇を製造販売した会社であるが、この被告鐘化が本件油症事件について民事上の損害賠償責任を負う理由として原告らの主張するところは、要するに、第一に人体に有毒で、その毒性が一般に知られていないカネクロール四〇〇を製造販売したこと自体に責任があるというのであり、第二にこのようなカネクロール四〇〇を食品工業の熱媒体として利用することを勧めて販売したことに責任があるというのであり、第三にカネクロール四〇〇を販売するにあたりその毒性及び金属腐蝕性について誤つた情報を利用者に提供したことに責任があるというのである。そこで、右主張について順次検討することとする。

第二カネクロールの製造販売と過失の有無

一カネクロールの人体に対する危険性

被告鐘化が総合化学会社であり、昭和二九年から塩化ジフエニールの製造販売を開始したことは当事者間に争いなく、以後同四四年七月に三菱モンサント社が製造を開始するまで、国内における塩化ジフエニールの製造販売をほぼ独占していたことは前に述べた。そして、塩化ジフエニールは、その急性致死毒性という面では極めて毒性の低いものではあるが、人体に微量ずつでも長期にわたつて摂取されると厄介な皮膚障害を与えるのみならず、体内の脂胞組織に蓄積して未だ医学上十分解明されてはいないが種々複雑な全身性疾患を及ぼすものであり、その人体に及ぼす毒性は看過し得ないものであることも前述したし、また後記損害論において述べるとおりである。更に、塩化ジフエニールは高温に熱せられると、沸点以下の温度でも微量ではあるが金属の腐蝕環境を悪化させる重要な一因子となり得る塩化水素ガスを発生させるものであることも前述した。このような性質を有する塩化ジフエニールしたがつて被告鐘化の商品であるカネクロールは、その利用形態によつては、あるいは利用形態にかかわらず利用者の取扱い方如何によつては、人体に対し不測の危険を発生させるおそれを内包しているものであることは明らかである。

二カネクロールの新規性

ところで、塩化ジフエニールは被告鐘化が製造を開始するはるか以前から諸外国で製造され、また我が国でも戦前に東芝によつて一時製造され、電気機器用途を中心に使用され、戦後においても我が国では外国から輸入して使用されていたことは前記のとおりであるが、<証拠>によると、被告鐘化はある電気機器メーカーからの要請もあつて塩化ジフエニールの国産化に踏切つたものではあるが、その国内における使用実績が少ないため、電気的用途についてすら需要の拡大には困難が伴い、その利点の積極的な宣伝と企業間の信頼関係によりようやく販路を拡張し得たものであり、ましてや熱媒体としての用途については、被告鐘化の油脂部門でさえ隣の工場で生産しているカネクロールを熱媒体として使用するにつき議論が沸いたほどであつて、販路及び用途の拡大には精力的な宣伝と多くの努力を要したことが認められ、この事実に照らすと、少なくとも我が国産業界においては、被告鐘化がカネクロールを製造販売する以前においては、塩化ジフエニールの勝れた特性はもちろんのことその危険性についてはほとんど知られておらず、被告鐘化の積極的な宣伝によつて漸次その情報が広まつたものであることが推認される。

三考察

カネクロールの極めてすぐれた特長から導かれる有用性の大なる面がある反面それが人体に対し有害有毒であることも前記した。しかるに前項で述べたようにその人体に及ぼす危険性及びその発現形態は、つい最近に至るまで一般に知られていなかつたのであるから、その危険性について十分な警戒心をもつて利用しないと、不測の事故が生ずる可能性が十分に考えられることは原告らの主張のとおりである。しかし、その利用形態ないしは利用方法によつては、利用上考えられる危険性について十分な警戒心をもつて臨み、十分な安全対策を講ずることにより、管理・制御が可能となり、その危険性を防止しうる場合もあり得ると考えられるから、カネクロールによる地球的・歴史的規模における環境汚染の問題について考える場合は別としても、本件油症事件という具体的・限局的場面における民事責任を考えるうえでは、単にカネクロールを製造販売したこと自体(またはそれだけ)に過失があるかどうかを法的判断の一対象とするにはあまりに具体性にかけ、現段階でそれを論じるのは当を得たものとは解し難い。そこで、この点はしばらく措き、次に判断を進めることとする。

第三食品工業の熱媒体としてのカネクロールの推奨販売と過失の有無

一カネクロールを食品工業の熱媒体として利用することの危険性

1  カネクロールが人体にとつて有毒な合成化学物質であり、しかも装置を腐蝕させる等の危険性を発現させる作用を有するものであること、他方食品の安全性に対する要請は絶対的なものであることはいずれも前に述べた。したがつて食品工業の熱媒体としてカネクロールを利用する場合には、カネクロールが被加熱物である食品に混入すること及びカネクロールが混入した食品が出荷されることを、関連業者は絶対に防止しなければならない。

ところが、右のようなカネクロールの毒性や金属腐蝕性等の危険な属性についての知識が、食品業界を含め我が国産業界には一般に普及していなかつたこと前記のとおりであり、しかも食品工業において、カネクロールを熱媒体として利用する場合、有毒なカネクロールが薄い金属板を隔てて常時食品である被加熱物と接している以上、装置の腐蝕等の故障によりいつカネクロールが食品中へ混入するか、その危惧は常に存在するのであつて、このような形態でのカネクロールの利用は人体被害発生の危険性を常時強く憂慮させるものといわざるを得ない。更に、今日の競争経済社会においては、食品衛生法により厳しい食品の安全確保義務を課されている食品製造業者においても、商品のコストを下げることが最も重要な課題の一つとされ、眼前の利益追求を急ぐのあまり、製品の安全性確保のための必要経費までも切り詰めるような行動にまま走りがちなことは現実に十分予想されることであつて、食品の安全確保のための万全の措置が尽されることに高い信頼を寄せることはできない。被告鐘化は、食品製造業者が食品衛生法の厳格な規定を当然に遵守することが社会的、法的に予定されているというが、それは遵守すべきことが当為として予定されているというにすぎず、現実に遵守されていることを意味しているわけではないことは常識の範囲である。特にカネクロールのように高度に専門的な化学的知識を駆使して製造される商品を、食品製造業者が食品添加物としてではなく、単に熱媒体として使用する場合、その利用上の危険性に対し十分な配慮を尽し、十分な管理・統制の下に使用されることを現実的に期待し得るだろうか。カネクロールは工業薬品であつて食品添加物でないことは明らかだから、これが食品中に混入してならないものであることは被告鐘化のいうとおり自明のことである。そして、これが食品中に混入するという不慮の事故により生ずる結果は極めて重大なものとなる。したがつて、食品製造業者がその利用するカネクロールの危険性について十分な認識と警戒心をもつて対処し、食品の絶対的安全性を確保すべき義務を負つているからといつて、これを販売する被告鐘化が漫然として食品工業の熱媒体としての利用を推奨することが許されるものでないこともカネクロールの危険性に着目するとき、自明のこととなる。すなわち、食品の安全性は末端の食品製造業者に高度の安全確保義務を課すことだけで確保されうるものではなく、その食品製造工程において、食品の安全性に欠陥を及ぼすおそれのある危険な資材・原料・装置等を提供する他の業者の安全確保のための寄与があつてはじめて万全のものとなり得るのであるから、食品製造関連業者は、安全な食品の製造という至上目的にむかつて、責任が競合しながら凝縮しており、一業者の過失の存在が、当然に他方の責任を免れさせる関係にあるということにはならない(この点は、被告らの責任と因果関係の有無を考えるに際し有用である。)。

二食品工業の熱媒体としてのカネクロールの推奨販売の可否

先に述べてきたところにより考えると、カネクロールの食品工業の熱媒体として利用する場合には、僅か数ミリメートルの薄い金属板を境に、有毒物質カネクロールと精製工程中の食用油が背中合わせになつている仕組であるから、食品の安全性に欠陥を及ぼす危険性が強く考えられるのであり、これを食品工業の熱媒体として利用することを勧めて販売する者は、利用者に対し、その毒性及び金属腐蝕性等の食品の安全性に欠陥を及ぼすおそれのある危険な属性を正しく指摘し、その食品中への混入防止及び混入した食品の出荷防止のために万全の措置を講ずる必要性を厳しく警告する義務を負うものというべきである。こうしてはじめて危険物質の管理・制御が現実的な独自の課題として、カネクロールを購入・使用する後続の食品製造業者の前に提起され、食品の絶対的安全性が担保される契機となりうるのである。仮に右のような正確で十分な情報提供義務を課されることが、販売企業の経済的合理性からいつて許容できないとすれば、かような物質の推奨販売そのものが禁止されるべきである。人間の生命、健康を維持、増進し、種族の保持、繁栄をはかるうえにおいて、食品は絶対に安全なものでなければならないという自明の大前提に思いを致すと、右の理は一点の疑いもなく承認されるであろう。

三被告鐘化の過失の推定

1  <証拠>によると、被告鐘化は昭和三二年項からカネクロール四〇〇を食品工業とりわけ油脂工業における脱臭装置の熱媒体として積極的に販売したものであることが認められる。

2  そして、被告カネミがカネクロール四〇〇を購入して、その米糠油製造工程中の脱臭装置の熱媒体として利用していたところ、六号脱臭缶内のカネクロール蛇管に腐蝕孔としてのピンホールが生じ、ここからカネクロール四〇〇が脱臭中に漏出したものであることは前記した。

3  このようにみてくると、本件油症事件はおこるべくしておこつたものとの感を禁じえないし、そもそもカネクロールを食用油精製用の熱媒体として推奨使用させた被告鐘化の行為自体にもともと無理があつたのではないか、との感を深くする。そして、食品製造業者たる被告カネミの責任を論じるに際しその冒頭で述べたと同じ理由で、被告鐘化にもカネクロールを熱媒体として推奨販売した行為そのものに過失があつたものと推定するのが至当である。同被告がこの推定を覆すには、カネクロールを熱媒体として推奨販売した当時カネクロールの危険性を予見することが全く不可能であつたこと、もしそうでなければその推奨販売にあたりこの危険性について正しく指摘し警告を発した事実を立証しなければならない。

4  そこで、以下項を改めて、原告ら主張にかかる被告鐘化の前示第二の過失、すなわちカネクロールの毒性及び金属腐蝕性等の危険な属性についての認識または認識可能性及びカネクロールを食品工業の熱媒体として販売するに際し利用者に対して行なつた右諸属性についての指摘、警告の妥当性について検討するが、これは畢竟するに、原告ら主張にかかる被告鐘化の前示第三の過失、すなわちカネクロールに関する情報提供義務違反の有無と表裏一体の関係にあるので、同過失についてもあわせて検討することになる。

四カネクロールの毒性に関する被告鐘化の認識及びその可能性

1  <証拠>によると、被告鐘化においては、塩化ジフエニール生産の企業化に先立ち、塩化ジフエニールの製法やその属性等についての研究が研究員三神義雄らを中心として行なわれたのであるが、その際同人らは、塩化ジフエニールの毒性についての文献の調査研究を行ない、甲第一〇一号証の一、二(丙第一三六号証の一、二とほぼ同じ)及び丙第一三七号証の一、二のハーバード医学校のドリンカーらの研究報告並びに甲第一八ないし第二六号証の各一、二の労働科学研究所の野村茂研究員の研究報告等を検討したことが認められる。そこで、右研究報告の内容について見ておこう。

(一) ドリンカーらの報告について

<証拠>によると次のとおり認められる。

(1) 甲第一〇一号証の一(丙第一三六号証の一)の論文は一九三七年(昭和一二年)九月にアメリカの雑誌「ザ・ジヤーナル・オブ・インダストリアル・ハイジーン・アンド・トキシコロジイ(産業衛生医学毒物学誌)」に公表されたものであり、丙第一三七号証の一は一九三九年(同一四年)五月に右雑誌に公表されたものである。これらの論文は、一九三六年(同一一年)にアメリカで五及び六塩化ナフタリンの蒸気に曝露されていた作業員二名と、四及び五塩化ナフタリンと一〇%の精製塩化ジフエニールの混合物の蒸気に曝露されていた作業員一名が、急性肝臓黄色萎縮により死亡した事例が報告され、これらの物質が以前から知られていた塩素痤瘡の他に人体に対し何らかの全身的影響を及ぼすのではないかとの疑問が提起されたため、この点を動物実験により研究した結果を報告しているものであつて、その内容は以下のとおりである。

(2) 一九三七年の論文では、ドリンカーらは、白ねずみに対し、(イ)三塩化ナフタリンと微量の四塩化ナフタリンの混合物、(ロ)五、六塩化ナフタリンの混合物(ハ)(ロ)の混合物九〇%と塩化ジフエニール一〇%の混合物及び(ニ)塩化ジフエニール単体について、その蒸気を吸気させる実験及びそれを食餌に混ぜて給餌する実験を行ない、動物の肝臓の病変を調べた。

(3) 吸気実験(実験条件は詳細に示されているが、概ね一ないし二mg/m3の蒸気を一日平均一六時間、毎週六日間位で約半年にわたつて吸気させたものである。)の結果、外観、体重、活動性、血液及び尿検査では何ら異常は認められなかつた。しかし、六週間続けて曝露すると、三塩化ナフタリン以上の高塩化物では軽度の肝臓害が起つていることが認められた。他の臓器に障害はなかつた。右肝障害も組織学的検査により発見し得る程度のもので、動物の健康には異常がなかつた。

(4) そこで、肝臓に障害を与えることが知られている四塩化炭素及びエチルアルコールを体重一kgあたり各0.75ccあて、あらかじめ胃管により投与した後、右吸気実験をしたところ、前記いずれの蒸気も吸気させなかつたものはもちろん(イ)の蒸気を吸気させた動物は死亡せず、肝機能にも特に変化はなかつたが、(ロ)ないし(ニ)の蒸気を吸気させた動物はその多くが死亡し、いずれも肝臓に黄変萎縮の障害が生じていた。このことから(ロ)ないし(ニ)の化合物は、肝臓に重大な疾病をもたらしうる前記四塩化炭素等の試薬に対し、これに抵抗する肝臓などの力を弱める条件を作り出すのではないかと考えられた。

(5) また右化合物によつて生じた肝障害はその蒸気の曝露中止後も非常に長く持続し、正常に回復するのに何か月も要すると考えられた。

(6) 更に、(イ)及び(ロ)の高濃度の蒸気(一〇mg/m3前後)に曝露したところ、(イ)の化合物でも若干の肝障害が起り、(ロ)の化合物では約五〇日ほどの吸気で八〇匹中五五匹が死亡し、そのほとんどがひどい黄疸にかかり、肝臓の著しい脂肪変性及び細胞の壊死が認められた。その結果、(ロ)の化合物は著しく毒性が強く、またその影響からの回復は極端に緩漫であることが判明した。

(7) 給餌実験(この実験条件も詳細に示されており、前記(イ)ないし(ニ)の各化合物に加えて4.5塩化ナフタリンの混合物も試料とし、それぞれ一定量を隔日又は毎日食餌に混ぜて投与したものである。)の結果、(イ)の化合物は全く無害であつたが、4.5塩化ナフタリン及び(ロ)の化合物は多くの動物を死亡させ、肝臓に決定的影響を与えた。塩化ジフエニールを混合した(ハ)の混合物の毒性は更に強かつた。(ニ)の単体の塩化ジフエニールは(ハ)ほどではなかつたが肝臓に障害を及ぼした。

(8) 以上の実験にもとづき、ドリンカーらは次のように述べている。すなわち、塩化ナフタリン類や塩化ジフエニールによつて身体的影響を受けることはもはや疑いがなく、皮膚障害の場合と同様塩素化度の高いほどその毒性が強い。これに順位をつけるのは困難であるが、そのうちでは塩化ジフエニールがおそらく危険な代物であろう。これらの化合物は肝臓を冒しかつ肝臓のみを冒す。しかし、これらの化合物の毒性はベンゼンや四エチル鉛その他の化合物に比較すると、毒性は大変低いので、これらを取扱つている作業で安全を確保することは容易なことである。十分換気すること(三塩化ナフタリンの場合でも空気中濃度を一〇mg/m3以上にしないこと、それ以上の塩素化度のものは0.5mg/m3以上にしないこと)及びこれらの化合物の容器類の周辺の管理をよくすることが問題の解決にほかならない。

(9) ところが一九三九年五月の論文では、ドリンカーは次のように報告している。すなわち、塩素化含有量六八%の塩化ジフエニールについて別に前記吸気実験を行なつたところ、これは意外にも肝臓に対し殆ど無毒であることが分つた。改めて調査したところ、前の実験で使用した塩化ジフエニールと称する化合物は、実は塩化ジフエニールと塩化ジフエニールベンゼンの混合物であり、今回用いたのが本当の塩化ジフエニールであることが分つた。そこで、塩素含有量六八%の右塩化ジフエニールの空気中の安全許容量を同49.9%の三塩化ナフタリン及び微量の四塩化ナフタリンの混合物(前回の実験試料(イ))の場合と同様一〇mg/m3に変更した(前の論文では0.5mg/m3であつた。)。ところがドリンカーは同じ論文中で、塩素含有量五〇%のものでは肝臓の損傷は顕著にならないとしているが、塩素含有量五〇ないし五五%の塩化ジフエニールについて吸気実験をした結果により空気中の安全許容量を依然として0.5mg/m3として掲示しており、この点については何の説明も加えていない。また前記塩素含有量六八%の本当の塩化ジフエニールについては吸気実験以外の実験データは示されていない。

(二) 野村茂の研究報告について

<証拠>によると次のとおり認められる。

(1) 野村茂の研究報告は、「クロルナフタリン中毒の本態とその防遏に関する研究」と題し、第一報(昭和二四年九月)から第八報の三(同二八年三月)にわたり雑誌「労働科学」に掲載されたものである。

(2) その第一報の序言で同人は、本中毒がクロールナフタリンに接することにより特異な毛嚢痤瘡型の皮膚障害を来たす疾患で、一九一八年バウワーによりペルナ病と名付けられ、あるいはクロールアクネ等とも呼ばれており、諸外国では第一次大戦後、我が国でも昭和一〇年以後、主として蓄電器(コンデンサー)や電線工場の従業員の職業病として多数発生していたこと、労働科学研究所では第二次大戦中からこの疾病について研究しており、クロールナフタリンの油溶性が本症の発生並びに経過に本質的関係を持つと考えられること、今回の研究の課題の一つは、この物質が皮膚への作用に止まらず、体内へ吸収されることがないかどうかを研究することにあると述べている。

(3) その第四報(同二四年一一月)において同人は、塩化ナフタリン(保土谷ワツクス、塩素含有量54.9%、塩素化度は不明だが右含有量からすれば少なくとも四塩化以上のものであろう。)塩化ジフエニール(塩素含有量不明)及びズルフオン(後二者はその頃電気工業方面で問題となつていたもの)をモノクロールナフタリンに溶かして大黒ねずみの背部剪毛部皮膚に塗布し、それらの吸収による毒性の程度、強弱を研究した結果を報告している。塗布実験は七八日間行なわれ、内はじめの五七日間右薬物を塗布したものであるが、塗布量、塗布面積は明らかにされておらず、また動物が塗布部分をなめたりしたこともあつたとされている(したがつて、厳密な塗布実験による吸収毒性の度合をこの実験から求めるには問題があろう。)。

(4) 右塗布実験の結果、塩化ジフエニール群は他の群が多少とも興奮状態にあるのに較べ活発性がなく、発毛がはなはだしく悪く、体重の減少も著るしく、他群の動物がほとんど生存し得たのに塩化ジフエニール群は八ないし二二日目に全部衰弱死亡した。病理組織学的観察の結果、皮膚にはワツクス群(塩化ナフタリンを主とするもの)にも塩化ジフエニール群にも嚢胞の形成がみられ、特に塩化ジフエニールでは上皮のはげしい増殖や皮下の炎症性変化がみられた。また、肝臓はワツクス群では萎縮性であつたが、塩化ジフエニール群では腫張性であり、特に塩化ジフエニール群の肝臓に強い変化がみられ、他群には見られない中心性脂肪変性があり、壊死の出現がみられた。他に塩化ジフエニール群では腎臓の脂肪変性、肺臓の著しい出血、副腎の高度の類脂肪消失が認められ、他群より臓器に及ぼす障害がひどかつた。

(5) そして第八報その二(昭和二八年二月)において、同人は次のように述べている。すなわち、塩化ジフエニールは私共の実験でも極めて激しい肝臓障害を示し、動物はいずれも激しい肝臓の中心性脂肪変性を来たし早期に死亡した。ジヨーンズとアルデンはこの物質による痤瘡の発生を報じ、ドリンカー、ベネツトらは動物実験によりこの物質による激しい肝障害を報じている。我が国の塩化ジフエニールを試験的に使用した工場では毒性を否定する向きもあるが、これは皮膚障害のみを目標として考えていた為でないかと思われる。長期間この物質を取扱うことについては今後細心の注意が必要である。

2(一)  更に<証拠>によると、被告鐘化は、カネクロールの製造開始後ではあるが、日本電機工業会(及び化成品工業協会)の要請で労働科学研究所の久保田重孝らが昭和三〇年四月から翌三一年二月にかけて行なつたカネクロール使用工場(関東三社、関西三社、後者の中には被告鐘化の高砂工場が入つている。)の従業員の検診結果の報告(甲第一八一、第一八二号証)及び右検診結果を裏付けるために同研究所の本内正雄らが行なつた家兎による動物実験の結果についての資料を入手し、被告鐘化の高砂工業所衛生管理室の作成した「カネクロール(塩化ジフエニール)に関する資料」と題する書面(丙第一四八号証)に引用していることが認められるほか、次のように認められる。

(二)  右検診結果によると、一般に各工場とも特に危険を感ずるような所見は見あたらず、各工場とも数名について異常所見が見出されたが、その程度は軽く、全体として観察すれば、まず塩化ジフエニールに特に強く影響されているとは考えられなかつた。また当初多く訴えられた自覚症状(その内容は後述のとおり)も次第に減少し、その原因として環境濃度・作業量・作業方式の変化などの他に、作業に対する馳れ、人体の順応及び季節的変化の影響が考えられるとしている。

(三)  しかしながら、塩化ジフエニールの使用の初期には、自覚症状として訴えの多い順に、頭痛、めまい、全身または下肢倦怠感、咽頭の痛み、胃障害、体重減退、胸部圧迫感、睡眠障害、食欲減退、酒が飲めなくなつた、鼻風邪を引きやすい、肩こり、腰痛等、後記油症患者の訴に共通するものがみられたこと、血中クロール量の増加がみられ、塩化ジフエニールが体内に吸収されていることが明らかであつたこと、赤血球数、全血比重の低下が一部みられたこと、肝機能の障害は極めて軽微であるとはいえ肝臓が何らかの影響を受けている証左として、血漿蛋白屑の変動(ガンマーグロブリンの顕著な増加、アルブミンの減少傾向)が認められたほか、高い尿中ウロビリノーゲンの陽性率を示したことが報告されている。

(四)  そして、右検診結果と動物実験の結果から、作業員の衛生管理を行なううえで、血中クロール量及び尿中ウロビリノーゲン量を重点とし、赤血球数、白血球数及び全血比重を補助診断基準とし、その異常限界を定め、数回の検診でこの異常限界を下廻るものは更に精密検査をし、塩化ジフエニールの影響であることが明らかになれば、職場転換をし、薬剤を投与して塩化ジフエニールによる障害を未然に防止する必要があること、更に早急に作業環境における塩化ジフエニールの空気中濃度を測定する方法を確立する必要があることを報告している。

(五)  また前記本内正雄らの家兎による動物実験は、成熟した雄の家兎五羽のうち三羽に、カネクロール五〇〇(主に五塩化ジフエニールを成分とするもの)をオレフ油に五〇%溶解したものを週三回体重一kgあたり0.5cc宛背部皮下に注射し、他の二羽を対照群として約一か月間観察したものであり、その結果、投与群の二羽が死亡し、体重が減少していたこと、血中のクロール量が増加し、尿中ウロビリノーゲンが極陽性を示したこと、肝臓、腎臓が増大し、脾臓が減少したことなどが明らかとなり、前記検診結果が塩化ジフエニールの影響によるものであることが説明できるとしている。

(六)  そして、被告鐘化は右労働化学研究所の検診結果及び動物実験の結果を前記丙第一四八号証の文書に詳細に引用し、最後に被告鐘化のカネクロール製造現場における安全対策として次のような方策を講じている旨記載している。

(1) グルサン錠(グロンサン五〇mg/錠)を一か月一人当り六〇錠宛配布しカネクロール蒸気の曝露状況に応じ服用させている。

(2) 保護クリーム(鐘淵紡績製カネクタンA)の使用により、カネクロール蒸気による皮膚障害の予防とカネクロール付着の際簡単に洗去できるよう計つている。

(3) カネクロールは通常の石鹸では洗去しにくいので、産業洗剤を設置し、皮膚への付着物を直ちに洗去するようにしている。

(4) 素手にてカネクロールを扱わないよう注意するとともに、カネクロール蒸気への曝露時間を出来るだけ少なくするよう心掛けている。また環境改善には常に留意している。

3(一)  その他、<証拠>によると、昭和三〇年三月二二日及び二三日に開かれた化成品工業協会の工場衛生小委員会において、労働衛生研究所の本内正雄が塩化ジフエニールの毒性について報告し、塩化ジフエニールは塩化ナフタリンと同様、皮膚に塩素痤瘡等の障害をもたらすとともに、内臓、特に肝臓に顕著な障害を及ぼすが、塩化ナフタリンがより向皮膚性であるのに対し、塩化ジフエニールはより向肝臓性であること、そして塩素含有量の多いものほど毒性の強いことなどを、動物実験のデータ等を示して指摘していることが認められ、被告鐘化は右小委員会での本内の報告内容を知つていたものと推認される。

(二)  更に、<証拠>によると、被告鐘化がカネクロールの製造販売を開始した後に、塩化ジフエニールの生体に対する毒性を指摘する数多くの文献が公にされていたことが認められる。たとえば、昭和二九年にメイグスらはアメリカの雑誌に、アロクロール(モンサント社製の塩化ジフエニール)を熱媒体として使用していた化学工場の作業員が右アロクロール蒸気に被曝して塩素痤瘡を生じた事例を報告しており、昭和四〇年にフリツクらは塩化ジフエニールを経口摂取したひな鶏が水腫症に羅患した事例を報告している。さらに我が国でも昭和三三年九月に京都大学の大久保武男は塩化ジフエニールによるビタミンB2の代謝異常を指摘する研究論文を発表しており、また同大学の松田武一は同三四年に塩化ジフエニールによる脂質代謝異常を指摘する研究論文を発表している。

4  以上に述べたところからすると、被告鐘化は、カネクロールの製造開始以前に、塩化ジフエニールが何らかの経路で人体に摂取されれば、塩素痤瘡等の厄介な皮膚障害を発生させるのみならず、その摂取量如何では、内臓(特に肝臓)に様々の障害を惹起する危険性があること、そのような症状は塩化ジフエニールを微量ずつでも長期間継続的に摂取することによつて発生することを知つていたものであり、製造開始後にも、更にその認識を深め、カネクロールの取扱に十分かつ慎重な注意を払う必要のあることを認識していたものであることが明らかである。

5  以上のようにみてくると、カネクロールを食品業界に熱媒体として推奨販売していた当時、本件油症事件被害におけるようなカネクロールの危険性を予見することが全く不可能であつたとの被告鐘化の主張は、全く採用できず、これを認めるに足りる証拠はないばかりか、逆に右危険性につき十分認識していた、或いは少くともその認識の可能性があつたものといわなければならない。

6  なるほど、塩化ジフエニールの急性致死毒性は、他の多くの危険な化学物質と比較すると、非常に低いものであることは前記のとおりであるが、致死毒性が低いからといつてその毒性を軽視してよいとの理由にはならないのみならず、塩化ジフエニールの場合は微量ではあつても長期摂取による蓄積毒性が重視されるのであるから、その毒性の発現形態からいつて、特に注意する必要があつたというべきである。たしかに、蓄積毒性という毒性の概念は、本件油症事件やこれと前後する時期に有機塩素系農薬による環境汚染が問題化したことを契機として明確に認識されはじめたものではあるが、このような蓄積毒性という明確な概念で理解されると否とにかかわらず、前記ドリンカーらの実験以来、塩化ジフエニールの毒性に関する実験、観察は、常に一貫して微量、長期にわたる摂取を問題としていたのであるから、そのような形態での毒性の発現が重視されていたことは明らかである。そして、急性毒性の強い物質については、一般にその毒性の表示が法規等によつて義務付けられ、それを製造する者も利用する者も特に慎重な取扱いをすることが当然に期待されるが、塩化ジフエニールのように微量ずつ長期にわたつて摂取することにより発生する毒性については、一般にその点の知識がなく、これを軽視し勝ちになることは当然予想しうることであるから、このような形態で毒性を発現する物質については、これを社会に送り出す製造者が第一に充分な警告を発し、注意を促す必要があつたものというべきである。

また被告鐘化は、前記ドリンカーの一九三九年の論文において、本当の(純粋の)塩化ジフエニールは意外にもほとんど無毒であつたとしていること及び前記野村茂の動物実験がその実験条件を明らかにしていない点で必ずしも大方の注意を引くものではなかつたと主張し、これと同旨の証人稲神馨の証言を引用して、被告鐘化としては塩化ジフエニールの毒性を低毒性と見たと主張する。しかしながら、ドリンカーの一九三九年の論文自体塩化ジフエニールの毒性を全く否定しているものでもないし、種々不明確な点を残していること前記のとおりであり、また野村茂の実験は、実験条件が明らかでない点は問題としても、少なくとも塩化ナフタリン(少なくとも四塩化以上のもの)より塩化ジフエニールの方が毒性が強いとしている点は簡単に見過ごし得るものではない。却つて、カネクロールの製造開始直後頃に日本電機工業協会及び化成品工業協会がカネクロール取扱い工場の従業員の健康診断をしていることや、被告鐘化自身もカネクロールの取扱いについて慎重な安全対策を講じていた点を考えると、被告鐘化をはじめとするこれらの関係事業者間では、カネクロールの毒性についてなみなみならぬ関心と注意を傾けていたことが明らかであり、被告鐘化の右主張はにわかに納得できない。

また被告鐘化は、従来塩化ジフエニールの毒性が問題とされたのは、電機工場等のように塩化ジフエニールを開放系で使用する工場の作業員の職業病に関してであつて、これを熱媒体として使用する場合のように閉鎖系で使用する場合とは状況が異なるともいう。しかしながら、アロクロールを熱媒体として使用していた工場での塩化ジフエニール蒸気の異常曝露による皮膚障害発生の事例が報告されていたこと前記のとおりであるから、閉鎖系で使用するからといつて絶対に蒸気に曝露されることがないとはいえないし、特に食品工業などで熱媒体として利用する場合には、職業病的観点のみならず、製品の安全性を確保する必要上からも、カネクロールを十分慎重に取扱うよう警告する必要があることに変わりがないというべきである。

書証番号

発行時期

用途、目的等

甲一

昭和三四年五月頃

熱媒体用カタログ

甲二

同三五年七月頃

右同

甲三

同三三年一月頃

右同

甲七九

同三八年頃

一般用カタログ

甲八〇

同三〇ないし三一年頃

技術資料(一般用)

甲八三

(甲一〇〇)

同三二年三月

一般用カタログ

五カネクロールの毒性に関する被告鐘化の指摘、警告の当否

1  <証拠>によると、被告鐘化は本件油症事件発生以前に、カネクロールの販売のための資料(需要家にカネクールの特性を理解させるための資料)として、次のようなカタログ(ないし技術資料)を発行していたことが認められる。

2  右の各カタログ(ないし技術資料)によると、カネクロールの毒性について記載されているのは甲第一ないし第三号証の熱媒体用のものだけで、他の三通にはカネクロールの化学的組成が記載されている程度にすぎない。右甲第一ないし第三号証の三通の熱媒体用のカタログのうちでも一番古い甲第三号証のカタログの記載がもつとも詳しく、甲第一号証の記載は同第二号証の記載とほぼ同様で、甲第三号証以上の内容を含むものではない。右甲第二、第三号証のカタログは被告カネミの森本工場長が本件油症事件以前に入手していたものであること及びその記載内容は前記した。右記載内容はカネクロールを取扱う作業員の職業病的観点からその取扱いの安全のために記載されたものであることが明らかである。

3  ところで、職業病的観点からの毒性の警告としてみた場合に、右各カタログの記載は前記したカネクロールの毒性を警告する意味で十分なものといえるだろうか。前示甲第一八三号証(丙第一四八号証)に記載の被告鐘化が自社高砂工業所においてとつている安全対策と対比するとき、右各カタログの記載が不十分なものであることは明瞭である。たしかにカネクロールそのものを製造している工場やこれを利用してコンデンサーを製造している工場の現場等に較べれば、熱媒体として利用する工場の現場の方がカネクロールに直接触れたり、その蒸気にさらされたり、あるいはこれを吸つたりする機会、頻度は格段に少ないであろう。したがつて、熱媒体用のカタログとしては、被告鐘化が採用していたほどの安全対策を講ずるよう利用者に警告するまでの必要はないといえなくもない。しかしそれにしても、被告鐘化においては、皮膚への付着物(カネクロール)を直ちに洗去するようにし、素手にてカネクロールを扱わないようにし、更にカネクロール蒸気への曝露時間を出来るだけ少なくするように心掛けていたのに対し、右カタログの記載では、「皮膚に液が付着した場合には石鹸洗剤等で洗えば宜しい」、「火傷部に付着したカネクロールはそのままで宜しい」、「最大安全許容量は2.0mg/m3でありますが、実際にはこの程度になると匂いが強くて作業は出来ません」等といつたことになつており、これらを比較すれば、たとえ熱媒体用に利用する場合にしても、右カタログの記載はカネクロールの毒性を警告するための表現としては明らかに不適切である。熱媒体用に利用する場合だからといつて、何故にカネクロールに手で触れる場合及び蒸気を吸気する場合についての警告をわざわざ開放系で使用する場合と異にして記載する必要があるというのであろうか。更に、右カタログの記載は、カネクロールの毒性についての或る程度の予備知識や警戒心をもつて臨めば格別、そうでない場合には、「実用上ほとんど問題になりません」「全く安全であります」などの表現及び文章全体の流れからみて、カネクロールを熱媒体として利用するについては、職業病的観点からさえほとんど問題がないと理解される余地を十分に残しているものである。

さらに、前記甲第七九、第八〇、第八三号証の一般用カタログは、その記載からみて電機工場等の開放系での用途にも向けられたものであるが、これらにはカネクロールの毒性に関する記載が全くない。このこと、カネクロールの利用者(特に開放系で利用する者)に対しその毒性を警告する必要性についての被告鐘化の関心の低さを示す徴憑であるといえる。しかしそうであれば、カネクロールに直接手で触れたり蒸気を吸つたりする機会の少ない熱媒体関係では一層警告の必要がなさそうであるが、とりわけ熱媒体専用のカタログに取扱いの安全に関して記載している理由は、甲第八二号証の一(三神義雄の証言調書)によると、開放系で利用してきた電機工場関係者と異なり、熱媒体用に利用する需要家にはカネクロールについての知識がほとんど行き渡つていなかつたため、特にその必要があつたからというのである。とすれば、このような場合にはとりわけ正確かつ詳細にその毒性についての情報を提示すべきであつたといわねばならない。したがつて、職業病的観点からしても前記程度の記載では、人体に有害な未知の合成化学物質であるカネクロールを販売する者として被告鐘化が、その利用者(特に熱媒体として利用する者)に対し、発生することのありうる職業病を防止するために必要な情報の提供義務を果したものといえないことは明らかである。

4  次に、食品工業における熱媒体として利用を勧める場合の毒性の表示として十分かどうかを考えてみる必要がある。食品工場において熱媒体として使用されるカネクロールは、その機能上当然に被加熱物である食品(又はその原料)に極めて近接して存在するのであり、このような装置(熱交換器)がその性質上劣化損傷し易いものであることは甲第二〇七、第二〇八号証(東京工業大学助教授佐治孝の証言調書)及び証人中嶋清一の証言等に照らして明らかであり、化学工業を営む被告鐘化としてもこの点は十分認識していたはずである。しかもカネクロールの場合には装置を腐蝕させる重要な原因物質である塩酸の生成要素となる塩化水素ガスを生ずるものであることは前記したし、被告鐘化がこの点を認識していたことは後述するとおりである。したがつて不測の事故によるカネクロールの食品中への混入を防止するため、被告鐘化としては職業病的観点の他に、カネクロールの毒性についてできるだけ具体的にかつ詳細に記載して、これを利用する食品業者の取扱い上の注意を強く喚起する必要があつたのである。しかるに、前記甲第一ないし第三号証のカネクロールのカタログでは、油脂工業における脱臭工程の熱媒体としてのカネクロールの利用を推奨しながら、その毒性につていは若干の毒性がある、蒸気を吸うと有害であると抽象的に記載したに止まり、またその前後の文言においても、その毒性が職業的観点からみてほとんど心配するに及ばないかの如き印象を与えかねない表現を用いたことは前記のとおりであり、この点食品業者に対する毒性についての情報の提供としては極めて不十分なものであるといわざるを得ない。

5  ところで被告鐘化は、前記甲第二、第三号証のカタログにおいて、カネクロールが芳香族炭化水素の塩素化合物であること、若干の毒性を有すること、大量の蒸気を長期間吸引することは有害であることを表示していたのであり、またカネクロールが食品添加物ではなく、熱媒体として使用する工業薬品であることについては被告カネミはこれを十分認識していたのであるから、前記のように食品衛生法上食品の安全確保のために高度の注意義務を負う食品製造業者に対する警告としては、右の程度にその化学的組成、毒性及び用法を告知しておけば十分であり、それだけで食品製造業者はカネクロールを食品に混入させてはならないことを十分知り得たはずだと主張する。たしかに丙第一二五号証に照らせば、被告カネミの森本工場長は、カネクロールを食品に混入させてはならないものであることを十分認識していたことが明らかである。しかし、問題は、単に食品に混入させてはならないとの認識を与えるだけではなく、危険性について正確かつ十分な情報を提供し、その理由を具体的に付して食品に混入させないよう注意を尽す必要性を認識させるに十分かどうかなのである。カネクロールが熱媒体であつて食品添加物でないということは、当然食品に混入させてはならないとの認識を生ぜしめる反面、そのことがあまりにも当然すぎるが故に、その毒性及び混入の危険性について別段の注意が与えられていない場合、これらに対する関心がついおろそかになり、何時しか混入するはずがないとの安易な認識を生ぜしめ、或いはその混入防止及び混入の有無の検索のため十分な措置を講ずることの必要性につき注意力を低下させるおそれがあることは、常識的に予想できないことではない。

被告鐘化がカネクロールの毒性について十分なデータを持つていたこと前記のとおりであり、このデータから得られた知見をカタログの上に正しく具体的に表示することは被告鐘化にとつてすればいとも容易なことなのである。他方、その知見が与えられない場合、これを利用する被告カネミにとつて、カネクロールの毒性について正しい認識を得るためには少なからぬ労力を必要とするのである。この労力を省くことによつてはじめて分業経済社会は十分な効率を発揮しうるのである。もつとも食品製造業者に対しては、その製品の安全性を確保する高度の要請に基づき、右分業体制に安易に依りかかることが禁止されることは前記した。けれども、そうだからといつて、被告鐘化が分業経済社会における責任を軽減されるものではないことも前記したとおりである。したがつて、この点に関する被告鐘化の主張は、前項の判断を何ら左右するものではない。

6  また被告鐘化は、カネクロールの毒性に関してはカタログによる説明だけでなく、口頭でも利用者に対して十分説明していた旨主張する。しかし被告カネミが被告鐘化から口頭により右カタログ以上にカネクロールの毒性について警告を受けたことを認めるに足る証拠はない。乙第七〇号証によると、被告カネミに技術導入した三和油脂の技術部長岩田文男は、カネクロールを売込みに来た被告鐘化の社員から、カネクロールの毒性についてその蒸気を大量に吸うと肝臓に悪いということを聞いてはいたが、同時に動物実験の結果では全然支障がなかつたとも聞いており、その説明の全趣旨から食品工業に使用しても安全であるとの印象を受けたと述べているのであるから、被告鐘化の口頭による説明が毒性についての注意を喚起するというよりむしろ安全性を宣伝する趣旨のものであつたことは明らかであり、甲第八五号証(被告鐘化の二〇年史)に照らせば、使用実績のないカネクロールの需要を拡大し販売量を増やすため、被告鐘化はカネクロールの利点について極めて積極的な宣伝販売活動を行ない広範な販路を獲得することに成功したことが窺えるから、右宣伝活動においてはカネクロールの有用性を強調するに急で、その毒性について十分な警告を怠り勝ちであつたであろうことは推認するに難くない。このような事態を避けるためにも、カネクロールの毒性等の欠点については、単に口頭による説明にたよることなく、カタログ等の販売用資料に明確に記載しておく必要があつたというべきである。なお前記丙第一四八号証(被告鐘化におけるカネクロールの取扱い上の注意を記載した文書)が外部向けのものであることはその趣旨からみて明らかだが、これがカネクロールを熱媒体として利用する食品業者に配布されたと認めるに足る証拠はない。

7  また被告鐘化は他の類似の化学薬品のカタログや市販の医薬品の効能書における毒性、危険性についての注意書の現状と比較し、被告鐘化のカタログの記載が特に不十分なものであると指弾される理由はないともいうが、仮にそのとおりだとしても危険な化学薬品や医薬品のカタログ等の記載の現状こそが問題とされるべきであつて、一般的な実状がその程度であるからといつて、被告鐘化の情報提供義務の懈怠が免責されるものではない。

8  以上からみる限り、被告鐘化がカネクロールを熱媒体として食品業界に推奨販売するに際し、その生命身体に対する危険性につき正しく指摘しかつ警告しなかつたとの推定は覆らず、他に右推定を覆すに足りる証拠はない。

六カネクロールの金属腐蝕性に関する被告鐘化の認識及びその可能性

1  カネクロール四〇〇はそれ自体の性質としては金属を腐蝕することがほとんどないという優れた特性を有するものであるが、高温に加熱されると沸点(三四〇度)以下の温度においても微量の塩化水素ガスを発生するものであり、これが液状の水力に溶解すると金属に対し強い腐蝕性を及ぼす塩酸が生成され、装置を腐蝕する危険性があることは前記したとおりである。

2  そして、甲第一ないし第三号証によると、被告鐘化は実験データにより、自らの勧めるカネクロール四〇〇の最高使用温度(主流温度三二〇度、管壁温度三四〇度)を下廻る二八〇度でも、一gあたり三〇時間で0.079mgの塩化水素ガスが発生することを知つていたことは明らかであり、またこれが実際に熱媒体として工場で使用される場合には何百kgというカネクロール四〇〇が何日間も連続して運転されるため、発生する塩化水素ガスの量は決して無視しえないものであることは十分認識していたことが明らかである。

3  問題はこのように発生した塩化水素ガスから塩酸が生成される可能性に対する認識または認識の可能性である。装置の運転中にはカネクロール四〇〇は水の沸点以上の温度で循環しているのであるから、発生した塩化水素ガスが液状水分に溶けて塩酸が生成されることがないのは明らかであろう。したがつて、装置内で塩酸が生成される可能性が残るのは、運転停止時に装置(配管)の温度が低下した場合であることは常識的にも考え得ることである。すなわち、運転停止時にカネクロールを地下タンクに落した後に配管中に塩化水素ガスが残存している場合には、配管内へ引き込まれた空気中の水分あるいはカネクロール中に存在した水蒸気が液化し、塩酸が生成される可能性が生まれるものであり、このことは前記九大鑑定が指摘するまでもなく、化学会社である被告鐘化においても全く予想しえなかつたことではないというべきである。

4  以上のようにみてくると、被告鐘化は食品業界にカネクロールを熱媒体として推奨販売していた当時、本件油症事件におけるような金属腐蝕性の危険性について認識していた、或いは少くともその可能性はあつたものとの推定は覆えらないものというべく、他に右推定を覆すに足りる証拠はない。

七カネクロールの金属腐蝕性に関する被告鐘化の指摘、警告の当否

1  被告鐘化が本件油症事件以前に発行していた熱媒体用カタログ(甲第一ないし第三号証)のうち、被告カネミの森本工場長が油症事件以前に入手していたという甲第二、第三号証のカタログにおけるカネクロールの金属腐蝕性に関する記載内容は前記(第二章の第三の二の2)したとおりであり、甲第一号証のカタログの記載もこれとほぼ同じである。

2  右カタログの記載では、カネクロールがそれ自体の性質として金属を腐蝕しない優れた特性を有することを強調していることは当然のことであり、またカネクロールが高温になると塩化水素ガスを発生する点についても詳しいデータを示して記載されているけれども、発生する塩化水素ガスは乾燥状態のまま排出され装置を腐蝕する心配はなく、また局部加熱等の事故の場合も同様装置を全然腐蝕することがなく、多年の研究結果により、配管に使用する材料の選定が自由であつて経済的であることを強調していることは明らかである。特にカネクロールが塩素化合物であるため装置を腐蝕するのではないかとの需要者の疑問を掲げてこれを明確に否定している点は、カネクロールを熱媒体として利用する需要家に対し、装置の腐蝕について著しく安心感をそそる趣意を含んでいるものといわざるを得ない。

3  もちろん、右のカタログの記載も、装置の安全管理に対する深い注意力と警戒心をもつて読めば、発生する塩化水素ガスを装置外に十分排出すること及び装置内に水分を侵入させないことの二つの条件を満たせば腐蝕の心配はないとの趣旨であると読めなくはないが、右条件は装置の構造及び作動上当然に満たされるかの如き表現を用いており、腐蝕の心配はないとの結論に及ぼす右条件の重要性を低く感じさせるものであり、この点は明らかに腐蝕の心配はないとの結論を強調するための手法であるといわざるを得ない。

4  右各カタログの各所にはカネクロールの局部加熱を避けるための諸方策の他に、水圧テストを行う場合水の抜きにくい箇所にはドレン抜きを設けるのが適当である、エキスパンジヨンタンクの排気口にはモイスチヤートラツプを設けると完全である、カネクロールの循環系を完全にカネクロールで満たす必要があるといつた記載があることも事実であるが、これらの記載は個別的に散在ししているうえに、前記した塩化水素ガスによる腐蝕は心配ないとの趣旨の記載との関係が明瞭でないことも手伝つて、腐蝕防止のための警告としては十分に意を尽しているものとはいえない。

5  被告鐘化は単に熱媒体であるカネクロールを販売するにすぎないのであるから、そのカタログに装置の防蝕に関する一般的な事項を全般にわたつて記載する必要のないことはいうまでもないが、カネクロールを熱媒体として利用する場合に特に問題となる防蝕上の注意については直截かつ明確に警告する必要があるというべきである。そしてカネクロールを熱媒体として利用する場合に防蝕上問題となるのは、カネクロールから塩化水素ガスが発生することなのであるから、その発生を極力抑止すべきこと、発生した塩化水素ガスを配管外に十分排出すること及び配管内に水分を侵入させないことの三点を防蝕上の注意としてはつきり位置付けて表示しておくべきであり、被告鐘化において利用者の使用上の事故防止のために十分配慮しなければならないとの意識があれば、カタログ上に右の点を表現することはいとも容易なことなのである。

6  しかも、特に食品工業における熱媒体としての使用を推奨する場合には、食品の絶対的安全を確保することが強く要請されるのであり、装置の腐蝕性に起因する不測の事故は完全に防止しなければならないのであるから、直接には食品を製造する者がその点についての高度の注意義務を負つているにしても、これら食品製造業者にその利用上危険性を伴う資材を推奨し提供する者もまた、同様に食品の安全確保に寄与すべき責任を負うものというべきであり、安易にその危険性を軽視し安全性を強調すること自体許されるべきでないといわねばならない。

7  以上のようにみてくると、被告鐘化がカネクロールを熱媒体として食品業界に推奨販売するに際し、そのもつ金属腐蝕性という危険性につき正しく指摘しかつ警告しなかつたことの推定は覆らず、他に右推定を覆すに足りる証拠はない。

八  まとめ

以上に述べて来たところから、被告鐘化はカネクロール四〇〇を食品工業の熱媒体として販売するにあたり、利用者に対し、その利用上の安全を確保するに必要な毒性及び金属腐蝕に関する予見及び予見可能性がなかつたこと、並びにそれらに関する正しい情報と適切な警告を発する義務を尽くしたことのいずれについても、その反証に成功したとはいえず、前に認定した事実よりすれば、逆に右の危険性につきかえつて安心感をそそるような宣伝をしたものとさえいうことができる。しかも、その過失の結果が欠陥食品の製造販売という極めて重大な結果を惹起することに連なり、しかもその出発点を作出している点に思いを致すとき、右の過失は基本的かつ重大なものといわざるを得ない。

第四被告鐘化の過失と油症事件との因果関係

一条件的因果関係の存否

本件油症事件は、被告カネミが、その脱臭工程において熱媒体として利用していたカネクロール四〇〇の毒性を軽視し、またこれが食用油中へ混入する危険性について全く配慮せず、その混入防止及び混入の有無についての検査をすることなく、漫然と食用油を製造販売した過失により発生したものであることはこれまでに検討して来たことから明らかである。

他方、被告鐘化には、食品製造業者に対し、カネクロールの毒性や金属腐蝕性等について正しく指摘しその利用上の危険性について警告することなく、漫然とこれを食品工業の熱媒体として販売した過失があり、この過失が前記被告カネミの過失の一つの重要な原因となつていることは、双方の過失の内容を対比すれば明らかである。

したがつて、被告鐘化の右過失と、被告カネミの過失すなわち本件油症事件との間に条件因果関係が存在するのは自明のことである。

二相当因果関係の存否(被告鐘化の反論)について

1  はじめに

被告鐘化は、本件油症事件は被告カネミの数々の重大な過失によつて発生した一大不祥事であり、被告カネミが食品製造業者として要求される注意義務を尽しておれば、本件油症事件は当然回避し得たものであるから、被告鐘化の過失と本件油症事件との間には相当因果関係がない(因果関係が遮断される。)と主張するので、この点について判断しておくこととする。

2  因果関係の遮断の有無

(一) はじめに

すでに繰返し述べて来たように、被告カネみが食品製造業者としての食品の安全確保のために極めて高度の注意義務を負つているからといつて、被告カネミに有毒でかつ装置に欠陥を及ぼす性質を有するカネクロールを提供した被告鐘化が、被告カネミに課せられた高度の安全確保義務に全面的な信頼を寄せ、それを予定することは許されるものではない。被告カネミは食品製造業者として食品の安全性を確保するために第一次的かつ最終的な責任を負うものであるとはいえ、その性質上及び利用上食品の安全性に欠陥を及ぼすおそれのあるカネクロールを熱媒体として直接にしろ間接にしろ被告カネミに提供した被告鐘化も、被告カネミの右義務とは別個独立に食品の安全性を確保するために責任を負うのである。けだし、食品製造業者がその製造する食品の安全性確保のために絶大なる義務を負つているのは、食品の消費者の安全を守るための要請なのであつて、食品製造業者の右安全確保義務の履行に影響を及ぼし得る立場にある者を免責するためのものではないからであり、食品製造業者が右安全確保義務を怠つたことによつて、右義務懈怠に影響を及ぼした者が免責されるとするのは明らかに不合理だからである。ただ、被告カネミが欠陥ある食用油を製造した直接の企業であるのに比し、被告鐘化はその精製用のカネクロールを製造した企業ではあるが、本件ではカネクロールという製品自体に瑕疵があるものではなく、本件油症事件の発生が被告カネミの前記過失に直接の端を発している以上、被告鐘化の前記過失と本件油症事件との間に条件的(自然的)因果関係はあつても相当(法的)因果関係はないのではないか、換言すれば、因果関係は遮断されるのではないかとも解する余地がある。被告鐘化の主争点の一つもこの点にあるから、以下判断を加えることにする。

(二) 被告鐘化の主張

被告鐘化は、被告カネミの(重大な)過失として、(1)フランジ取付不適当の過失、(2)脱臭装置を無謀改造し且つ無謀運転した過失、(3)カネクロール地下タンクへ水を混入させた過失、(4)欠陥ステンレスを使用した過失、(5)装置の保全検査を怠つた過失、(6)カネクロールの大量漏出を看過した過失、(7)製品管理、工程管理を怠つた過失、(8)製品の工程検査及び製品検査を怠つた過失があると主張する。右の(1)の過失の有無は、カネクロールの食用油中への混入につき当裁判所はフランジ説をとらず、ピンホール説をとる以上特に論じる必要性がない。しかし、被告カネミに右(2)ないし(8)のような過失が認められること及び食品製造業者としての立場を考慮すれば、右過失が重大な過失であることは、別紙準備書面(七)の第六章で被告鐘化が摘示する証拠からみて一応肯認できものである。

しかしながら、右の各過失は、いずれも被告鐘化の前記過失に一つの原因を有するものと考えられるのである。すなわち、右過失はいずれも、被告鐘化がカネクロールのカタログ等おいて、カネクロールの局部過熱があつても発生する塩化水素ガスは乾燥状態のまま配管系外へ排出され、装置の腐蝕の心配はなく、使用材料の選択が極めて自由であると指摘して、被告カネミに対し、カネクロール蛇管の腐蝕に対する警戒心を低下させ、蛇管からカネクロールが食用油中に漏出する危険性への配慮を尽さなかつたこと、及びカネクロールの毒性について不当に安心感をそそるような表示をして、これが食用油中に混入した場合の危険性に対する警戒心を低下させたことに一つの原因があることは明かであるが、なお重要性に鑑み(6)及び(8)の過失について若干付言する。

(三) カネクロールの大量漏出を看過した過失について

前記のように昭和四三年一月三一日から二月上旬にかけての数日間に二〇〇ないし三〇〇kgという大量のカネクロールが六号脱臭缶で漏出したのであり、丙第三〇、第三八、第四八、第七〇、第八〇及び第八四号証によると、被告カネミでは同年一月三一日に約二〇〇kg、二月上旬に約二五〇kgのカネクロールが補給されているが、普段のカネクロールの消耗量が一月一缶あたり約一五kgであること、一月一五日から二号炉及び五号缶が稼働を始めており、一炉につき約一〇〇kg、脱臭缶一缶につき約五〇kgのカネクロールの補給を要すること、当時カネクロール循環ポンプのグランドからのカネクロールの漏洩が激しかつたことを考慮しても、右のカネクロールの補給量は普段に比較して非常に多いものであり、被告カネミの脱臭作業員もその点には気付いていたものであることが認められる。したがつて、被告カネミにおいて使用中のカネクロールの減量について厳格な工程管理をしていなかつたとしても、右のような異常なカネクロールの供給量から、その配管系内からの漏出、特に脱臭缶内での漏出に気付き得たはずだと被告鐘化は主張するのである。しかし丙第三六号証によると、被告カネミでは、脱臭油の温度の上り具合が悪いときまたはカネクロールポンプの吐出圧のゲージがぶれるときにカネクロールを補給していたのであつて、使用中のカネクロール量について一定の基準を設けてカネクロールを補給していたものでないことが認められ、特に本件漏出事故の直前には加熱灯や脱臭缶が増設されたこともあつて、事故当時におけるカネクロールの異常な補給について、食用油の安全性に欠陥を及ぼすような事故を予想しなかつたということはカネクロールが食用油中へ漏出することを予想していなかつた被告カネミにとつては十分考え得るところである。したがつて、カネクロールの異常な補給量から本件事故を予想しなかつた被告カネミの過失も被告鐘化の過失にその原因の一つを有するものであることは十分考え得るところである。また被告カネミが大量のカネクロールの漏出に気付かなかつたのは、カネクロールの減量について十分な工程管理を行なつていなかつたことに原因しているのであるが、このような工程管理の必要性を看過した点も被告鐘化の過失に一つの原因を有すること明かである。

(四) 製品の工程検査及び製品検査を怠つた過失について

この点についての被告鐘化の主張のうち、被告カネミの行なつていた通常の脱臭油検査(色相、発煙点、風味等の検査)によつても、カネクロールの異常大量混入を発見し得たはずだとの主張についてみるに、丙第一一三号証(阿部鑑定)によると、脱臭油中に二〇〇〇ppm近くのカネクロールが混入しておれば、色相、発煙点はもちろん風味や肉眼検査(微小固形物の存在)によつて異常を発見しうるというのである。しかしながら、前にも述べたように脱臭油段階で均一に二〇〇〇ppmもカネクロールが混入してたかどうかについては疑問も残り、製品タンクで上層に薄く下層に濃く二〇〇〇ppm以上になつたと考える余地もあり、また乙第九二号証の一・二によると右阿部鑑定の基礎資料(カネクロール及び脱色油)に若干疑問があるようにも見えるが、これらの点はさておくとしても、被告カネミの行つていた製品の工程検査は、異物、毒物の混入発見を目的としていたものではなく、単に製品の品質を格付けするためのものであつた。この様な検査では、毒物の混入を想定していない限り、その検査が安易に流れ勝ちになることは通常考えうるところで、この通常検査で被告カネミがカネクロールの混入を感知し得なかつたのも、有毒物であるカネクロールの混入の危険性を全く念頭に置いていなかつたことが一つの重要な原因と考えられるのである。

(五) なお、前記した被告カネミの数々の過失に照らすとき、本件油症事件の底流には、被告カネミの食品の安全性を確保すべき責任を軽視する極めて安易な姿勢があつたことは明らかであり、これも本件油症事件の一つの大きな原因を成していることはいうまでもないところであるが、被告鐘化においてカネクロールの危険性についての正しい指摘と警告とがあれば、少なくともカネクロールの取扱いについては慎重な姿勢が期待し得たと考えるのであり、この点をとらえて、被告鐘化の過失と本件油症事件との因果関係を否定する根拠とすることはできないといわざるを得ない。

三まとめ

以上述べてきたところを総合すると、本件油症事件は被告カネミの数点にわたる重大な過失が競合した結果発生したといえるのであり、この点のみを限局的に強調すれば、被告鐘化の前記過失と本件油症事件との間には条件的因果関係こそあれ、相当因果関係はない、すなわち因果関係は遮断されるとの被告鐘化の主張は一見説得的に思えないでもない。

しかしひるがえつて考えるに、被告カネミに右のような重大な過失を惹起させたのは、被告鐘化において、カネクロールの毒性及び金属腐蝕性等の欠点を十分認識し或いは少くとも認識可能性を有しながら、それらを正しく指摘、警告することを怠つたまま食品業界に熱媒体として推奨販売したという基本的かつ重大な過失に起因しているといえるのであり、しかも前記したとおり食用油製造工業における熱媒体利用の状況に鑑みるとき、本件油症事件は起きるべくして起きた事件と評価できるのである。すなわち被告鐘化と被告カネミの重大な各過失が前後に厳然と連続的に位置し、因果の流れを形成して、本件油症事件という未曾有の大悲惨事をひきおこした。このように考えを進めてくると、被告鐘化の前記過失と本件油症事件との間に相当因果関係があるとの認識は、困難なく理解しうるところである。

第五結論

よつて、原告らのその余の主張について判断するまでもなく、被告鐘化は被告カネミ同様民法七〇九条により、本件油症事件の被害者である原告らに対し、後記損害を賠償する責任を負うものである。

第五章 被告ら相互の責任関係

前記したように、被告カネミは民法七〇九条、被告加藤は同法七一五条二項、被告鐘化は同法七〇条により、それぞれ原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。被告カネミと被告加藤の責任関係は、直接の行為者責任を負うべき者と代理監督者責任を負う者の関係にあるから不真正連帯債務を負担する関係にあることは明らかである。被告鐘化と被告カネミの責任関係は、両者独自の過失ではあるが、その範囲を全く同じにする後記損害を賠償すべきものである以上、やはり不真正連帯債務を負担する関係にあるということができる。原告らは被告両社の関係を同法七一九条にいう共同不法行為の関係にある旨主張するが、損害の範囲が被告両社で異なるものでない本件において、同条項の成立すなわち、いわゆる関連共同性について殊更論及するまでの要をみない。

右の次第であるから、被告ら三名の責任は不真正連帯債務の関係にあるということができる。よつて被告ら三名は連帯して原告らの後記損害を賠償しなければならない。

第六章 損害総論

第一はじめに

前述したとおり油症はカネクロール(PCB)の混入した米糠油を経口摂取したことにより生じた未曾有の中毒事件であり、その被害は広汎であり且つ深い。油症の病理機序と治療法は殆ど未解明のままであるが、そうであるからこそ油症被害の全貌を法律的に解明するには先ず油症患者らの訴えに忠実に耳を傾ける姿勢が必要であろう。油症の個々の症例につき、医学的に完全な立証がついてないとしても、それを理由に心因性の症状として被害との因果関係を否定し去る手法の不当性は後述する。むしろ、油症患者の訴えの内容には驚くほどの定型性・類以性をさえ見出しうるのである。右のような観点に立つて、損害各論の項で原告患者らの被害を詳述する。

本章での叙述の順序は、先ず第一に被害者の訴えを医学的に整理し直し、微視的な分析をふまえて油症症状を把握したい。尤も、この油症は人類が初めて体験したものであり、昭和四三年の事件発生以来、公私の医療機関等による懸命の調査研究にもかかわらず、油症の全体像が十分に解明されているとはとてもいえない。ここでは、現在までの到達点を明らかにすることにより油症の病像を一部なりとも照らしだすにすぎない。第二に、右の点を前提にして、油症の問題点を指摘したい。第三に(最後に)、油症被害の一般的特徴を巨視的にとらえ、損害各論への橋渡しとして、被害の実態を考えるにあたつて留意すべき点につき若干の考察を試みることにする。

第二医学上よりみた油症の症状

<証拠>を総合すれば以下のとおり認められ、これを動かすに足りる証拠はない。

一皮膚症状

1  初期の皮膚症状

(一) はじめに

油症の初発時期は昭和四三年五月ないし八月が顕著であるが、油症研究班が昭和四四年二月末日現在でまとめた研究報告によると以下のとおりである。すなわち、昭和四三年六月以降九大病院外来を訪れた油症患者一三八名の臨床所見中皮膚所見は、痤瘡様皮疹、毛孔の著明化、皮膚の色素沈着、爪の色素沈着および扁平化を主とし、そのほか掌蹠の限局性角化増生、発汗過多、生毛の黒化などが認められ、成人では外陰部および乳房の脂腺部に一致した嚢腫の形成もみられ、小児において皮膚は乾燥し、腋窩、肘窩、膝膕、鼠けい部などに限局性の毛孔性角化による小丘疹が存在し、時にこれらが局面を形成し、多少の掻痒を訴えて、乾燥性小児湿疹に類似した病像を呈することがある。これらを更に詳述すると以下のとおりである。

(二) 痤瘡様皮疹

一三八例中一一三例(約八二%)に本症状が認められた。本症における皮疹(皮膚病の総称として視診的あるいは触診的に認知し得べき肉眼的の皮膚病変)の特徴は、帽針頭大から碗豆大の蒼白色ないし麦藁色の嚢腫(真皮内に上皮で包まれた空洞を生じ、内部に脂肪様のものがはいつている。)で、通常二次感染がなければ炎症性反応を示さない。勿論二次感染がおこれば嚢腫は炎症所見を伴い、部分的には尋常痤瘡((俗称にきび(面皰)のこと、毛嚢(毛包)の炎症、にきびは、はじめ毛嚢に皮脂と角質が結まつて黄白色のかたまりができ、ときにはその頂点が黒く変色していることもある。押すとチーズ状のものがでてくる(面皰)。ついでこれを中心に炎症がおこり、赤く隆起してくる(丘疹)。これに細菌感染が加わると化膿して黄色を呈する(膿疱)。なおつたあとには噴火口状のあと(痤瘡瘢痕)が残る。にきびには通常これらのものが混在している。))の種々の段階に類似した像がみられる。しかしこの場合も尋常痤瘡の化膿像(膿疱)とは多少ことなつて感染性紛瘤(紛瘤とは、グリーンピース大から鶏卵大の半球状に隆起した腫瘍で、なかには悪臭のある粥状物がたまる。ときには炎症状を呈し、発赤して痛むことがある。)に類似しまたは膿瘍(真皮や皮下組織内に生じた化膿巣で、なかに膿汁がたまつている。)の形成に傾く場合が少なくない。皮疹は長期にわたつて一定の大きさにとどまり、消退の傾向は認められない。皮疹の発生部位は尋常痤瘡と同様に頬部、頬骨部を主とし、それに次ぐ好発部位が耳介、耳後部、外耳道であることも本症の特徴的であるが、その他肩甲部、腹部、鼠けい部、外陰部にも認められた。また小児においては皮疹はきわめて特徴的で中央に黒点を有する均一な形態の面皰が頬部に限局して発生する傾向がみられた。

(三) 毛孔の著明化

一三八名中九四名(約六八%)に本症状が認められ、極めて特徴ある所見の一つである。部位的には腋窩部、鼠けい部、肘窩、膝膕などの関節窩部に最も多く、ついで躯幹、主として正中線部に、さらに大腿伸側、臀部、前頸部、前胸部、上腕伸側、肩甲部に認められた。皮疹は毛包周囲に常色ないし黒味をおびた微細な点状丘疹として存在する。

(四) 皮膚の乾燥

小児期において顕著である。皮膚は乾燥し、時に毛孔一致性の小丘疹(毛孔の著明化)や落屑をみとめて、乾燥性小児湿疹の形態に類似する。

(五) 色素沈着

爪において顕著であるが、角膜輪部、歯肉、顔面(鼻背を含む。)、結膜、口唇、四肢、躯幹において認められる。爪の色素沈着はきわめて高率で、一三八例中、趾爪九九例(約七二%)、指爪九〇例(約六五%)においてみられた。爪は全体に黒褐色を呈し、色素は褐色の縦に走る線条としてみられる。色素沈着とともに爪の変形、とくに拇指爪の扁平化が認められる場合がある。色膜輪部の色素沈着は下方に認められるものが多く、歯肉では歯肉縁にそつて帯状をなして褐色色素沈着がみられるし、また乳頭部に一致した長円形の色素沈着が点在する場合もある。皮膚における色素沈着は多く毛孔周囲性にみられるが、瀰漫性に汚黄褐色を呈する場合もある。

爪の変形について付言すると、爪が変形して爪床にくい込み、非常な痛みを生ずるので、爪を根元から全部はぎとつて対処することが多く、皮膚科医師の最初の仕事は爪をはぎとることにあつた位である。

(六) その他の皮膚科学的所見

(1) 発汗異常

本症の重要な所見の一つといえ、一般には発汗過多として掌蹠および関節窩部で著明にみられる。腋窩部では汗滴をみとめるが、掌蹠の発汗過多は多く湿潤として感ぜられる程度で、汗滴としては認められない。足蹠ではとくに重症例で発汗過多とともに過角化が著明となり、褐青色の色素沈着をみるものがある。関節窩部には汗疹として汗孔に一致した丘疹がみられ、一部では集簇して痒みを訴える。発汗の高度な二、三の症例で、使用するヘヤピンや鋏が一週間前後でさびたり、また顔全体に白い紛をふりまいたような状態がみられた。

(2) 毛髪の変化

一〇才未満の女子三例、男子一例において、下腿伸側における生毛の黒化を認めた。また被髪頭部で乾性脂漏の増加を来たすもの、また毛髪が光沢を失い、脱毛の増加を訴えるものもあつた。

(3) 関節部の腫瘤

肘、膝、足関節で認められる。鳩卵大から鵞卵大にもおよぶ半球状の腫瘤で、波動を認め、黄色透明な液を貯留する。粘液嚢との関係が疑われる。これは一二例において認められた。

(4) 二次感染

昭和四四年二月現在、通院加療中の六一名についての調査では、二〇名(約三三%)に痤瘡様皮疹の二次感染が認められた。これらは感染性紛瘤あるいは拇指頭大の腫瘍の形成を主とし、疼痛を訴えるものが多い。

2  油症患者の臨床所見についての一例

油症研究班が昭和四四年二月末日現在でまとめた報告書によると、三三才の主婦につき以下のとおりである。

既往歴に特記事項なし。家族歴は、家族全員(夫、子供二名)に同様症状をみる。症状の経過を述べると、昭和四三年三月末上眼瞼の浮腫、眼脂の増加を来し視力が減退したため某眼科医受診。当時擦過傷などで傷が治りにくいように思つたという。四月末より爪の色素沈着、五年初旬より両腋窩および鼠けい部に褐色の色素沈着、毛孔の著明化に気づいている。(六月次女の皮膚所見が顕著なため九大病院皮膚科受診。)すでに軽度の上眼瞼の浮腫、頬骨部に少数の面皰および帽針頭大の蒼白色の嚢腫を認めた。爪には黒褐色の色素沈着をみたが、以後九ケ月間の経過を通しても強調すべき変形はみられない。そのまま放置。この婦人患者の正式受診は八月九日。(なお、患者は妊娠八ケ月にて七月七月死産。死産児は皮膚が黒褐色を呈し、婦人科医は奇異の感を持つたという。)顔面は全体的に浮腫性腫脹を示し、瞼、球結膜ともに混濁、マイボーム腺よりチーズ様眼脂が圧出された。また、頬、上口唇、頤部などにかなり多数の痤瘡様皮疹をみとめ、頤部ではそれらは集合して炎症所見を伴い紅色局面を形成、また頸部から胸、背部の毛孔の著明化がみとめられた。なお鼻尖は褐青色を呈し、皮脂腺の腫大および排泄が高度であった。治療にも拘らず症状は悪化し、同年一一月一八日頃には、顔面は浮腫性、汚黄色を呈し、痤瘡様皮疹は著しく数を増して耳介、外耳道、とくに耳後部に顕著に認められるに至つた。頬部ではこれらの皮疹の内容は圧出されたが、後に毛孔周囲性色素沈着とともに陥没した瘢痕を残す。全体にわたつて毛孔の著明化が認められ、背部では多数の嚢腫と膿疱が混在する。また乳房のモンゴメリー腺は嚢腫様に腫大、外陰部にも同様脂腺部に一致して多数嚢腫の出現をみるに至つた。

3  皮膚症状に関する臨床医の供述

(一) 昭和四三年八月から一二月にかけて油症研究班の一員として同年一〇月一九日公表の油症診断基準作成に関与した五島応安(当時九大医学部皮膚科講師)は、油症の臨床的症状等に皮膚所見は非常に特異的であり、普通のにきびと異つた特異な所見を呈する痤瘡様皮疹と全身の毛孔が非常にくつきり浮きでていて、はじめて遭遇した症例である旨述べている。

(二) 九大医学部第三内科助教授で油症研究班に殆ど終始属していた平山千里(以下単に平山医師という。)は、油症患者をみた第一印象として、顔色の悪さ(少し黒ずんでむくんだような感じ)に先ず気づき、よくみるとにきびが顔中にできていることに驚いた旨述べている。

(三) 診療所の医師を勤めるかたわら、北九州市民公害研究所臨床病理部主任、久留米大学医学部非常勤講師等をしている梅田玄勝(以下単に梅田医師という。)は昭和四四年一二月以降今日まで継続的に油症患者の治療に精力的に従事してきている。同医師の説明によると、遭遇した油症患者の皮膚症状に関する所見は以下のとおりである。

(1) 顔の色素沈着と同時に皮膚がブツブツ突きでている状態(いわゆる油症にきび、痤瘡様皮疹)が顕著で、更に脂肪腫のようなふくれたものが眼部付近にみられ、こういうのがあると目が非常に痛い、目やにがひどくなる、発赤して痛くなり、目もあけられない。耳のところにできた皮疹は化膿してはれ上り、熱感を持つし、寒気もおこる、これらに耐えきれず切開すると、その傷口がなかなか治らない、こういう症状が顔だけでなく、首、背中、その他の部分にもおきてくる。

(2) 顔面の痤瘡様皮疹の結果健康な皮膚が虫に食われて取られたかの如く陥没し、クレーターとでも称しうるような状態を呈している。こういうのは将来後遺症として残る可能性が大きい。

(3) 鼻根部を含む顔面に皮疹と同時にまぶた付近に浮腫をきたし、その刺激症状のために涙と目やにが多量にでて目もあけられないような状態を呈している。

(4) 後ろ首の中央付近にできた痤瘡様皮疹が悪化して腫瘍になると、堅い上に自発的な痛みがおきて非常に苦しむ。後頭部付近に切開した傷あと、脱毛などの存在がみとめられる。

(5) 顔面だけでなく、全身的に油症にきびができ、それらが自己融解したり、大きくなったりして腫瘍状になる。こういう場合皮下深部においても非常に堅くなり、痛さのあまり仰向けに寝ることもできないような苦痛を生じる。

(6) 関節部にできた腫瘤は多くの場合痛みを伴う。

4  皮膚症状の病理機序の概略

体内に吸収されたPCBの分布は脂肪組織と皮膚に最も多く、他の臓器はずつと少ない。蓄積残留するのも脂肪が主である。そして、PCBの排泄は大便、皮脂腺、粘膜(眼脂、痰)、乳汁などから行われ、尿中排泄は極めて少ない。油症における皮膚変化は、PCBが皮脂腺から排泄されるとき障害を与えるためである。油症研究班が油症患者より得られた皮膚生検標本を検索した結果、皮膚病変は毛包の過角化、嚢胞状拡脹、皮脂腺導管上皮の角化および麦皮胚芽層における著明なメラニン色素沈着等を特徴とし、これらの所見はいわゆる塩素痤瘡での皮膚所見とほぼ一致し、塩素痤瘡様病変が原因物質との直接接触だけでなく、内服によつても発生することが明らかとなつた。

5  初期の油症の重症度分類基準

油症の初期の段階では、全身疾患として取り扱うに値する検査所見が見出されなかつたので、皮膚症状から重症度を四段階に分類する考え方が昭和四三年、四四年にかけて油症研究班によつて示された。その詳細は以下のとおりである。

(一) 第一度(極く軽症)

マイボーム腺(瞼板腺)は腫大し、チーズ様眼脂の圧出をみるが、面皰の形成、痤瘡様皮疹は認められない。爪の色素沈着は認める場合が多い。この二症状が決定的所見である。他に発汗過多、口腔粘膜・歯肉の色素沈着、皮膚の乾燥もみられるが、これらのみにては診断が確定しえず、参考的所見にとどまる。

(二) 第二度(軽症)

第一度の決定的所見の他に面皰の形成がみられる。関節部、四肢伸側の毛孔性角化もみられるが、参考的所見にとどまる。

(三) 第三度(中等症)

第一、第二度の決定的所見の他に痤瘡様皮疹(脂腺部の角性嚢腫ことに外陰部脂腺に一致した嚢腫形成)を認めるものをいう。また頸部、頭部、前胸部の毛孔の著明化も特質的である。眼瞼の腫脹、関節部の腫瘤形成が参考的所見となる。

(四) 第四度(重症)

第一ないし第三度の決定的所見の他に加えて全身の毛孔の著明化が認められ、痤瘡様皮疹も顔面全体から躯幹にかけて広汎に分布する傾向がある。これを決定的所見とする。顔面・下腿の腫脹、高度の二次感染も参考になりうる所見である。

6  皮膚重症度と性別・年令層別および摂取油量との関係

油症研究班における、昭和四五年七月末までに油症と診断された患者四二一名の調査結果によると、性別は殆どみられなかつたが、年令層別(〇ないし一二才までは軽症例((第一、第二度))が多く、一三ないし二九才では重症例((第三、第四度))が多い。)および摂取油量(これが増すにつれて重症者の占める割合が増加している。)と皮膚重症度との間には有意差がみとめられた。

7  皮膚重症度(皮膚症状)の経年変化

(一) 昭和四四年度(昭和四四年八月)と昭和四五年度(昭和四五年八月)との比較

両年度の一斉検診(受診総数は昭和四四年度が三五二例であつたのに比し、昭和四五年度は筑豊地区油症患者の一斉検診拒否により二〇三例と減少している。)の調査結果によると、皮膚症状はかなり改善しており、昭和四五年度は重症者(第三、第四度)が減少して軽症者(〇度―皮膚症状が殆どなく、内科的訴えのみのもの―を含む。)が増加している。とくに、四度の重症例の症状改善もみるべきものがあつた。

(二) 昭和四五年度と昭和四六年度(昭和四六年八月)との比較

昭和四六年度の一斉検診受診者総数は一二九名であるが、昭和四五年度に軽快したものが、昭和四六年度で再び昭和四四年度に戻つたような感じをうける。これは、外陰部などの被覆部ではまだかなり皮疹の存続、再燃がみられており、露出部の皮疹の改善のみで判定することは判断を狂わせる可能性が高いことを示唆する。皮膚症状と後述の眼科症状は平行的関係をもつが、粘膜の色素沈着は必ずしも皮膚症状と一定の関係がなく、とくに歯肉粘膜で著明である。皮膚重症度の昭和四六年度と昭和四五年、昭和四六年と昭和四四年についての比較の結果、軽快、悪化の両群に有意差がみられなかつた。

(三) 昭和四七年度の皮膚所見

昭和四八年一月実施の一斉検診受診者は油症患者八九名(受診率約二二%)であつたが、軽症群においては徐々に皮膚症状の改善がみられているが、歯肉部の色素沈着と眼脂過多はなお多くの症例にみられた。重症群においては自然寛解はあまりみられず、外科的処置が必要である。それにより面皰が治癒したあとには、一見痘瘡様の陥没した瘢痕を残し、かなりの醜形を呈する。このように重症群においては、すでに四年半を経過後も殆ど変化がないため、いらだちが目立ち、精神的にも肉体的にもかなりまいつてきており、二次的な疾患の発生も憂慮される事態である。

(四) 昭和四八年度(昭和四九年一月)と昭和四九年度(昭和五〇年一月)の皮膚重症度の推移

一斉検診受診者は昭和四八年度が一一九名、昭和四九年度が一四八名であるが、昭和四八年度は前年度との比較では変化がみられない。昭和四九年度は全体的に前年と比べ明らかに改善の傾向がでており、ここ数年の停滞を破るような結果となつている。

(五) 以上のように皮膚症状が経年的に変化(軽快)しているとはいつても、それは重篤であつた初期症状に比較してのことであり、健康人に比してのことではないことに注意を喚起しておきたい。この点は損害各論において詳述する。

8  皮膚症状と他の症状との関係

(一) 初期の油症診断基準(昭和四三年一〇月一九日公表)

油症の臨床症状はまず皮膚粘膜症状として極めて顕著に顕れたこと、内科的所見や検査所見に特異的、客観的な所見があまりに乏しかつたこともあつて、油症の急性中毒期に油症研究班によつて提唱された油症診断基準は皮膚症状を中心にし、その重症度も皮膚症状を基に考えられてきた(その詳細は別紙(一)表示のとおりである。)。その油症診断基進によると、皮膚粘膜所見を除く全身所見としては、僅かに以下の二項が掲げられているにすぎなかつた。すなわち、「① 貧血肝脾腫は認めないことが多い。しかし発熱、肝機能障害を認めることがある。② 手足のしびれ、脱力感を訴えるが、著明な麻痺は認めない。深部反射は減弱あるいは消失することがある。四肢末端の痛覚過敏を時に認める。」と。

(二) 初期における皮膚所見以外の訴え

油症の初発症状として皮膚症状が前景にでていたとはいえ、他の所見も種々訴えられていたのも事実である。油症研究班の調査(昭和四四年二月末日現在でまとめた油症患者一三八名の主訴の内容)によると以下のとおりである。すなわち

眼脂の増加が最も多く八四例(約六一%)、次に顔面とくに上眼瞼の浮腫性腫脹が三八例(約二八%)にみられ、全身倦怠感二二名(約一六%)、手足のじんじんする感じあるいはしびれ感一八例(約一三%)食思不振一七例(約一二%)、月経異常一一例(約八%)、性欲減退一〇例(約七%)、視力減弱七例、足踵の疼痛六例、下肢の腫脹六例、難聴五例、悪心五例、背部疼痛五例、以下嘔吐、上部腹痛、下痢、関節痛、関節腫脹、歩行障害、頭痛、腰痛などが訴えられていた。しかもこれらの訴えの頻度につき、年令別、性別で有意の差はなかつた。

(三) 塩化ジフエニール取扱工場従業員の検診成績

関東、関西地方で、塩化ジフエニールを製造している工場従業員につき職業病として昭和三〇年実施の検診結果成績は、油症症状を考えるに際し有用と思われる。この詳細は先に第四章第三の四の2で述べたとおりであるが、これによると、皮膚症状の他に自覚症状として胃腸障害、倦怠感、神経痛、頭痛・頭重感、食欲不振、視力減退、体重減少、睡眠障害、酒が飲めなくなつた、鼻風邪をひきやすい等の多彩な所見が認められている。

(四) 油症診断基準の改訂(昭和四七年一〇月二六日公表)

しかし、油症発生後五年後には、患者の病像にも変遷がみられ、患者特有の検査所見も把握できるようになつた。臨床的には全身倦怠、食欲不振、不定の腹痛、頭痛ないし頭重感などの不定愁訴、手足のしびれ、疼痛などの末梢神経症状、咳と痰の呼吸器症状などの内科的症状が年とともに前景にで、初期に激しかつた皮膚粘膜症状は次第に軽快の徴候が認められるようになり、ここにおいて油症診断基準が改訂公表される運びとなつた。それによると、以下のとおりである。

「油症はPCBの急性ないし亜急性の中毒と考えられるが、現在全身症状には、成長抑制、神経内分泌障害、酵素誘導現象、呼吸器系障害、脂質代謝異常などがあり、局所症状には皮膚および粘腹の病変として痤瘡様皮疹と色素沈着、さらに眼症状などがみられる。

(1) 発病条件

PCBの混入したカネミ米糠油を摂取していること。多くの場合家族発生がみられる。

(2) 全身症状

A 自覚症状

全身倦怠感、頭重ないし頭痛、不定の腹痛、手足のしびれ感または疼痛、関節部のはれおよび疼痛、咳漱・喀痰、月経の変化、

B 他覚症状

気管支炎様症状、感覚性ニユーロパチー、粘膜嚢炎、小児では成長抑制および歯牙異常、新生児のSFD(スモール・フオー・デイツ、ベイビー)および全身性色素沈着

C 検査成績

血液PCBの性状および濃度の異常、血液中性脂肪の増加、貧血・リンパ球増多・アルブミン減少、知覚神経伝導性と副腎皮質機能の低下、

(3) 皮膚粘膜症状

A 痤瘡様皮疹

顔面・臀部・その他間擦部などにみられる黒色面皰、痤瘡様皮疹とその化膿傾向

B 色素沈着

顔面・眼瞼粘膜・歯肉・指趾爪などの色素沈着

C 眼疾状

マイボーム腺肥大と眼指過多、眼瞼浮腫など」

尤も、右の基準も近く訂改訂が予定されている。

二眼症状

1  初期の眼症状

(一) はじめに

油症研究班が昭和四四年二月末日現在でまとめた油症患者二二八名の観察結果によると以下のとおりである。すなわち、眼症状は油症の初発症状で、典型例では起床時に瞼縁が膠着して開瞼出来ないほどの著しい眼脂の増加と眼瞼の腫脹(浮腫)、結膜の充血、異和感、熱感、視力低下などを自覚するものが多く、軽症例でも眼脂の増加と結膜の充血、軽度の上眼瞼の腫脹(特に発症の初期)を訴えるものが多い、この眼症状に続いて前記の毛孔の著明化や痤瘡様皮疹などの皮膚の変化および爪の変化がおこつてくる。右の眼症状を更に詳述すると以下のとおりである。

(二) 眼症状の特色

他覚的所見として著明なものは瞼板腺(マイボーム腺)の分泌亢進と結膜の色素沈着である。

(1) 瞼板腺の分泌充進

これは著しい特徴であるが、同時に眼瞼、特に上眼瞼の浮腫を認めるものが多く、瞼板腺の分泌充進のため角膜は油膜に覆われた状態を呈している。典型例では瞼板腺の開口部に一致して瞼縁に白色のチーズ様の分泌物が付着している。瞼板腺は嚢腫様に腫大し、黄白色の梗塞状分泌物が存在している。腺の開口部は隆起し、そのために瞼縁は凹凸不整となつている。このような症例では上眼瞼を軽く反転するだけで、例外なくチユーブの内容を押し出すように白色の比較的硬いチーズ様分泌物が圧出される。軽症例では眼瞼の浮腫、瞼縁の不整、瞼板腺開口部の分泌物付着などはみられないにもかかわらず、指先で軽く瞼縁を圧迫すると、前記のようにチーズ様の分泌物が圧出される。

(2) 結膜の異常色素沈着

典型例では瞼結膜には充血、混濁があり、同時に瞼結膜全体に褐色の色素沈着がみられ、下円蓋部、球結膜、涙丘、輪部球結膜などにも同様の色素沈着がみられる。このような症例では常に著しい瞼板腺の分泌亢進を伴つている。軽症例では上瞼結膜には色素沈着はほとんど認められず、下瞼結膜の内眼角側、小涙点の近くに微細な褐色の色素沈着をみることが多い。

(3) その他の眼症状

その他油症の主訴となつている視力障害の多くは眼脂の増加による一過性霧視および屈折異常によるものであつた。矯正困難な視力障害を有した症例は、油症に関係のない眼疾患によるものであつた。数例に角膜の点状糜爛を認めたほかには中間透光体、虹彩、眼圧、眼底、視野などには油症に起因すると思われる異常所見は全く認められなかつた。

(三) 治療経過

眼科的治療の結果、瞼板腺の分沈亢進はかなり改善されたが、結膜の色素沈着にはほとんど変化がみられない。眼症状が皮膚症状に較べて比較的によく改善されているのは、瞼板腺には皮脂腺にみられるような角栓形成がみられず、貯留した内容をよく排出出来たためであろう。

2  日常生活への影響

典型的な油症患者では眼脂が異常に多く、そのため朝目をさましても目を開けることができない程で、それを手や湯水でとつてからやつと目をあけ洗面をはじめる。そして新聞や本を読んだりして目を使い続けると眼脂がひどくでてくるので、仕事を長く続けることも困難になり、受験期の学生で大学受験ができなかつた例(昭和四四年)も数多い。日光の刺激によつても眼脂がでるので、サングラスをかけている人も多い。

3  眼症状の経年変化

(一) 昭和四五年八月の眼症状

昭和四五年八月九大病院で実施した際の患者六三名の検査所見によると、瞼板腺の分泌亢進はなおほとんどに認められたが、眼瞼を反転して軽く圧迫することにより瞼板腺開口部よりチーズ様分泌物を圧出することのできた典型例は二八名、油性分泌物をかなり多量に圧出し得た者が八名であつた。そして、右典型例の二八名にのみ依然として瞼結膜、円蓋部および角膜輪部球結膜の異常色素沈着が認められた。角膜糜爛のため九大眼科に通院していた四名の患者では、角膜糜爛はすでに治癒しており、他にそれを生じた者はなかつた。追跡調査が可能であつた眼症状の重症患者の四家族一四名の検査所見によると、一二才以下の幼児五名は瞼板腺分泌亢進が軽減し、チーズ様物質を圧出することができず、また色素沈着も減少するなど症状の軽快がみられたが、その他の者では、眼症状は発症当時とほとんど変わりないように思われた。右家族のうち一家族四名に角膜糜爛が発生したが、約二ケ月の治療で治癒した。

(二) 昭和五〇年一月の眼症状

昭和五〇年一月実施の昭和四九年度油症患者の一斉検診を受診した一四七名の検査所見によると、他覚的所見として著明なものはやはり瞼板腺の分泌亢進と結膜の色素沈着であり、発症当時より軽くなつているとはいえ、依然として認められた。眼瞼浮腫は著しく減少しており、以前に認められた角膜糜爛を示す例もなかつた。

三耳鼻科症状

1  油症研究班の検査結果

油症研究班が昭和四四年二月末日現在でまとめた油症重症患者八家族三一名についての検査結果によると以下のとおりである。自覚症状としては、耳介や外耳道の掻痒、耳垢の増加、耳の閉塞感が主であり、次いで難聴、耳鳴、眩暈感が多く訴えられている。鼻症状、咽頭、喉頭に関する自覚症状の訴えは少なかつたし、それは油症と直接に関係のあるものとは認められない。外耳に認められた所見は全例に共通の所見であり、耳介は一般に色素沈着が高度であり、皮膚脂腺、毛嚢に一致して、黒い点状の着色を認める。耳介皮膚はやや肥厚しており、厚つぽつたい外観を呈する。耳甲介腔より外耳道入口部にかけては皮脂腺の腫瘤状の腫大、膨隆を認め、一部は痤瘡様に化膿し、その頂上に黄褐色の膿栓形成を認める。またその一部には膿栓の排出を認め、小さな潰瘍を形成している。外耳道入口部より外耳道内はこのために狭少となり、多量の耳垢を認めた。聴力障害のある症例については、油症が明らかにその原因として考えられるものは一例もなく、前庭機能検査を行つた九例の検査結果は、共通の所見を得ることはできなかつた。

2  難聴とその原因

耳鼻咽喉科領域で認められた油症の共通の所見は、外耳にみられた顔面皮膚病変の一分症としてのものであるが、一部の患者においては外耳道皮膚の耳垢腺から分泌された耳垢は黒褐色でタール様粘稠であり、容易に拭きとることができず、患者の中には外耳道を殆ど閉鎖する位の大きな耳垢栓を有するものもあつた。油症患者の多くが訴える難聴もその原因は右の耳垢にあつた者が殆どのようで、それを除いたら難聴は解消すると答えている。ところが最近になつて右のことでは解消できない原因不明の聴力障害も一部に認められるようになつた。

四呼吸器症状

1  初期の呼吸器症状

(一) はじめに

油症患者の多くは皮膚症状とほぼ同時期ないしやや遅れて呼吸器症状が出現したとしているが、油症研究班においては発症より約一年間は特に注目されず、昭和四四年九月に至つてはじめて調査が開始された。そして昭和四五年七月までの二〇三名の九大受診者につき検討した油症研究班によれば以下のとおりである。

(二) 臨床的所見

右二〇三名のうち約四〇%が痰を伴う咳を訴えており、皮膚症状高度のものは呼吸器症状出現の頻度がやや高い傾向にあつた。痰量は一日量が大型シヤーレを越えるものもあるが、その臨床症状および所見は慢性気管支炎類似である。そして、気道感染を来たし易い傾向があり、呼吸器系に既応症を有するものでは、呼吸不全を来たす危険がある。かかる呼吸器障害の原因として、PCBによる気管支炎・肺自浄機能の低下の可能性が考えられる。

(三) 喀痰中の塩化ジフエニール

喀痰の検査をはじめてから昭和四五年までは塩化ジフエニールを検出した。喀痰は塩化ジフエニールの排泄経路の一つと考えられる。但し、その後はほとんど塩化ジフエニールが検出されなかつた。恐らく脂肪組織中の塩化ジフエニールが血中に移行しなくなつたためと考えられる。

2  呼吸器症状の経年変化

(一) 昭和四七年九月現在の検査結果

昭和四四年以後毎年連続して四七例につき比較観察した結果、依然油症患者の約半数に、症状ならびに胸部X線像において慢性気管支炎様所見、一部に肺炎所見がみられ、五年経過後改善例もあるが、悪化例もみられた。痰には二次的感染所見があり、時々増悪を反復するが、一年以上同一菌検出を認める例があり、慢性気道感染症の状態になつているものと考えられる。

この間なされた動物実験によつても、肺の脂質代謝機能の障害が推定されたほか、感染に対する抵抗減弱を推定させた。

3  慢性気管支炎様症状のひきおこす影響

咳と痰がくり返しでる慢性気管支炎様症状は多数の患者を長年にわたつて苦しめている。こういう者はすぐ風邪をひきやすく、風邪をひくと肺炎と見誤るような症状(発熱、非常に濃い痰、長く続く咳)を呈し、一たん肺炎にかかると非常に重症になり、もともとぜんそくの持病を有していた者は呼吸困難になるなどの重篤な症状を呈する可能性も否定できない。また油症患者にみられる息ぎれがしやすいとの主訴もこれから説明可能だし、インフルエンザが流行すると右の次第から一般人よりも入念な健康管理が必要となる。

五肝臓障害

1  はじめに

成書によると塩化ジフエニールの慢性毒性は皮膚と肝臓を冒すのが特徴とされているが、油症研究班による塩化ジフエニールを投与した動物実験の結果は、肝臓肥大は必らずみられたが、肝機能の一表示であるコリンエステラーゼ活性は低下せず、光学顕微鏡的にも変性は発見できないというのである。しかし肝臓の電顕所見では小胞体を中心とする変化がみられ、脂質代謝の異常を想定させる病理形態学的変化と考えられ、油症患者の肝細胞における主要な形態学的所見としては、滑面小胞体の増殖と、微小体の著明増加で、これは塩化ジフエニール中毒による肝の適応現象(肝臓の解毒機能の昂進)とみなされ、塩化ジフエニールが肝における薬物代謝酵素を誘導する可能性を示すものと考えられる。

2  油症患者の剖検例

続発生肝硬変症とともに肝細胞癌が認められた死亡油症患者につき、油症研究班のなした臨床検査と解剖結果からの判断は、右の病変とカネクロールとの関係につき完全に否定はし得ないが、反面肯定するにも問題がある、但しすでに存在していた肝病変にカネクロールが促進的に作用したことは充分考慮すべきだというのである。

3  肝臓障害に関する臨床医の考え方

(一) 平山医師の場合

肝臓の機能が異常に昂進すると酵素誘導現象(薬物分解酵素の産出)がおこり、ホルモンが大量に分解されすぎてホルモンの量が減つてくるし、薬は早く分解されるので効きにくくなり(抗生物質の場合それが著しい。)、大量に用いなければならなくなり、医師に薬の副作用を懸念させる程である。後述する婦人患者の月経異常と初期に多かつた油症妊婦の流産は、肝臓の右のような働きによるのではないかとも解される。しかし肝臓の機能異常は段々正常に復していると考えている。

(二) 梅田医師の指摘

油症患者には後述のとおり血清トリグリセリド値の異常すなわちトリグリセリド血症がみられるが、このことは肝機能検査で肝臓に異常がみられないとしても、肝臓の脂質代謝に関する働きが障害されていることを推測させると指摘する。

六胃腸障害

1  臨床症状

油症患者には食欲不振、悪心、嘔吐、腹痛、下痢などの胃腸症状の訴えが相当ある。なかんずく、一過性におきる不定の激しい腹痛(一時間ぐらい続く。)が注目される。それに引き続いて下痢症状を伴うことも多い。この症状にも経年的にずいぶんと軽くなつており、一部に重篤な症状が残つているにすぎない。

2  病理機序

(一) 油症研究班の研究

油症研究班では腹痛を訴えるものにつきレントゲン検査をしたが器質的疾患は認められず、油症患者の自律神経に機能異常がおこつている可能性が考えられたが、動物実験によつてもカナクロールにより自律神経系に変調をきたすとの結果がえられず、その点これを肯認しえなかつた。

(二) 平山医師の考え方

腹痛、下痢を訴える患者のレントゲン検査の過程で、胃腸の運動が非常に早いということがわかつた。それが前述の腹痛とそれに続く下痢となつてでてくるのではないか、と平山医師は推測している。胃腸運動の右のような変化は、それを支配する自律神経系の障害にあるのではないかと同医師は考えているが、その立証がついているわけではない。

また、具体的な所見が立証されているわけではないが、理論的には以下のようにも考えうる。すなわち腸を固定している腸間膜(ここには割合脂肪が多い。)の脂肪にPCBがたくさん吸収された結果、腸間膜が損傷をうけたような状況になり、消化管が妙に引張られたりして腸の運動がおかしくなり、不定の腹痛をおこしているのではないか、と。

(三) 梅田医師の考え方

梅田医師の検査結果から、体内の消化器にもPCBが高濃度に認められると考えられる。そして、PCBを含む中毒性物質が腸のリンパ装置あるいは腸間膜を刺激すると植物神経系(自律神経系)が過剰に刺激された状態となり、腹痛や下痢がおきてくるのである。

七内分泌障害

1  月経異常(女性ホルモンの異常)

婦人症例では半数以上に月経異常(周期の狂い、不規則、月経期間の延長・短縮、月経血量の増加・減少等)があるが、これは油症研究班においても当初から臨床所見として指摘されていた。PCBは微量でも肝臓の薬物代謝酵素の誘導をおこすから、それが女性ホルモンの代謝を促進しあるいは卵巣にPCBが影響を及ぼして女性ホルモンの分解が早くなり、生体内濃度の減少をきたすのが原因ではないかとも考えられたが、動物実験結果によるとPCBが女性ホルモンの分解を促進する証拠はなく、むしろ女性ホルモンに協力的に働くことが明らかとなつたことより、それがフイードバツクされてホルモンのバランスをみだすことが原因とも解される。

但し、この月経異常も経年的に変化して(軽くなつて)きており、正常グループにおける月経異常の頻度と変らなくなつてきているといわれている。

2  副腎皮質ホルモンの異常

(一) 油症研究班による検査所見

一六才男子の油症の死亡例に高度の副腎萎縮の剖検所見がみられたことから、塩化ジフエニールによる副腎障害の可能性が考えられ、昭和四四年九月から昭和四五年五月にかけて八六例の患者につき検査した結果、高度の副腎皮質機能低下を示唆する所見は認められなかつたが、入院例の二例のうち一例の副腎皮質機能検査で、軽度の右機能の反応性の低下が考えられた。動物実験からも塩化ジフエニールによる副腎障害の可能性も考えられた。

(二) 副腎皮質ホルモン異常の影響とその後

動物では副腎髄質を除去しても死なないが、副腎皮質を除去すると死亡する。このように皮質は脳下垂体の副腎皮質刺激ホルモンの支配を受け、とくに糖質代謝のホルモン(糖質コルチコイド)の分泌が増加し、ストレスに対処していくために必要な量のホルモンを分泌しており、これが妨げられると、外界に対する順調な適応ができなくなつて死亡するものとみられているし、死にまで至らない重篤なものでなくても、全身麻酔をかける外科手術などは極めて危険になる。油症発生初期の段階で急に死亡する例があり、他に原因らしいものも見いだされなかつたことから、副腎皮質機能の低下に目がつけられ、外科医による麻酔を使つての手術は危険死してさけられ、昭和四六、四七年頃その検査に着手されたが、一部(一割)に異常が認みられたのみで大多数は正常な反応を示した。最近では、初期に比べると副腎皮質機能の異常も正常化に復しつつあると解される。

3  その他

油症患者においては性欲減退を訴える者も多い。これについては事柄の性質上客観的な資料がつかみにくい以上、その程度を的確に把握することは困難である。もし、性欲減退の事実が肯認されるとすれば、ホルモンの異常がありうると推測される以上、右現象をこれから説明することも可能である。

八全身倦怠

1  油症研究班の報告

前記のとおり、昭和四四年二月末日現在でまとめた油症研究班の報告によると、昭和四三年六月以降九大病院外来を訪れた油症患者一三八名中全身倦怠を訴えていた者は二二名(約一六%)であつたが、初期にはげしかつた皮膚粘膜症状が経年的に軽快の徴候が認められるようになるにつれ、全身倦怠の症状が前景に出てくるようになり、昭和四七年一〇月二六日改訂の油症診断基準でも自覚症状の一項目として掲げられることになつた。

2  全身倦怠(病的疲労)の機序に関する考え方

油症患者の訴える疲労はかなり長時間続いていること、しかも病気の中ででてくる疲労という意味で、病的疲労と称すべきである。油症患者には後述のとおり血中過酸化脂質が増加しており、これが酵素系に対して障害的に作用することからエネルギー代謝が不十分となり、疲労の状態がでてくる、と梅田医師は説明している。

3  日常生活への障害

右に述べた全身倦怠、病的疲労の程度は患者でまちまちであるが、児童生徒は学校の体育授業を休むとか、主婦であれば家事労働をするのが精一杯だとか、一家を支える父親では、自分の仕事を満足にやりとおせない、仕事が全然といつていい程出来なくなつたという者もいる。病院の待合室で待つている間も、ベンチに体を横たえたままでいる者もいる。尤も、動けなくなつたような人には、PCB中毒が更年期障害期あるいは年令的に血圧が上がるような時期と重なりあつたような条件の重なりあいがある場合がある。このような病的疲労には仕事をしない、安静以外の適切な治療法は見出されていない。

勿論、油症患者のすべてが仕事を休み、あるいは学業を放棄しているわけではない。しかし、このことを目して全身倦怠、病的疲労の程度がさほどでないと断定するのは決して当を得たものとはいえない。油症患者は家庭の一員として、社会の一員としてそれぞれ与えられた場において、よりよく生きんがために一生懸命に努力しているのであり、そのためにつらいのを我慢しながら額に汗して働き、投げやりな気持になりそうなのに抗して学業に精出していることが十分窺えるのである。

九神経症状

1  はじめに(初期の油症患者における神経学的所見)

油症研究班における昭和四四年二月末日現在の成績報告によれば、油症外来における神経内科の受診者五五二名中なんらかの神経学的な訴えを認めた者は八〇名(約一四%)である。その内容は四肢のジンジン感一七名、視力減退などの視力障害六名、頭痛および頭重感四名、脱力感二名、以下耳鳴、四肢の感覚低下、手のふるえ、四肢の筋力低下である。右のうち二三名について更に検査をした結果二三例中一〇例に自覚的あるいは他覚的になんらかの感覚性ニユーロパチーを示唆する所見を示し、一例に深部反射の消失がみられたが、運動麻痺は一例もなかつた。これらの臨床所見と神経伝導測定結果とから、カネクロール中毒症において末梢神経が侵され得ること、主として感覚神経が侵されることが示唆された。

2  中枢神経障害

(一) 頭痛および頭重

これは前記のとおり、初期において訴えるものは少なかつたが、皮膚粘膜症状の軽快とともに、逆に訴える者が多くなり、昭和四七年一〇月二六日改訂の油症診断基準でも自覚症状の一項目として掲げられることになつた。

(二) 油症研究班の報告

油症死亡患者二例の剖検例ではいずれも脳内にPCBが微量ながら証明されたとされ、また動物実験の結果もPCBを急性投与すると脳内に一定量分布するという。これらの事実に手足のしびれ感、頭痛などの神経症状を訴える者が多いこと、それらの患者では知覚神経伝導速度が低下していること等から、油症研究班でも末梢神経のみでなく中枢神経も冒されている可能性を考え、患者と動物を使つて脳波を検査をしたが、これについては異常を発見しえなかつた。但し動物実験(急性、亜急性)の結果、PCBの直接中枢作用の存在を疑わせる所見として、小脳ノルエピネフリンの減少を見出している。ノルエピネフリンは血管の収縮をおこす物質であるので、もしそれが頭痛と関係するといえるならば、血管性頭痛というべきものである。尤も、ノルエピネフリンの減少に関しては、肝臓の中のノルエピネフリンが下がつていたので、全身的なノルエピネフリン低下の一症状として二次的に中枢神経系のそれが下がつているとの解釈も可能であることが専門医師によつて唱えられている。

(三) 中枢神経障害の可能性を肯定する考え方

(1) 平山医師の考え方

アメリカにおける学説には、PCB毒性は中枢神経に対する作用であると説くのもあるが、平山医師もこれを肯定し、油症患者に特有の頑固な頭痛、頭重を説明しようとしている。PCBは脳に入らないという考え方そのものは薬理学上も否定されていると解してよい。また脳波検査に伴う制約(脳波の検出能力がそれほどすぐれていないこと、脳波検査をした油症患者数が少ないこと等)を考慮すると、油症患者を使つた脳波検査で異常を発見できなかつたからといつて、中枢神経障害を否定し去るのも速断にすぎると思われる。勿論以上のような説明から、逆に中枢神経障害と断定するのも行きすぎであろう。

尤も、油症患者に中枢神経障害があるとしても、その代表的な症状である頭痛が後述のとおり絶食療法で治る人があるということは、中枢神経の器質的な障害はなく、回復可能な機能的な障害にすぎないということを十分に推測させるものである。

油症患者にみられる目まい、酒が飲めなくなつたという訴えも中枢神経症状として説明することは可能である。後者について付言すると、アルコールの一番大切な作用は中枢神経を少し麻痺させることにあるが、油症患者には頭痛とか手足のしびれがあるものだから、アルコールが更に加わることを拒絶する作用をもつものと解される。

(2) 梅田医師の考え方

油症患者にみられる外部環境に対する適応現象の障害、例えば一瞬意識がなくなるとか、自動車運転中に急に意識がもうろうとしてくるとかの意識に関連した症状(一過性脳虚血発作様症状)、季節の変化に適応できず春から夏にかけての外部気温の上昇にも拘らず冬服を着たままいなければならないこと、栄養としてとらなくてはならない脂肪食をとろうとすると吐き気をもよおしたり、吐いたりすること(尤も、これをトリグリセリド血症の面から説明することも可能なことは後述する。)、性欲減退、どわすれする、記憶力減退、物事に熱中できない、学童の学力低下等も中枢神経障害の症状として説明可能だとする。また、梅田医師らがなした死亡油症患者の体内各組織におけるPCB濃度の検査結果によると、大脳から四二ppmも検出されたことは、PCBによる中枢神経の障害を裏付けるものと説明している。

3  末梢神経障害

(一) はじめに

前述のように末梢神経症状は、油症研究班において、自覚的にも他覚的(神経伝導速度の低下という検査結果にあらわれている。)にも証明され、昭和四七年一〇月二六日改訂の油症診断基準でも「手足のしびれ感または疼痛」として掲げられるようになつた。この苦痛は患者に共通して非常に強く残つているようである。

手足のしびれ感ほど多くはないが、末梢神経障害の可能性が考えられるものに、油症患者が訴える感覚鈍麻がある。温いものがよくわからない温覚麻痺、冷たいものがよくわからない冷覚麻痺である。

(二) 末梢神経障害に関する医師の見解

平山医師は、手足のしびれ感は知覚神経が直接障害されている以上非常に治りにくいものと考えている。

他方、昭和四七年から約二年間油症研究班の一員であつた精神神経内科医志田堅四郎は、原因にもよるが、末梢神経障害は原則的には回復可能な障害であり、これは神経伝導速度が低下する時期が一時期にみられたとしても同機であると説明し、また同医師自身が追跡調査した結果では、神経伝導速度の異常値もあまりなかつた旨報告している。

一〇免疫性の低下

1  はじめに

個体の免疫学的反応性は感染に対する抵抗において重要な地位を占めるものであるが、最近動物実験においてPCBによる免疫能抑制効果(PCBを投与した動物は感染症にかかりやすく死亡率が高い。)が報告されている。現に油症患者の痤瘡様皮疹が非常に化膿しやすいこと、慢性気管支炎様所見が多数の患者にみられることから、油症研究班においても、油症患者における全身性および局所性の免疫能の一指標として、血清および喀痰中の免疫グロビリンの検討がなされてきた。

2  血清免疫グロブリンの変動と免疫性の低下

油症研究班による昭和四五年三月から昭和四七年三月までの間にわたる調査結果によると、血清免疫グロブリン値はIgAおよびIgMの低下、IgGの増加などの異常所見が検討開始初期にみられたが、経年的にそれらは大多数において正常値を示すに至つており、昭和四七年三月の時点では七二例中一、二の例を除いては、永続的な免疫能の抑制を示唆する所見は認められないようになつている。

しかし、現実には油症患者において、風邪にかかればおもくなりやすい、皮膚症状がすぐ化膿しやすいなどはなお存続していること、免疫性の低下が血清免疫グロブリンの変動のみでは計りがたいものがあるものがある(人体の免疫性につき免疫グロブリンのみで調査できる範囲は限定される。かかる意味で、それは感度の悪い検査法といわれている。)ところ、その解明は未だなされていないこと等から考えると、現在もなおPCBが人体の免疫性を弱めている可能性は十分ありうるのである。(確かに昭和四七年一〇月発表された油症研究班による「油症患者とオーストラリア抗原」との検査結果によつても免疫性の低下を推測させるものは見出されなかつたけれども、この検査も免疫グロブリン検査同様感度の悪い方法であつて万全ではないことも忘れてはならない。)

人体の免疫性が弱いということは、右に述べたように感染しやすいということになるが、油症患者には前述のとおり肝臓における解毒機能の昂進があるため薬、とくに抗生物質が効きにくいため大量の薬剤投与に走る傾向になりやすい。

一一子供の成長抑制

1  油症研究班の報告

油症研究班がなした油症児童生徒の発育調査(福岡県内で昭和四四年八月二六日までに油症と診断された小中学生四二例(男二三例、女一九例)および対照児七一九例につき昭和四二ないし四四年の身長と体重の増加値を検討したところによると、患児男子の身長および体重の増加は対照児に比べて中毒後有意に小さくなつていると考えられたが、患児女子の身長および体重の増加ついては若干影響をうけているかも知れないが判定しえなかつた。更に重症度と発育との関係も例数が少なく一定の傾向を見い出しえなかつたようなことから、右調査でみられた成長発育障害が塩化ジフエニール中毒そのものによる障害であるか否かにつき(栄養障害による発育障害ならびに精神的環境要因および疾病による一時的な成長発育障害では、一時的に成長速度が落ちるが、それらの因子が除去された後では、本来の成長速度より早い速度で成長し、しだいに本来の成長曲線にもどるいわゆるキヤツチ・アツプ現象がみられる。)、患児の医学的検索ならびに追跡調査の結果をまつて決定されるべきであると解されている。

2  アルカリフオスフアターゼの異常

油症研究班による経胎盤油症児四例の検査所見かむ、その一例にアルカリフオスフアターゼの高値がみられたが、更に別の症例検査でも、重症群の過半数にそれの軽度の上昇がみられ、ことに一五才の少年の一例にそれの高値を認め、そのアイソザイムは肝源性のものに一部骨源性の本酵素も見出されたとの注目すべき指摘がある。他方アルカリフオスフアターゼについて油症患児群と健常小児群とを検査した結果、前者が有意の差で高かつたという検査結果を官竹克英医師は報告している。骨から由来するアルカリフオスフアターゼが多いと化骨障害がおこつて成長が抑制される可能性があるので、右検査結果の差異が骨に由来するものかどうか今後の検討が必要であろう。

3  歯牙異常

油症に罹患した子供で、乳歯が抜けても永久歯がなかなか生えてこない者がいる。歯の根元はあつても伸びてこない。それで入れ歯にしている学齢期の患者もいる。歯科医は、歯の根元は歯肉の中に存することがわかつているから、いつかは(その時期はわからない。)生えてくるだろうとの楽観的予想をたてている。この歯牙異常は子供における成長抑制の一つのあらわれといいうる。すなわち、油症患児の成長は二年位止まつてしまうのであるが、成長がとまるということは一つには骨が発育しない、ということであり、歯と骨は以たような状況にあるから、骨の成長抑制に対応するものが、右に述べた歯牙異常に相当するものと推測される。(尚、成人患者の訴えで、歯が浮くような感じで痛むという者も多い。)

一二新生児油症(胎児性油症)

油症の妊婦から生まれた新生児(経胎盤油症児)には、成人におけるいわゆる油症に比し後述するような特徴のある症状がみられたことから油症研究班により新生児油症と名づけられた。

1  油症研究班の報告

(一) 新生児油症の臨床所見

油症の妊婦から生まれた新生児は昭和四三年一〇月下旬までに九例報告されているが、うち二例は死産、他の七例は生児であつた。そのいずれもが在胎週数に比較して生下時体重が小さく、いわゆるスモール・フオー・デイツ・ベイビーの傾向が強く、かつ全身皮膚の異常色素沈着(灰色がかつた暗褐色)が全例に認められ―ここから新生児油症は「黒い赤ちやん」と呼ばれ世間の耳目を一層集めた―組織学的所見では表皮の角化とメラニン色素の沈着が認められ、皮膚の著明な乾燥と葉状落屑、眼脂の増加、歯肉部の凹凸隆起と着色、爪の着色、眼窩部の浮腫状膨隆と着色の主要症状が認められた。別の新生児油症からは、出生時の歯の存在、頭蓋骨の石灰沈着なども認められている。

(二) 油症死産児の剖検例

右の油症死産児の一例(死産の原因は臍帯纒絡であつた。)について油症研究班のなした剖検結果によると、患者は全身皮膚が暗黒褐色を呈していたが、組織学的には足底および手掌を除く表皮基底層にほぼ均一に過剰のメラニン色素沈着がみられること、毛包過角化が頭部につよくみられること、表皮の過角化がみられることなどが特徴的で、生後に罹患したものとはことなつた胎児型ともいうべき特異的な病像を示しており、本児の皮膚および皮下脂肪から塩化ジフエニールを証明したことにより本患死産児の皮膚変化は油症と同一原因によることが明らかになつただけでなく、塩化ジフエニール中毒が経胎盤でも発生し得ることを明らかにした。

(三) その後の疫学調査(昭和四三年一二月時点)

昭和四三年一二月末までに判明した、油症妊婦(但し確症患者は一一名)より生まれた新生児一三例につき行つた疫学調査の結果は、出生時体重は一二例中一一例がより小さく、塩化ジフエニールが胎内で発育抑制的に作用したのではないかと考えられること、黒皮の症状は生後二、三ケ月で軽快してきていること、出生後の発育では特に男児の体重が標準値より小さいが、小さいながらも標準発育曲線にほぼ平行して増加していること、奇形はなく運動機能、精神面の発達の遅れは認められないというのであるが、小児は種々の身体的、精神的機能の発現発達の途上にあり、一時点の調査において胎生期に作用した物質の影響を結論づけることはできず、今後の成長にあわせた追跡調査が望まれる旨強調されている。

(四) 長崎県玉之浦町地区における疫学調査(昭和四七年四月時点)

玉之浦町の油症患者家族一〇八世帯から、昭和四二年一月以降昭和四七年四月までに出生した児二七例のうち調査不能の二例、経口摂取による油症罹患の可能性がある二例および汚染油の摂取がほぼないと考えられる母親から生れた一例を除いた二二例についてなした疫学調査の結果は以下のとおりである。すなわち、

出生時点までは母親が汚染油を摂取しておらず、母乳投与時期に母親が汚染油を摂取した例は七組見出せたが、その母親の母乳を飲んで油症に罹患したと考えられる児(経母乳油症児)が一例見いだされた。経胎盤油症児は、母親が妊娠中に汚染油を摂取した場合だけでなく、汚染摂取終了後に妊娠出生した場合にも見いだされている。尤も、経胎盤油症児に該当可能な出生数は一一例あつたうち、油症と認定されたのは一例にすぎないが、その他の症例の生下時所見によれば、不明二例を含む三例を除いた残り七例は全身皮膚の黒変もしくは歯肉の色素沈着を有しており、胎盤を通じて何らかの影響を受けたであろうと推定される。また同一母親から生まれた子供についてみると、後に生まれた子供ほど生下時の皮膚の黒変の程度が軽くなり、また現症も少なくなつている傾向がみられ、時間と共に胎盤を通して排泄されるPCB量が少なくなつていることを示唆しているようである。

(五) 玉之浦町地区における油症児の血中PCB(昭和四九年八月時点)

玉之浦町地区における経胎盤油症児および経母乳油症児(油症としての所見がそなわつているかどうかは問題としない。)のうち血液提供をうけた児三〇名と母親一八名の血中PCB濃度とその臨床所見との検査成績は以下のとおりであつた。すなわち

動物実験によるとPCBの親から子への移行は胎盤経由より母乳経路の方がより重要と考えられるから、人間の場合も同様ではないかとの推測が可能なところ、油症研究班の調査結果からも、母乳をいくらか飲んだ児が全く飲まなかつた児に比べ血中PCB濃度が高く、母親が検診をうけても油症とは認定されなかつたために母乳を飲ませた結果、児が油症に罹患した例は、母乳経路の重要性を実際に証明するものである。総じて母親も含めた大人に比べると油症児の現在の症状は比較的軽いが、血中PCBが健常者より相当高濃度であつたことは、現在もなお体内に母乳経由あるいは胎盤経由の母親からの汚染が残留していることを示すと思われる。血中PCBのガスクロマトグラムのピークパターン(これについては後述する。)は母親ではAパターンが多く四四%、児ではAパターンが二四%、Bパターンが四五%、Cパターンが三一%であつた。油症児の皮膚症状は多くが軽快しているが、風邪をひきやすい、下痢しやすい、体がだるい、腹痛あるなどの非特異的症状が多く、母親では皮膚症状のなごり、関節痛、末梢神経症状などが多く、児と母親ではかなり症状に差があるが、これらの症状は初期を除いたその後も殆んど軽減していないようである。以上のように、PCB汚染油を摂取した母親から生まれた油症児は六年を経過した時点においてもなお健康上に母親を通じてのPCBの影響を残しており、すべての油症児は今後とも長期にわたる観察と健康管理が必要不可欠である。

2  母体PCB汚染と胎児

梅田医師が経験した臨床例によると、父親が顕在型の重症者であつても、母親がPCBに汚染されていない場合には、胎児性油症は認められず、母親が顕在型軽症であつても胎児性油症が認められたことがあつた。このことは、母体のPCB汚染度が胎児にいかに大きな影響をおよぼすかということを事実で示したものであろう。

3  経胎盤油症児についての特別の問題

新生児は大人を小型にしたような存在ではない。なぜならば、新生児は人間が地球に生まれて以降今日まで受けついでいる系統的な発生を、母親の体内での受胎、成育をして出生という個体発生の中でくり返しているものであるが、この系統発生、個体発生の中で最も新しいところである中枢神経系就中大脳皮質は非常に変化を被りやすいし、そこが経胎盤油症児の場合PCBによつて障害されている可能性を否定し去りえない。そうである以上、新生児が将来どうなるか予測がつかず、成人に達するまで二〇年間以上にわたつて観察し続けなければならない、という重大な結果をもたらしていることを注目すべきなのである。

一三油症児の六年後の精神神経学的調査

熊本大学体質医学研究所の原田正純らが昭和四九年八月長崎県五島群島のある地区のPCBに汚染された油症児を対象にした精神神経医学的比較調査によると概略以下のとおり報告されている。

1  対象は一二七人で四才から一四才まで、内訳は小児油症一〇〇人、乳児油症九人、胎児性油症一八人であつた。

2  皮膚症状は慢性期には軽快しているが、歯肉や口唇の色素沈着(七五例)、歯牙異常(三一例)、爪の着色・変形(四六例)、眼脂過多(四五例)、痤瘡様皮疹(三八例)などが高率に残存していた。

3  自覚症状は全身倦怠感(六七例)、咳・痰(六三例)、腹痛(五四例)、眼脂(四五例)、頭痛(四八例)、めまい(二五例)、歯の異常(四一例)、しびれ感(三六例)、四肢疼痛(一四例)が認められた。

4  粗大な神経症状は認められない。自律神経症状(四二例)、発作性症状(二八例)が最も目立つた。なかでも自律神経発作、腹部てんかんとよばれる症状が著明であつた。

5  精神症状では情意減弱状態が最も目立ち主症状である。無気力・大儀そう(五七例)、緊張低下(五一例)、寡言・寡動(三六例)、無関心・積極性低下(四五例)、反応が弱い・感情鈍麻(四二例)、注意集中困難(二五例)、抑うつ状態(八例)、多動・落ち着きのない状態(五例)、不安・いらいら(六例)などがみられた。知的機能障害は軽く二四例にみられた。

6  精神症状の発生機序に関して血中のPCB濃度と性状とを比較した。一応、血中濃度の高いもの、油症特異パターンを示す例に有症状者が多いが、程度との間に必ずしも平行関係はない。情意減弱の分析と自律神経障害や自律神経発作が強いことから間脳および周辺の機能障害との関係を疑つたが、代謝・内分泌障害による二次性(症状性)精神症状への関与も考えられる。

7  今後、将来に向けてさらに追跡し、相応した対策が急がれる。

一四血中PCBについて

1  油症研究班の報告

(一) 増田義人他四名による分析結果

昭和四八年三月から八月にかけて採取された油症患者(九大油症外来来院者)四一名と昭和四七年一一月に採取された一般人三七名の血中PCBをガスクロマトグラムにより分析した結果、それぞれの平均濃度は七および三ppbで油症患者の方が高く、油症患者の血中PCBのガスクロマトグラムピークパターンを三つのタイプ、すなわちA(油症患者特有のもの)、B(Aに近いもの)およびC(一般人に近いもの)に分けると、それぞれのパターンに属する患者の平均PCB濃度は、九、四および二ppbであり、それぞれのパターンに属する油症患者の人数の割合は、五九、三七および五%であつた。Aパターンを呈する者のPCB濃度がBまたはCパターンを呈する者や対照者に比べて極めて有意に高い点は注目に値する。Aパターンはカネクロールに由来していると考えられる。すなわちAパターンを呈する例においては、カネクロールの高沸点部分の一部が五年経過後も残留しているものと考えられる。それだけに摂取されたカネクロールの絶対量も多かつたことが想像される。

(二) 高松誠他二名による分析結果

北九州在住患者および昭和四七年一月の一斉検診をうけた久留米・大牟田地区の患者三二名と健常者八二名について血中PCBを分析した結果も、血中PCB濃度は健常者で一ないし七ppb、平均三プラスマイナス1.3ppb、油症患者では二ないし一五ppb、平均6.3プラスマイナス四ppbであつて、油症患者は健常者に比べて統計学的に有意な高値を示し、油症患者の血中PCBをガスクロマトグラムのパターンによつて分類するとAパターンが六四%、Bパターンが二〇%、Cパターンが一六%とでた。

(三) 血中PCBと油症患者の臨床症状

昭和四八年四月より一年間に九大油症外来を受診した油症認定患者七二名と油症を心配して来院した九名(非油症患者)につていて血中PCB濃度を測定すると、前者では一ppbから二六ppbまであり、平均値が5.9プラスマイナス4.5ppbとなつたが、これは後者の平均値2.1プラスマイナス0.8ppbに比べると二ないし三倍の高値であり、油症事件発生後満五年経過にかかわらず、油症患者体内からのPCB排泄の遅さ、困難さを示して重要である。これら油症患者の血中PCBをガスクロマトグラムのパターンによつて分類するとAパターン四三名(約六〇%)、Bパターン二六名(約三六%)、Cパターン三名(約四%)であり、このパターン別のPCB濃度の平均値をみると、それぞれ7.2プラスマイナス4.9ppb、4.3プラスマイナス3.1ppb、1.7プラスマイナス0.2ppbとなつた。血中PCB濃度および各パターンと臨床症状との関係について調査したところ、皮膚症状ではいずれの症状もAパターンのものがBパターンより高く、皮膚症状だけからでは、血中濃度の高いAパターンの方が臨床症状も重く、相関関係があるように思われるが、全身症状(自覚症状)の方では各項目によつて違い、パターン別の一定した相関関係はみられなかつた。

2  血中PCBの経年変化

油症患者の血中PCB濃度は経年的に低くなつており、現在では健常人と大差ない位までになつてきた。健常人の中には環境汚染の結果血中PCBが一〇〇ないし二〇〇ppbの者もいるが(現在の油症患者の平均のそれの一〇ないし二〇倍に該当する。)、これらの者に油症症状(皮膚症状あるいは内科的な全身症状)は絶無に近い状況であつた。このことは、油症発症当初の血中PCB濃度の非常に高いときにうけた障害が、現在もなお影響をもち続けていることを示唆するものであるし、また単に血中PCB濃度のみで油症の全体像を把握できるものでもないことを意味する。

一五脂質代謝に対する影響(トリグリセリド血症)

1  油症研究班による報告

油症患者の血清中性脂肪(トリグリセリド、以下TGとも略す。)値の上昇(しかもこれは原因が体内にある内因性であり、食物によつて一過性におきる外因性ではない。)は、当初から検査所見として注目されていたし、動物実験によつても、明確に裏付けられていた。この現象の成因については想像の域を出ないが、酵素系の抑制による脂肪組織への取り込み減少が最も疑われる。血清GT値の異常高値を招来していることから、肝細胞における脂質代謝異常があることは明らかである。昭和四八年の四月より八月までの間に九大油症外来を受診した油症患者のうち、血清TGを測定した四二例について検討した結果、血中PCBのガスクロマトグラムのピークパターンを示した二六例の血清TGが一三四プラスマイナス六〇mg/100mlB(一四例)ないしC(二例)を示した者の血清TG値が九一プラスマイナス39.8mg/100mlであり、健常者の平均は二四プラスマイナス二九mg/100mlであるので、油症発生後五年を経過後も依然として、油症患者の血清TG値は高水準にあり、健常者との数値の重なりは少ないということができる。この点で、前述したように血中PCB濃度の場合、Aパターン群では極めて高いが、BないしCパターン群と健常者との間の数値には、かなりの重なりがみられること、すなわち、軽症ないし中等症(皮膚症状につき)の油症においては血中PCB濃度が健常者と近い状態にあることと対象的である。これは、PCBが生体にとつてはあくまで外来性の異物であるのに対し、血清TG値の上昇はPCB中毒によつてもたらされた二次的な反応現象であることによるものであろう。翌年の検査からも男子の血清TG値の高値は続いているが、女子のそれは油症発生後五、六年目になると有意の低下傾向がみられたが、このような性差の原因は判らない。なお、血清TG値が高値を持続する理由は、油症発症と同時に、カネクロール中毒によつて、生体内TGの代謝機構のどこかに容易にはもとにもどらない変化が生じていることを推測するにとどまつている。

2  脂質代謝異常のひきおこす影響

(一) 脂肪組織の機能障害の結果、血清中性脂肪値が高くなると、ひどい場合には動脈硬化、脳卒中につながつていく可能性がある(尤も、まだこのような脳卒中患者を確認しているわけではない。)。軽い場合にも酵素が足の末端組織にまで十分補給されにくいため筋肉も痛んできて、長く歩き続けにくいし、歩いているうちに立ち止まざるをえなくなる。更には、酵素欠乏が高じて壊疽がおこつてきて足指を切断したりしなければならない人もでてくる。

(二) 日常的な障害としては、油ものを食べようとしても吐気をもよおしてくる。その結果脂肪がとりにくくなつて栄養障害がおきてくる。これもトリグリセリド血症の面から説明することも可能である(尤も、これを中枢神経障害から説明することも可能であることは前記した。)。

3  血清TGの経年変化

前述のとおり血清TGが上昇してくることは油症患者の亜急性中毒としての初期の極めて特徴的な所見であり、昭和四七年改訂の油症診断基準にも、検査成績の所見の一つに掲げられた。しかし、血清TGも経年的に軽快し、慢性化した昭和五〇年頃には殆ど異常がみられなくなり、血清TGの異常な増加をもつて油症診断の一つの重要な根拠にすることすら不可能となつた。そうはいつても、血清TGの異常な増加が長年続くことによつて懸念されていた動脈硬化、脳卒中といつた症状の発現が、全く楽観視できるわけでもない。(この点は過酸化脂質の項で後述する。)

一六血清過酸化脂質について

油症研究班による経胎盤油症児の検査所見からは、四例中二例に過酸化脂質値の上昇がみられたが、京都大学医学部助教授糸川嘉則も動物実験の結果、肝臓における過酸化脂質値の上昇を報告している。梅田医師は北九州の油症患者についてその血清過酸化脂質値を検査した結果、健常群のそれに比し有意の上昇値を認めることができた旨報告している。

過酸化脂質は、脂質が酸化されて生じる有毒なもので、これがより多く存在すると動脈硬化症、心筋硬塞の発症、中枢神経の老化現象、脳軟化症、脳血管障害をおこすといわれている。このことが、前述したように血中TGの量が減少してもなお動脈硬化症の循環器障害の危険性がなくなつたとはいいえない理由である。

第三油症の問題点

前述したところから、油症における問題点は自ら明らかになつてきた。とくにここで指摘すべきものを整理すると以下のとおりである。

一PCB中毒の病理過程と発症型態

前述したところから明らかなように、短期間に大量のPCBを経口摂取した油症患者の病理的生命現象つまり病理的過程には特異的過程(PCB中毒固有の病理現象であり、他の疾病と鑑別する際の診断学的根拠となり、局所性に病理組織学的変化として現われることが多い。塩素痤瘡、毛孔黒点、皮膚、粘膜、結膜、爪などにおける特有な色素沈着、爪の変形などの肉眼的所見がその一つである。)と非特異的過程(生体が「まさに病気である」ことを特徴づけるものであり、全身性に表現される病態生理的変化であり、倦怠感、易疲労性、食思不振、目の疲れその他の症状がその例で、PCB中毒以外の疾病にも現われる病気一般に共通したものである。)との二面がみられる。右にいう特異的過程も顕在型油症に限られているにすぎず、内臓型や潜在型の油症には殆ど発現しえない。内因性トリグリセリド血症も初期の大量曝露に対する生体の反応の実体論的段階での変化としてとらえられたにすぎない。こうして、今日なおPCB中毒の特異的病理過程の全体は証明できていないのである。そして油症の臨床的事実に基づいて発症型態を分類するには梅田医師の考え方が極めて有益と思われる。それによると、発症には顕性発症と不顕性発症とに二大別され、前者は更に顕在型(皮膚所見が顕著であるもの)と遅発型(一ないし三年後に潜在型より顕在型に移行したもの)に、後者は更に潜在型(皮膚所見がないもの)と内臓型(皮膚所見は乏しいが内科的症状が著しいもの)に細分される。症状からみると、PCB摂取量に比例して特異的病変が強くあらわれており、比較的少量の場合は、非特異的病態生理の方が相対的に明瞭にみられるようになる。残留PCBの血中濃度を指標に比較すると、個体差によるバラツキはあるが、潜在型の方が高く、内臓型、潜在型では非常に少ない。特異的病変の一指標として皮膚科学的重症度からみても全く同一の傾向であり、とりこまれたPCB量および血中PCBと相関関係が見出される。このように油症は複雑な内容を示している。

二治療法について

動物実験や油症患者の体内組織の各種検査により、体内に摂取されたPCBのかなりの部分は徐々に排泄されていると推定されるが、その代謝経路や各臓器組織における動態、影響などについては不明の点が多く、有効な治療法は解明されていない。僅かに、各種の薬物療法、温泉療法、絶食療法で一部効果をあげているすぎない。この点において、一般の中毒症がそうであるように、毒物の自然排泄と対症療法に待つ以外に有効な手だてはない。しかも塩化ジフエニールは前記したとおり高度の安定性・難分解性、脂溶性、非水溶性、生体における蓄積性を有する有毒物質であるため、体内に摂取吸収されて一旦沈着した部分は体外への排泄がむずかしいと考えられ、現在もなお排泄促進の治療法が確立されていない点に困難性もある。なお参考までに一部著効例があつたとされる絶食療法についての油症研究班の報告を示しておく。すなわち

昭和四五年一〇月から昭和四七年五月まで、都志診療所で実施された油症患者二〇名に対する絶食療法の結果、頭痛などの神経症状はよく改善され、著効例は一三例に及んだものの、皮膚症状はやや軽快する程度で、著効例は三回の絶食療法を経た一例のみであつた。油症に対する絶食療法の効果の説明としては、PCBが絶食によつて排泄を促されるか、少なくとも症状をおこす部位から移動することが第一の要因、飢餓という強烈な刺激と新陳代謝の大変調が自律神経、ホルモン系に強い影響を与えて二次的に奏効することが第二の要因と思われる。その後なされた追跡調査の結果によると、全身症状(全身倦怠感、頭痛、頭重、不定の腹痛、吐き気、関節痛、手足のしびれ感、咳、痰、ラツセル等の気管支炎症状)とくに頭痛は好転しやすく、一般的に一進一退しながら軽快していくが、時として激しい頭痛や吐き気が突然消失する例もあり、全身症状は六年以上の歳月を経た時点での調査でも著明に好転する例が多かつた。これに比し、皮膚症状は発病後三、四年頃まではかなり著明な軽快がみられたが、年月が経つにつれ治り難くなつており、六年も経過した時点では、一回の絶食では著明な好転は期待できなくなつていた。

三予後について

また経年的に油症が軽快してきたとはいえ、当初激しくあらわれた皮膚症状の傷跡は後遺症として残ることもあろうと思われる。血液を含む体内に残留しているPCBが今後どのような変化を連続的におこしていくか、追求されなければならない。血中過酸化脂質の変化も同様である。確かに油症患者の体内PCB残存率は低くなつてきていることは推定されるが、PCBが体内から消失すれば油症は全快するのか、不可逆的な後遺症が残るのであろうか、今後の見通しは全く不可能というほかはない。前述した胎児性油症患児、幼児の油症患者のみならず、全患者に長期的な経過観察、健康管理が要求される所以である。

四カネクロール四〇〇とPCDF

ところで油症研究班の研究によると、カネクロール四〇〇から、PCBより毒性の強い塩化ジベンゾフラン(PCDF)が検出されたが、このPCDFが油症発症にかなり関与している可能性がある。PCDFの毒性は致死量から概算するとPCBの五〇〇倍、酵素誘導能力を麻酔短縮現象を利用して比較するとPCBの一七〇倍というから、一般的にはPCDFに比較してかなり強い毒性ないしは生理作用を有するものと考えられる。尤も、この比較は肝を主たる対象組織としての毒性の比較であるから、皮膚に対する毒性についてそのまま適用できるかどうかは疑問である。

五PCB中毒における検査の限界

油症研究班を中心に、油症患者の多彩な自覚症状の病理機序と治療方法の解明を求めて、長年にわたり諸種の検査が実施されてきた。しかし、前述したことからも推測し、あるいは直接認められるように右のような目的を十分に果たしえていない。それはPCB中毒による身体機能の異常を発見する検査そのものが困難であるほか、PCB中毒の検査は非常に特殊なところしか出来なくて、油症の全体像を確実に見通しうるだけの発展段階には程遠い現状にあることに起因する。従つて、科学の進歩に伴つて検査方法さえ改善されていけば、現段階では成績の顕れていないものも、将来においては有意な検査成績がでてくる可能性は十分に存在する。かかる意味で、現段階において検査の結果、有意な成績がでていないことのみを理由に、油症患者の全身的な自覚症状の訴えをすべて心因的なものとして片付けることは全く当を得ていない。被告らが油症患者の被害患者の被害救済のため一体いかほどのことをしたのか、原告らを含む多数の油症患者に比し、隔絶した知力、財力を有する被告らに対し、右の問が発せられるのは当然のことである。そして、被告らがそれに対し答えらしきものを何ら用意していないことを忘れてはなるまい。

六PCB中毒と加齢の相乗作用

油症患者はPCB中毒により確実に作業能力の低下をもたらしている。それが年をとるとともに倍加されていくことは当然のこととして考えられる。更に 女性ホルモンの不足からおこる症状と解されている更年期障害が、油症の女性患者の場合前記した内分泌障害による女性ホルモンの不足が倍加されることにより、一層ひどい症状を呈してくるであろうことも予想される。しかも、加齢とともに動脈硬化などの血管障害をおこすのも一般的であるところ、油症患者の場合血清中脂肪値あるいは血清過酸化脂質値が高いまま年を経ると、右血管障害をおこす確率も高くなるのではないかとも推測される。ただ、血管障害に関しては、中性脂肪値が年を経るとともに低下しているとのデータもあるのが、明るい材料となつている。

七合併症とPCB中毒

合併症をもつた油症患者には注意しなければならないというのは基本的な問題である。もともと体に弱点を有していた者がPCB中毒に罹患した場合重要な結果を招来することになる。例えば、もともとぜんそく持ちの患者がPCB中毒に罹患することにより慢性気管支炎様症状を併発し、冬になると両症状が悪化して重篤な呼吸困難をひきおこすことになる。後述する原告窪田元次郎の症状はその典型例といわなければならない。

第四油症被害の一般的特徴

油症による被害を考えるに際しては、前節の微視的・分析的な把握とは別に、巨視的にその一般的特徴を整理することも不可欠であろう。これについては、すでに認定した事実と本章第二の冒頭掲記の証拠及び弁論の全趣旨から以下のとおり幾つかの点が要約的に指摘できる。

一合成化学物質による新しい疾患

油症は、自然界に存在しなかつた有機化合物として人間が一九世紀末に新しく創造したPCBを原因とする。以来一世紀近くにわたつてその社会的有用性が強調され、多種の分野で使用され続けてきた。最近ようやくその有害性が指摘されはじめていたが、その矢先といつてもいい頃、このPCBを短期間に大量(平均すると一人あたり摂取量は約二gである。)に食物として経口摂取することにより生じた新しい疾病である。PCBの化学的性質がきわめて安定であるため体内における分解、体外への排泄も極めて困難である。その症状は先に詳述したとおり多種多様であり、皮膚症状と内臓疾患を伴なう全身症状を呈している。一般疾患に比し、疾病としての歴史も浅いせいか、医師らの努力にも拘らずその病理機序の解明および治療方法は、油症発症後八年余を経過した今日なお殆ど未解明というにつきる。患者は新生児から老人まで広汎である。各世代とも、この未知の疾病のため長年にわたり悩み、苦しんできたが、将来に対する明るい展望を持ちえないため絶望的な人生を背負わなければならない運命に立たされている。今日まで油症患者の死亡は既に二九名を超えているが、その死亡は生存患者に死への恐怖を与えている。また、油症の母親あるいは油症が顕在化してはいないがカネクロールを経口摂取した母親から生まれるいわゆる黒い赤ちやん(胎児性油症患児)、右のような母親の母乳を飲んで油症に罹患する乳児性油症患児が次々と発生することは、油症が単に一個体にとどまらず、世代を超えて人間の体を蝕んでいることを意味し、その底知れぬ恐ろしさを誇示しているといわなければならない。

二食品公害・商品公害

このような油症は、誰もが避けえない日々の食物をとることによつて発生したところに、やり場のない怒りがある。人間が個体としての生命と健康を保持し、種族としての維持発展をはかるための基本的な営みである食生活、それは現代の商品経済の中で、消費者は市場に流通している商品としての食品を購入し、それを食することなしには考えられない。この事実からすれば、流通食品が絶対に安全でなければならないことは法律以前の真理であり、誰も否定しえまい。流通食品に対する無条件の信頼のもとに一般消費者は生活してきた。油症患者とて例外ではない。食生活に必須不可欠な食用油たるカネミライスオイルにPCBという有毒物質が含まれているかもしれないなどとは露疑うこともなく、それを使つた食物を一家団欒の食卓にあげ、勉学・仕事に励む子供・夫の点当のおかずにいれ、皆がそれを食べ続けてきた。カネミライスオイルが食品商品として広汎な流通市場におかれた結果、当然のことながら被害も西日本一帯に広汎化した。被害者は届出のあつたものだけで一万人を優に超え、昭和五〇年四月三〇日現在の確症患者数が一都二府一九県一二九一人、うち死亡者二九人におよんでいる所以である。この油症事件は、流通食品に対する無条件絶対の信頼が神話にすぎないことを悲しくも証明した。この神話を現実化するために人間は何をどうしなければならないのかという深刻な課題の解明に着手しなければならない。

三家族発症と家庭生活の破壊

しかも、油症は、食生活が家族単位に営まれている当然の帰結として、食生活を共同にする家族全員に発生した。油症患者は各個人が数多くの症状に長年にわたつて苦しめられ、今後とも長年にわたつて悩まされようとしている。その上に、家族発症であるがゆえに、家族相互が相手の生命と健康を案じ、時にはその苦悩のあまり家族相互間に不和も醸しだされるというやりきれない事態も発生している。一日の疲れをいやし、明日への活力を養い、楽しかるべき一家団欒の場である家庭が、本来の機能を喪失しようとしており、それを押しとどめようとするには余りに荷の重いのが油症の現実であろう。家族全員が油症による労働能力の低下をきたしたことからくる経済的な逼迫は右の苦悩に一層の影をおとすのである。

四人生破壊

油症被害は出生前から流産あるいは死産としてはじまり、出生すると黒い赤ちやんの十字架を背負わされて人生の出発点に立たされている。幼児、児童、生徒、を含めて、健かな成育は重大な障壁にさらされている。児童、生徒、学生の勉学への種々の障害、勤労者の労働能力の低下、結婚適齢期の青年の結婚への重大なハンデイキヤツプと不安、妊娠へのおそれとその余りの中絶、妊婦の出産への恐怖、出産後の授乳のあきらめ、年老いた者の死への恐れ、これら各世代の苦悩は油症患者の苦悩の氷山の一角の概略にすぎない。これらが肉体的苦痛のうえにさらにのしかかつている。そして、いつ果てるともしれない苦悩は各世代とも、残りの人生に対する不安として自らの将来を暗示するものとして映りだされる。これを目して油症による人生破壊ととらえて大過あるまい。

五救済の立ち遅れ

本件のような大量、重篤な被害を惹起させながら、これまでの公害訴訟における加害者側がそうであつたように、加害者たる被告らは今日までその実質的救済に立ち上つてはいないし、その気配すらない。このことは原告を含む油症患者の心に大きな痛手として刻まれている。原告らのこの無念さを看過してはなるまい。

さらにそのうえ、油症の解明と治療について中心的役割を果してきた油症研究班とかなりの原告らとの間に(他の油症患者の多数も同様である。)信頼関係がなくなつてしまつたことも、一層救済の立ち遅れをもたらしたことだろう。医師と患者間の最も基本的な信頼関係の破壊は(当裁判所はその原因をここで詮索するつもりはない。)、悲劇しかもたらさない。

第七章 損害各論

第一はじめに――原告ら個々の損害を考えるにあたつて

そこで、前章で述べたところにしたがつて、本件原告らの個々の損害を具体的に判断することになるが、なお次のような諸点を考慮しておく必要がある。

一油症の重症度について

前述のとおり、本件油症は発生後すでに八年余を経過したが、この間その症状は大きな変遷を示してきた。初期には皮膚症状が前景にでていたが、年を経るにしたがつて全身症状が前景にでてくるようになつた。しかも皮膚症状は全体的にみて次第に軽快の方向にあるが、全身症状はそうだとの事実も見出だされていない。これらは治療法が十分に解明されていないこととも相俟つて、将来軽快、治癒するとの確実な保障もない。そして、この皮膚症状と内科的症状を中心とする全身症状の重症度との間にも、なんら有意な関連は窺えない。このようにみてくると、将来のことも展望したうえで原告ら油症患者の重症度に軽重をつけることは、はなはだ困難なように思われる。

しかしながら、油症発病後八年余を経た今日、原告らのこれまでの症状の経過をながめるならば、すでに述べてきたような種々の問題点を抱え将来になお予測しがたい部分を残しているとはいえ、一応の展望は可能であり、これをもとに現在までの皮膚症状、内科的症状のすべてを総合的に検討し、重症者と軽症者及びその中間に連続的に存在する中間者を位置づけることは、さして困難なことではない。

二個々の症例との因果関係

原告ら患者の訴える症状のすべてが各種検査によつてPCB中毒であると証明されているわけではない。しかし、このことは現代科学の限界を意味することはあつても、PCB中毒ではないということがかなりの蓋然性でもつて言えることでもないことは、前章の第三の五その他随所で述べてきたところから明らかであろう。疾病の病理機序の解明が時間的制約等のため十分なされていない新しい疾患の場合、その蓋然性さえ説明可能であれば、その限りで損害と考えるに必要かつ十分というべきである。この点の立証の不十分さをすべて被害者側に負担させるのは、前述した油症の問題点及び油症被害の一般的特徴に鑑みて正義公平に反する。

三逸失利益等について

原告らが本訴において請求している損害賠償は、亡国武忠の関係を除いて、弁護士費用と精神上の損害に対する慰藉料のみに限られており、現在及び将来ともこれとは別途にいわゆる逸失利益その他の財産上の損害を賠償請求する意思のないことが、弁論の全趣旨から明らかである。もつとも、原告らはそのような損害がなかつたことを自認したり、その請求権を放棄したりしているわけではなく、訴訟を追行するについての便宜上、原告らが油症に罹患したことによる精神的・肉体的苦痛とともに、これによつて生じた逸失利益、治療関係費用等の財産上の損害を(そのような損失を余儀なくされたことによる苦痛として捉え)、合せて慰藉料額算定の事由として主張しているものであるが、後に別訴の提起によつて混乱を生ずるおそれのない限り、このような請求方法も許されると解すべきである。

四被告カネミの治療費等の支払について

被告カネミはこれまで原告らに対し、治療費・交通費、仮払金・見舞金等の名目で、別紙(三)被告カネミの支払額一覧表記載の金額を支払つてきたと主張し、原告らにおいてもこれを明らかに争わないので、一応自白したものとみなすべきである。しかし、その内訳を見ると、詳細は必ずしも明白でないが、大半は原告らが本訴において直接請求をしていない治療費・交通費であり、直ちにこれを弁済として後記損害認定額から控除するのは相当でなく、その支払額がかなりの額に達する場合、その点を慰藉料額の算定につき斟酌するにとどめることとする。

第二慰藉料

一原告窪田元次郎、同窪田絹子、同渡辺理恵子、同井上真理子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告元次郎(大正六年一〇月一四日生)と同絹子(大正一二年一〇月三日生)とは夫婦であり、原告理恵子(昭和二三年六月一八日生)はその長女、原告真理子(昭和二六年一〇月二日生)はその二女である。

原告窪田方では、妻絹子が昭和四三年二月二〇日頃近所の相原告村山千技子より1.8lのびん入りのカネミライスオイル一本を無償でもらい、また三、四日して同様のライスオイル一本を実費で分けてもらい、合計3.6lの右ライスオイルを同年三月一〇日頃から同年七月末頃までの間、目玉焼、から揚げ、いためもの、焼めしなどに使用して、前記原告ら及び長男元恢の五名で費消してしまつたが、これが本件カネクロール入りカネミ油であつた。

なお長男元恢は、当時九州工大を卒業して東大大学院に進学することになつており、同年三月二〇日すぎには上京したので、本件カネミ油を使用した食事をとつたのは一〇日間程度であり、その後やはり目やにや皮疹といつた症状が出たけれども、さしたることもなく、本訴提起に至つていない。

1  原告窪田元次郎

(一) 原告元次郎は、戦後北京において勤務し終戦の翌年引揚げてきて、その後昭和二七年頃から田辺製薬株式会社福岡支店に勤務していたものであり、昭和一〇年頃左肋膜炎、昭和二三年頃右肋膜炎に罹り、その頃二ケ月位療養したことはあつたが、本件油症発症の当時、多少高血圧の傾向にあつたほか特に健康上の問題もなく、特約営業部次長として支障なく仕事に就いていた。

(二) 同原告は、昭和四三年六月頃からまず食欲不振、胃の不快感を覚えるようになり、酒が飲めなくなつた。やがて眼瞼が腫れ目やにが常時出て結膜炎のような症状になり、また物忘れがひどくなつた。八月末頃から右足裏の感覚が一部麻痺しているように感じられたが、九月になるとこれが右足裏の全部に及び痛みも加わつて、歩行に不便を生じるようになつた。そして、この麻痺は左足の甲にも感じられるようになつていたが、一〇月に入ると一段と進行し、痺れがはなはだしくなるとともに、時に激痛を感じるようになつた。そして、同月末頃油症研究班によつて油症との診断を受けた。

一一月になると、両足とも同様の症状になり、麻痺や疼痛が激しく、また足の裏や指先が氷の上に立つているような冷たさを覚え、昭和四四年一月に入ると、右足親指・左足甲の痺れの激しい部分に水泡ができたりした。

同年一月一六日九大で診察を受けたが、当時の症状として、瞼板腺の分泌過多、眼瞼結膜の褐色色素沈着、両側頸部と陰股襞に毛孔の著明化、陰茎に嚢胞が認められ、両足のしびれ感、食思不振、眼瞼腫脹、眼脂過多などを訴えている。

その後、右手の親指・人差し指、左手の薬指などが痺れ、伸張時に電撃的な痛みがあり、また胸部、左乳部にも痺れと痛みを感ずるようになつてきたが、依然として、足先のしびれ・痛み・寒冷感・食欲不振、目やに・かすみ、記憶力減退、気管支炎症状といつたものが持続していた。

(三) そして、昭和四五年二月頃になると、常時風邪気味であり、食欲不振と胃のあれがひどく、会社での仕事が苦痛に感じられるようになつてきたが、同年三月一五日には数日来の風邪が激しく痰の排出が自由にならなかつたところ、夕刻から突如意識不明となり、夜半(一六日午前零時頃)救急車で福岡記念病院に運ばれ、そのまま同病院に同年五月三〇日まで七七日間入院した。入院当初は気管支炎の重篤化により呼吸困難、酸素欠乏、炭酸ガス排出不能の状態となり、直ちに咽喉部を穿孔してゴム管を通し、機械による酸素補給では炭酸ガスの排出ができないので、ゴム管を付けたゴムマリを手で圧縮操作する方法でこれを行つたが、なかなかうまくいかず、一時は主治医も立会つた油症研究班の医師もさじを投げるような状態になり、新聞には誤つて同原告の死亡が報道される始末であつた。幸いにして容態を持ち直し、二ケ月余の入院生活を経たのち退院して、会社に出勤できるようになつたが、その後も一、二年間隔でこのような事態が再発し、二回目は昭和四七年二月一二日から翌一三日まで二日間、三回目は同年三月一六日から四月一九日まで三五日間いずれも福岡記念病院に、四回目は昭和四九年四月二六日から五月七日まで一二日間九大第二外科に、五回目は昭和五〇年七月二三日から八月二六日まで三五日間、六回目は昭和五一年一月八日から五月一〇日まで一二四日間いずれも福岡記念病院に入院を重ねている。そして、二回目と四回目を除き、その他の場合は七日間から一二日間に及ぶ意識不明があり、ことにその間は前記のような手動器械による酸素の補給を、医師・看護婦それに家族らが交替しながら長時間行わねばならず、看護にあたる家族の辛労も並大抵のものではない。

(四) そして、この直接の原因は、初期の入院時においては気管支炎の激しい症状にすぎなかつたが、少くとも五回目以後はこれが緑濃菌により更に重篤化したものと認められるところ、油症研究班の重松信昭医師によれば、右緑濃菌は肺の自浄機構が侵された場合に第三次的に生ずる二次感染であつて、同原告の場合、戦前・戦後を通じて左・右の肋膜炎を患い、それにともなう胼胝形成に加えて、本件油症による気管支炎罹患が、肺機能の著明な低下をもたらしたことによるものとされている。そうだとすれば、なるほど被告らのいうように、多数の油症患者のうち緑濃菌による気管支炎はまれな例と思われるが、油症との関連を否定し去ることはできない。

(五) 昭和五〇年一月二七日九大で診察を受けた際の皮膚科症状は、趾爪に軽微な色素沈着、第一趾爪の軽度刺入、足蹠の鶏眼(魚の目)、マイボーム腺肥大などがみられ、眼脂過多を訴えている。内科領域については、昭和五一年一月の時点において、前記緑濃菌を含む喀痰及び血中PCB(七ppb・Aパターン―血中濃度が七ppbで前記ガスクロマトグラムがAパターンに属するもの―以下同様)の存在が認められ、全身倦怠感、頭痛、手足のしびれが訴えられている。

そして、右緑濃菌による気管支炎は生命に直接関係するほど重篤なもので難治性であり、治癒の見込みは不明と診断されていた。

(六) 同原告は、本件油症のため前記のような諸症状に悩み、入通院の苦労を重ねてきたが、特に発症当時は田辺製薬福岡支店の営業部次長の職にあり、将来は台湾田辺製薬株式会社の社長として出向の話も出ていたところ、右諸症状が営業第一線での仕事に支障をきたし、次第にラインをはずされて業界折衝業務にかわり、右社長としての出向は実現しなかつた。そのうえ、昭和五〇年には定年を迎えるため、その延命方策として特務出向やライン復帰など会社側にも十分配慮してもらつたが、同原告の入院が重なり症状を案ずる向が多く、これも実現に至らず、そのまま定年を迎えた。定年後二年間は会社の嘱託として残ることができるが、給与は退職時の七割であり、台湾田辺製薬に五年間出向できたときの収入に比較すれば、本給だけでも損失は一〇〇〇万円を超え、その経済的損失は甚大である。やがてこの嘱託の期間も終り、何時また突発的に入院しなければならなくなるかを考えるとき、将来の生活に対する不安はそれにもまして深刻である。

(七) 以上のとおりであつて、同原告の油症そのものによる症状は皮膚科はそれほどでもなく、内科領域も中等程度と見られるが、前記のように油症による気管支炎罹患が二次感染の緑濃菌によつて生命に直接関係するほど極めて重篤化し、そのため再三の入院治療によつて勤務先での栄進の機会も失い、経済的にかなりの損失を蒙つていることなど、諸般の事情を考慮するとその慰藉料としては二四〇〇万円を認めるのが相当である。

2  原告窪田絹子

(一) 原告絹子は、昭和一九年一一月北京にあつた夫元次郎と結婚し、終戦の翌年長男の元恢をかかえて引揚げてきたが、爾来一男二女の子供を育て家事に従事してきた。

(二) 同原告は、本件カネミ油を摂取しはじめた昭和四三年三月の月末頃、早くも顔面にニキビ様の発疹が現われ、髪の毛がばさばさになり、目が黄色くなるとともに目やにがではじめた。六月には発疹が顔から胸、腹、背中など全身に広がり、やがて爪が黒くなり、目やにもひどくなつて眼もかすむようになつた。七月末になると、足の裏や手掌に魚の目のようなものができて、歩いたり握つたりするとき疼痛を感じ、顔色が鉛色になり、歯茎も黒くなつた。更に八月に入ると、肩や膝の関節がぎくぎくして痛み、暑いさかりにもかかわらず寒さを覚え、また、全身がだるく、手足の指先にしびれを感じるようになつた。

このような症状について近くの内科、婦人科の医院に通い診療を受けていたが、やがて発疹が陰部にまででき、二女真理子にも同様の症状があつたので、悪性の性病に基づく遺伝ではないかとも疑い皮膚科の医院にも通つたりした。

そのうち一〇月一〇日頃これらの症状がカネミライスオイルに基づくものである旨の新聞報道があり、同月末頃集団検診により窪田原告四名とも油症と認定された。

その後、同年一一月一五日九大で診察を受けたが、当時の症状として、顔面・頸部・躯幹に小結節、指趾爪に褐紫色色素沈着が認められ、眼脂、神経痛、しびれ感などを訴えている。なお、そのころ血清中性脂肪値一七五の異常が認められている。

(三) しかし、その後も前記症状は持続ないし悪化し、たとえば発疹は顔の部分こそ若干軽減したが、下腹部、陰部、臀部において一層ひどくなり、関節痛は増大して、肩や腕の関節部にこぶができて水が溜ったりした。更に、腹痛や偏頭痛がしばしば起こり、耳の中にニキビ状の発疹が出て聴力が減退し、また非常に風邪をひき易く、寝るとヒユーヒユー喘鳴を起こし、手足のしびれ感が重症化した。ただ全身倦怠感は幾分軽快した。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、腹痛、手足のしびれ、喀痰の症状があり、聴診上乾性ラ音が著明であつて、痰にはインフルエンザ桿菌が検出され、慢性気道感染症の状態が常時認められるほか、胸部X線像に線状影が明らかで、血中PCB(一二ppb・Aパターン)の存在が認められている。また皮膚科所見としては、顔面頬部・耳朶・耳後部・躯幹に黒色面皰があり、顔面・躯幹・臀部、特に外陰部に著明な痤瘡様皮疹がみられ、躯幹・臀部の瘢痕化が著明であり、その他、顔面・指趾爪・歯肉の色素沈着、爪の変形、マイボーム腺肥大、眼脂過多がなお認められている。

そして、内科領域は一部の症状に改善が認められるが、慢性気管支炎様所見にはほとんど改善がみられず、皮膚科領域については、黒色面皰、痤瘡様皮疹は当分消長をくり返すが、顔面の瘢痕・歯肉の色素沈着・爪の変形などはおそらく不変であろうと診断されている。

(五) 同原告は、油症が発症してすでに八年余、なおかなりのPCBが残存していて、前記諸症状は容易に改善をみない。ことに手足のしびれ、腹痛、全身倦怠感に慢性気管支炎様症状があつて、家事も思うにまかせず、また多少改善されたとはいえ顔面の皮疹や瘢痕は人前に出ることを控えさせ、交際も中途半端なものにしている。しかし、何にもまして夫元次郎の度重なる入院には、その看護の辛労とともに今後の生活に大きな不安を感じている。

(六) 以上次第で、同原告の症状自体、皮膚科、内科とも比較的重い方に属し(血中PCBの残留もかなり高度である)、これに前示したような諸事情を併せ考えると、その慰藉料としては一六〇〇万円を認めるのが相当である。

3  原告渡辺理恵子

(一) 原告理恵子は、窪田方が本件カネミ油を摂取した昭和四三年三月から七月頃は飯塚市にある近畿大学女子短大に通学し、近くの伯母の家に寄宿していたため、自宅に帰るのは毎週土曜・日曜の二日だけであつたから、本件カネミ油の摂取量は父元次郎、母絹子らに比べると比較的少量であつた。

(二) 六月頃から目やにが出て眼が充血したようになり、爪が黒くなつていたが、七月になると顔にニキビ様の皮疹が現われ、九月頃にはこれが足・臀部・腋の下・股間部等に広がつた。ただ皮疹は全体として数も少く、目立たなかつた。そして、同じ頃顔の皮膚が鉛色になり、爪が変形して指先が痛み、また足の裏に魚の目状の角化を生じて歩行の際痛みを覚えるようになつた。

そして、昭和四五年一一月二一日に九大で診察を受けているが、当時の症状として、顔面・爪の軽度の色素沈着、眼脂過多、マイボーム腺肥大が認められ、爪刺入のための疼痛が訴えられている。

(三) なお、同原告は昭和四五年三月一六日から五月三〇日まで、前記父の一回目の入院に際し家族と共に懸命に看病にあたつたが、その疲労が影響したのか、肺結核となり、同年一一月から昭和四七年五月まで九大生の松原病院に入院を余儀なくされた。その間肺切除の大手術をしたが、これは症状はさほどでもなかつたが、身体が弱つていたのと油症のため抗生物質等の薬が効かず、やむを得ず行われたものともいう。

(四) その後、昭和四九年四月六日九大で受診しているが、内科領域では喀痰が主たる症状で、血清中性脂肪一〇五mg/100ml(正常上界領域)と血中PCB(四ppb・Aパターン)が認められ、皮膚科領域では、陰股・腕に面皰があり時時化膿するほか、趾爪の刺入、顔面・眼瞼・歯肉・爪の色素沈着に軽度の眼脂が認められている。

そして、これらの症状は内科領域において徐々に改善するが、完治するかは不明、皮膚科領域において面皰は軽快するが、化膿、色素沈着、眼脂は当分続くものと診断されている。

(五) 同原告の油症それ自体は比較的軽症であつたといえるが、すでに認定したような経過によつて肺切除の手術を受けねばならぬ破目になり、そのため人生夢多い頃を約一年半の長期にわたつて病院で過さねばならなかつた。幸いにして昭和四八年結婚に至つたが、油症患者であることと合せて、果して正常な結婚が、そして出産ができるか、その間の悩みは深刻であつた。そして、「黒い赤ん坊」の不安を押切つて昭和五〇年五月女児を出産したが、九大の指示により母乳をあきらめ、人工乳によつて子供を育てている。

(六) 以上のように、同原告の症状そのものは比較的軽症であつたといえるが、前記諸事情を併せ斟酌すると、その慰藉料としてなお一三〇〇万円は相当と認める。

4  原告真理子

(一) 原告真理子は、本件油症が発症した当時福岡中央高校に在学中で、高校に入学した頃から陸上競技部員として活躍するほど健康に恵まれていた。

(二) 同原告の症状は、発症の時期が多少遅れているほか、ほとんど母絹子のそれと同様であり、昭和四三年四月初め発疹が少し出ていたが、次第に広がつて六月頃には体中いたるところに吹出物が出て、目やにがひどく白眼の部分が黄色く濁り、爪や歯茎の色が黒ずみ、また耳鳴り、食欲不振があつて体が疲れやすく、学校から帰つてくると食事をする元気もなく、ベツトに倒れ込むようにして寝ていた。

同年一一月一五日九大で診察を受けたが、当時の症状として、顔面・両肩・躯幹に毛孔性小結節、指趾爪に褐色色素沈着、瞼板腺の分泌過多などが認められ、また頭痛、眼脂、耳垢過多、頭毛の粗鬆などを訴えている。

その後もこのような症状が持続していたが、特に顔の色は黒くなり鼻のわきが濃く黒ずみ、爪の変形や足の皮膚の角化がひどく、吹出物は陰部や臀部に多く出て時々化濃した。そして、腹痛、吐き気に生理不順、生理痛(非排卵型月経となつており、排卵機能に障害があるのではないかといわれている。)などが続いていた。

(三) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科領域において、全身倦怠感、頭痛、喀痰などの症状があり、胸部X線上状影という気管支炎としての所見と中葉の肺炎経過という所見がみられ、血中PCBはAパターンで一一ppbの高値が認められ、皮膚科領域において、躯幹に黒色面皰と痤瘡様皮疹、顔面・外陰部・臀部に軽度の痤瘡様皮疹がみられるが、時に化膿傾向があり、顔面・躯幹の瘢痕化は著明である。また、顔面に軽度、歯肉・指爪に中等度、趾爪に高度の色素沈着があり、爪の変形、マイボーム腺肥大、眼脂過多が認められている。

そして、内科領域の症状の改善は徐々であつて、早急には期待ができず、完治するかは不明であり、また皮膚科領域において、黒色面皰と痤瘡様皮疹とは軽快を続けるものと思われるが、瘢痕は不変であり、色素沈着も高度であるので当分は残るものと診断されている。

(四) 同原告は、高校時代に本件油症が発症して、それまで陸上競技など元気に活躍していたのが、疲労が激しく体に力が入らず、走つている途中にも吐き気がしたりして、運動を続けることができなくなり、またひどい生理痛・生理不順に悩まされ、吹出物は体の至る所に出つづけ、顔は黒ずみ、眼はかすむといつた状態が続き、大学に入つても一向に変らず、苦痛に満ちた学校生活を送つた。今なお残る皮膚症状に非排卵型月経という問題を抱え、結婚生活や出産といつたことに悩み続けている。

(五) 以上のとおりで、同原告の症状はなお血中にかなり高度のPCBの残留があり、皮膚科、内科を通じ本件原告らの中位からやや上位にあると見られる。そこで、前記諸事情を考慮し、慰藉料一五〇〇万円を認めるのが相当である。

二原告佐藤俊一、同佐藤保子、同佐藤英明、同佐藤和哉について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告俊一(昭和一三年四月二六日生)と同保子(昭和一三年七月三〇日生)とは夫婦であり、原告英明(昭和三七年九月一九日生)はその長男、原告和哉(昭和四〇年一月二日生)はその二男である。

原告佐藤方には、昭和四三年三月八日同じ九電社宅の他の六軒とともに相原告国武信子の世話で、福岡油販からカネミライスオイル一八l入り二缶を共同して購入し、そのうち3.6lを分けてもらい、同月一〇日頃から同年八月頃までの間に揚げものなどに利用し、そのうちの約2.4lを費消したが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告佐藤俊一

(一) 原告俊一は、九州電力株式会社に勤務し、当時九州電力労働組合本店地方本部書記長の職にあつたものである。

(二) 同原告は、昭和四三年三月上旬頃から瞼が腫れ目やにが出て目が充血し、結膜炎のような症状を呈し、また急に身体がれやすくなつてきたが、四月には酒が飲めなくなり、食欲不振で疲労感は一層強くなつた。

しかし、他の家族に比較すると外食が多くカネミ油の摂取量が少なかつたためか、皮膚症状として特に目立つたものはなく、同年一〇月二八日妻子と一緒に九大で診察を受けたが、全身倦怠感と眼脂過多を訴えただけで、同原告のみは油症と診断されなかつた。

だが、その直後頃から臀部に吹出物が出はじめ、内股の毛孔が黒くなり、昭和四四年五月末には九大で油症と認定された。

(三) その後、足・腰の関節痛、咳、痰、鼻粘膜の炎症、嗅覚鈍化といつた症状に、時折下痢や発熱があり、また遠くに出張すると気管支炎様の症状を起こし、非常に疲れるといつた状態が続いていたが、油症研究班の診療態度に不満を抱き、爾来九大での診療を受けていない。

(四) 現在の症状としては、昭和五一年五月二七日中村内科医院において、全身倦怠、易疲労感、食思不振、睡眠障害、頭重感が認められているが、そのほかに突然の発熱や首筋のこり、背骨の痛みなどがあり、特に歯茎の化膿・変色、歯の痛みに悩まされているという。

(五) 同原告は、高校時代バレーボールの選手をしており、特に健康には恵まれていたが、油症の発症により極度の疲労感に悩まされ、出張のたびに気管支炎様の症状が起こし、労働組合の役員としての激務に堪えられなくなつたばかりか、酒が飲めなくなつて対人関係も支障をきたしている。そして、油症による死産あるいは黒い赤ちやんの報道に不安を感じ、まだ子供を欲しいと思つていたが自ら不妊手術を受けた。

(六) 以上の次第で、同原告の症状は本件原告らのうちでは最も軽い方に属する。そこで、前記諸事情を考慮すると、その慰藉料としては八〇〇万円が相当と認められる。

2  原告佐藤保子

(一) 原告保子は、昭和三五年一〇月一六日夫俊一と結婚し、二人の子供を育て家事に従事してきた。

(二) 同原告は、昭和四三年二月末頃、まず瞼が腫れ目やにが出て目が充血し痛みを覚えるようになつた。次いで三月初めには、顔面・耳の周囲・首筋などに皮疹が発生し、次第に大きく固まり、六月頃になると、化膿して吹出物になり、これが全身に広がつた。そしてその頃から、足の裏に魚の目状の角化が生じて痛みのため靴がはけなくなり、爪も黒くなつて変形し、ことに足の爪は肉にくい込むようになつた。更に同じ頃から、全身の関節部が痛み、特に足の痛みがひどく立つておれないほどになり、頭痛や寒けに中耳炎症状も加わつて難聴気味になつた。

その間、同原告は同じような症状の子供二人を連れて眼科・皮膚科・小児科・内科・耳鼻科と種々の病院に通い続けたが、症状は次第に悪化するばかりで、九月頃になると、顔は鉛色になり、おできは全身をおおい、特に背中や陰部、臀部の化膿が著しく、また頭痛、関節痛、食欲不振で疲労がはなはだしいため、やせ衰えてしまつた。

同年一〇月二八日九大で診察を受け、油症と診断されたが、当時の症状として、顔面・背部の痤瘡様皮疹、爪・眼瞼結膜の色素沈着、眼脂過多などが認められ、同時に脱毛、手足のしびれ、全身倦怠感、生理不順等が訴えられている。

(三) その後もこのような症状が特続したが、特に爪が肉にくい込んで歩けないほど痛むため、この間左足三回、右足一回、計四回足の爪を剥ぐ手術を受けた。右手術の際の麻酔の注射は非常な痛さであつたが、その結果はやはり後に生えてきた爪が肉にくい込み、今は手術をあきらめて、時折くい込んだ爪の端の部分をひとり痛さに堪えながら剥いでいる。また、その頃陰部や臀部の吹出物が化膿して歩行にも差支えるようになり、再三切開手術を受けたが、患部に穴を開けてガーゼを突き込まれるときの痛さは、恥しさとともに堪えがたいものであつた。

しかし、昭和四六年頃になると皮膚症状は若干軽減したが、その他の症状は依然として続き、吐き気を伴つた頭痛や生理痛がとりわけ激しく、微熱や手足のしびれ、倦怠感などが続いている。

(四) 九大での診療を受けなくなつたことは夫俊一と同様であるが、昭和五一年五月二七日中村内科医院において、全身倦怠感が強く、頭痛発作が頻回に襲来して頑固に特続し、時に四肢関節の疼痛があり、不眠不安感、食思不振、腹部不快感を伴うと診断されているほか、手足のしびれや寒冷感、健忘症などを訴え、またそれほどの年令でもないのに老眼鏡を必要とするようになつたと述べている。

(五) 同原告が油症に罹つたころ、二人の子供はまだ手のかかる五才と三才の幼児であつた。それが母子ともども各種の症状に悩み、ことに九大での診療に不満を抱きこれを避けたことから、数多くの個人病院に連日通院を重ねねばならなかつた。同原告自身、前記したような下腹部の化膿の切開手術や肉に刺入した爪を剥ぐ作業に非常な苦痛を感じ、また、脂肪を押し出すため皮膚科で顔の吹出物を切つたのは一〇〇回を超え、穴だらけになり黒くなつた顔を人前にさらさないよう、真夏でもスカーフに顔を隠して外出するなど、生活の不自由に堪えてきた。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科領域がやや重く、内科領域も軽視しえないが、通じて本件原告らの中位にあると見られる。そこで、前記諸事情に被告カネミからの支払金額等を併せ考えると、その慰藉料としては一三五〇万円が相当である。

3  原告佐藤英明

(一) 原告英明は、油症が発病した昭和四三年三月当時五才で幼稚園に通園していた。

(二) 三月上旬、目やにが出て目が充血し結膜炎のような症状からはじまり、間もなく気管支炎症状もあらわれ、また、五月頃には瞼の腫れがひどくなつて、鼻に蓄膿症のような症状も出るようになつた。八月に入ると、顔面に吹出物が出はじめ、毛孔が黒くなり、全身の皮膚がざらざらした感じになつた。やがて爪も変色・変形して、足の爪は肉にくい込み痛みを伴うようになつたが、年令的に堪えられず爪を剥ぐような手術は受けていない。

そして、この頃から頻尿に食欲不振をきたし、体重の増加が止まり、五才から九才になるまで一kgしか増えないという驚くべき成長阻害がみられた。

一〇月二八日母親とともに九大で診察を受け、油症と認定されたが、当時の症状として、眼瞼腫脹、眼脂過多があり、前額の面皰、爪の色素沈着が認められるほか、関節痛、頻尿(これが油症によるものか、他の油症患者にもその例がなく、疑問であるが)、全身倦怠感などが訴えられている。

その後も、一日二〇回も便所に行くような頻尿(昭和四五年頃腎臓の障害を疑われ一時入院)、瞼の腫れ、目やに充血、爪の変色・変形、気管支炎、鼻炎といつた症状に、関節の痛み、食欲不振、疲労感といつたものが続き、小学校に入つての運動に何かと支障をきたしているが、学校から帰つても家の中でごろ寝ばかりしており、子供らしい活発さが見られなくなつた。

(三) そして、同原告は発症後間もなくの頃から視力の低下を訴えていたが、現在裸眼で右が0.01、左が0.02程度となつている。目やに、目の充血といつた症状から視力が一時的に低下することは、油症患者に多く見られるところであり、そのことはすでに前記損害総論で触れたとおりであるが、それにしても、このように長期間にわたつて視力障害が持続する事例は少く、他原因の存在も十分考えられるので、これがすべて油症によるものと即断することはできないが、前記のような眼症状の経過からすると全く関連がないということもできないであろう。

(四) また、同原告は発症の頃門歯が二本、歯茎とともに化膿して痛み、甲第一〇五号証の一〇の1によると、むしろこれが初発症状であつたというのであるが、右甲号証より前に提出された書証等にはそのような記載がなく、時期的に見ても油症との関連には疑問がある。もつとも、その後乳歯が抜けて生え替るころ、永久歯の生えてくるのが遅く、また生えてきた歯も上下が十分に噛み合わず、矯正などのため歯科医院にしばしば通わねばならなかつた事実があるが、これは相原告水俣圭子、同京子らの症状と照らし合わせると、やはり油症による影響を認めるべきである。

(五) 昭和五一年五月二七日中村内科医院での診察によると、全身倦怠感、易疲労感があり、尿蛋白陽性で運動等により増悪し、しばしば腹痛及び咳嗽・喀痰等の症状があるとされている。

(六) 同原告は、前記のように幼稚園の頃発症してすでに中学生となつているが、特に目の充血、目やに、視力低下、関節の痛み、腹痛、全身倦怠、疲労感といつた症状に、勉強、運動とも思うにまかせず、不満足な学校生活を送つてきた。しかも、これら油症に基づく諸症状に、教師や友達の十分の理解なく、種々気まずい思いをしている。

(七) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科、内科の各領域とも、さほど重篤とはいえないが、前記諸事情を併せ考えると、その慰藉料として一四〇〇万円を認めるのが相当である。

4  原告佐藤和哉

(一) 原告和哉は、本件油症が発症した昭和四三年三月頃まだ三才の幼児であつた。

(二) 三月上旬頃長男英明と同様、まず結膜炎、気管支炎に以た症状があらわれ、六月には鼻づまりがみられ、八月に入ると、顔面に吹出物ができ、毛孔が黒くなり、また爪が変色して変形するといつた症状がはじまつた。この皮膚症状は兄英明に比べると幾分強めであつた。

一〇月二八日九大で診察を受けたが、当時の症状として、両頬に面皰様皮疹、両下腿にも毛嚢一致性角化性丘疹と皮膚の乾燥性、爪の色素沈着がみられ、眼脂過多と皮膚の変色が訴えられている。そして、このとき油症と診断されている。

その後も、吹き出物、爪の変色・変形、気管支炎、鼻づまりといつた症状が続き、これに関節の痛み、食欲不振、疲労感などの諸症状が加わり、戸外で遊んでいるとすぐ発熱するので、家の中でごろ寝ばかりしている状態であつた。そして、三才から六才まで体重は兄英明と同様一kgしか増えず、身長はほとんど伸びなかつた。

(三) この間、同原告の眼は、目やにが出たり、充血したり、また極度に光を眩しがつたりしていたが、症状が次第に悪化し、昭和四三年三月下旬、昭和四四年三月下旬、同年七月下旬の三回は疋田眼科医院で、その後昭和四五年七月下旬、昭和四六年三月の二回は広石眼科医院で、計五回の手術を受けたが、結局のところ右眼は回復の見込みもなく失明し、左眼の視力もようやく0.09をとどめているにすぎない。甲第一〇五号証の一〇の1によると、水晶体が石炭のように固くなつているというのであるが、その原因は明らかにされていない。しかし、同原告の本件カネミ油の摂取量はもともと家族全体としても3.6lで多い方ではなく、したがつてその皮膚症状等もそれほど際立つて激しいものが見受けられないのに、右カネミ油を摂取しはじめてからわずか一ケ月余を経たばかりの昭和四三年三月下旬の時点で(右3.6lを費消し終えたのは同年八月である)、すでに第一回の手術を受けねばならないほど眼の症状は悪化していたというのであり、しかも甲第五五号証の二の4によれば、それが白内障の診断のもとに手術が行われていることなどを考え併せると、その後の症状の経過に本件油症が何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないにしても、その失明が油症に基づくものとまで認定するには躊躇せざるを得ない。

(四) 現在の症状としては、昭和五一年五月二七日中村内科医院で診察を受けているが、全身倦怠感のほか、食思不振、食後膨満感があり、しばしば咳嗽・喀痰の症状があつて頑固に持続しているとされている。

(五) 同原告も、三才の幼児期に油症が発症したが、すでに小学校を終えようとしている。前記諸症状によつて不満足な学校生活を送つていることは、兄英明と同様であろう。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の症状のうち特に問題となるのは右眼の失明であるが、これが油症による影響は否定できないにしても、その因果関係を十分に確定できないこと前記のとおりとすれば、他はそれほど重いとはいえず、諸般の事情を考慮しても、その慰藉料としては一五〇〇万円をもつて相当とする。

三原告水俣安臣、同水俣由紀子、同水俣圭子、同水俣京子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告安臣(昭和六年五月一七日生)と同由紀子(昭和一〇年四月二二日生)とは夫婦であり、原告圭子(昭和三六年一〇月二四日生)はその長女、原告京子(昭和四〇年四月七日生)はその二女である。

原告水俣方では、昭和四〇年一二月頃からカネミライスオイルを近所の米屋で購入して使用してきたが、同じ九電社宅の相原告国武信子の世話で福岡油販よりカネミライスオイルを一八l入り缶で共同購入することになり、昭和四三年二月八日に右一八l入り二缶を九電社宅七軒で取り寄せ、そめうち九lを購入して、同月一〇日頃から同年七月初め頃までの間にこれを天ぷら、揚げもの、いためもの、ドーナツ等に費消してしまつた。これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

特に、原告水俣方は他の原告方と比較して本件カネミ油の摂取量が多く、そのため油症の症状も最も激しく典型的である。

1  原告水俣安臣

(一) 原告安臣は、九州電力株式会社に入り、油症発症のころは管理室管理課勤務で経営計画の事務を担当していた。

(二) 昭和四三年初め頃、体がだるくて常に疲れているような感じになり、更に手足や背、腰がだるくなつて同じ姿勢を長時間続けることができなくなつた。

そこで、九電の診療所で検査を受けたところ、コレステロール値が非常に高く低血圧とのことで、しばらく増血剤を服用していたが一向効果がなかつた。やがて朝の起床時に背から腰にかけて筋肉が異常に緊張し、身動きができなくなつて、妻に揉んでもらつてようやく起きるといつた状態であつたが、そのうち瞼が腫れ目やにが出て白眼が充血したようになつた。そして六月になると、唇の下あたりにニキビ状の吹出物が出はじめ、次第に顔がむくんで、吹出物は全身に広がり、かゆみを伴つて化膿してきた。

同年八月九日九大で診察を受けたが、当時の症状として、顔面・上肢に痤瘡及び膿疱がみられ、歯肉に色素沈着があり、全身倦怠感を訴えている。

このような症状は一段と悪化して、爪が変形・変色し、鼻が乾いて風邪にかかりやすく、また咳や痰に悩まされるようになつた。

(三) 同原告はその後も治療のため九大に通院を続けていたが、油症患者の代表的症例として検査・研究のため何回となく入院し手術を受けた。

まず昭和四三年一〇月二二日から二九日まで、家族全員が九大皮膚科に入院させられた諸検査を受けた。各人が毎日血液を一〇g平均採取され、皮膚の一部をはがれ、心電図・心音図をとられ、また肝臓・眼科・耳鼻科・神経内科等の検査を受けた。

次いで昭和四四年二月一八日から一九日にかけて、原告安臣が肝臓検査のため九大第三内科に入院した。一八日の午前一〇時頃から約一時間にわたつて、胸部第六肋骨の間を約一cm切開して針で三回生肝を採取された。同夜は背腰の筋肉が痛み三八度位の熱があつて眠られず、一九日午前四時頃ようやく眠りに就いたが、退院後も一週間ぐらいこの痛みが続いた。検査の結果は、肝細胞に異常があるが、これは機能上の問題ではなく毒物の排出強化作用によるものと考えられるとのことであつた。

更に同年三月一五日油症研究班によつて造血機能の検査ということで、同原告は胸部の骨から骨髄液五CCを採取された。

そして、同年一〇月中旬副腎検査を受けたところ、ホルモンの分泌が多すぎPCBの検出値も高かつたため、同月二〇日から同年一二月四日まで検査と治療を理由に九大第二内科に入院させられた。そのうえ温泉療法をすすめられたので、引続き同年一二月二八日から翌四五年二月一三日まで、家族全員が別府のみようばん温泉に行き、湯治の傍ら九大温泉研究所で診療を受けたが、特段の効果も認められなかつた。

(四) このような治療・検査の経過をたどりながらも、全身の吹出物は容易に減らず、吹出物の化膿が続いて、少しでも酒を飲むとこの化膿がひどくなり、また甚しい二日酔に悩まされるため普通の交際もできないほどである。そして、耳は遠くなり、咳痰がよく出て、背や腰の痛みは慢性化し、結膜炎・鼻カタル的症状や体の疲労感・虚脱感が依然として続いているという。

(五) 現在の症状(昭和五〇年四月五日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、咳嗽、喀痰、頭痛、手足のしびれ感等があり、血液検査によつて中性脂肪の著しい高値が認められているほか、皮膚科的所見として、顔面に痤瘡と陥凹性瘢痕があり、耳介や臀部に皮下嚢腫がみられ、歯肉・指趾爪・眼瞼結膜に色素沈着、それからマイボーム腺肥大が認められている。

そしてこれらの諸症状は、陥凹性瘢痕を除き、内科・皮膚科領域とも徐々に改善が期待されるが、果して完治するかは不明と診断されている。

(六) 同原告は、本件油症の発病によつて前記のように入・通院を繰り返し、その症状にともなう苦痛もさることながら、会社の有給休暇も使い果たし、また担当職場を三人で持つているため、欠勤も思うにまかせず、身体の疲労その他の諸症状に堪えながら、無理をして働いてきた。しかし、同原告を含め家族の油症治療のため福岡を離れることができず、転勤による昇任の機会をみすみす失つてきた。同時に入社した仲間がすでにある程度責任のある地位に就いていることを考えると不利益は否定できない。しかも、前記のように酒が飲めなくなつたため、同僚や友人との交際も事欠くようになり、変な目で見られがちである。

(七) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科とも極めて重く、前示諸般の事情を考えるならば、被告のカネミからの支払金額を考慮しても、慰藉料一八〇〇万円を認めるのが相当である。

2  原告水俣由紀子

(一) 原告由紀子は、昭和三五年一二月夫安臣と結婚し、その間に二児をもうけ、もつぱら家事に従事してきたが、油症が発病した昭和四三年三月当時たまたま妊娠四ケ月であつた。

(二) 三月下旬頃から、まず瞼が腫れて全身がだるい感じになり、顔がむくんできた。そして四月に入ると、目やにがものすごく出て、まぶしさを異常に感ずるようになり、白眼が黄色くなつた。また、咳がひどく微熱が続いて、昼間は鼻汁が出て夜は鼻づまりになるといつた状態であつた。五月初めには、皮疹というより少し大きな吹出物がまず内股や口もとにでき、それが次第に広がつていき、痛みやかゆみを伴つてきた。右の症状は更に進んでいつたが、五月末頃には手の爪から指先の一関節までが紫色になり、六月頃には手足の先がしびれ足の甲が腫れるとともに、足の爪が変形して肉にくい込み、また踵が角化してきて、履き物をはいて外出することはもちろん、痛みのため歩くことも立つていることもできず、家の中を這い廻り、炊事も椅子に座つてする有様であつた。

(三) そして、この頃九大皮膚科に通院をはじめたが、診察にあたつた教授から突発性の遺伝ではなかろうかといわれ、大変なシヨツクを受けると同時に、特に生まれてくる子供について案じていたところ、六月末には胎児の心音が聞かれなくなり、七月七日に近くの東野婦人科において真黒くどろどろになつた女児を死産した。

同年八月九日九大で診察を受けているが、当時の症状として、顔面・躯幹に痤瘡が多数みられ、一部は膿疱となつており、また色素沈着も強く、ことに指趾爪に強い色素沈着が認められており、背部の疼痛や指先の感覚異常を訴えている。

(四) そして、同年七月頃からは九大のほか清水皮膚科・中村内科などに通院して治療を受けたが、症状は好転せず、かえつて吹出物は広がる一方で背中・内股・陰部・臀部などには化膿がはじまり、一種異様な臭いとともに、顔の色が鉛青色に変り、特に鼻のあたりが黒くなつて頬が腫れあがり、夫安臣が「お岩の幽霊」というほどまでひどい状態になつた。

また、油症発症のころから耳垢がものすごくたまるようになつていたが、耳鳴りがして次第に難聴になり、昭和四四年になると補聴器をつけねばならなくなつた。

その後、頭痛に加えて歯が痛くなり、歯茎が浮いて化膿し、レントゲンで見ると歯茎の横の方の骨がすつかり腐つているといわれた。

(五) この間、昭和四三年一〇月二二日から二九日まで九大皮膚科に入院して諸検査を受けたことは夫安臣と同様であるが、胃の痛みと肝臓の異常により昭和四四年三月二〇日から同年五月二八日まで、九大第三内科に入院して治療を受け、また同年一二月二八日から翌四五年二月一三日までは家族全員で、同年八月八日から二二日までは夫安臣を除く三名で、再度別府に行き湯治の傍ら九大温泉研究所で診療を受けた。

しかし症状は容易に軽快せず、家族間で互いに吹出物を押し合つて中に溜つている脂胞の固まりと膿を押し出しているが、大きな化膿部分や陰部のできものは素人の手に負えず、病院で切開してもらうほかはない。ただ、陰部はそれだけでも恥しさに堪えられぬ思いであるが、麻酔がかけられないということでそのままメスを入れられ、非常な痛みを感じている。しかも、切開した跡がなかなか治らず、一週間も二週間も傷口が開いたままで、そのため陰部も変形してしまい、夫婦関係も杜絶したままとなつている。

(六) 現在の症状(昭和五〇年一二月二〇日九大皮膚科、昭和五一年二月七日同内科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感のほか、咳嗽、喀痰、耳鳴り、四肢のしびれ感などがあり、貧血、赤沈の昂進、血清中性脂肪の高値、気管支炎様の胸写所見などが認められ、皮膚科所見として、顔面・躯幹・外陰部・臀部などに多数の痤瘡と陥凹性瘢痕がみられ、これらの皮疹、特に臀部のものは化膿しやすく、また顔面・指趾爪・歯肉・眼瞼結膜に色素沈着があり、マイボーム腺肥大も認められている。

そして、これらの症状は内科・皮膚科領域とも、陥凹性瘢痕は別として、徐々に軽快しつつはあるが、なおしばらくは持続し、果して完治するかは不明と診断されている。

(七) 同原告は、自分自身のこのような重篤な症状による苦痛もさることながら、主婦として自分の準備した食事により、家族の平凡でも幸せであつた生活が失われてしまつたことに特に苦悩を感じている。休日ともなればサイクリングや旅行といつたことも考えてはみるが、まず家族全員が揃つて身体の調子がよいことは少く、誰れか一人は具合が悪く、また互いに注射針やピンセツトを持つて、吹出物から溜つた脂肪を採り合うことにはじまり、それに疲れ切つてしまつて外出をあきらめることも多く、たまに外出しても乗物の中など、その皮膚症状や脂肪臭から隣席の客に敬遠され、これが家族全員であれば余計に目立ち、座席に座るにも座れず、なにかと気がねしなければならない有様で、かえつて疲労を深めさせる結果になるにすぎない。このような状況に人並みの楽しい思い出もなく成長し行く二人の子供の将来に対し、特に二人とも女子であることに強く不安を感じている。

(八) 以上のとおりであつて、同原告は本件カネミ油の摂取量も多く、その症状は皮膚科、内科を通じ、全油症患者のうちでも最も重いものの一人と認められ、前記したような諸事情を併せ考えると、被告カネミからの支払金額を参酌しても、その慰藉料としては二〇〇〇万円が相当である。

3  原告水俣圭子

(一) 原告圭子は、昭和四三年三月本件油症が発病したが、小学校に入学する直前であつた。

(二) 三月中旬から異常に耳あかが溜るようになり、江浦耳鼻科で一週間ごとにとつてもらつていたが、やがて咳が出はじめ鼻づまりとなり、四月に小学校に入るころには、目やにが出て白眼が黄色くいつも寝ぼけたような眼になつた。そして、四月下旬頃から腹部に湿疹のようなものができはじめ、その後これが次第に背中・腋、顔面に広がり、また少し大きな吹出物となつて行つた。

六月頃から九大に通うようになり、その他数多くの皮膚科・内科・眼科等の病院において治療を受けたが、同年八月一二日九大で診察を受けた際、当時の症状として、顔面・躯幹・外陰部・肘・膝などに多数の痤瘡があり、顔面・歯肉・眼瞼結膜の色素沈着及びマイボーム腺肥大が認められている。

そして、これらの症状は一層悪化し、目やにがひどくなつて瞼が腫れ、1.2ぐらいあつた視力も0.5ぐらいに落ち、手足の角化、爪の変形・変色があつて、顔その他の皮膚の色が鉛色になつた。更に、38.9度の高熱が出て一週間も続き、下痢もしないのに腹痛を訴えてころがりまわつたこともあつた。

この間、母由紀子と共に九大皮膚科に入院して諸検査を受け、また別府に再度温泉治療に赴いたが、一向に効果はなく、全身に広がつた吹出物は化膿しはじめ、特に下腹部の化膿がひどく、激しいときは四、五日おきに次々と化膿し、病院でこれを切開してもらつたが、痛みのために学校に登校できないこともたびたびであつた。

(三) そのうえ、同原告は乳歯の抜けたあとに永久歯がなかなか生えてこず、食事もすすまず衰える一方で、成長が止まつたような感じになり、身長・体重とも年令に応じた伸びを示していない。そして、たまさか永久歯が生えてきたと思つたら、上から下向きに生えた歯が途中で一回転して上向きになつたりする始末で、到底食事の用を足すだけの歯が揃うことが期待できなくなつたので、昭和四五年秋頃総入歯に近い(一二本)入歯をした。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、疲れやすく、喀痰を伴う咳嗽がみられ、身長の伸びも悪く、また胸部X線像では気管支陰影の増強が認められ、皮膚科所見として、耳介に痤瘡があり、顔面の陥凹性瘢痕は、著明で、腋窩・臀部などに嚢腫があつて時々化膿するほか、顔面・指趾爪・歯肉に色素沈着、またマイボーム腺の肥大が認められている。

そしてこれらの症状のうち、陥凹性瘢痕はこのまま残り、全身倦怠感は現に軽減しつつあり、痤瘡・嚢腫・色素沈着などは徐々に軽減すると思われるが、いずれも完治するかは不明とされている。

(五) 同原告は、小学校入学直前に油症が発症して、前記認定のような諸症状のうちに小学校生活を送つてきた。これが同原告の身体の成長の種々の障害を残していることはすでに見たとおりであるが、精神的に与えた影響も否定できず、両者相俟つてその進学・就職・結婚といつた将来に及ぼす不利益は計り知れないものがある。

(六) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科、内科とも極めて重く、ことに油症がその成長期に及ぼした影響も顕著であり、軽視しえないものがある。そこで、前示諸事情を勘案すると、その慰藉料としては二〇〇〇万円をもつて相当と認める。

4  原告水俣京子

(一) 原告京子は、油症が発症したころようやく三才になつたばかりであつた。

(二) 同原告の症状、発症の経過はほとんど姉圭子と同様であり、同年三月中旬から一〇ケ所近くの病院に次々に通つて治療を受けたため、せつかく同年四月から幼稚園に通園するようになつていたが、一週間のうち半分ほどは休むような有様であつた。

六月七日に九大で診察を受けているが、当時、顔面・腹部・腋窩に痤瘡があり顔面・頸部・躯幹・指趾爪に色素沈着が認められている。

その後も、姉圭子と同じく、目やにや瞼の腫れ、全身の吹出物、手足の角化、爪の変形・変色、皮膚の変色、鼻づまり、咳、発熱、耳あかの異常分泌、全身的衰え、発育の停止といつた諸症状がみられたが、姉に比較すると、目の周囲がよく化膿し、また特に足の爪の変形や角化がひどく、一時期はほとんど歩けなくなつて、遊ぶのも食事をするのもすべて寝ころんだままといつた状態であつた。

そして、乳歯が抜け永久歯が生えかわる頃になり、一向永久歯が生えてこないのも姉同様であるが、年令的に多少幼かつたため、しばらく模様を見ていたが、結局昭和四七年頃総入歯をするに至つた。

(三) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、腹痛、全身倦怠感の訴えがあり、身長の発育抑制が認められ、咳嗽、喀痰が多く、胸部X線像で肺門陰影の軽度増があり、皮膚科所見として、耳介・腋窩に痤瘡があり、顔面の陥凹性瘢痕が著明で、顔面・歯肉・眼瞼結膜・指趾爪に色素沈着、それにマイボーム腺肥大が認められている。

そして、これら症状の今後の見込みについては姉圭子におけると全く同様に診断されている。

(四) 原告京子は、三才にして油症となりその幼年時代を前記のような症状のうちに過してきた。それが同原告の身体の発育についてはもとより、その精神面に多くの影響を残していることは姉圭子の場合と同様であるが、更に幼い時期に発症しており、これらのもたらす将来の不利益については一層計り知れないものがある。

(五) 以上のとおりで、同原告の症状その他諸事情はほとんど姉圭子と同様であり、その慰藉料もやはり二〇〇〇万円を認めるのが相当である。

四原告渋田正男、同渋田テル子、同渋田勝彦、同渋田真理子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告正男(大正一五年一〇月二九日生)と同テル子(昭和二年二月二五日生)とは夫婦であり、原告勝彦(昭和二九年六月四日生)はその長男、原告真理子(昭和三五年一一月一八日生)はその長女である。

原告渋田方では、相原告国武信子の世話で昭和四二年八月よりカネミライスオイルを、同じ九電社宅に住む者が福岡油販から一八l入り缶で共同購入して、使用してきたところ、昭和四三年二月八日にも右一八l入り二缶を共同して購入し、そのうち1.8lを分けてもらい、同年四月頃から同年八月下旬頃までの間に、そのうちの約1.4lを揚げもの、野菜いため、卵焼、焼飯等に使用したが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告渋田正男

(一) 原告正男は、かねて九州電力株式会社に勤め、八幡・小倉と転勤し、昭和三八年頃から福岡の本社に移つて、通信関係の業務に従事してきた。原告渋田方は前記のように本件カネミ油の使用最が約1.4lと他の原告方に比べやや量が少く、しかも原告正男は仕事の都合で外食することもあつたので、摂取量は妻子に比べて比較的少量であつた。

(二) 昭和四三年八月頃から後頭部にブツブツができ、ことに両肩から腕にかけて体がだるく、疲れやすくなつたが、同年中は特に目立つた症状もなく油症の発病といえるか疑問視される程度のものであつた。しかし、昭和四四年に入ると目やにが出て目がかすむようになり、やがて背中にあせも状の吹出物が広がり、腰痛、腹痛に下痢も加わつてきた。そして、同年七月二六日九大で足首の関節部にできていたコブ状のものから液を注射器で抜き取つてもらつていたが、そのときはじめて油症と診断された。

その後もこれらの症状は一進一退を続けていたが、昭和四五年八月三日九大で診察を受けた際、倦怠感、喀痰、下痢、手足のしびれ感、歯が浮く、眼脂過多、脱毛などを訴え、耳漏、滑液膜炎が認められており、色素沈着や面皰は認められていない。もつとも、右症状のうち耳に関する分については、同原告は他の症状より数ケ月早く昭和四三年春から耳の内部の湿疹を訴えているが、本件カネミ油を摂取しはじめたのが同年四月からであつたことを考えると、油症との関連は疑問としなければならない。

(三) 現在の症状(昭和五〇年一月二八日九大皮膚科受診)は、皮膚科所見として、眼瞼結膜に軽度の色素沈着と眼脂過多が認められるほか、さしたる症状もなく、完治するものと診断されているが、内科領域については昭和四五年八月三日以降受診しておらず、明らかでない。ただ、昭和四七、八年当時において、なお肩こり、腰痛、頭痛、動悸、息切れ、歯が浮くといつた症状を訴え、また冬になると足が引きつつたり、ズボン下を二枚はかねばならないほどの寒冷感があるという。

(四) 同原告は、前記のような九州電力で通信関係の業務に就き、机上での事務的な仕事を主としてきたが、油症発病以来とみに体の疲労が激しく、書類等の作成に長時間あたつていると肩から腕にかけて非常な痛みを感じ、いつそ腕を切り落したくなるほどであり、また、時には外での仕事もあるが、冬期には足の寒冷感がひどく、肩が痛み足が引きつるといつたこともあり、仕事の面で種々不自由を感じている。

(五) 以上の次第で、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ本件原告らのうちでは最も軽い範囲に属するといえる。そこで、前示諸事情も考慮のうえ慰藉料として八〇〇万円を認めることとする。

2  原告渋田テル子

(一) 原告テル子は、昭和二六年一一月夫正男と結婚し、二人の子供を育て家事に従事してきた。

(二) 昭和四三年六月頃から体がだるく、手先の感覚が鈍つてしびれるようになり、また目やにが出て目がかすみ、腹痛、腰痛に生理異常も加わつた。七月になると、顔がはれて小さなブツブツができ、顔面がざらざらして毛孔が目立つようになり、顔色も黒ずんできた。やがて陰部全面にあせも状のものができて異常なかゆみに悩まされた。

同年一〇月一八日九大で診察を受け、当時の所見として、鼻尖部が多少黒く、爪がいくらか褐色を呈し、手掌が湿つぽいことが認められ、指先のしびれ感、右腰痛、右足縁の疼痛などを訴えたが、その際は皮膚症状が少く油症とは認められなかつた。しかし、同月末の検診では子供二人とともに油症と診断された。

その後一一月になると、手は朝方パチパチに腫れ、手足のしびれで目が覚めるような有様で、腰痛もたびたび起つていた。昭和四四年に入ると、首のつけ根がひどくしびれるようになり、肩や腕がだるく、痰がよく出るようになつた。そして、足首や膝の関節が痛み、足首は次第に腫れてコブ状になり、左足首は七月中旬、右足首は九月上旬に九大でそれぞれ液を抜き取つた。この頃すつかりやせて体重は油症前より約八kg減少していた。

(三) 現在の症状(昭和五〇年一月二一日九大内科、同月二八日同皮膚科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、手足のしびれ、関節腫脹、喀痰、月経不規則の自覚症状があり、血中PCB(三ppb・Aパターン)の存在と胸部X線上軽度の線状影が認められているが、血清中性脂肪は昭和四四年八月に二〇〇mg/100mlを記録したものが六七mg/100mlと正常域内に復しており、また皮膚科的所見としては、極めて軽度の趾爪の色素沈着、第一趾爪の刺入、蹠部の角質肥厚が残存しているほか、マイボーム腺の肥大が認められている。

そして、これらの症状のうち内科領域はなお改善不十分で治癒の見込みは不明、皮膚科領域も色素沈着は消失するが、その他は不明とされている。

(四) 同原告は、前記のような症状それ自体による苦痛とともに、発症以来日々の炊事、洗濯、掃除といつた家事が十分にできず苦しんできた。たとえば、体の疲れやすさや足の関節の悪さから、長時間立つたままの炊事や、正座しての仕事あるいは階段の昇り降りに不自由し、また、肩から腕にかけてのだるさや痛み、指先のしびれなどのため、物の持ち運びから布団の出し入れにも苦痛を感じてきた。現在なおこのような症状が持続し、いつ治癒するとも分らない状況に大きな不安を感じている。

(五) 以上の次第で、同原告の症状は、概して家族中では主婦の症状が重いが、そのうちでは比較的軽い方にあるといえる。そこで、前示諸事情を考慮して慰藉料一二〇〇万円を相当と認める。

3  原告渋田勝彦

(一) 原告勝彦は、本件油症が発症した昭和四三年七月当時中学二年生であつた。

(二) 同原告は、同年七月頃から肩が異常にだるくなり、肩からカバンを吊すことができず手に持つて通学していたが、瞼が腫れ目やにが出て、目もかすむようになつた。九月になると、顔や下半身に吹出物ができ、体が疲れやすくなつた。

一〇月末頃油症と診断されたが、一一月八日九大で診察を受けた際、初発症状として腹痛、下痢、食欲不振、腰痛などがあつたことを訴え、また右診察時において、左頬に毛孔一致性の丘疹の群生、両指爪にいくらかの褐色調が認められ、また手掌が湿つぽく、肩こり、目のつかれ、目やに等を訴えていた。

その後も、時々腹痛があり、動悸、吐き気、息苦しさなどを訴えていたが、昭和四四年に入ると、咳がひどく鼻づまりが続き、心臓がしめつけられるような感じがあつて、九大で心電図を取つた。時には乱調があるとのことであつた。

また同原告は発病前1.2の視力があつたが、視力が次第に衰え、昭和四四年八月頃から眼鏡を掛けるようになり、裸眼で0.2位ままで低下した。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二一日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、腹痛などの自覚症状があり、血中PCB(二ppbではあるがAパターン)と尿蛋白の陽性が認められるほか、諸検査には異常がなく、皮膚科的所見としては、顔にわずかに痤瘡様皮疹(もつとも、発症後すでに五年六ケ月を経た時点で、同原告の年令等も考えると、この皮疹が油症によるものか疑問がないわけではない。)が認められ、眼脂過多が訴えられている。

そして、内科領域は治癒するか否かは不明であるが、治癒傾向を示しており、皮膚科領域は完治するものと診断されている。

(四) 同原告は、中学二年で発症して高校、大学と進学してきたが、体の疲れや肩、首筋のだるさ、頭痛などに視力の低下が加わり、勉強に支障をきたすとともに、運動も十分にできなかつた。そのため大学での専攻科目も制約され、将来の就職についても不安を感じている。

(五) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ、年少にして発症した原告らのうちでは軽い方に属する。そこで、前記諸事情等も考慮して慰藉料一二〇〇万円を認めることとする。

4  原告渋田真理子

(一) 原告真理子は、小学二年生のとき本件油症が発病した。

(二) 昭和四三年七月頃まず右足踵が痛みはじめ、瞼が腫れ目やにが出るようになつた。一〇月頃になると、足から臀部付近に小さなブツブツができ、歯ぐきも黒ずみ、一一月には手足の冷えがひどく感覚も鈍くなり、耳鳴りがするようになつた。

昭和四四年一月一六日九大で診察を受けたが、当時の症状として、両膝窩より下腿にかけて毛孔の著明化、上歯肉部に色素沈着がみられ、右踵部痛が訴えられている。

その後、同年一月頃から腹痛、むかつき、吐き気が激しくなり、食欲が減退し、学校を休むことが多くなり、また登校しても早退したり、保健室に行つたりすることが多かつた。そして、昭和四五年一〇月には検査によつて肝臓の障害が指摘された。

(三) 現在の症状(昭和四九年一一月二一日九大受診)は、内科的所見として、喀痰を伴う咳嗽が多く、頭痛、腹痛、疲れやすいなどの訴えがあり、胸部X線像に気管支陰影の増強が認められ、皮膚科所見としては、軽度の眼脂過多を訴えるほか特に認められていない。そして、内科領域は治癒の見込み不明であるが、皮膚科領域は完治するとされている。

(四) 同原告は、小学校のとき発病して、前記のような症状経過のうちに、小・中学校を終つたが、頭痛、腹痛、むかつきなどのために十分勉強に力を入れることができず、また運動、遊戯など友達と一緒に行動できないことも多く、残念な思いをしている。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は兄勝彦に比し、皮膚科領域がやや軽く、内科領域がやや重い程度と認められるが、前記したような諸事情を考慮し、慰藉料としてやはり一二〇〇万円を認めることとする。

五原告村山博一、同村山千枝子、同村山直也、同村山啓子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告博一(昭和三年七月二三日生)と同千枝子(昭和三年五月一三日生)とは夫婦であり、原告直也(昭和二八年三月二五日生)はその長男、原告啓子(昭和三一年五月四日生)はその長女である。

原告村山方では、千枝子が近所の米屋のすすめで昭和四二年頃からカネミライスオイルを購入使用してきたが、同年八月からは同じ九電社宅の相原告国武信子の世話で福岡油販より一八l入り缶で共同購入するようになつていたところ、昭和四三年二月八日にも右一八l入り二缶を共同して購入し、そのうち九lを受領したが、これから3.6lを相原告窪田方に分けたので、村山方では残りの5.4lを、同月二〇日頃から同年四月初め頃までの間に天ぷら、揚げもの、野菜いため等に費消してしまつた。これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

なお、原告村山方は右のように二ケ月足らずの期間内に5.4lものカネミ油を費消しており、他の原告方に比較すると、その使用方法に一考を要する点があるように思われるが、家族全体としての使用量としては相原告水俣方に次ぐものである。

1  原告村山博一

(一) 原告博一は、かねて九州電力株式会社に勤務し、当時本社総合研究所の研究員をしていたが、社用で外食することも多く、妻子に比較すると本件カネミ油の摂取量は幾分少ない。

(二) 昭和四三年五月頃から体がだるく疲れ切つた感じで、会社から帰宅するとすぐ横になり、ごろごろ寝てばかりいるようになつたが、六月に入ると目やにがひどくなり、朝、目を覚ますと目やにがべつとり出てすぐには目が開かない状態であつた。同時に体全体の皮膚ががさがさと油気がなく乾いた状態になり、顔もどす黒くなつていたが、やがてニキビ状の発疹が背中、下腹部、股などに出てきた。また、耳鳴りが強く難聴気味になり、足首から先にかけてしびれも出、特に小指付近の痛みがひどく、歩行に苦痛が感じられた。

同年一〇月一三日九大で診察を受け、その頃油症と診断されているが、当時の症状として、両側手指爪・趾爪・眼瞼結膜・口唇、歯肉などの褐色色素沈着、顔面・陰股襞・大腿内側にかけての小結節、マイボーム腺の分泌過多が認められ、耳鳴り、全身倦怠感が訴えられている。

(三) その後も、右の症状は持続し一段と悪化したものもあつたが、昭和四四年三月頃からは大きな吹出物が肛門の周囲にできはじめ、また、背中の痛み、偏頭痛、胸の重苦しさなどが加わつた。そして、昭和四七年四月頃突然腹部と背筋部に原因不明の激痛があり、その後約三ケ月間ほとんど毎晩、腹部を中心に死ぬような痛みに襲われ、深夜タクシーでしばしば掛り付けの医師に痛み止めの注射を打つてもらうため駆けつけねばならなかつた。この症状は一応治つたが、その後も時折腹痛などが続いている。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二八日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、手のしびれ、喀痰などの自覚症状、そして胸部X線上に線状・網状影があり、手の知覚過敏がみられるほか、血中PCBはBパターンであるが一三ppb、血清中性脂肪は三二〇mg/100mlといずれも高い。また皮膚科的所見としては、頬部に黒色面皰、眼瞼結膜・歯肉に色素沈着があり、マイボーム腺の肥大と分泌過多、足蹠の胼胝が認められている。

そして、これらの症状のうち皮膚科領域について、黒色面皰などの皮疹は軽快するが、歯肉の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多等は当分続く、内科領域について、徐々に改善することは期待できるが、治癒の見込みは不明と、それぞれ診断されている。

(五) 同原告は、前記のような症状に悩みながらも、会社に申し出て九州全域にわたる転勤の範囲を、九大に通院できる地域に限定してもらい、その配慮によつて通院治療を受けながら、どうにかこれまで会社の業務を続けてきた。したがつて、会社内で特に目立つた不利益は受けていないが、やはり活動や昇進の範囲が狭められ、なにがしかの不利益は否めない。また、同原告はかねて日本気象学会会員、PTA役員、公民館運営審議委員など積極的に社会的活動をしていたが、油症発病以後、体力的にもそれらが困難になり、つい何事にも控え目になつてきている。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科より内科面がむしろ重く、本件原告らの中位にあると思われるが、Bパターンとはいえなお血中にかなりの程度のPCBが残留していることに、被告カネミからの支払金額等を考慮すると、その慰藉料は一三〇〇万円とするのが相当である。

2  原告村山千枝子

(一) 原告千枝子は、結婚前九大病院で看護婦をしていたが、昭和二四年五月一八日夫博一と結婚して以来、もつぱら家事に従事し、二人の子供を育ててきた。

(二) 同原告は、昭和四三年三月末頃から急に体が疲れやすくなり、目やにが出はじめ、やがて顔面と乳房にニキビ状の吹出物ができ、これが陰部や肛門の周囲に広がり少し大き目のものになつていつた。また手足の爪が黒色化し、手足はしびれて時には激痛を感じることがあつた。そして、六月から一〇月にかけては身体の疲労が甚だしく、炊事場に一〇分間立つているのも苦しいほどであつた。

同年一〇月一八日九大で診察を受け、その頃油症と認定されたが、当時、両頬の小結節、眼瞼結膜の褐色の色素沈着と混濁、マイボーム腺からの分泌過多、爪の褐色調の着色などが認められ、手掌が湿つぽく、そのほか両足背のしびれ感を訴えている。

そして、同年末から昭和四四年にかけて、喀痰が激しく、関節痛があり、鼻の脇と頬が黒ずみ、血清中性脂肪値は二〇〇mg/100mlを示した。陰部には湯呑み茶わん大の吹出物が次々にでき、そのため排膿するまでは歩行も困難になつた。

(三) その後、九大に通院を続けているうちに子宮筋腫を発見され、昭和四五年一〇月から一一月にかけて九大病院に二七日間入院し子宮全部の摘出手術を受けたが、その際卵巣も腫れていることが分かり、片方の卵巣が切除された。九大の意見では子宮筋腫とPCBの因果関係は否定的であつたが、卵巣の腫れはPCBの影響があるとのことであつた。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二八日九大皮膚科受診)は、皮膚科的所見として、頬・耳朶耳後部・外耳道・陰部に面皰を認め、外陰部・臀部に膿疱・嚢腫・膿瘍の形成があり、また鼻部を中心として顔は黒く陥凹性の瘢痕があり、指趾爪の色素沈着、趾爪の刺入、眼瞼結膜・歯肉の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多等が認められている。しかし、内科領域については昭和四四年一〇月四日診察を受け、当時、全身倦怠感と手足のしびれ感を訴え、血清中性脂肪値が一八三mg/100mlと前回よりやや低下しているのを認められているが、以後は不明である。

そして、皮膚科症状については、陥凹性瘢痕は消失せず、嚢腫などの外科的摘出術が必要であるが、数が多いため問題があり、その他の症状も改善、完治の見込みは不明と診断されている。

(五) 同原告は、家族全員がこのような症状になり、当初その原因が不明のため、悪性の遺伝や性病を疑いひどく心配した。その後原因こそ判明したが、適切な治療方法もないままに、前記症状が続いており、そのため特に身体の疲れなどから主婦としての仕事も十分にできず、また昭和四七年には家計の一助にもなればと考え、九大に看護婦としての再就職を希望したが、油症を理由にこれを断わられた。もし、希望を容れられたとしても果して体力的にその仕事に堪え得たか疑問であるが、このような身体の状態に将来の不安を感じている。

(六) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科領域がやや重く、同原告方のカネミ油使用量がかなり多いこともあつて内科領域も軽視し得ない。本件原告らのうちでもどちらかといえば重い方に属するとみられ、前記諸事情を併せ勘案すると慰藉料としては一五〇〇万円が相当である。

3  原告村山直也

(一) 原告直也は、本件油症が発症した昭和四三年三月頃中学三年生で、丁度高校入試が終つたばかりであつた。

(二) 三月頃急に疲れやすくなり、まぶたが腫れ目やにがひどくなつた。次いで、顔面やあごの下の部分にニキビ状の発疹が出はじめ、爪が変形して黒くなり、大腿部・臀部にはやや大きな吹出物が出た。そして、頭髪の脱毛が異常に多かつた。五月から一一月にかけては手先がしびれ、鉛筆を持つても感覚がなくだるかつた。

同年一〇月一八日母千枝子とともに九大で診察を受けたが、当時の症状として、顔(特に額・頬・頤部)や腋窩に小結節がみられ、マイボーム腺がいくらか肥大し、指趾爪に褐色の色素沈着があり、手掌が湿つぽいほか、顔面の浮腫、眼脂過多、視力低下、右手のだるさなどが訴えられている。

(三) その後も顔面の吹出物がひどく、父博一が一年近く毎日温湿布しながら注射針で穴をあけ、チーズ状の膿を押し出した。また、毛の皮膚が角化し数ケ所が魚の目のようになつた。体の疲労が続き学校から帰ると、よく横になつていたが、頭痛に悩まされることも多かつた。そして、油症発症以前は毎年平均して五〜六cm伸びてきた身長が、毎年二cm未満に伸びが鈍化した。

九大には時折診察を求めに通つていたが、油症研究班のすすめで、近くの安元皮膚科医院に行き、昭和四四年五月から七月にかけてタチオン一〇〇〇mgを延べ六〇本位注射したが、効果なく、危険との声もあつて中止した。

(四) 現在の症状(昭和五〇年三月二二日九大受診)は、内科的所見として、時々の腹痛があり、手足のしびれを軽度に訴えるほか、両肺尖部に陳旧性の結核病巣と思われる陰影が認められ、皮膚科的所見として、顔面に面皰・痤瘡様皮疹を認め、陥凹性瘢痕が著明であり、また顔・歯肉・趾爪に色素沈着、足蹠に角質肥厚があり、眼脂過多が認められている。

これらの症状のうち、内科領域は一般に軽く経過は良好であるが、完治するかは不明とされ、皮膚科領域では、陥凹性瘢痕は消失しない、その他の症状は次第に軽快するが、完治の見込みは不明とされている。

(五) 同原告は、中学三年を終つたばかりのところで発症し、その後の学校生活を前記のような諸症状の中に過したが、体の疲労や頭痛によつて人並みに十分勉強ができず、また身長の伸びが急に止まつたことや、ことのほか激しかつた顔面の皮疹やその瘢痕等のため、悩み多い日々を送つた。

(六) 以上のように、同原告の症状は皮膚科関係がかなり重症であつたが、内科領域は比較的軽症であり、前記諸事情を考慮しても慰藉料としては一四〇〇万円が相当である。

4  原告村山啓子

(一) 原告啓子は、油症発病の当時小学校の五年から六年になるところで、至つて健康であつた。

(二) 同原告は、昭和四三年三月頃まず瞼が腫れ、目やにがひどくなつて、顔面にニキビ状の発疹があつた。結膜は充血し、いつも涙が出て異物感が絶えず、約半年位で視力が1.5から0.8に低下した。ニキビ状の発疹はやがて顔から大腿部、背中に広がり、爪は変形して黒くなつた。

昭和四三年六年二〇日母にともなわれて、いちはやく九大で診察を受けているが、額や両頬に毛孔一致性小結節が比較的多数みられ、爪に黒紫色の色素沈着が認められている。

その後も症状は一段と強くなり、耳鳴りや喀痰、肝臓の二横指ほどの腫大、更に頭痛、腹痛、吐き気、足先のしびれなどが加わり、体の疲れやすさのため学校から帰宅するとすぐ横になるようになつた。また昭和四四年頃からは陰部に大きな吹出物ができはじめたため、抗生物質を服用したり、一人でひそかに手当したりしていた。

(三) 昭和四六年一二月頃福岡城南病院に入院して扁桃腺の摘出手術を受けたが、これは扁桃腺付近から油症による膿が出たためで、手術後もしばらくは膿が出続けた。そして、同原告も兄直也と同様、昭和四五年頃から身長の伸びが鈍化した。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二二日九大内科、同月二八日同皮膚科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、腹痛、喀痰、成長抑制等があり、血中PCB(六ppb・Aパターン)の存在が認められ、皮膚科的所見として、両頬にかなりの数の陥凹性瘢痕を認め、顔面・指爪の色素沈着は明瞭で、マイボーム腺肥大や眼脂過多も続いている。そして、いまなお陰部に大きな吹出物ができているという。

これらの症状のうち皮膚科領域の陥凹性瘢痕は消失しないが、その他の症状は次第に軽減するものと考えらるところ、果して完治するかについては内科領域を含めて全く不明とされている。

(五) 同原告は、油症発病後一年にして中学生となつたが、その頃から顔の発疹がひどくなり、友人から「イボ女」と呼ばれ、非常な苦痛を感じながら学校生活を送つてきた。しかし、顔面の瘢痕にとどまらず、全身の倦怠、頭痛、腹痛といつた症状は十分な勉強を妨げ、また身長の伸びがとまり、下腹部の吹出物がなお続いていることは、その将来に対して大きな不安と悩みを残している。

(六) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科、内科を通じて本件原告らの中位にあると思われるが、前示諸般の事情を考えるとその慰藉料は一五〇〇万円が相当である。

六原告国武信子、同国武寛、同国武紀子、同国武幸子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

亡国武忠(大正一五年一月二七日生)と原告信子(昭和七年二月九日生)とは夫婦であり、原告紀子(昭和二九年四月三日生)はその長女、原告寛(昭和三一年六月二三日生)はその長男、原告幸子(昭和三八年八月三日生)はその二女であつて、右忠を除くその余の原告らは、昭和四七年五月一六日死亡した忠の相続人でもある。

右国武方では、妻信子がかねて高血圧に良いとの評判を聞き昭和四〇年頃からカネミライスオイルを使用してきたが、昭和四二年八月頃からは近所の九電社宅に住む相原告佐藤、渋田、村山方などに連絡して福岡油販より一八l入り缶で共同購入するようにしていたところ、昭和四三年二月八日にも右一八l入り二缶を共同して購入し、そのうち国武方では九lを入手して、その頃から同年八月頃までの間これをいためもの、フライ、おやつなどに使用し、家族五人で約四lを費消したが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  亡国武忠

(一) 国武忠は、昭和一五年頃九州電力株式会社に入社し、主として現場技術職員(電気技師)として勤務してきたが、本件カネミ油を購入した昭和四三年二月八日頃は福岡市別府北町二丁目の九電社宅に居住していたところ、たまたま同月一四日付で大牟田市の九州電力三池電カ力所への転勤の指示があり、まず同人だけが単身で赴任し、三月二六日家族全員が大牟田市へ転居するまで、土曜・日曜に帰宅する程度であつたから、他の家族に比較すると本件カネミ油の摂取量はそれほど多くはなかつた。

(二) 昭和四三年三月頃から咳や痰が出はじめ大牟田の空気が悪いためと考えていたところ、四月下旬から夜眠れないほど腰が痛みだし、食欲が減退して次第に体重が減りはじめ、五月一〇日頃からは手足のしびれも加わつた。そのため激しいときは一五分と立つておれないくらいで、職務柄、鉄塔の上などに登る必要があるところ、これが非常につらく、また高所恐怖症のような不安も感じるようになつた。五月下旬から目やにが出て、瞼が腫れ目がしよぼつく感じになり、一時的ではあつたが視力が1.0から0.2に低下した。やがて、全身的に疲労感、脱力感を覚えるにようになり、七月頃になると手足の皮膚が水にふやけた感じになり発汗がひどく、爪が変形するとともに黒く変色し、九月頃には顔も鉛色に変つてきた。一〇月に入ると、顔にニキビ状の吹出物が出はじめ、喉や顔面の数ケ所に固いしこりのようなものができた。

そして、同年一〇月二九日九大で診察を受け油症と診断された。

また、その頃から左の耳に耳鳴りを覚え左右とも聴力の衰えが気になつていたところ、昭和四四年一月一六日には左の内耳にたまつていた脂肪様の耳垢が膿と共に鼓膜を押し破つて耳の外に流れ出し、その後しばらく快方に向う時期もあつたが、難聴は同人の死亡まで続いた。その他の症状も依然として持続し、特に手足のしびれ、腰痛に悩んでいたが、吹出物は次第に身体中に広がり大きくなつて行つた。

(三) 同人は、このような病状のために昭和四三年四月以降、内科、耳鼻科、眼科の各医院、更には九電診療所などで治療を受けてきたが、昭和四五年八月二〇日からは福岡市南区市崎一丁目の寺沢医院に一、二ケ月に一回の割合で通院するようになつた。当初の診断は慢性胃炎、胆嚢炎、胆石症の疑い、頸肩腕症候群等であつたが、同人が油症であることから漢方薬が投与され、また胎盤その他の生体を注射もしくは埋没の方法によつて組織に埋めこむといういわゆる組織療法が行われてきた。その間、昭和四六年三月頃から同人は気管支炎症状を呈し咳と痰がひどくなり、同年一〇月二一日の九電社内の定期健康診断では両肺が肺炎症状になつていると指摘された。その後、天神クリニツクに通院していたが、身体の疲労がひどく一向に軽快しないばかりか、昭和四七年四月二八日のX線検査によると右気管支炎ないし肺炎症状は却つて悪化しているとのことであつた。

(四) そこで、同人は翌二九日寺沢医院に赴いて入院の希望を述べるとともに、併せて当時油症にただ一つ効果があると考えられていた断食(絶食)療法の実施を求めた。そして、五月二日同病院に入院し諸検査ののち、同月四日から断食療法が始められたが、当時同人は三月末頃から食欲不振で満足な食事をしておらず、全身の倦怠感がひどく、前記肺炎に近い気管支炎があり、肝臓の腫れ・機能障害とともに心臓の衰弱(昭和四三年五月には医師から心臓に注意するよう警告されている。)も考えられる状態にあつた。しかし、これに耐え得るだけの体力があるとの担当医師の判断により、同月四日から同月一〇日までの七日間、水と塩のほかに点滴によりブドウ糖、ビタミン、ミネラル等の補給はなされたが断食が行われ、その間六七kgの体重が59.8kgとやや余分に減量したほかは特段の異常なく進行し、それまで四横指程度になつていた肝臓の腫れが二横指となり、痛みもなくなつたことから、本人は更に継続を望んだが、一〇日で一応終了し翌日から次第に流動食に復した。

しかし、一二日夕刻から急に発熱して三八度を越え、聴診により両側の肺に肺炎のラツセルが増えて聞かれるところから、抗生物質の投与が続けられ、一三、一四日は一応三七、八度程度に抑えてきたが、一五日に至つて38.7度の高熱に脈博は一四〇に達し、意識はもうろうとして痙れん症状を起こした。この高熱は間もなく下がつたが一般状態は悪く、心配した妻信子らから油症研究班に連絡して来診を求め、寺沢医院の了承を得て翌一六日九大病院に転院させることになつた。一六日は午前一〇時五〇分頃救急車で九大に移り、車から降りるときは自分で歩いたほどで病状は好転したかに見えたが、わずか三時間後の午後一時四〇分には死亡するに至つた。

(五) 九大における解剖の結果によると、同人の死因は気管支炎に急性肺炎を併発し、これに心臓衰弱が重なつたためと診断されているが、その際、心臓の膜に石灰沈着が著明であり、あるいはそれもかなり影響しているのではないかと推測されている。

しかし、右に死因として掲げられている諸症状が直接油症と結びつくかについては、にわかに断定しがたく、少くとも同人が五月二日寺沢医院に入院の当時は、さきに認定したようなかなりの程度の症状が認められていたにしても、それがそのまま死に至るほどの重篤な症状でなかつたことは明らかであり、その後の症状の経過等に鑑みるとき、かかる重大な結果を招いたのはやはり断食療法にあるように思われる。断食療法は、ある期間食を絶つことによつて人間の臓器に安静と休養を与えると同時に、肉体を飢餓という非常事態に追い込み、その強烈な刺激と新陳代謝の大変調によつて生体に防衛反応を起こさせ、これによつて病気の自然回復をはかろうとするものであり、ある意味では苛酷で危険な状態を強いるものであるから、その実施にあたつては、これに堪えうるだけの体力を保持しているか否かを慎重に検討されねばならないところ、寺沢医院はその点断食療法の危険性をいささか軽視し、国武忠本人の希望もあつたとはいえ、前記食欲不振が続き全身の倦怠感がひどく、肺炎に近い気管支炎や肝臓の腫脹があつて、心臓の衰弱も考えられる本人を、安易に七日間の断食に堪えうるものと速断しこれを実施したものであり、そのために急速な症状の悪化を招来したものであつて、ここに同人の死亡についての原因の一半があることは否定できないように思われる。

だが、そのことから直ちに同人の死亡と油症との間に何らの関連がないと即断さるべきではない。同人の死因として、まず気管支炎が肺炎を併発したとされるが、この気管支炎はかねて同人に油症発症前そのような病気がなく、右発症とともに咳や痰がはじまつてそれが長期間持続しており、他の油症患者にも同様の事例が認められるところからすれば、これが油症に起因するものと推認されるのみならず(心臓の衰弱については油症発症のころすでに他の医師より心臓が悪いことを指摘されているので、これはさておくとしても)、この油症が同人をして断食療法に堪え得ず、肺炎を併発してもろくも死に至らしめた同人の基礎体力の衰え、ないし全身状態の悪さをもたらしたものであり、そしてまた、かかる断食療法といつた思い切つた治療を同人に決意させたものが、発病後すでに四年を経ながら一向にはかばかしい経過を示さないこの油症に対するあせりと、ただ一つの効果を期待できる療法との話に藁をもつかむ思いであつたことなどを考えると、その因果関係は一概に否定できず、ただ前記したような原因が他にも関連するところから損害賠償の算定にあたり何らかの配慮は必要であるにしても、むしろ油症と右死亡との因果関係はこれを肯定すべきものである。

(六) そこで、原告ら主張の損害のうち先ず逸失利益について検討する。

亡国武忠は前記のように、大正一五年一月二七日生(死亡当時四六才)で、昭和一五年から九州電力株式会社に三二年二ケ月勤務していたものであるが、昭和四七年の簡易生命表によると二八年余の平均余命があり、六七才に達する昭和六八年一月までなお二〇年八ケ月は稼働可能であつたと考えられるところ、昭和四七年五月一六日死亡によつて、次のような得べかりし利益を喪失したことが明らかである。

(1) 九州電力退職までの逸失利益

同人は死亡時、九州電力から毎月基本給として七万六八〇〇円、諸手当として四万七三〇〇円、合計一二万四一〇〇円の給与の支払を受けるほか、毎年六月には少くとも前年度給与額の二ケ月分、一二月には当年度給与月額の二ケ月分に相当する各賞与の支給を受けており、しかも右基本給・諸手当はこれまで毎年四月に定期昇給とベースアツプにより一〇%以上増額されてきたことが認められる。もつとも、右ベースアツプ率は経済状勢等に応じ一般に低落の傾向にあり、昭和五一年度の民間企業のベースアツプ率はすでに定期昇給込みで9.2%と一〇%を割るに至つており、状勢の変せんによりなお一〇%のベースアツプを維持できるか、現段階では予測困難なように思われる。その点実際がどうであつたか証拠も十分でないので、民間企業の平均が一〇%を超えるあるいはほとんどこれに接近していた昭和五一年四月までは一〇%のベースアツプが行われたものとして、それ以後は右時点における給与額(基本給一一万二二〇〇円、諸手当六万九二〇〇円、計一八万一四〇〇円)を基準に計算することとし、なお原告ら主張の生活費はいささか低きにすぎるので、本人の生活費を収入総額の三〇%として、九州電力の定年五五才に達する(昭和五六年一月)までの得べかりし利益の死亡時の現価を、ライブニツツ式により年五分の中間利息を控除して計算すると、別紙(二)の(2)亡国武忠の逸失利益計算表(認定分)(A)のとおり一二三五万四一四〇円となる。

(2) 定年退職後の逸失利益

次に、九州電力では定年で退職した場合、退職後一〇年間は年金が支給されることになつており、本人の場合その年金額は勤続年数からして退職時の基本給の二二%となつているので、前項で認定した退職時の基本給一一万二二〇〇円をもとに計算すると、昭和五六年二月から昭和六六年一月まで月額二万四六八〇円の年金の支給を受け得たはずである。しかも、さきに認定したように、九州電力退職後も六七才までは稼働可能であり、再就職その他の方法によつて原告ら主張の毎月四万円程度の収入は一応期待できたものと考えられるので、昭和五六年二月から昭和六八年一月までは年金のほかに月額四万円の収入が肯認できる。そして、これらについてやはり生活費を収入総額の三〇%控除し、ライブニツツツ式によりその間の得べかりし利益の死亡時の現価を計算すると、別紙(二)の(2)前同逸失利益計算表(認定分)(B)のとおり二七二万六六〇八円となる。

(3) 退職金についての逸失利益

また、本人が九州電力に定年まで勤務し退職したとすれば、その退職金として退職時の基本給すなわち前記一一万二二〇〇円に対し、勤務年数四〇年一〇ケ月に応ずる係数95.133を乗じた一〇六七万三九二二円の支給を受け得たはずのところ、死亡により当時の基本給七万六八〇〇円に対しそれまでの勤続年数三二年二ケ月に対応する係数77.667を乗じた五九六万四八二六円の支給を受けたにすぎなかつた。そこで、その差額に相当する損害を蒙つたというべきところ、右定年にあたり支給を受くべき退職金の死亡時の現価をライプニツツ式により計算すると六八八万〇四一〇円となるので、これから右死亡時の支給額を差引くと残額は九一万五五八四円となる。

(七) 結局、以上(1)ないし(3)の合計額一五九九万六三三二円が国武忠の逸失利益の総額となるところ、同人の死亡にともない法定相続分に応じて、その妻である原告信子が三分の一、すなわち五三三万円(一万円未満切り捨て)、その子である原告紀子、同寛、同幸子らがそれぞれ九分の二、すなわち各三五五万円(前同)の割合で右損害賠償請求権を承継取得することになる。

(八) 次に、国武忠の死亡による右原告四名の慰藉料であるが、原告らと本人との身分関係、一家の主柱ともいうべき夫・父を失つた原告らの悲しみ、不安といつたことは勿論、国武忠自身の油症の症状程度、発症から死亡に至る期間等諸般の事情に、本件油症が必ずしもその死亡の主たる原因でないこと、その関連の度合などを併せ斟酌すると、その慰藉料としては原告信子に対し二〇〇万円、その余の原告らに対し各一〇〇万円とするのが相当である。

(九) また、原告信子は夫忠の葬祭費として一〇万円を越える支出を余儀なくされたと主張するが、当然その程度の出費を要することは経験則上も明らかであり同原告の関係で右一〇万円の損害を肯認すべきである。

(一〇) そこで、国武忠の死亡にともなう右原告らの損害賠償請求権の合算額は、原告信子が七四三万円、原告紀子、同寛、同幸子らがそれぞれ四五五万円ということになる。

2  原告国武信子

(一) 原告信子は、昭和二七年一一月夫忠と結婚し、同人との間に生れた三人の子を育て、油症発病まではもつぱら家事に従事してきた。

(二) 同原告は、昭和四三年三月中旬頃瞼が腫れあがり、同月末大牟田へ引越したころから夫忠と同様、腰が痛みはじめた。この痛みは一週間ほどでいくらか軽くなつたが、四月末頃から顔に吹出物が出はじめ、咳や痰がこれに加わり、更に目やにがひどくなつた。そして、七月には腹痛が続くようになり、時折は心臓の状態も悪く胸苦しいような感じを受けることがあつた。八月に入ると、顔がむくんで土色になり、吹出物は顔面から体中に広がり、一部は化膿しはじめ、また爪が変色、変形し、歯ぐきは黒ずみ、両足の裏には魚の目のようなものもできた。

そこで、八月から子供を連れて九大に通院しはじめ、そのころ油症と診断されたが、同年一一月二日当時の所見としては、顔面・前胸部に痤瘡が多数あり、顔面・爪・歯肉に色素沈着が認められ、腰痛、食欲不振、易疲労感、目やに等が訴えられている。

(三) その後も吹出物の化膿は全体的にひどくなり、特に臀部・陰部等に大きなできものができ化膿するようになつた。また、生理不順になり、身体の疲れやすさが続いていたが、次第にひどくなつたので、昭和四四年一一月九電病院で診察を受けたところ、肝炎との診断で入院をすすめられ、同年一二月二六日から済生会大牟田病院に入院した。そして、昭和四五年七月一日夫の転勤の都合で退院したが、病状はさして変りなく、一応の軽快をみるまでに約三年を要した。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身的倦怠感、頭痛、月経不順が訴えられ、血中PCB(六ppb・Aパターン)の存在と中性脂肪値の軽度の上昇が認められ、皮膚科的所見として、顔面に痤瘡と陥凹性瘢痕、また臀部外陰部に少数の痤瘡があり、しばしば化膿し、顔面・眼瞼結膜・歯肉・指の爪などの色素沈着やマイボーム腺肥大が認められている。

そして、内科領域では血清中性脂肪値など次第に低下するが、そのほかの症状は更年期等の理由から治癒は容易でないと思われるのに対し、皮膚科領域では陥凹性瘢痕は残るが、その他の症状は完治するかはともかく、徐々に軽減するとされている。

(五) 同原告は、本件油症によつて前記のような諸症状に苦しみ、その治療のため半年以上も入院したことがあつたが、昭和四七年五月には突然夫の死亡という事態に直面し、生活の基礎を根底から奪われ、九州電力からの求めにより社宅を明渡すとともに、三人の子供を抱えて自らその生計を維持しなければならなくなつた。そこで、ようやく三ケ月を経た同年九月頃から職業訓練を受けながら会社勤めに出るようになつたが、依然として肝臓の症状がはつきりせず、疲れやすく、時折通院して薬を飲んでおり、将来の生活の不安などに夜眠られぬことも多い。

(六) 以上の次第であつて、同原告の症状は皮膚科、内科とも比較的重症の範囲に属し、これに夫忠の死亡により種々困難な事情にあることを併せ考えると、被告カネミからの支払金額を斟酌しても、なお慰藉料として一六五〇万円を認めるのが相当である。

3  原告国武寛

(一) 原告寛は、他の家族より多少遅れて発病したが、当時小学校の六年生になつたところであつた。

(二) 昭和四三年六月中旬、急に四〇度近くの発熱があり、体のいたるとこに吹出物が出た。そのときは一週間程度で一応治まつたようであつたが、七月に入ると再び吹出物が全身に出はじめ、特に顔がひどくなつた。八月初めには顔がむくんで青黒くなり、爪も変色したうえ五mmもの厚さになつて、ゆがんで反り返り、横の方は肉にくい込んで疼痛をともなつた。また、瞼が腫れ関節が痛み、下痢や咳、痰が続いて吐き気をもよおし食欲も減退した。そして、時折腹痛があり非常に疲れやすく、学校から帰るとごろごろ寝てばかりいた。

八月一二日から母親とともに九大に通うようになつたが、初診時の症状として、顔面に痤瘡があり、顔面と爪に色素沈着が認められている。

その後も右のような症状は持続していたが、顔面の痤瘡はあとがみにくく瘢痕になり、また中学一年ごろまでの間、身長や体重の延びがほとんど止まつてしまつた。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感と脂肪過多がみられ、皮膚科的所見として顔面に痤瘡と陥凹性瘢痕があり、歯肉・眼瞼結膜・爪に軽度の色素沈着がみられ、足の親指の爪が彎曲して軽度の刺入が認められている。

これらの症状のうち、陥凹性瘢痕は残るが、痤瘡、色素沈着等の皮膚科領域は軽減する。しかし、内科領域の症状を含め完治するかは不明とされている。

(四) 同原告は、小学校六年のときに発症して、体の疲れやすさやその他の症状に悩みながら、運動やクラブ活動など十分にできないままに、すでに中学、高校と終り、大学進学の時期になつた。かねて建築関係への進学を希望していたが、父を失い学費も思うにまかせないところから、受験も自宅から通学できる範囲に限られ、進学にも不安を感じている。

(五) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科領域でかなりのものが認められるが、内科領域は比較的軽症である。そこで諸般の事情を考慮し慰藉料一四〇〇万円を認めるのが相当である。

4  原告国武紀子

(一) 原告紀子は、油症が発病した昭和四三年三月頃、中学一年が終り丁度春休みに入つていた。

(二) 三月末頃まず胸のあたりに吹出物が出はじめ、やがてこれが腹部まで広がり、瞼も腫れてきた。そこで、済生会大牟田病院に通院して治療を受けたところ、吹出物は一旦治まるかに見えたが、五月に入つて急に視力が両眼とも裸眼で0.3ぐらいに低下し、黒板の字も見えなくなり、それとともに吹出物も顔面から全身に拡大していつた。そして、その頃から頭痛がはじまり、八月頃には咳や痰が加わり、爪の変色、変形に顔の黒ずみ、更には眼やにがみられるようになつた。

同年一一月二日九大で診察を受けたが、当時、爪の色素沈着と顔面の痤瘡とが認められ、視力障害を訴えている。そして、この頃油症との診断を受けた。

その後も症状は一進一退し、昭和四五年三月頃からは身体の疲労に腹痛や生理痛が加わり、また昭和四六年頃には陰部、臀部付近にできたおできが化膿するようになつた。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、頭重感、手のしびれ、咳嗽、喀痰及び月経異常が認められ、皮膚科的所見として、顔面・臀部・外陰部などに少数の痤瘡があり、しばしば化膿し、また顔面・眼瞼結膜・歯肉に色素沈着、それからマイボーム腺肥大が認められている。

そして、これらの症状はいずれも今後徐々に軽減すると考えられるが、全治するかは不明と診断されている。

(四) 同原告は、中学一年の終りに発病して、その後前記のような諸症状に悩みながら、勉強を続け、ことに高校入試の時期に母信子が入院していたため、長女として何かと気苦労を重ね、ようやく高校に進学はしたものの、健康状態が十分でなく体育・クラブ活動に思うように参加できなかつた。そのうち父の死亡という事態を迎え、直ちに就職ということも考えたが油症のため将来の結婚を危ぶむ母親のすすめに従い手に技術を持つことにし、久留米医大付属臨床検査技術師学校に進学した。急に起こる腹痛や身体の疲労に耐えながらこの久留米への通学はかなり苦痛であつたようである。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科とも本件原告らの中位よりやや重い方にある。そこで前記諸事情を考慮するとその慰藉料は一五〇〇万円が相当である。

5  原告国武幸子

(一) 原告幸子は、発症の当時、満四才で幼稚園に通つていた。

(二) 昭和四三年四月下旬頃、顔面から体中に吹出物が出、目やにがはじまつた。そして、八月初めには姉紀子や兄寛らにみられた皮膚症状があらわれた。

やはり九大に通院し油症との診断を受けているが、同年一一月二日当時の症状としては、顔面と頸部に痤瘡があり、手足の爪、特に鼻に強い色素沈着がみられ、マイボーム腺肥大も認められている。

その後も、吹出物や爪の変色・変形、歯肉の黒ずみが続き、咳や痰も多くなり扁桃腺が腫れやすくなつた。また発症以来約二年間はほとんど体の成長がとまり、乳歯の抜け替りも遅れ小学二年生のころようやく始まつた。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、頭痛・腹痛をしばしば訴え、喀痰をともなう咳嗽が多く、胸部X線像に気管支陰影の増強が認められ、皮膚科的所見として、顔面に少数の痤瘡があり時々化膿傾向を示し、顔面・眼瞼結膜・歯肉に色素沈着があり、また顔面には陥凹性瘢痕が認められている。

この症状のうち、瘢痕が残り、その他の皮膚症状が軽減するが、内科領域を含め完治するかは不明と診断されている。

(四) 同原告は、幼稚園のころ体格に恵まれ運動神経も活発であつたが、本件油症により約二年間は身長・体重の延びがとまり、その後いくらか成長してきたが、小学校六年になつても未だ標準に遠せず、運動なども人におくれがちである。

(五) 以上の次第で、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ、本件原告らの中位よりやや重い方に属すると見られるので、前記諸事情と併せ慰藉料一五〇〇万円を認めるのが相当である。

七原告右田昭生、同右田瓊子、同右田博美、同右田久美子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告昭生(昭和五年三月一四日生)と同瓊子(昭和四年三月七日生)とは夫婦であり、原告博美(昭和三五年一二月五日生)はその長女、原告久美子(昭和三八年一〇月二日生)はその二女である。

原告右田方では、かねてライスオイルが栄養価も高く高血圧にも良いとの評判を聞き、近くの米屋から買い求めて使用してきたが、昭和四三年二月八日相原告国武信子の世話で福岡油販から九電社宅の七軒が一八l入り缶を共同購入し、そのうち右田方は3.6lを分けてもらい、その頃から同年七月末頃までの間に、これをいためもの、天ぷら、子供用おやつなどに利用して費消したが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告右田昭生

(一) 原告昭生は、九州電力株式会社に勤務し、本件カネミ油を購入した昭和四三年二月頃は福岡市別府北町に居住していたが、同年七月一日長崎支店に転勤となり、当初は単身で赴任し、八月末に家族が揃つて長崎に移るまでの間は、月に二回福岡市に帰つてくる程度であつたため、妻子に比し多少カネミ油の摂取量は少ない。そして、油症発病前はかねて高血圧気味ではあつたが、ほとんど会社を休むようなことはなかつた。

(二) 同年八月頃家族に遅れて発症し、非常に疲れやすくなつたのが最初の症状であつたが、間もなく目やにが出て目がかすむようになり、顔面、特に目の下にニキビ状の吹出物ができ、これが耳の後や首、更には腹部、下腹部にも広がり、少し大きなものになるとともに油粕状のものが出るようになつた。

同年一〇月二二日長崎大学で集団検診があり、家族ともども受診して油症の認定を受けた。

そして、前記のような症状は依然として続いていたが、昭和四五年には肝臓を悪くして七月一八日から八月二二日まで三六日間長崎大学付属病院に入院した。病名は肝炎であり、一二、三年前一度肝炎を患つたことがあるので、この発病が油症に直接原因するかは不明であるが、少くとも油症がその誘因となつていることは十分考えられるとの診断であつた。

(三) 昭和四六年八月転勤により再び福岡にもどり、同月二四日九大で診察を受けたが、その際の所見によると、顔面・陰部に面皰があり時々化膿し、マイボーム腺肥大、分泌過多と趾爪の色素沈着が認められるほか、全身倦怠感、歯が浮く、脱毛が多い等の訴えがあるとされている。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感が主たるものであり、胸部X線上線状影が認められ、血清中性脂肪が一九〇mg/100mlの高値を示しているほか、皮膚科的所見として、顔に軽度の痤瘡様皮疹、瘢痕、色素沈着があり、眼瞼結膜・歯肉等の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多などが認められている。これらの症状が完治するかは不明である。

(五) 同原告の症状は皮膚科、内科とも比較的軽い方に属するといえるが、油症発症以来身体が疲れやすくなり、一時は肝臓まで悪くしたため、仕事にかなりの支障を来たし、いつ治癒するとの見込みもないことに特に苦痛を感じている。

(六) 以上のとおりであるから、諸般の事情を考慮し慰藉料一〇〇〇万円をを認めるのが相当である。

2  原告右田瓊子

(一) 原告瓊子は、昭和三四年五月夫昭生と結婚し、至つて元気に家事に従事し二人の子を育ててきたが、昭和三八年一〇月二女を出産してからは関節リユウマチを患い、時折痛むときは副腎皮質ホルモン剤を飲み続けてきた。

(二) 同原告は、昭和四三年末頃から身体がだるく食欲がなくなり、炊事の仕度などしていると下肢がむくんで下腹部が痛くなり立つていられない状態になつた。それから生理が全く不順になり、足先がしびれて、朝目があけられないほど目やにがひどくなつた。同年夏頃になると、爪が黒く変色し、二つ三つに割れたように変形して肉にくいこみ、非常に痛んだ。また、数は少なかつたが顔にニキビ状の吹出物ができはじめ、一時は下腹部にも大きなものができ化膿した。

同年一〇月夫とともに長崎大学で油症との診断を受け、その後も毎週一回ぐらい付属病院に通つていたが、症状にはさしたる変化もなかつた。

(三) 昭和四六年八月二四日夫と同様九大で受診したが、当時の所見としては、耳前部に面皰形成があり、爪・歯肉の色素沈着などが認められ、眼脂過多、全身倦怠、歯が浮く、喀痰、頭痛、腹痛、手足のしびれ、月経不順、脱毛等が訴えられている。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、左足蹠感覚鈍麻、右関節運動制限、喀痰、月経異常があり、血清中性脂肪値が二二二mg/100mlと高く、血中PCB(四ppb、Aパターン)の存在や、胸部X線上に線状・網状影が軽度に認められており、皮膚科的所見として、眼瞼結膜・指趾爪に色素沈着、顔面にかすかな色素沈着があり、マイボーム腺肥大と眼脂過多が認められている。

そして、これらの症状は皮膚科領域において改善が期待されるものの、完全に治癒するかは不明と診断されている。

なお前記症状のうち殊に右関節運動制限は昭和三八年以来の関節リウマチにむしろ起因し、油症との直接の関連に疑問を抱かせるものがあるが、そのための増悪を一概に否定し去ることもできない。

(五) 同原告の本件油症による被害は、前記のように皮膚症状は比較的軽く、主として全身倦怠感、月経異常といつた内科領域であるが、かねてよりの関節リユマチとも相まつて、発症以来、身体の疲れがひどく、ことに炊事などの立ち続ける仕事に苦痛を感じてきた。そして、今なお一、二時間立ち続けると、腹から背中にかけて洗濯板にはさまれたような感じでぱんぱん張つてきて、椅子に座つたり立つたりしながら仕事をしている有様である。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ本件原告らの中位よりやや軽い方に属する。そこで、前記諸事情を考慮のうえ慰藉料一二〇〇万円を認めることとする。

3  原告右田博美

(一) 原告博美は、本件油症発病の当時小学校二年生で、特に健康上問題はなかつた。

(二) 昭和四三年六月下旬頃から頬にニキビ様のブツブツができはじめ、症状はそれほどでもなかつたが、同年八月になると、そのあとが黒く変色し、背中や腕を中心に全身の皮膚がかさかさしてきた。やがて、上瞼が腫れ、目やにがひどくなつて目がかすむようになり、鼻の両脇や歯ぐきが黒く変色し、また毛髪が抜けやすく、頭痛や身体の疲れを訴えるようになつた。長崎大学で油症との診断を受け、一週間に一度の割合でこれに通つていたことは、母瓊子と同様である。

(三) 昭和四六年八月二四日九大で診察を受けたが、当時の症状として、手足の爪・歯肉部・眼瞼結膜に色素沈着があり、顔に陥凹性瘢痕がみられるほか、頭髪の脱毛、眼脂過多、頭痛、腹痛を訴えていた。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、頭痛、咳嗽が多く、胸部X線像に気管支陰影の軽度増強があり、身長がやや小さいことが認められているほか、皮膚科的所見として、顔面の陥凹性瘢痕、眼瞼結膜・歯肉・指趾爪等の色素沈着、それにマイボーム腺肥大が認められている。

これらの症状のうち、色素沈着とマイボーム腺肥大は軽快するが、瘢痕は生涯消失せず、いずれも完全に治癒するかは不明とされている。

(五) 同原告は、小学校二年生で発症し、すでに中学校を終えようとしているが、身体の疲れやすさや頭痛などのため勉強には不自由を重ね、特に頭痛に悩まされて学校はもちろん修学旅行まで薬を持参したほどであつた。全般的に症状は軽快しているが、顔面に残る瘢痕が心の負担になつていることは推察できる。

(六) 以上のとおりで、同原告の症状は発症当時から現在まで、内科領域で見るべきものがあるが、比較的に軽症であり、前記諸事情を考えると慰藉料としては一三〇〇万円が相当である。

4  原告右田久美子

(一) 原告久美子は、本件油症が発症した当時四才九ケ月で、幼稚園に通つていた。

(二) 昭和四三年七月中旬、突然頭頂部の毛髪が直径四cmぐらい丸く抜けてしまい、大きなはげができた。その後、ほかの部分も少しずつ抜けて毛が薄くなつていたが、九月頃になると、頬にニキビ状のブツブツができ、鼻の両脇や爪が黒く変色し、足の裏や背中の皮膚がかさかさになつてきた。また目やにが出はじめ、身体が疲れやすくなつてきて、幼稚園から帰るとすぐ横になるようになつた。そして、同年一〇月他の家族とともに長崎大学で油症と診断された。

(三) その後、頭頂部の脱毛は自然に治まり回復したものの、他の症状は依然として続いていたところ、昭和四六年八月二四日九大で診察を受けた際の症状としては、顔に陥凹性の瘢痕があり、眼瞼結膜・歯肉・爪に色素沈着が認められ、脂肪過多、腹痛の訴えがなされている。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二二日九大受診)は、内科的所見として、疲れ易く、喀痰を伴う咳嗽があり、胸部X線像に肺門陰影の軽度増強が認められるほか、皮膚科的所見として、顔に軽度の色素沈着と瘢痕、眼瞼結膜・歯肉・指趾爪に色素沈着があり、マイボーム腺肥大と軽度の眼脂過多が認められている。

そして、右の療痕はともかく、他の症状は次第に軽快すると思われるが、完治するかどうかは不明と診断されている。

(五) 同原告は、幼稚園のころ発症してすでに小学校を終えようとしているが、突然頭髪が抜けるといつたことから本件油症がはじまり、子供心にもかなりの負担であつた。皮膚症状は家族中でも軽くその後ほとんど軽快しているが、身体の疲れやすさが残り、また時折腹痛があつて、未だに勉強に支障を生ずることがあるという。

(六) 以上の次第で、同原告は皮膚科が幾分軽いが、その他はほとんど姉博美と同じような状況にあるので、その慰藉料も同額一三〇〇万円を認めるのが相当である。

八原告田中浦助、同田中彰子、同田中一哉、同田中美恵子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告浦助(明治三二年七月二七日生)と同彰子(大正五年一〇月二三日生)とは夫婦であり、原告一哉(昭和二二年七月一〇日生)はその長男、原告美恵子(昭和二四年一一月八日生)はその長女である。

原告田中方では、彰子が料理教室で知りあつた人のすすめで、昭和三九年頃からカネミライスオイルを共同購入し使用きてきたが、昭和四三年四月二日相原告の川越、樋口、尻無浜方その他とともに福岡油販から一八l入りのカネミライスオイル一缶を取り寄せて分け合い、原告田中方はそのうち3.6lを購入して、その頃から同年五月末頃までの間に、これをフライ、いためもの、卵焼、チヤンポン等ほとんど三度の食事ごとに使用してしまつたが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告田中浦助

(一) 原告浦助は、戦前横浜市に居住して日本郵船に勤め船長などをしていたが、終戦後間もなく郷里に帰り、昭和二九年には船長もやめて博多港で水先業を始めていたところ、昭和四〇年九月に博多港が法定水先区に指定されたので、これを機会に自営業である国内沿岸水先業に転職し、本件の昭和四三年四月頃には月額四〇万乃至七〇万円とかなりの収入をあげていた。

(二) 同原告は、昭和四三年五月末頃発症し、顔のむくみ、手足のしびれ、身体の疲労といつた自覚症状から始まり、主として頭痛、腹痛、全身倦怠感、記憶力の減退等の症状が続いたが、皮膚症状はやや遅れて出はじめ、同年六月頃は目やに、耳の付近と足首の吹出物、足の裏の魚の目等であつた。その頃、再三腹痛が起こりそのため、二、三日眠れないといつたことが続いた。

昭和四四年一月七日九大での初診時には、爪・口唇・頬粘膜の色素沈着、側頸部・胸部の毛孔一致の角化、マイボーム腺の分泌過多、耳朶・耳下部の毛孔一致の黒点などが認められ、特に下肢のしびれ感を訴えている。

その後、九大に最初は週一回、後には月一回程度通院して対症療法を受け、昭和五〇年三月には三週間温泉で温治したが、さしたる効果はなかつた。

(三) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、咳、痰を主訴として、血沈の亢進が認められ、皮膚科的所見として、瞼結膜・歯肉の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多、第一趾爪の変形が認められるほか、自覚症状として、視力障害、足の痛み、ひきつり、手足のしびれ、難聴、ど忘れ等が訴えられている。

そして、この症状は内科領域において治癒の見込み極めて少く、皮膚科領域もマイボーム腺肥大と眼脂過多とは当分続くものと診断されている。しかし、同原告がすでに七〇才を越える年令にあることを考えると、前記自覚症状がすべて油症に起因するものとすることには問題があろう。

(四) 同原告は、本件油症によつて四肢のしびれや眼のかすみといつた症状が発現し業務の遂行に支障を来たすようになつたため、昭和四三年六月から国内沿岸水先業の業務を停止し、以後全く無収入となつたが、発症以来八年余り永年の蓄えも尽きかけ、前記症状に対する苦痛とともに老後の生活に不安を感じている。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ、本件原告らのうちでは比較的軽症に属すると見られるが、前記諸事情を考慮すると、その慰藉料としては一一〇〇万円が相当である。

2  原告田中彰子

(一) 原告彰子は、昭和一八年四月夫浦助と結婚し、夫と先妻との間の子二人及び長男一哉、長女美恵子の両名を育て、家事に専念してきた。

(二) 同原告は、本件カネミ油を摂取して後、昭和四三年四月頃から胃の調子が悪くなり顔にむくみが出はじめた。五月末ごろからは顔面・耳の内部・瞼等に吹出物ができ、爪が変形し、目やにがひどくなり、床に臥すことも多くなつた。やがて吹出物は上半身から下腹部、陰部にまで広がつた。

同年一〇月一一日から九大に通院するようになつたが、当時の症状として、口唇・歯齦・爪の色素沈着、下腹部栗粒大小結節、外顆部鶏卵大腫瘤、顔面浮腫、流涙、眼脂過多、顔面・背中に痤瘡様皮疹が認められ、油症と診断された。

(三) 発症当初は近くの病院に通い検査を受けたが、原因が判明せず、漢方薬を服用したりした。その後九大に通院して治療を受けているが、対症療法であり容易に軽快せず、発症以来床に臥すことが多かつたためか昭和四七年頃から腰の痛みがひどくなり、九大での診断によると腰骨変形症とのことでコルセツトを常用するようになつた。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭重感などを主訴とし、軽度の腰痛、咳嗽、喀痰の訴があり、血性中性脂肪値が高く血中PCB(七ppb・Bパターン)の存在が認められ、皮膚科的所見として、頬部に黒色面皰、顔面には痤瘡様皮疹があり時々化膿し、背部・腰部には嚢腫があつて圧迫すると油様物質を排出する、また爪は平たく割れ易く、趾爪・瞼結膜・歯肉の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多が認められる。

そしてこのような症状は、趾爪の色素沈着が次第に軽快するものと考えられるほかは、いずれも当分持続するものと診断されている。

(五) 同原告は、前記のような症状に悩みながらも一応家事に従事してきているが、特に夫が油症により水先業を停止して収入がなくなつたため、裁縫の内職をしてわずかの収入により家計を支えているが、その裁縫も眼症状のため難渋している。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の皮膚症状はやや重く、内科領域を併せて、本件原告らのほぼ中位にあると見られるが、前示諸事情を考慮すると、その慰藉料は一四〇〇万円とするのが相当である。

3  原告田中一哉

(一) 原告一哉は、昭和四三年四月当時九州産業大学の三年に在学中であつたが、母彰子が子供の栄養を考え特に食用油を使用した献立を多く準備したため、同原告が家族中もつとも多く本件カネミ油を摂取した。

(二) 同年六月初め頃からニキビ様の吹出物ものが顔に出はじめ、次第にひどくなつて全身に広がり、同年八月頃には顔の色が黒褐色に変り、目やにがひつきりなしに出て視力の減退をきたした。

同年一〇月一八日九大で診察を受けたが、顔面・臀部に毛孔一致の痤瘡性皮疹、頸部・躯幹に毛孔著明化が見られ、爪はすべで褐色の色素沈着があり、マイボーム腺分泌過多が認められ、典型的な油症と診断された。

その後、体のあちこちの吹出物が化膿したり、頭痛、視力障害といつた症状が続き、特に九大眼科で詳細な診療研究を受けたが、根本的治療法がなく視力障害は依然として継続している。

(三) 昭和四五年八月二五日九大での診察時には、内科的所見として、軽度の全身倦怠感、頭痛、喀痰などがあり、血清中性脂胞の増加、気管支炎の所見があるとされ、皮膚科的所見として、色素沈着、痤瘡様皮疹がなお残存し、化膿傾向もあるとされているが、大学卒業後東京方面に就職したため、その後九大では受診していない。しかし、同原告は自覚症状として、なお吹出物がひどく全身をおおい、一部は化膿しており、視力障害が持続しているほか、かぜをひき易く、しかも長びいて咳、微熱がなかなか治らないと訴えている。

なお、このように長期間持続する視力障害について、原因が明確でなく、果して油症に起因するものか疑問がある反面、全く関連がないと否定もしえない状況にあることは、相原告佐藤英明におけると同様である。

(四) 同原告は、前記のように大学存学中に発症し、ことに著しい視力減退のため学業に不自由を重ね、ようやく大学を卒業して東京の会社に就職したが、会社勤めにおいても視力障害、身体各所の化膿、全身倦怠感といつた症状から欠勤が多く昇給等に不利益を蒙つているほか、自動車運転や海外出張などに困難な問題を残している。

(五) 以上の次第で、同原告の症状は皮膚科領域が比軽的重症のように思われるが、最近の症状については的確な資料がなく、内科領域と併せてまず中等度と見るべきであろう。そこで、前記諸事情を勘案すると、慰藉料としては一三〇〇万円が相当である。

4  原告田中美恵子

(一) 原告美恵子は、昭和四三年四月高校を卒業して福岡市内の住友銀行へ就職したばかりであつた。

(二) 昭和四三年六月初め頃から顔にニキビ様の吹出物が出はじめて、やがて全身に広がり、足の爪も変形してきた。目やにが始終出て視力が極端に落ち0.1程度になつたが、眼鏡による矯正もできなかつた(もつとも、この視力障害は後に軽快した)。

昭称四四年一月二四日九大で診察を受けたが、その際の所見は顔面に毛孔性小結節、顔面・眼瞼結膜・指爪に褐色色素沈着、瞼板腺分泌過多などが認められ、自覚症状として全身倦怠感、月経不順、目やに、食後の腹痛の訴えがあつたとされ、その頃油症と認定された。

(三) その後九大では直接治療を受けていないが、その奨めにより、近くの医院で継続して点滴治療を受け、また淡路島の都志診療所で前後二回、福岡市内の吉川病院で一回、それぞれ一ケ月間あて断食療法を受けたが、効果は一時的なものにとどまつている。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、月経不順はほぼ消失したが、食後に時として腹痛があり、血中PCB(六ppb・Aパターン)の存在が認められ、皮膚科的所見として、頬部の陥凹性痤瘡性瘢痕、右第一趾の刺入、歯肉の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多などが認められ、そのほかに自覚症状として、かぜ、頭痛、腹痛に苦しむことが多く全体的に病弱であると訴えている。

そして、このうち内科的症状は治癒的傾向にあるが、完治するかどうか不明、皮膚科領域は右症状が当分持続するものと診断されている。

(五) 同原告は、全身的な皮疹に加えて顔面に瘢痕が残り、高校を卒業し社会へ出たばかりの女性として非常に大きな心の痛手を負い、仕事の上で客と応対することにすら苦痛を感じる状態で、勤務先にも油症であることを秘しており、結婚の問題を含め将来に不安を感じている。

(六) 以上の次第で、同原告の症状はどちらかといえば皮膚科領域が軽く、内科領域と併せて中位にあると見られるが、前記諸事情を考慮すると慰藉料一三〇〇万円を認めるのが相当である。

九原告川越恭甫、同川越克明、同川越光枝について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告恭甫、(大正一〇年一月二五日生)と同和(大正一五年一一月一九日生)とは夫婦であり、原告克明(昭和二四年一一月二八日生)はその長男、原告光枝(昭和二八年六月二七日生)はその長女である。

原告川越方では、和が相原告樋口ヒサの紹介で昭和四一年頃から相原告田中彰子らが共同購入したカネミライスオイルを分けてもらつてこれを使用してきたが、昭和四三年四月二日前記のように相原告の田中方その他とともに福岡油販から一八l入りのカネミライスオイル一缶を取り寄せて分け合い、原告川越方はそのうち3.6lを購入して、その日から同年六月末頃までの間にこれを卵焼、フライ、いためもの等にほとんど使用してしまつたが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告川越恭甫

(一) 原告恭甫は、昭和一〇年頃から東邦窯業株式会社に勤め東京都に居住していたところ、昭和三八年四月一日同社九州営業所長となり福岡に勤務してきたもので、昭和四三年四月頃は福岡市南区大字三宅六四四番地の一に住んでいた。

(二) 同原告は、昭和四三年四月頃から本件カネミ油を家族とともに摂取したが、仕事の関係で外食することが多かたため、妻子に比較すると摂取量も少く、多少遅れて同年六月頃発症した。当初は足のむくみが生じ疲れやすくなつていたが、やがて背中に吹出物が出、目やにが出て目がかすむような症状が加わり、また酒が飲めなくなつた。

昭和四四年九月二七日九大で油症との診断を受けたが、そのときの所見では、陰部などに少数の痤瘡が認められ、頭痛や全身倦怠感を訴えている。

右頭痛のため時折九大から鎮痛剤の投与を受けているが、症状な比較的軽症であり、そのほか同原告としては格別治療を受けていない。ただ目やにがひどいときは妻の和が九大からもらつてきた目薬を使用している。

(三) 現在の症状(昭和五一年七月一二日九大内科、同年一月二七日同皮膚科受診)は、内科的所見として、咳嗽、喀痰、頭痛、時に発熱がみられるほか著変は認められず、皮膚科的所見として、躯幹にいずれも少数の痤瘡と陥凹性瘢痕、それに足の親指の爪の彎曲が認められる。

そして、これら症状のうち、陥凹性瘢痕や爪の彎曲はそのまま残存するが、痤瘡は次第に減少する。ただ内科領域は今後完全に消失するか不明と診断されている。

(四) 同原告は本件油症のため、自身仕事のうえで無理ができず、顧客の接待等に不都合を生じているほか、特に家族の油症の治療のため診療組織のある福岡を容易に離れることができず、社内での栄進につながる東京転勤の機会が何度かあつたけれども、その都度断念せざるを得なかつた。最近ようやく横浜に転任したが、その間の不利益は否定できない。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科を通じてさほど重いともいえず、前示諸事情を考慮をするとその慰藉料としては一〇〇〇万円が相当である。

2  原告川越和

(一) 原告和は、昭和二三年七月五日夫恭甫と結婚し、以来夫婦として家事に専念し、長男克明、長女光枝の二人の子を育ててきた。

(二) 同原告は、本件カネミ油を摂取しはじめた昭和四三年四月の中旬に早くも瞼が異常に腫れてきた。そして、次第に目やにが出はじめ目がかすむようになり、同年六月には左の足首が膨れ、顔がむくみ、咳が出て痰がひどくなつた。七月から八月にかけて手足がしびれるようになり、顔はもちろん全身に細かい吹出物ができ、手足の爪は黒紫色に変色し、顔もどす黒くなつた。

そこで、同年八月から九大に通い診療を受けるようになつたが、当時の症状として、顔面に多数の痤瘡があり一部陥凹性の瘢痕となつているほか、躯幹・上肢にも痤瘡があり、また指趾爪のつよい色素沈着やマイボーム腺肥大、分泌過多も認められ、手足のしびれが訴えられている。

(三) その後、同年一〇月一一日頃九大で油症との認定を受けたが、体は疲れやすく、頭痛や吐き気も加わりセデスを常用するようになつた。また、身体各所にできる吹出物は固まつた大きなものとなり、大きいものは直径一五cmぐらいにもなつたが、やがて吹出物は化膿するようになり、特に体の柔らかい部分(腋、尻、陰部など)の化膿は激しく、発熱や痛みを伴つた。そして、これら吹出物のあとには醜い瘢痕を残している。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一一月二二日九大受診)は、内科的所見として、頭痛、全身倦怠感、咳嗽、喀痰が主要な症状として持続し、中性脂肪値が一五七mg/100mlと上昇し、血中PCBもAパターンで一四ppbが認められ、皮膚科的所見として、顔面・躯幹・外陰部・臀部などに痤瘡があり、化膿傾向が強く、これらの部位、殊に顔面には陥凹性瘢痕が多いとされ、顔面・指趾爪・歯肉・眼瞼結膜の色素沈着やマイボーム腺の肥大、足の親指の爪の変形などが認められる。

そして、これらの症状はいずれも次第に軽減しているが、果して完治するかは不明であり、陥凹性瘢痕はそのまま残存すると診断されている。

(五) 同原告は、前記のような症状のため、一応主婦として家事に従事しているが、身体の疲労により夕食後はあと片付けもできず寝込んでしまうといつた状態であり、また顔面の瘢痕から人前に出ることが億劫になり、従来続けてきた謡曲の稽古もやめてしまつた。しかも、これらの症状はかなりの年月を経ながら容易に治癒せず、二人の子供の就職・結婚といつた問題を抱えて、自己の将来の生活についても悩みは大きい。

(六) 以上のとおりで、同原告の症状はかなり重く、ことになお血中に高度のPCBが残留していることなどを考えると、被告カネミからの支払金額を併せ斟酌しても、その慰藉料としては一六〇〇万円を認めるのが相当である。

3  原告川越克明

(一) 原告克明は、昭和四三年度の大学入試に失敗し、同年四月から予備校に通つて勉強していた。

(二) 同原告は同年四月末頃から次第に無気力、脱力感を覚えるようになり、五月から六月にかけて、目がかすみ字が二重三重に見えて辞書がひけない状態になつた。更に、目やにが異常に出て結膜が充血し、顔から身体全体に吹出物が広がり、爪も黒紫色に変つた。八月頃からは臀部や陰部の周囲に大きな吹出物ができて化膿し、そのため発熱し、体の疲労もはげしく家の中も這つて歩く有様で、予備校にも通えなくなつた。

同年一〇月一一日九大で母、妹と共に油症の診断を受けたが、当時の症状としては、顔面・頸部・胸部・腹部に多数の痤瘡があり、一部は化膿し、また爪の色素沈着、マイボーム腺肥大が認められ、頭痛を訴えていた。またその頃、九大神経内科において、四肢の神経に異常、特に足の運動神経に異常があると診断されたというが、この点確たる証拠はない。

その後、全身の吹出物は直径一〇cmという大きなものが化膿してでき続け、あるいは切開し、あるいは表皮が破れたところを押し出して処置してきたが、その間痛みははげしく、あとに瘢痕を残している。

(三) 現在の症状(昭和四九年八月一七日九大内科、昭和五〇年七月一九日同皮膚科受診)は、内科的所見として、舌の白苔、咽頭部の発赤を認めるほか理学的所見にはあまり目立つものはないが、血中PCB(一〇ppb、Aパターン)が認められており、皮膚科所見として、顔面・歯肉・眼瞼結膜・趾爪などの色素沈着、背部に痤瘡があつて時々化膿し、顔面には著明な陥凹性瘢痕が認められている。

内科領域では現在特に目立つた自覚症状もないが、血中PCBは油症に特徴的なパターンを示しており、目下のところ完治するかどうか不明とされ、皮膚科領域でも、陥凹性瘢痕以外は徐々に軽減するが、右瘢痕はそのまま残り、完治するかは不明とされている。

(四) 同原告は、大学入試に失敗した直後に本件油症が発症し、そのため翌年度を期して通いはじめた予備校での勉強も、視力低下、痤瘡の続発、化膿、体力の減耗といつたことから思うにまかせず、しかも九大受験の第一日目に痤瘡がひどく悪化して、同じ九大で手術を受けなければならない破目になり、結局、昭和四四年度の入試は断念せざるを得なかつた。昭和四五年ようやく西南学院大学に入つたが、顔面の瘢痕が気になり、将来の就職等にも不安を感じている。

(五) 以上のとおりで、同原告の症状は皮膚科、内科ともかなり重く、特に前示したような事情を勘案すると慰藉料としては一七〇〇万円が相当である。

4  原告川越光枝

(一) 原告光枝は、小学校五年のとき福岡市の健康優良児に選ばれたくらい健康な子で、本件油症が発症した当時は中学三年になつたばかりであつた。

(二) 昭和三四年五月末、急に呼吸ができなくなるほど背中が痛み、六月には目やにが出はじめ、朝は目やにで目が開けられないようになつた。七月から八月にかけて爪が変色し、顔がむくんで黒くなり、顔中に細かい吹出物ができてきたが、この吹出物は背中や下腹部に広がるとともに大きくなり化膿しやすくなつた。その後、頭痛や発熱が続き、生理が狂つて生理痛も異常に激しく、その都度セデスを服用していた。

同年九月末頃から九大に通うようになり、同年一〇月一一日油症との診断を受けたが、当時の症状として、顔面・頸部・胸部・四肢関節屈側に痤瘡が多数あり、一部は化膿し、爪につよい色素沈着が認められるほか、頭痛、眼脂過多を訴えている。

その後、指に魚の目のようなものができて感覚に異常をきたし、目やにや臀部、外陰部の吹出物の化膿等が続いている。

(三) そのうち、顔面の瘢痕を少しでも改善するため、昭和四六年九月と昭和四七年三月の二回九大において皮膚を削りとる手術を受け、右手術後は直射日光を避けるため、それぞれ三、四ケ月間、目と口とを除いて顔を完全に覆うガーゼのマスクを被つて通学するといつた努力をしたが、効果は満足すべきものではなかつた。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一一月二二日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、喀痰があるほか自覚症状も目立たないが、血中OCB(一一ppb・Aパターン)の存在、血清LDH(乳酸脱水素酵素)の中等度の上昇が認められ、皮膚科的所見として、顔面ことに鼻翼に色素沈着、少数の痤瘡があり、顔面全体に陥凹性瘢痕が多数認められ、また臀部や外陰部に嚢腫があつて時々化膿し、足の親指の爪に色素沈着と彎曲、刺入が認められる。

これら諸症状のうち、瘢痕が残存し、他は軽減するが、完全に治癒するかどうか見込み不明の点は、原告克明の関係と同様である。

(五) 同原告は、中学三年という思春期を迎えるところに本件油症にかかり、特に女性として顔面や下半身の吹出物、その化膿、瘢痕といつたものに甚だしい苦痛を感じ、また昭和四四年一月からは椅子に掛けての勉強にも耐えられなくなつて一年間の休学を余儀なくさせられた。音楽関係の学校への進学を考えていたが、指先に魚の目のようなものができピアノの練習も思うにまかせず、結婚の問題とともに将来の生活に不安を感じている。

(六) 以上の次第で、同原告の症状は相当重症であり、前記諸事情、特に女性として顔面に多数の瘢痕を残すことは十分に考慮されねばならない。その慰藉料としては一八〇〇万円が相当であろう。

一〇原告樋口泰滋、同樋口ヒサ、同樋口英俊、同樋口達谷について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告泰滋(明治四三年九月一日生)と同ヒサ(大正六年七月一日生)とは夫婦であり、原告英俊(昭和一八年六月一日生)はその長男、原告達谷(昭和二四年七月八日生)はその二男である。

原告樋口方では、ヒサが料理学校に通つていたときの先生にすすめられ、昭和四〇年頃から相原告田中らの仲間入りしてカネミライスオイルを共同購入し使用してきたが、昭和四三年四月二日前記のように福岡油販から右田中方その他とともに一八l入りカネミライスオイル一缶を取り寄せて分け合い、原告樋口方はそのうち3.6lを購入して、その頃から同年五月末頃までの間にこれを卵焼、揚げもの、いためもの等に利用し、右原告ら四名及びこれと同居していた泰滋の父母、更に時折来訪していた長女とその子らなどで使用してしまつたが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告樋口泰滋

(一) 原告泰滋は、薬剤士であり、戦前は久留米医大あるいは福岡市にあつた伝染病研究所に勤めていたが、終戦とともにこれを辞め、昭和二一年頃から福岡市綱場町において自ら薬局を開業し、その後昭和三四年頃右薬局を同市博多区築港本町に移し大今日に至つている。

(二) 同原告は、昭和四三年当時福岡市大字三宅天神前町の自宅に居住し、前記築港本町の薬局に通つていたため、自宅での食事は朝夕に限られ、妻子に比すると本件カネミ油の摂取量は幾分少なかつたが、同年六月頃原因不明の発熱があり、引続き歩くことができないほど膝から下がしびれ始めた。そして、目やにや面皰、身体のできものといつたものができ、痰も多くなつた。

昭和四四年二月一三日初めて九大で診察を受け、油症と認定されたが、当時の症状としては、爪の褐色色素沈着、瞼板腺分泌過多、顔面・耳介などの面皰があり、歩行時の疼痛が訴えられていた。

(三) その後も、目やにが出続け、足がしびれて疲れ易いといつた症状が継続していたところ、昭和四六年一二月三〇日朝から体の力が抜けたようになり、頭痛とともに全身麻痺の状態になつて、そのまま三ケ月間病床に臥することになつた。医師の診断によれば、脳溢血もしくは脳血栓というが、油症との関連は明白でない。ところで、前記損害総論で述べたとおり、油症患者中には通常人に比し血清中に中性脂肪や過酸化脂質の高値を示すものが多く、これが動脈硬化等の心血管系の障害をもたらす可能性があることを梅田医師により指摘されているので、右原告の症状も油症による影響を考えられなくはない。しかし、同原告は前示のようにカネミ油の摂取量も多い方ではなく、したがつて皮膚症状は勿論内科的症状も足のしびれ、疼痛といつたもの以外、特に見るべきものもなく、比較的軽症であつた。その原告が油症発症後三年六ケ月を経た時点において突然かかる事態に立至つたのであり、これが果して油症によるものといえるか疑問を抱くのも当然であろう。同原告の年令等も考え合わせると、主たる原因は油症外にあり、油症がこれに幾分加功した程度と認めるのが相当である。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、手足のしびれ感が主要な症状であるが、血中PCBはBパターンで七ppb、中性脂肪値は一〇八mg/100mlであり、また皮膚科的所見として、頬部・耳後部に黒色面皰が認あられ、夏季に時々化膿傾向があるほか、瞼結膜の色素沈着が残存している。

そして、これら症状のうち内科領域は同原告の年令からして治癒は見込みがなく、また黒色面皰とその化膿傾向は当分続くものと診断されている。

(五) 同原告の本件油症による影響は、当初皮膚症状も軽く、足のしびれ、疼痛、疲労し易いといつたことから、歩行が思うにまかせず、店舗への往復にタクシーを利用しなければならぬ不自由さにとどまつていたが、昭和四六年一二月三〇日脳溢血ないし脳血栓により倒れて後は、ほとんど全身が麻痺しているため自ら営業に就き得ない状態にある。ただ、そのまま放置するときは営業停止の処分を受け早速生活に窮するところから、薬局の奥にベツドを持ち込みこれに横臥しながら、妻の手助けにほそぼそと営業を継続しているが、やはり成績は上らず、これだけでは経済的に苦しく、やむなく持ち家を売却したりして生活費を補つてきている。

(六) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科、内科を通じ本件原告らの中位ないしやや軽い方に属する。前示脳血栓により生活面・経済面で非常に苦しい立場にあるが、これが油症との関連は疑問であり、若干影響を及ぼしている程度と判断されるので、被告カネミからの支払金額等も考慮し、その慰藉料は一四五〇万円と認める。

2  原告樋口ヒサ

(一) 原告ヒサは、昭和一三年一〇月一八日夫泰滋と結婚し、当初は久留米に居住していたが、昭和一八年頃から福岡市に移り、一時期同市内の綱場町に住んだこともあつたが、昭和三四年頃からは現住所に居住している。その間、主婦として家事にあたるとともに、長女洋子、長男英俊、二男達谷ら三人の子を育てたが、昭和四三年頃からは夫の父母とも同居するようになり、油症の発症の当時はすでに結婚して家を離れた長女を除いて、六人の家族をまかなつていた。

(二) 同原告は、本件カネミ油を摂取しはじめた昭和四三年四月の末から五月初めにかけて、顔がむくみ、全身の皮膚がカサカサになり、背中が痛むようになつた。やがて、目やにが出はじめ、手足の爪が暗紫色に変色し、手足がしびれ、痰が多くなつた。八月に入るとこのような症状に加えて、足の裏や手の内側に魚の目のような角質のものができ、歩くにも苦痛を覚えるようになつた。

昭和四三年一〇月二一日から九大に通うようになり、同年一二月一六日に油症と診断されたが、当時の症状としては、顔面に毛孔一致性の黒点、爪の褐色色素沈着、手掌の多汗、瞼板腺の分泌過多が認められ、眼痛、背痛、しびれ感などが訴えられている。

その後、痰がひどくなり、頭痛や吐き気が続きセデスを常用しているが、吹出物も出るようになり、体の柔らかい部分、特に尻、陰部、腋の下といつたところにできたものは次々に化膿した。

(三) そして、昭和四五年六月頃からは腹部が異常に膨れて妊婦のような状態になり、発熱と高血圧が続き、医師からシヨツク死の危険を告げられたこともある。このような症状のため、その間九大に昭和四四年一〇月二〇日から昭和四五年二月六日までと、同年六月二四日から八月一日までと、再度入院して診療を受けた。しかし、右腹部の膨れについては原因が判明せず、PCBによつて内臓の機能に障害を生じたのではないかといつた推測を聞かされた程度で、効果的な治療は受けていない。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一月二七日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、腹痛、せき等が主要な症状で、他覚的に腹部の膨隆、不整脈、蛋白尿、血沈の亢進がみられ、皮膚科的所見として、陰股部になお時々化膿化傾向があり、瞼結膜の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多、趾爪の色素沈着、第一趾爪の刺入などが認められ、足蹠には鶏眼を次々に発生している。

これらの症状はいずれも当分続くものと考えられ、ことに内科領域については完治を期待できないと診断されている。

(五) 同原告は、前記のような症状のため、近くの病院や九大への通院を重ね、また再度にわたり入院を余儀なくされ、その間もほとんど寝たり起きたりの有様で、家事も十分にできず、炊事にしても父母の分は母の手で、夫と長男には外食ないし自炊ですませてもらい、二男と自分の分だけ原告ヒサがなんとか準備するといつたこともあつた。そのうち父が死亡し、このような事態を見かねた母は自ら進んで老人ホームに入つてしまつた。現在、生活を維持するためとはいえ、寝たきりの夫を店舗に連れ出し薬局を続けねばならないことに大きな苦痛を感じている。

(六) 以上の次第で、同原告の症状は皮膚科、内科を通じて本件原告らの中位あり、前示諸事情を考慮すると慰藉料は一三〇〇万円と認めるのが相当である。

3  原告樋口英俊

(一) 原告英俊は、昭和三九年頃気管支炎を患い薬科大学を三年で中退し、その後健康を回復して父のもとで薬局の仕事を手伝つていた。

(二) 同原告は、昭和四三年五月足の関節が痛みはじめ、やがて目やに、腹部・腰部・顔面に吹出物が出だし、また頭痛がして疲れ易くなつた。

同年一二月二日に九大を受診し油症と認定されているが、当時の症状として、顔面・腹部・背部・上腕などに少数の小結節、歯肉・爪に軽度の色素沈着、それに軽度の眼脂が認められている。

その後、頬に一cmぐらいの厚みの脂肪の固まりができたり、おできができて化膿したりしたが、皮膚症状にそれほどでもなかつた。ただ、頭痛と疲労が続き、ノイローゼ気味で気力を欠き、しばしば仕事を休んでいた。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二一日九大内科、昭和五一年一月一七日同皮膚科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭痛、腹痛、手足のしびれなどが認められ、血中PCBは不明であるが、血清中性脂肪がやや高く、尿蛋白が陽性で、血圧もやや高いことが認められ、皮膚科的所見として、左頬部に嚢腫が存在し、切除されたことが認められる。また、脱毛が異常に多く頭髪が薄くなつて一〇才以上も年嵩に見えるほどであるという。

そして、これら症状のうち内科関係は治癒困難であるが、皮膚科関係は軽快するものと診断されている。

なお、同原告そのほか慢性気管支炎を訴えているが、油症発症前にも気管支炎に罹つており、これが本件油症との関連は、完全に否定はできないまでも、一応は疑問としなければならない。

(四) 同原告は、本件油症の発症後も父のもとで薬局の仕事をしていたが、昭和四五年初め頃から縁談があり、一応まとまつて同年一二月には挙式の予定になつていたところ、相手方家族のうちには油症患者との結婚を心配するものもあり、迂余曲折を経てようやく昭和四六年九月に結婚となつた。そして、迎えた妻が薬剤士でもあつたので、原告英俊は父泰滋に資金を出してもらい、結婚後間もなく福岡市内の西大橋に薬局を開設したが、同原告自身は父の薬局を加勢しなければならず、そのうち疲労で倒れてしまい、また妻も妊娠のため十分に働けず、赤字続きで店を閉鎖せざるを得なくなつた。そのような経過のうちに双方の親族の間がしつくりと行かず、板ばさみの状態になつてしばらくは泰滋方に全く出入りしないといつた時期もあつた。その後再度父から資金を仰ぎ、博多駅横のビルに薬局を開いたが、やはり身体の疲労と無気力から仕事を休みがちで、これも長続きせず閉店となつた。そして、昭和五〇年には妻との間も不和が高じ離婚に至つた。現在は保障会社に就職しているが、依然として身体の調子が悪く、仕事には支障をきたすことがある。

(五) 以上のとおりであるから、同原告の症状は比較的軽症というべきであるが、本件油症も一因となつて家庭的に不幸な事態に立至つたことなどを考慮すると、その慰藉料としては一三〇〇万円が相当である。

4  原告樋口達谷

(一) 原告達谷は、小学校から高校まで全く無欠席で過ごし、至つて健康で、昭和四三年度は九大医学部の入試に失敗したが、次年度の合格を目指し勉強を始めたばかりのところであつた。

(二) 同年五月上旬、まず頬が異常にむくんできて、顔が黒ずみ、同月下旬頃からは顔や身体の至るところにニキビ様の吹出物が少し出はじめ、特にこれが臀部付近に多くなり、手足の爪も変色してきた。また、目やにもひどくなり結膜が常時充血して、勉強に支障が生じることもしばしばであつた。

昭和四三年一一月一四日九大で受診し、そのころ油症との診断を受けたが、当時の症状は、顔面頬部に毛孔一致小結節が群集し、臀部・大腿に黒色面皰があり、眼瞼結膜・歯肉、爪に褐色色素沈着が認められている。

その後も、目やにが出続け、吹出物も次々に出て、顔に三針も縫うような手術を要する大きなおできができたこともある。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二一日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、頭重感、手足のしびれ感があり、血清コレステロールの高値と中性脂肪の軽度上昇とが認められ、皮膚科的所見として、黒色面皰、特に陰部に痤瘡様皮疹と瘢痕化がみられ、顔面・歯肉・爪の色素沈着、マイボーム腺肥大、眼脂過多、足蹠の角質肥厚が認められている。

これらの症状のうち、内科領域は徐々に軽快するが治癒の見込みは不明であり、皮膚科領域は当分の間残存するものと診断されている。

(四) 同原告は、前記のように九大医学部の受験に失敗し、翌年度を期して勉強をはじめたところに油症が発症したが、この油症による目の不自由や身体の疲労といつたことから勉強も思うにまかせず、結局、再度失敗して当初の目標は断念せざるを得なくなつた。現在は西南学院大学を卒業してすでに就職しているが、やはり前記症状のため仕事に不自由を感じている。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は皮膚科領域が比較的重く、通じて中等度と認められるが、前記諸事情を併せ考えると、慰藉料は一三〇〇万円とするのが相当である。

一一原告尻無浜美敏、同尻無浜峰子、同尻無浜美子、同尻無浜麻利子について

<証拠>を総合すると、次のように認められる。

原告美敏(昭和七年三月一日生)と同峰子(昭和八年七月一一日生)とは夫婦であり、原告美子(昭和三二年一一月二一日生)はその長女、原告麻利子(昭和三九年七月一三日生)はその二女である。

原告尻無浜方では、峰子が隣家の相原告田中彰子を通じてカネミライスオイルを知り、昭和四〇年頃から右田中らが共同購入したものを分けてもらつて使用してきたが、昭和四三年四月二日前記のように福岡油販から右田中方その他が共同購入した一八l入りカネミライスオイル一缶のうち1.8lを分けてもらうことにし、同年五月中旬以降六月初め頃の間にこれを受取つて、その頃からいためもの、卵焼、フライ、ホツトケーキ等に毎日のように使用し、同年六月末頃には使用してしまつたが、これが本件カネクロール入りのカネミ油であつた。

1  原告尻無浜美敏

(一) 原告美敏は、昭和二五年高校卒業と同時に福岡市に出て、父親とともに建築業に従事するかたわら二級建築士の資格を取得し、昭和四〇年頃からは株式会社善工務店に勤め、本件油症発症の当時は現場主任の地位にあつた。

(二) 同原告の症状は昭和四三年六月中旬頃始まつたが、吐き気がし、目やにが出て瞼がはれる、首が回らず背中が痛い、そして、身体がだるいということであつた。そのうち足の裏が硬くなつてしびれが出、そのため一時期靴が履けないようになり、更に爪の色が黒ずみ、結膜が充血して目がかすむようになつた。

しかし、皮膚症状はそれほどのものもなく、昭和四三年一一月一四日に九大で診察を受、その後翌年一月油症と認定されているが、その際も皮疹は特にみとめられず、眼脂増加と眼がかすむ症状が訴えられ、これによつて認定を受けている。

その後も目やにが出て結膜が充血し、身体の疲労を訴え、思考力、判断力の低下を嘆いている。

(三) 現在の症状(昭和四六年八月二四日九大内科、昭和五〇年一月二七日同皮膚科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感、発熱、喀痰、咳嗽、めまい等があり、胸部レントゲンで気管支炎様の所見がみられ、皮膚科所見として、眼瞼結膜・歯肉の強い色素沈着、趾爪の軽度の色素沈着があり、マイボーム腺肥大が認められている。

そして、これらの症状はいずれも次第に軽減すると考えられるが、完治するかは不明と診断されている。

そのほか、昭和四五年四月頃二晩続けて吐いて苦しみ、その後も吐き気が続いているが、精密検査によつても原因は明らかにされていない。

(四) 同原告は、前記のように二級建築士として工務店に勤務しているが、本件油症によつて、特に目やにが出、目がかすむことから、仕事上必要な細かい設計図をみたり、トランシツトやレベルをのぞいたりするうえで極めて不自由を感じているほか、体が疲れやすく一般に仕事に根気がなくなつており、工事の進行状況によつては残業を必要とする場合もあるが、これに耐えることができず、無理をしないようにして所定時間内の勤務にようやく就いている有様である。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状は本件原告らのうちでは最も軽い範囲に属する。そこで、前記諸事情を考慮すると、その慰藉料は八〇〇万円が相当である。

2  原告尻無浜峰子

(一) 原告峰子は、昭和三二年三月一一日夫美敏と結婚し、長女美子、二女麻利子の二人の子を育て、家事に専念してきた。

(二) 同原告は、昭和四三年六月中旬ごろから吐き気や顔のむくみがはじまり、顔の色が黒ずんで体がだるくなつてきた。やがて八月には瞼が腫れて目やにが出るようになり、九月になると顔にニキビ様の吹出物ができはじめた。

同年一〇月に入つて九大の診察を受けたが、当時の症状とししては、顔面・頸部・腋窩・下肢等に毛孔の著明化、痤瘡形成があり、小豆大の皮下嚢腫数個が認められ、趾爪に色素沈着があるとされており、同月二九日頃油症と診断された。

(三) その後、九大に通院していたが、まず左手の肘に水腫のようなものができ、次第に盛りあがつてこぶになつたので、昭和四四年二月頃切開手術をしてもらつたところ、次には右手肘、両足の膝付近に同じような経過でそれぞれこぶができ、昭和四六年三月末手術を受けたが、その切開創が一ケ月もなおらず、あとに瘢痕が残つた。また、下腹部に次々におできができ、これが化膿し続けたが、その間、昭和四五年夏には声帯衰弱症といわれ、言葉が思うように出なかつたり、指の感覚が麻痺したのかコツプなどをよく取り落したりした。

そのほか血圧が高く心臓肥大を指摘され、降圧剤を飲み続けていたが、油症との関連は明らかにされていない。

(四) 現在の症状(昭和五〇年一二月一三日九大受診)は、内科的所見として、全身倦怠感を訴えるほか、血圧も正常に復し、内科的・神経学的に異常は認められないとされ、皮膚科的所見として、顔面に少数の痤瘡、腋窩・四肢に皮下嚢腫があり時々化膿する、鼻・趾爪・歯肉に色素沈着がみられ、顔面には陥凹性瘢痕が多数残存するとされている。

そして、これらの症状のうち陥凹性瘢痕はそのまま残り、他の皮膚症状は次第に軽減するが、全身倦怠感とともに完治するかは不明とされている。

(五) 同原告は、前記のような症状の経過とともに、当時幼なかつた二人の子供が発症し、家事も十分にできず、非常に不安な日々を送つた。そして、今だに目やにが出て裁縫・編物といつたことは全く手にしなくなつているが、下腹部の吹出物も化膿し続け、顔面の瘢痕とあわせて大きな苦痛を感じている。

(六) 以上のように、同原告の症状は皮膚科領域がやや重く、それに比すると内科領域はむしろ軽症で、通じて中等度というべきであるが、前記諸事情を考慮すると慰藉料は一三〇〇万円が相当である。

3  原告尻無浜美子

(一) 原告美子は、本件油症発症の昭和四三年六月頃は小学校五年生であつた。

(二) 同年六月中旬ごろ顔に発疹して熱が出たことにはじまり、程度はそれほどでもなかつたが吹出物は次第に全身に及び、爪の変色、皮膚の黒ずみがあり、目やにが出て瞼がはれる、目がかすむといつた状態になつた。手掌の発汗がひどく握つた鉛筆がぐつしより濡れることもあつた。

同年一〇月二九日九大で受診し、油症との認定を受けたが、当時の所見として、顔面に少数の痤瘡と、眼瞼結膜、歯肉に色素沈着が認められ、マイボーム腺肥大があり、圧迫するとチーズ様眼脂の排出が多いとされている。

(三) その後、顔や身体の吹出物は次第に減少したが、右手の肘に母峰子と同じようなこぶができ、昭和四五年四月に九大で手術を受けたが、大きな瘢痕を残している。そのほか、体の疲労がはげしく、中学、高校を通じて学校の保健室で度々休養し、帰宅するとぐつたりして数時間は食事もとれないといつたことがあつた。

(四) 現在の症状(昭和四九年一月二一日九大内科、昭和五〇年三月二九日同皮膚科受診)は、内科的所見として、全身倦怠感があり、血中PCBに油症のパターンがみられるほか特別のものはないが、皮膚科的所見として、趾爪と歯肉に軽度の色素沈着がみられ、足の親指の爪の彎曲、刺入が認められている。

そして、これらの症状はいずれも次第に軽快するが、完治するかは不明とされている。

(五) 同原告は、小学校五年生で発症し、以来中学、高校と学校生活の大半を前記症状の苦痛の中で過ごしてきたが、目やにや体の疲労のため勉強や運動も思うようにできず、将来の進学や就職等について大きな不安を感じている。

(六) 以上の次第で、同原告の症状は同じく発症時年少であつた他の原告らに比較すると、軽い方に入るが、前記諸般の事情に鑑みると慰藉料は一二〇〇万円とするのが相当である。

4  原告尻無浜麻利子

(一) 原告麻利子は、昭和四三年六月本件油症が発症したが、当時三年一一ケ月の幼児であつた。

(二) 同原告は、ほとんど姉美子と同時に発症し、同じような症状の経過をたどつたが、姉に比較して皮膚症状は幾分強めであつた。

昭和四三年一〇月二九日九大を受診し、油症と診断されたが、当時の所見としては、手指爪・歯齦に色素沈着、両肩に小結節が認められ、上眼瞼腫脹が訴えられている。

その後も吹出物が続き、扁桃腺が腫れやすく、しばしば病院に通つたが、一時期難聴があり、乳歯の生えかわりも遅れて心配させられることもあつた。

(三) 現在の症状(昭和四九年一月二一日九大受診)は、内科的所見として、軽度の全身倦怠感があり疲れ易く、時には咳嗽、頭痛があるとされ、皮膚科的所見として、躯幹の毛孔著明化、歯肉の色素沈着、指趾爪の変形などが認められている。

そして、躯幹のざらざら感は次第に軽快するが、その他は当分残存し治癒するか不明とされている。

(四) 同原告は発症当時幼児であつたが、すでに小学校高学年に達している。しかし依然として全身の疲労感が続き、扁桃腺も腫れやすく、そのため勉強も思うにまかせず、特に運動が制約を受けている。

(五) 以上のとおりであつて、同原告の症状も姉美子と同様、比較的軽い方とはいえるが前示諸事情を考慮し、その慰藉料は一二〇〇万円をもつて相当と認める。

第三弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告らはいずれも弁護士原口酉男、同半田辰生、同竹之下義弘の三名を訴訟代理人に選任し、これによつて本件訴訟活動を行つてきたことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過等に照らすと、原告らがこの訴訟を提起し遂行するにあたり弁護士にこれを委任したことは、原告らの権利の実現のためやむを得ない措置であつたと認められ、そのための弁護士費用の支出は本件不法行為から通常生ずべき損害といえるので、右訴訟の性質、訴訟遂行の難易度、請求認容額その他の事情を斟酌し、しかも、後記のように本件訴状送達日の翌日である昭和四四年二月二八日からこれに遅延損害金を付することも併せ考慮して、各原告につきそれぞれ認容した慰藉料額の約七%にあたる、別紙(一)原告別請求・認容額一覧表の⑤欄に記載の金額を弁護士費用として被告らに負担させることとする。

第八章 結論

よつて、被告らは各自原告らに対し、別紙(一)原告別請求・認容額一覧表の⑥認容額合計欄記載の各金員、及びこれらに対する本件不法行為時の後で訴状送達日の翌日である昭和四四年二月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九〇条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(権藤義臣 簑田孝行 小林克美)

別紙

(一)

原告別請求・認容一覧表

(単位 万円)

原告氏名

請求額

認容額

慰藉料

弁護士費用

合計

慰藉料

弁護士費用

合計

窪田元次郎

二五〇〇

二五〇

二七五〇

二四〇〇

一七〇

二五七〇

同 絹子

一六〇〇

一八二

一七八二

一六〇〇

一一〇

一七一〇

渡辺理恵子

一七〇〇

一九七

一八九七

一三〇〇

九〇

一三九〇

井上真理子

一七〇〇

一九七

一八九七

一五〇〇

一一〇

一六一〇

佐藤俊一

一四〇〇

一四〇

一五四〇

八〇〇

六〇

八六〇

同 保子

一六〇〇

一八二

一七八二

一三五〇

九〇

一四四〇

同 英明

一七〇〇

一七〇

一八七〇

一四〇〇

一〇〇

一五〇〇

同 和哉

二〇〇〇

二〇〇

二二〇〇

一五〇〇

一一〇

一六一〇

水俣安臣

一九〇〇

二二七

二一二七

一八〇〇

一三〇

一九三〇

同 由紀子

二一〇〇

二一〇

二三一〇

二〇〇〇

一四〇

二一四〇

水俣圭子

二二〇〇

二二〇

二四二〇

二〇〇〇

一四〇

二一四〇

同 京子

二二〇〇

二二〇

二四二〇

二〇〇〇

一四〇

二一四〇

渋田正男

一四〇〇

一四〇

一五四〇

八〇〇

六〇

八六〇

同 テル子

一六〇〇

一八二

一七八二

一二〇〇

八〇

一二八〇

同 勝彦

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一二〇〇

八〇

一二八〇

同 真理子

一五〇〇

一五〇

一六五〇

一二〇〇

八〇

一二八〇

村山博一

一四〇〇

一四〇

一五四〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 千枝子

一八〇〇

一八〇

一九八〇

一五〇〇

一一〇

一六一〇

同 直也

一七〇〇

一九七

一八九七

一四〇〇

一〇〇

一五〇〇

同 啓子

一九〇〇

一九〇

二〇九〇

一五〇〇

一一〇

一六一〇

国武信子

一八〇〇

※一二〇〇

三六〇

三三六〇

一六五〇

※ 七四三

一七〇

二五六三

同 寛

一六〇〇

※ 八〇〇

二七〇

二六七〇

一四〇〇

※ 四五五

一三〇

一九八五

同 紀子

二〇〇〇

※ 八〇〇

二八〇

三〇八〇

一五〇〇

※ 四五五

一四〇

二〇九五

同 幸子

一六〇〇

※ 八〇〇

二七〇

二六七〇

一五〇〇

※ 四五五

一四〇

二〇九五

右田昭生

一四〇〇

一四〇

一五四〇

一〇〇〇

七〇

一〇七〇

同 瓊子

一六〇〇

一八二

一七八二

一二〇〇

八〇

一二八〇

同 博美

一五〇〇

一五〇

一六五〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 久美子

一五〇〇

一五〇

一六五〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

田中浦助

一五〇〇

一五〇

一六五〇

一一〇〇

八〇

一一八〇

同 彰子

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一四〇〇

一〇〇

一五〇〇

同 一哉

一七〇〇

一九七

一八九七

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 美恵子

一七〇〇

一九七

一八九七

一三〇〇

九〇

一三九〇

川越恭甫

一五〇〇

一五〇

一六五〇

一〇〇〇

七〇

一〇七〇

同 和

一六〇〇

一八二

一七八二

一六〇〇

一一〇

一七一〇

同 克明

一九〇〇

一九〇

二〇九〇

一七〇〇

一二〇

一八二〇

同 光枝

一九〇〇

一九〇

二〇九〇

一八〇〇

一三〇

一九三〇

樋口泰滋

二五〇〇

二五〇

二七五〇

一四五〇

一〇〇

一五五〇

同 ヒサ

一八〇〇

一八〇

一九八〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 英俊

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 達谷

一七〇〇

一九七

一八九七

一三〇〇

九〇

一三九〇

尻無浜美敏

一四〇〇

一四〇

一五四〇

八〇〇

六〇

八六〇

同 峰子

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一三〇〇

九〇

一三九〇

同 美子

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一二〇〇

八〇

一二八〇

同 麻利子

一六〇〇

一六〇

一七六〇

一二〇〇

八〇

一二八〇

(註)①及び④の欄の※を付した金額は、いずれも国武忠の死亡による

逸失利益・慰藉料・葬儀費に関する分である。

別紙(二)の(1)

亡国武忠の逸失利益計算表(主張分)

国武忠 大正一五年一月二七日生

昭和四七年五月一六日死亡(当時四六才)

平均余命 28.08年

稼働可能年数 一七年(昭和六四年一月まで)

(A) 九州電力株式会社退職までの逸失利益

給与月額 死亡時の基本給 七万六八〇〇円

〃   諸手当 四万七三〇〇円

定期昇給 ・ベースアツプ 毎年一〇%以上

賞与 六月分 前年度給与月額の二ケ月分以上

一二月分 当年度給与月額の二ケ月分以上

定年(五五才)昭和五六年一月

生活費 給与月額の二割

以上により後記計算表(A)のとおり 一六五九万円

(B) 定年退職後の逸失利益

九州電力株式会社からの年金

支給期間 一〇年

支給額(勤続四〇年一〇月の場合)

月額 三万六一〇〇円 退職時の基本給の二二%

再就職による収入

平均賃金 月額四万円以上

生活費 月額二万六一〇〇円

以上により後記計算表(B)のとおり 二六一万一五〇〇円

(C) 退職金についての逸失利益

定年退職の場合の退職金(勤続四〇年一〇月)

退職時の基本給(16万4100円)×95.133

1561万1206円

死亡による退職金(勤続三二年二月)

死亡時の基本給(7万6800円)×77.667

596万4826円

右の差額(得べかりし利益)九六四万六三八〇円

現在価値額(ライブニツツ式) 六二一万九〇〇〇円

(A)ないし(C)の逸失利益

合計  二五四二万〇五〇〇円

計算表(A)

期間

年・月~

年・月

月収

賞与

年収

①×月数+2

得べかりし利益

③~生活費

ライプ

ニッツ係数

現在価値額

④÷⑤

基本給

諸手当

6月分

12月分

47.6~48.3

76,800

47,300

248,200

1,490,200

1,240,000

1.05

1,190,000

48.4~49.3

84,400

52,000

248,200

272,800

2,157,800

1,820,000

1.1025

1,650,000

49.4~50.3

92,800

57,200

272,800

300,000

2,372,800

2,010,000

1.158

1,735,000

50.4~51.3

102,000

62,900

300,000

329,800

2,608,600

2,210,000

1.216

1,817,000

51.4~52.3

112,200

69,200

329,800

362,800

2,869,400

2,430,000

1.276

1,904,000

52.4~53.3

123,400

76,000

362,800

399,000

3,155,800

2,675,000

1.34

1,996,000

53.4~54.3

135,700

83,700

399,000

438,800

3,470,600

2,942,000

1.407

2,090,000

54.4~55.3

149,200

92,000

438,800

482,400

3,815,600

3,233,000

1.477

2,188,000

55.4~56.1

164,100

101,200

482,400

530,600

3,666,000

2,133,000

1.551

2,020,000

合計 16,590,000

計算表(B)

期間

年・月~

年・月

年金額

36,100×月数

就労収入

40,000×月数

生活費

26,100×月数

得べかりし利益

⑦+⑧+⑨

ライプ

ニッツ係数

現在価値額

⑩÷⑪

56.2~56.12

397,100

440,000

287,100

550,000

1.551

354,500

57.1~57.12

433,200

480,000

313,200

600,000

1.629

368,000

58.1~58.12

同上

同上

1.71

351,000

59.1~59.12

同上

同上

1.796

334,000

60.1~60.12

同上

同上

1.886

318.000

61.1~61.12

同上

同上

1.98

303,000

62.1~62.12

同上

同上

2.079

288,000

63.1~63.12

同上

同上

2.183

274,000

64.1

36,100

40,000

26,100

50,000

2.292

21,000

合計 2,611,500

別紙

(二)の(2)

亡国武忠の逸失利益計算表(認定分)(A)

期間

年・月~

年・月

月収

賞与

年収

①×月数+②

得べかりし利益

③-生活費

ライプ

ニッツ係数

現在価値額

④×⑤

基本給

諸手当

6月分

12月分

47.6~48.3

76,800

47,300

248,200

1,489,200

1,042,440

0.9523

992,716

48.4~49.3

84,400

52,000

248,200

272,800

2,157,800

1,510,460

0.9070

1,369,987

49.4~50.3

92,800

57,200

272,800

300,000

2,372,800

1,660,970

0.8638

1,434,737

50.4~51.3

102,000

69,200

300,000

329,800

2,608,600

1,826,020

0.8227

1,502,267

51.4~52.3

112,200

69,200

329,800

362,800

2,869,400

2,008,580

0.7835

1,573,722

52.4~53.3

112,200

69,200

362,800

362,800

2,902,400

2,031,680

0.7462

1,516,040

53.4~54.3

112,200

69,200

362,800

362,800

2,902,400

2,031,680

0.7106

1,443,712

54.4~55.3

112,200

69,200

362,800

362,800

2,902,400

2,031,680

0.6768

1,375,041

55.4~56.1

112,200

69,200

362,800

362,800

2,539,600

1,777,720

0.6446

1,145,918

合計 12,354,140

別紙

(三)

被告カネミの支払額一覧表

(単位 円)

原告氏名

①治療費、交通費

②仮払金

③見舞金

④合計

窪田元次郎

三二五、四四五

一九六、二〇〇

二〇、〇〇〇

五四一、六四五

同 絹子

四四〇、三七九

二、五〇〇

二〇、〇〇〇

四九二、八七九

渡辺理恵子

八〇、九一七

二〇、〇〇〇

一〇〇、九一七

井上真理子

二一二、四二三

二〇、〇〇〇

二三二、四二三

佐藤俊一

二、五六〇

一〇、〇〇〇

一二、五六〇

同 保子

一、五四二、八七〇

一、三〇〇

二〇、〇〇〇

一、五六四、一七〇

同 英明

五一一、三一二

二〇、〇〇〇

五三一、三一二

同 和哉

六一六、一八九

二〇、〇〇〇

六三六、一八九

水俣安臣

五四七、八六八

八三、三〇〇

二〇、〇〇〇

六五一、一六六

同 由紀子

一、一六九、五六六

三、三〇〇

二〇、〇〇〇

一、一九二、八六六

同 圭子

二〇三、〇一一、

二〇、〇〇〇

二二三、〇一一

同 京子

二二九、一二〇

二〇、〇〇〇

二四九、一二〇

渋田正男

九〇、九四六

一〇、〇〇〇

一〇〇、九四六

同 テル子

三五六、八七八

二〇、〇〇〇

三七六、八七八

同 勝彦

五一、九八五

二〇、〇〇〇

七一、九八五

同 真理子

三九、八四〇

二〇、〇〇〇

五九、八四〇

村山博一

七三九、六二九

二〇、〇〇〇

二〇、〇〇〇

七七九、六二九

同 千枝子

三二〇、九五三

一三四、九七五

二〇、〇〇〇

四七五、九二八

同 直也

二四九、〇三六

二〇、〇〇〇

二六九、〇三六

同 啓子

一七六、九二二

二〇、〇〇〇

一九六、九二二

国武信子

一、四五六、〇〇六

七二七、八二〇

二〇、〇〇〇

二、二〇三、八二六

同 寛

九六、八四五

二〇、〇〇〇

一一六、八四五

同 紀子

九五、五四六

二〇、〇〇〇

一一五、五四六

同 幸子

五七、七一四

二〇、〇〇〇

七七、七一四

右田昭生

二、四五五

一〇、〇〇〇

一二、四五五

同 瓊子

四三、三四一

一〇、〇〇〇

五三、三四一

同 博美

二二、六一七

一〇、〇〇〇

三二、六一七

同 久美子

二二、一七五

一〇、〇〇〇

三二、一七五

田中浦助

二九九、五〇三

七六、一七五

二〇、〇〇〇

三九五、六七八

同 彰子

一〇〇、八一七

二〇、〇〇〇

一二〇、八一七

同 一哉

九四、四三四

二〇、〇〇〇

一一四、四三四

同 美恵子

八七、九四七

二九、〇八〇

二〇、〇〇〇

一三七、〇二七

川越恭甫

二〇、六三〇

一〇、〇〇〇

三〇、六三〇

同 和

一、〇〇二、六六六

一、〇〇〇

二〇、〇〇〇

一、〇二三、六六六

同 克明

二一二、九九二

二〇、〇〇〇

二三二、九九二

同 光枝

四六七、二六〇

二〇、〇〇〇

四八七、二六〇

樋口泰滋

一、〇〇六、六二八

九〇六、〇〇〇

一〇、〇〇〇

一、九二二、六二八

同 ヒサ

九一一、四八一

四〇、三三〇

一〇、〇〇〇

九六一、八一一

同 英俊

八、一〇二

一〇、〇〇〇

一八、一〇二

同 達谷

一六、七八九

二〇、〇〇〇

三六、七八九

尻無沢美敏

二、〇四〇

一〇、〇〇〇

一二、〇四〇

同 峰子

一四二、五六二

二〇、〇〇〇

一六二、五六二

同 美子

二六、五二〇

二〇、〇〇〇

四六、五二〇

同 麻利子

二一、三三九

二〇、〇〇〇

四一、三三九

亡国武忠

四二六、一七〇

五一、九〇〇

一〇、〇〇〇

五三四、〇七〇

別紙(四)書証目録<略>

別表

(一)

油症診断基準

本基準は、西日本地区を中心に米ぬか油使用に起因すると思われる特異な病像を呈して発症した特定疾病(いわゆる「油症」)に対してのみ適用される。

したがつて、食用油使用が発症要因の一部となりうるすべての皮膚疾患に適用され

るものではない。

発症参考状況

1)

米ぬか油を使用していること。

2)

家族発生が多くの場合認められる。これが認められない場合は、その理由について若干の検討を要する。

3)

発病は、本年4月以降の場合が多い。

4)

米ぬか油を使用してから発病までには若干の期間を要するものと思われる。

診断基準

症状 上眼瞼の浮腫、眼脂の増加、食思不振、爪の変色、脱毛、両肢の浮腫、嘔気、嘔吐、四肢の脱力感・しびれ感、関節痛、皮膚症状を訴えるものが多い。

特に、眼脂の増加、爪の変色、?瘡様皮疹は、本症を疑わせる要因となりうる。

また、症状に附随した視力の低下、体重減少等もしばしば認められる。

以下特殊検査に基づかない一般的な本症の所見を述べる。

1. 眼所見

眼脂(マイボーム氏腺分泌)の増加、眼球および眼瞼結膜の充血・混濁・異常着色・角膜輪部の異常着色、一過性視力低下が認められる。

なお、他の眼疾患との鑑別上分泌物のギムザ染色検査が望ましい。

2. 皮膚所見

角化異常を主とし、次のような種々の所見が認められる。

1)

爪の変色、時に扁平化をみるが、明らかな変形は認められない。

2)

毛孔に一致した黒点(著明化)。

3)

手掌の発汗過多。

4)

角性丘疹 特に、皮膚汗脂分泌の多い部を侵す(例、腋窩部など)。

5)

?瘡様皮疹 面皰より集簇性?瘡とみられる重症型まで、さまざまである。

6)

脂腺部に一致した嚢胞(外陰部に多くみられる)。

7)

小児の場合も上記症状をしめすが、若干症状を異にすることもある。すなわち、全身特に四肢屈側に帽針頭大の落屑性紅斑の多発を認める場合があり、多少の痒みを訴える。

8)

?痒は多くの例にはない。また、あつても軽度であり、?痕は認めない。

9)

皮膚は、多少汚黄色を呈するが、著明な色素沈着はない場合が多い。

10)

乾性脂漏

11)

口腔粘膜および歯肉に着色をみることがある。

12)

耳垢の増加を認める。

1. 全身所見

1)

貧血、肝脾腫は認めないことが多い。しかし発熱、肝機能障害を認めることがある。

2)

手足のしびれ、脱力感を訴えるが、著明な麻痺は認めない。深部反射は減弱あるいは消失することがある。四肢末端の痛覚過敏を時に認める。

上記所見は、典型例においては、その大多数が認められるが、手掌の発汗過多、爪の変色、眼脂の分泌増加、頬骨部の面皰形成、および自覚症のいくらかを綜合して、疑症をもうけることは必要であろう。

別表

(二)

油症患者の暫定的治療指針

1. SH基剤などを投与する。

2. ビタミンB2などを投与する。

3. 硫黄あるいはその他の角質溶解剤を含む軟膏またはローションの外用。

4. 二次感染の予防および悪臭防止のためにHexachlorophenなどにより皮膚を清潔に保つ。

5. 二次感染があれば化学療法を併せ行なう。

別表

(三)

ビン詰ライスオイルの塩化ビフエニール分析

分析法A 確認限度 10ppm

分析法B    同    5ppm

日付

塩化ビフ

エニール

分析法

日付

塩化ビフ

エニール

分析法

42.10.6

-

B

43.3.2

-

B

11.-

-

B

-

A

11.15

-

A

3.4

-

A

11.28

-

A

3.7

-

A

12.25

-

B

3.11

A

43.1.6

-

A

3.16

-

B

1.21

-

A

-

A

1.29

-

A

3.18

A

2.2

-

A

3.21

B

2.7

A

3.22

-

A

2.10

A

3.26

-

B

2.11

A

3.28

-

A

A

4.3

-

B

B

4.10

-

B

2.12

A

4.15

-

A

2.15

B

-

B

-

A,B

4.17

-

B

2.16

-

A

4.24

-

B

-

B

4.28

-

B

2.17

-

A

5.2

-

A

-

B

5.3

-

A

A

5.5

-

B

2.18

-

A

5.8

-

A

A

5.13

-

A

2.19

A

5.14

-

A

2.21

-

A

5.17

-

A

-

B

5.21

-

B

2.23

-

B

5.25

-

A

2.24

-

A

5.29

-

B

2.27

-

B

6.1

-

A

2.29

-

B

6.3

-

A

3.1

-

A

6.7

-

B

43.6.10

-

A

43.8.12

-

A

6.12

-

A

8.14

-

A

6.15

-

A

8.16

-

A

6.17

-

B

8.21

-

A

6.20

-

A

8.24

-

A

6.23

-

A

8.27

-

A

6.25

-

A

8.30

-

A

6.29

-

B

9.1

-

A

7.1

A

9.2

-

A

7.3

-

A

9.5

-

A

7.5

-

A

9.9

-

A

7.10

-

A

9.12

-

B

7.15

-

A

-

A

7.16

-

A

9.22

-

B

7.19

-

A

9.25

-

B

7.22

-

A

9.27

-

A

7.25

-

A

10.1

-

A

7.27

-

B

10.2

-

B

7.30

-

B

10.4

-

A

8.1

-

A

10.5

-

A

8.3

-

B

10.13

-

A

8.9

-

A

別表

(四)

油中の有機塩素含量

(化学的分析)

試料

Cl含量(ppm)

試料

Cl含量(ppm)

患者油A

1,020

患者油E

1,080

患者油B

1,170

患者油F

1,500

患者油C

1,070

対照油

微量またはなし

患者油D

1,080

<強制執行停止決定>

(福岡高裁昭和五二年(ウ)第二〇〇号、強制執行停止申立事件、同五二年一〇月六日第三民事部判定

当事者 別紙(一)目録記載のとおり

申請人から福岡地方裁判所昭和四四年(ワ)第一四五号慰藉料請求事件につき控訴提起がされ、強制執行停止決定申請がなされたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

福岡地方裁判所が昭和四四年(ワ)第一四五号慰藉料請求事件について昭和五二年一〇月五日言渡した判決主文第一項はそれぞれ金三〇〇万円を越える部分に限り申請人において別紙(二)記載のとおりの保証を供託することを条件に右事件の控訴事件の判決言渡までその執行を停止する。

(亀川清 原政俊 松尾俊一)

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